昨夜は下北沢にある劇場で「パパ I love you」という演劇を見てきた。ちょっと前のドタバタ喜劇のようで、観客は大笑いして、間には手拍子したり、楽しいお芝居でした。(→写真をクリックすると大きくなる。)
劇を見に行くとたいてい次にやる公演のパンフレットがどっさり渡されます。
その中の一枚に目が止まりました。
解説『右の人差し指が折れてぶらぶらしている、「蟹工船」のような小説を、二度と書けないようにするために、刑事たちがへし折ってしまったのだ。』
つい最近小林多喜二の拷問死の記事を新聞で読んだのを思い出しました。
小林多喜二の蟹工船は受験対策に読んだ気がするけどすっかり忘れてしまっています。他の小説と記憶が混同してしまった感も。
主演の井上芳雄はミュージカル俳優です。ということはこれはミュージカルなのか?見たいような、怖いような。
「蟹工船」をもう一度読んでみようかな。
小林多喜二の拷問死、遺族が告訴試みる 弁護士供述記録
中村尚徳 2019年9月23日19時14分
「蟹工船」で知られるプロレタリア作家、小林多喜二(1903~33)が治安維持法違反容疑で逮捕され、警視庁築地署で拷問死した後、遺族が特高警察を告訴しようとしていたことが分かった。多喜二研究者の荻野富士夫・小樽商科大学名誉教授(日本近現代史)が、多喜二と関係のあった弁護士を取り調べた公判前の予審記録からみつけた。告訴は実現しなかったが、厳しい思想弾圧の時代に拷問死をめぐって遺族が抵抗を試みようとした一端が明らかになった。
記録は、33年9月に同法違反容疑で検挙された窪田貞三郎弁護士に対する「予審尋問調書写」。予審判事が34年3月~35年2月、東京の豊多摩刑務所で窪田に尋問した12回分のやり取りを記した写しで、同志社大学(京都市)が所蔵してきた。
窪田は労働・農民運動家らの法廷闘争を支援した日本労農弁護士団の一員。「調書写」には遺族から告訴を依頼されたかどうかを問われた記述があり、「弟と兄から依頼され資料を受け取り、別の弁護士に引き継いだ」とし、「証拠薄弱のため、そのままになった」と答えていた。
荻野さんによると、警視庁は33年2月20日の逮捕当日に死亡した多喜二の死因を「心臓マヒ」と発表。だが、自宅で遺体を見た医師や友人らが両足などに暴行の痕を確認し、遺体写真や多喜二の母セキの証言から拷問死とされてきた。
弁護士団は告訴に向けて遺体解剖を3カ所の大学病院に頼んだが、いずれも解剖されなかった。荻野さんは、特高が告訴を阻むために病院側に圧力をかけたとみて、「こうした記録は敗戦時、ほとんど焼却処分され、極めて貴重な資料だ。遺族が告訴できれば同法運用に欠かせなかった暴力的取り調べに一定の歯止めがかかった可能性はある」と指摘する。
荻野さんによると、戦前にも告…
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