碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

ネパールへ13

2005-07-31 19:39:08 | ネパール紀行
話は突然とびます 時は5年ほど過ぎ去って 2度目のネパール行きには 連れがいた。結婚した家内が一緒だった。 ネパールへ行く目的は ヒマラヤ山脈を見ることにあった。 世界の屋根、といわれ神々の座と言われ 数多くの峰々に世界の登山家が挑んできた。 彼らの命に代えても登頂すべき峰々を この眼で見ておきたかった。 彼らの憧れと恐れと意志のあり様を 少しでも理解できるかも知れないとの思いがあった。 嫁さんが . . . 本文を読む
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ネパールへ12

2005-07-30 22:07:46 | ネパール紀行
1日おきに移動していると 夜中に目がさめた時など、 いったいここは何処なのか 分からなくなってしまう事もある。 酒なんかのんで、寝てしまうと 特に記憶があいまいで、しばらくは、何処か思い出せない。 安宿で宿の住人(家族経営の宿)と話をしながら 酒だハシシだと勧められるままに飲んで、 国際交流をしていると、夜中になっても、 気がつかず時間を過ごしてしまい、翌日の朝は 起きれず、その日の予定を短縮する . . . 本文を読む
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ネパールへ11

2005-07-29 16:51:44 | ネパール紀行
タージマハール廟は夕焼けに映えて ピンクに薄く染まり美しいたたずまいを見せていた 靴を脱ぎ門をくぐると、写真や映像で見るとおりの 姿で、というより写真や映像をそのまま引き伸ばした ように、まったくそのまんまの姿でで現れた。 これほど、実物と写真がおんなじなのもめずらしい。 たいがい、建物や風景の写真は実物よりもきれいに撮ってある のが普通だと思っていたが、ここは違った。 実物は掛値なしの美しさでし . . . 本文を読む
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ネパールへ10

2005-07-25 23:03:43 | ネパール紀行
タジマハ-ル廟のあるアグラへついたのは 予定よりかなり遅れてしまった。デリー空港で 飛行機に乗るときにトラブルがあり、 それは、今から思うと、ささいなことでしたが 搭乗予定の飛行機に乗せてくれないので、なぜか その理由を聞くと、次の便に乗るように変更したというのだ。 勝手に変更されてはたまったもんじゃないので、 今の便に乗ることを強行に主張したのだが なかなか受け入れてくれない。 団体客のために予 . . . 本文を読む
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ネパールへ9

2005-07-22 09:37:01 | ネパール紀行
インドといえば、バラナシ(ベナレス)へ行かねば インドを見たことにはならない。 ヒンズー教の聖地にして、死出の旅立ちの出発地 人生の旅の終着地、すべてはここで報われる。 そのように思う人々が、インド各地から死ぬために 集まってくる。この地で死を向かえガンガ(ガンジス川) に遺体をながしてもらうのが、最後の望みであり 最後の幸せをかなえることになる。 それを見に世界各地からまた人が集まる。 その観光 . . . 本文を読む
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ネパールへ8

2005-07-18 21:54:41 | ネパール紀行
インドの話が長いので なかなかネパールまでたどり着けないのですが もう少し、我慢してください。 いろんな観光スポットはありますが、特別思い入れ があるわけじゃないので、一応見物しますが たいして、覚えていないのです。時間とともに 記憶は風化していくのですが、それでも残っている のが、その旅の思い出です。 旅は日常から離れて、いわばおのれの裸をさらす快感と危険を はらんで進んでいくものです。 町を歩 . . . 本文を読む
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蛇の話

2005-07-17 16:55:01 | 日記風雑感
古代より蛇は、信仰の対象ですらあった 形が、男根に似ているのが、あがめられる理由の一つ それから、生命力の強さ、が崇拝の根拠でした。 古代の人にとってはいわば動く男根が蛇であって いくら巨根の持ち主とて、蛇にはかなわない あの長さには、色艶には、どんな強者でも 奴の前では、なかなか、どうして、ぜんぜん、まったく うなだれて、下をむくのですわ そんなペニスコンクレックスが蛇を信仰の対象にしたので、 . . . 本文を読む
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ネパールへ7

2005-07-16 22:24:28 | ネパール紀行
蛇使いは、コブラにかまれても、死なないそうだ。 彼らは、小さい時から、コブラの毒を、体に少しづつ入れて 免疫を作っているのだ。それが、何代にも渡り 続けられて、基本的に、毒には強い体質ができあがっているので、 少々かまれても、死なないのだ。 彼らの部族というか集団は、蛇とともに生活してきたカースト(職能集団) であるから、先祖は蛇だと考えているのではないか。 恐らく、神話とか伝説があると思う。 詳 . . . 本文を読む
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ネパールへ6.1

