碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

ポストモダンのアイデンティティ

2011-06-25 18:38:35 | 日記風雑感
「君が代」を国歌と定めたのはいつ最近です。たぶん自民党と社会党が連立内閣を作った頃だったと記憶しております。あれ以来自民党と社会党の崩壊が始まったと考えております。いわゆる55年体制という擬制の終焉でした。二項対立の近代の終りの政治的表現であったと思います。それは政党の寄って立つイデオロギーより政権をにぎることが第一義的な目的になってしまったと言っていいのですが、もともとイデオロギーらしいイデオロギーのない自民党の唯一の求心力は政権を持つことだけであったし、社会党はソ連の崩壊による社会主義イデオロギーの破綻をよぎなくされていた。右と左が連立して中道左派に対抗したような今でいえば自民党と共産党が連立して民主党に対抗したようなもんです。権力さえ獲れれば政策は二の次というのが露骨に出た、野合と言ってもいいような情況でした。そういうなかで社会党は「君が代」を国歌と認め自衛隊を合憲だという政策変換をしたのでした。ちょうど阪神淡路大震災のころでした。「君が代」は戦前の天皇制を讃えるものであり、戦後の民主主義と相容れないという理由でそれまで正式に国歌とならなかったわけですが、社会党は現状追認と引き換えに政権に参加したわけです。そのときは、付帯決議で思想信条の自由に配慮しこれを強制することはないということが付け加えられていたと思います。ところが今は、「君が代」を政治的なコントロールの道具として使うようになった。もはや権力を補完するものなら、右であろうと左であろうと何でも使えというスタンスになってきた。政治的プラグマティズムというか最近よくいう悪しきポピュリズムに陥ったと嘆くのは古い人間でしょうか。55年体制の擬制の終焉は喜ばしいのだけれども、ポストモダンの政治的構造は政党のアイデンティティの終焉も意味するかもしれません。右翼の人も嘆いています。国を愛すればこそ「君が代」を歌えるのであり、それを強制したところで、愛国心が生まれるのか、「君が代」を支配の道具としかみないのは嘆かわしいしけしからんと。左翼の人も腹をたてている。戦前のような天皇制の復活の第一歩だと。今後の権力構造の変化はどのような形になるのか判りませんが、人治的傾向に流れていくのか、法治的な枠組みを保っていくのか留意していこうと思っております。たかが「君が代」されど「君が代」です。ところで現在日本は法治国家ですか人治国家ですかどう思いますか皆さん。これについてご意見があったらぜひコメントください。
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