碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

「ゴダール・ソシアリスム」を観た

2011-06-14 14:31:50 | 映画の感想
かの有名なゴダール監督の作品といば、「気狂いピエロ」や「勝手にしあがれ」や「男と女」などを思い出すのですが、もう何十年前の作品です。ワシが学生のころですが、いまだに強い印象が残っております。起承転結の強いストーリーがあるわけではない、これでも劇映画かと思うくらいの淡々とした人物描写なんですが、何故かワンカット、ワンカットが印象に残っている。当時の言葉でヌーベルバーグ(新しい波)と呼ばれた作品でした。アメリカのハリウッド映画の商業主義を見飽きた者には新鮮でした。あの頃「イージーライダー」と「気狂いピエロ」は映画の未来を予感させるものでした。ジャン=リュック・ゴダールはすでに80歳だそうです。最後の作品になるかも知れないという気がしたので、見届けに行きました。この映画について事前に何の情報や解説もなしに、何の先入観もなしに観たのですが、上映開始時刻には少し遅れてしまって、前のほうの部分は見逃したせいもあるが、なかなかストーリーらしきものをつかめない、画面は、CM映像のようにどんどん変わっていく、そのうち、ストーリーを追いかけるのをあきらめざるをえない。そしてやがて、ワンショットの短さと、音の効果の意味付けなどを考えている余裕すらなくなる。ただただ、詩的な台詞を吐く俳優の表情と、映像の断片的なイメージを観ていることしか許されないような、手前勝手な意味を考える自由を与えないというか、そんなことを考えちゃいけないお前は評価してはいけない受け入れるだけだといわんばかりの作品でした。それが狙いなのかどうか判らないが、「ヨーロッパは『自由』に抑圧されている」「Be動詞で語らないで、」というような台詞が出てくる(正確にはちょっとちがうかもしれません)アフォリズム的な台詞が、あるいは、詩的な台詞がポンポンでてくるので、ひとつひとつの意味を考える暇もなく、ただただそれを聞き入れている自分がいるのです。「かってにしあがれ」と言いたくなります。あっという間につむじ風のように展開してさっと消えていきました。右手に財布左手に社会主義を持つのがフランス人だと言われています。個人主義の延長に社会主義があると考えているのかどうか分かりませんが、この映像を観て思ったのは、個人のアイデンティティについて考えることに疑問を持っているのではないかということです。日本人が言うと別の意味に捉えられるかもしれませんが、フランス人の知識人はどう考えているのでしょう。個人主義こそ我がアイデンティティだと今でもそうなんでしょうか。この映画は1度観ても自分なりに理解できませんでした。その意味では、フェディリコ・フェリーニの「81/2」と双璧です。今後何回か観る機会がまたあると思っております。パズルを解くような感じで、気長に付き合っていくべき作品だと感じました。そんな楽しみ方をすれば5年ぐらいは持つのではないでしょうか。
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