2005-07-16 19:45:40 | ネパール紀行
篭の布をはがすと、篭の中にはまた袋がある。 その中に蛇がいるのだが、その袋を取り出して、地面のうえに 観衆が袋に気が取られている間に、篭を隠し 「さあさあ、キングコブラのおでましだ」 袋を開くと中から2匹のコブラがでてきた。 「おやまあ、このコブラ、あまりの大きさに耐え切れず、  二匹に分かれてしまったぞ」 「世にも不思議なこのコブラ、二匹に分かれてしまったが  思いは一つ、この通り」 蛇使いはこ . . . 本文を読む
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ネパールへ6

2005-07-16 11:28:25 | ネパール紀行
インドと言えば蛇使いです。 これは、もう古い認識かもしれません、 日本と言えば、フジヤマ、ゲイシャ、的な発想かもしれませんが、 30年前は大道で、蛇使いが、笛を吹いておりました。 キングコブラのスネークダンスです。ゼンジー北京(日本のマジシャン)みたいな まやかしではありません。元祖、正真正銘、家元の芸なんです。 チャルメラみたいな音のする笛を吹くと、大きな竹で編んだ篭の中から コブラが頭をもたげ . . . 本文を読む
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ネパールへ5

2005-07-13 21:55:51 | ネパール紀行
インドの首都ニューデリーの観光はあまり記憶に残っていない。 記憶にあるのは、町の公園とか広場にたむろする 乞食達である、彼らこそインドを代表する、顔である。 彼らの縄張りはそれぞれあるのだが、いろんな条件つまり 身体の障害によってや年齢やカーストによって、おのずと縄張りが 決まっているらしい、日本では3日やったらやめられないのが乞食だそうで そんなにぼろい商売なのか知りませんが。 インドでもこれは . . . 本文を読む
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ネパールへ4

2005-07-10 11:24:45 | ネパール紀行
日本を出てバンコック経由でインドのデリーについた。 ここから旅が始まった。 デリー空港からホテルへ向かうバスの中では、 外国人は私一人でインド人だけしかいなかった。 深夜のデリーの町は、路上で寝起きする人々が時々焚き火を炊いて暖をとっている。 炎に照らされる顔は彫りの深い、異国人の容貌が尚いっそう陰影をもって 映画の一シーンのように現れては消えていく。 それを眺めながら、とうとう異国へ来たという実 . . . 本文を読む
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ネパールへ3

2005-07-09 22:22:38 | ネパール紀行
寺院の周りの、物売りや、牛や猿の出迎えを受けて、 ようやく境内のなかへ、下足を脱いで入るのだけど 入り口には下足番がおりまして、いくばくかのチップを わたすのが礼儀になっております。 年とったばあさんが、黙って、靴を見ながら、手を出して チップを要求したので、小銭を渡すと、ありがとうの一言も無く 顔を振って向こうへ行けと言うしぐさに、うながされて、 入り口まで行った。下足がたくさん脱ぎすててあるの . . . 本文を読む
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ネパールへ 2

2005-07-07 22:03:53 | ネパール紀行
人力車の若い車夫が車に乗ってくれとしつこく誘うので、 値段を聞いたら5ルピーだという。距離はどうだと問えば どこでも行くと言うので、そんなら町外れの寺院まで行くことに して、車に乗った。人力車は日本が元祖らしい、ネパールでは リキシャとよぶ。それに乗るとけっこう高い位置に座席があるので なんだかえらくなったような気になるのです。 道を歩く人の視線がみんな向けられので、気恥ずかしい感じも ありますが . . . 本文を読む
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ネパールへ

2005-07-05 20:25:13 | ネパール紀行
インドからネパールへ入るとほっとするのは、 人種が日本人と同じで、昔懐かしい日本の風景を見ているような 気持ちになるからだけではない。 低いインドからネパールの高みへ上がることは 須弥山(しゅみせん)を一歩上がったような気になるのです。 海に沸いた生命体が陸上へ上がり一歩一歩進化して須弥山の頂上 の阿弥陀をめざす過程の一つが人間界であるとすれば、聖なる 高みへ上るような気分はうれしいのです。 この . . . 本文を読む
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