「革新的アイドル」西城秀樹は理屈じゃ語れない
茂木健一郎(脳科学者)
私が子どもの頃は、日本のテレビは黄金期だった。ある日、その「真ん中」に西城秀樹さんが現れた。見ている側から見れば本当に突然、西城秀樹という光を放った存在が「降臨」したのである。
鮮明に覚えているのは、5枚目のシングル『情熱の嵐』だ。まず、つかみから圧倒された。ステージ上で歌って踊る西城秀樹さん。客席から「ヒデキ!」の声が飛ぶ。なんだか、それまで見たことがない光景が地上に現れたような気がした。
西城秀樹さんは、登場したその時から、すでに「完成」された姿を持っていた。情熱をそのまま形にしたような、その外見。力強く、時にハスキーなその声。
「西城秀樹」という名前も素敵だった。踊りやしぐさも華麗だった。「ヒデキ!」というファンの掛け声も含めて、すべてが完成されていた。まるで、「イデア」の世界から人間界に降臨した「アイドル」の一つの「原型」であるようにさえ思われた。
(中略)
西城秀樹さん、私たちはあなたの歌が、踊りが、そしてその存在が大好きでした。西城さんが亡くなったことで「一つの時代が終わった」、そんなことは言いたくありません。
西城さんの「熱」と、新しいものを生み出す創造の精神は、きっと私たちの胸の中で生き続けます。だから、西城秀樹というアイドルとその時代は、むしろ形を変えてこれからも続くと信じます。
碓井真史(新潟青陵大学大学院教授)
西城さんは、自由で元気で明るい1970年代以降の日本文化の象徴だった。これほど年齢性別問わずに愛され、時代とともに生きてきたスターが日本の大衆文化を作り、私たちの考え方や生き方にも影響を与えてきたのである。 かっこよく歌えて踊れて、スポーツ万能で、それでいて気取らず、優しく、二枚目なのに三枚目の面もあり、いつも一生懸命で、人々に愛される。西城さんとともに生きてきた若い戦後世代は、みんな西城さんになりたかったのだ。
西条昇(アイドル・お笑い評論家、江戸川大教授)
歌手の西城秀樹さんが16日に亡くなったと知り、すぐに頭の中に浮かんだのは、ヒデキが一躍、男性アイドルのトップに上り詰めていく1974年にテレビ番組で披露されたワイルドでダイナミックなパフォーマンスの数々だった。
同年2月発売の「薔薇の鎖」での軽量化した特注スタンドマイクを振り回してポーズを決めてみせるアクションには強烈なインパクトがあった。これはイギリスのロック歌手であるロッド・スチュワートの来日公演を見に行き、実際にスタンドマイクに触らせてもらった結果、自分の曲に取り入れることを思いついたという。
また、同年5月発売の「激しい恋」では、「♪やめろと言われても」という歌詞の後で、両手の親指を胸のほうに向けつつ左足を上げてみせる振付がウケ、多くの人がまねをした。また、181センチの長身で高くジャンプしてはうずくまるように着地するなどの激しいアクションには画面からはみ出すような迫力が感じられたものだ。
そして、同年8月発売の「傷だらけのローラ」では、シャウトやビブラートを多用したヒデキの〝絶唱〟ぶりが遺憾なく発揮され、間奏で長髪を振り乱して「ローラ!」と繰り返し絶叫するたびに観客が熱狂した。
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