個人的にいろいろと用事がありまして3か月ほど日本に帰っていました。歳とるとすることがないくせに何だかんだ言って、腰を上げないようになってしまうのはいかがなものか、と自問する日々に少しは喝を入れるべく、以前から行こうと思っていた広島への旅を家内と一緒に行くことにしました。事前にいろいろ旅程を考えてみたのですが、福井から山陰を回って車で広島へ出ることも考えてみたのですけれど、結局車の運転の負担や安全を考えて、歳相応に楽な鉄道で行くことにしたのでした。新幹線ができたおかげでかえって不便になったJR西日本のダイヤを見ながら広島へ直行しその後尾道、倉敷、大阪というスケジュールで4泊5日の旅となりました。広島は原爆被災地ですが、今まで行ったことがない。通過したことはあるけど意識して広島に行くことはなかった。それは様々な媒体で原爆の被災についての情報は持っていたがそれゆえに悲惨な現場に行くことをためらう気持ちがあったし、何より日々の日常の生活の中で向き合う機会がすくなかった。というよりほとんどなかったのですが、この歳になって世間のしがらみから足を抜いてみると世界はまた別の相貌に見えるわけです。おりしもウクライナやパレスチナでの悲惨な戦争の現実を突きつけられて、またあの戦争の時代にもどるのかと考えれば、その悲惨な戦争の究極の姿の広島や長崎の被災を確認するような意味で一度は現地に行くべきだという風に思ったわけです。というわけで遅ればせながら慰霊碑に頭を下げ広島平和記念資料館に行きました。館内はほとんど外国人の見学者で日本人は修学旅行の生徒と1割か2割ぐらいの日本人でした。展示された内容はすべて事実だけを知ら示しているので、それについての経緯や責任や批判などはなく、中立性をもって事実だけに語らせるというのは、見る人すべてに説得力があるのだけれど、その時代の空気が読めるかと言えば、それは別の話で、あとはお任せしますという風に感じられるのでした。任された個人はそれぞれの思考の中に突き返されるわけでそれがこの展示の目的なのであろうと思った。そういう意味で感想を言えば「戦争なんてするもんじゃない」という当たり前の確信を事実をもって再確認した次第です。原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉が刻まれているが、この言葉の主語は「我々は」です。つまり自戒の言葉です。東京裁判のインド人判事に言わせば原爆を落としたのは日本人ではないのになぜそういう言葉を残すのかというのですが・・当時の広島の人々の心を反映した言葉であったのだろうと推察するのです。いまなら「過ちは繰り返させませぬから」ぐらいは言わないと主語ばかりわめきたてる世界には通じない気もする。話は変わるけど、世界に席巻する日本のアニメの最高の反戦傑作のひとつである、「火垂るの墓」が単なるお涙ちょうだいの話でなく主人公の自立をかけた実存的な意志が死をもって終わる悲しさ、やるせなさや無情感が核心にあるからこそ強く共感を呼ぶわけで、いまや戦後は遠くなりにけりという時代から見ると当時の日本人は優しさに飢えていた人たちだったんだなと思うわけです。なんだかんだ言っても理屈を飲み込まない情緒というか感情と言うか美意識と言うかそんなものが日本人の心にあるのかもしれません。全てを失って最後に残ったものは切ない感情だけだったのかも知れないというふうに・・であるならばこそ残された者は鐘を鳴らし続けなければなりません。
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