
今回は『佐原十郎義連墓』と『満願寺の諸仏』です。
百選では2つを別に選定していますが、同じ「満願寺」内にありますので、
ここでは2つ一緒に取り上げたいと思います。
地図を見ながらたどり着いた「満願寺」。緑が多く静かな場所にありました。
(三浦観音十八番、 三浦不動三番、三浦地蔵四番札所)

満願寺


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以下市のガイドより
佐原十郎義連墓 義連の開基と伝えられる臨済宗岩戸山満願寺本堂の裏にあり、市指定史跡と
なっている。空・風・火・水・地から成る五輪塔で、鎌倉時代の様式を残しているが、
空・風・地輪は、後に補ったものといわれている。
義連は、三浦大介義明の子で、源平一の谷合戦の折、ひよどり越えを一番乗りしたほどの勇者であった。

こちらが本堂脇の階段をのぼったところにある観音堂。ここに以前は諸仏がありました。

そして上の観音堂の脇にあるのが、この佐原十郎義連の墓と伝えられる五輪塔。
満願寺の諸仏 観音菩薩(国指定有形文化財)、地蔵菩薩(同)、不動明王(市指定有形文化財)、
毘沙門天(同)の立像で、いずれも寄木造り、玉眼入りで鎌倉期の作である。もと本堂
裏手の観音堂にあったが、現在は、本堂右手の収納庫に安置されている。
特に、観音菩薩立像は、平家追討のため西国へ赴く、義連19歳のときの肖像であると伝えられている。


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ここの百選を語る上で欠かせないのが、佐原十郎義連という人物。時は平安時代から鎌倉時代への
移行期。源氏 源頼朝が挙兵したころ、三浦半島の長老は三浦大介義明で、十郎義連は三浦義明の
十男末子。源氏側についていた三浦一族は平家討伐へ遠征します。当時19歳!その源平合戦、
一の谷のひよどり越で「こういう崖は、われわれの三浦のほうでは、ふつうの地形で、いわば
三浦の者にとっての馬場のようなものだ」と一番乗りの手柄をたてた勇者。頼もしすぎるゾ!

いやぁ~頭の中で消えかかっていた歴史の知識を久しぶりに掘り起こしました

参照サイト
google画像検索→横須賀 満願寺
google検索→横須賀 満願寺
Wikipedia→三浦氏
三浦半島記 →街道をゆく42
横須賀風物百選特集ページへ→横須賀風物百選
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そしてここ『満願寺』は
◎三浦観音三十三札所 第十八番札所
◎三浦不動明王二十八札所 第三番札所
◎三浦地蔵尊三十八札所 第四番札所 でもあります。
★名称 岩戸山 満願寺
★所在地 横須賀市 岩戸 1-4-9
★電話 046-848-3138
★アクセス 京浜急行「野比駅」から岩戸廻り「久里浜」行きバス、「岩戸」下車徒歩5分
☆観世音菩薩☆
◎ご詠歌 『岩戸をば 押し開きつつ 観世音 来りて御身 拝む尊とや』
☆不動尊☆
◎ご詠歌 『常磐に 堅き巖戸を 押し開き 救いの声の もるヽ嬉しさ』
☆地蔵尊☆
◎地蔵尊の画像は→こちら (参)三浦地蔵尊三十八札所のご案内
◎御詠歌 『満のあたり 願ひの道に 立ち給ふ 仏の慈悲を あふげ諸人』
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ストリートビュー。

近くを通っているのですが、
寄ったことがありませんでした。
考えてみれば、横須賀は三浦氏の関係の物が
多く残ってるんですよね、
すっかり忘れていました。
今度近くに寄ったときは、
見に行ってみようと思います。
私もここを訪れたのは今回が初めてです。
近くを通ることはあったのですが、知りませんでした。
この百選の企画を始めてから、初めて知った事、行った場所も多く、横須賀を知るいいきっかけになっています。
眠っていたかすかな歴史の知識をひっぱりだし、いつの時代か照らし合わせてみたり。
記事の編集は大変ですが、やっていてなかなか楽しいです。
三浦一族のことも機会あるごとにいろいろと取り上げたいと思います。
コメントありがとうございます!
お寺情報ありがとうございます。
大矢部の満昌寺と確かご兄弟でしたっけ?坐禅会を検索したら第1日曜の7:00~8:00に行っていると書いてありました。残念ながら…私は朝がメチャクチャ弱く
ここ満願寺はお寺めぐりでも結構早い時期に訪れました。
やや奥まった、今まで私の知らなかった場所にあり、その上見所も大変多く、訪れてみてびっくり、嬉しかった覚えがあります。
坐禅会も行っているのですね。知りませんでした。
私も機会があったら参加してみたいです。
コメント&情報、ありがとうございます!
墓所が三浦に有ると聞いて調べて居た折、ここにたどり着きました。
色々と参考になる情報をありがとうございます<(_ _)>