チリチリリン

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杉本博司 ロスト・ヒューマン展

2016年11月10日 | 展覧会

2年間のリニューアルを終えて、東京都写真美術館がTOP MUSEUMとして帰ってきました。その第一弾が杉本博司ロストヒューマン展です。杉本氏の作品を実際に見たのはメトロポリタン美術館展の「海景」1点です。あとはテレビで那智の滝の撮影に挑むドキュメンタリーを見ただけで、印象としては、内面は非常に『熱い』人だけど作品は『静』『無』だと思っていましたが、今回の作品には杉本氏の『意志』が強く押し出されていると感じました。

展示は3部に分けられていて、「今日世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」「廃墟劇場」「仏の海」と続いています。

「今日世界は死んだーー」では入口に氏の「海景」の一枚がかかっています、静かな海の写真です。一歩入ると全然様子は変わって、世界の終焉を告げる33のシナリオとともに、氏が収集した廃墟のような品物が展示されています、写真ではありません。

 

アンディーウォーホル風に飾られたキャンベルスープ缶に掲げられたシナリオです;

 『私はコンテンポラリーアーティストでした。

今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。

後期資本主義時代に世界が入ると、アートは金融投資商品として、株や国債よりも高利回りとなり人気が沸騰した。

若者たちはみなアーティストになりたがり、作品の売れない大量のアーティスト難民が出現した。

或る日突然、アンディーウォーホルの相場が暴落した。キャンベルスープ缶の絵は本物のスープ缶より安くなってしまった、そして世界恐慌が始まった。

瞬く間に世界金融市場は崩落し、世界は滅んでしまった。

アートが世界滅亡の引き金を引いた事に誇りを持って私は死ぬ。世界はアートによって始まったのだから、アートが終わらせるのが筋だろう。』

 

 

キンチョールの缶と防護服に書かれたシナリオは;

『私は養蜂家でした。

今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。私の飼育している蜂達の異変に気付いたのは10年ほど前だった。巣に帰ってこないミツバチが増えてきたのだ。蜂が帰巣本能を喪失したとされた。蜂はせっせと甘い蜜を運んでも、人間に搾取されてしまうということを何万世代もかけて体で学んでしまったのだ。世界中の蜂にこの情報は共有されて、蜂は死に絶えてしまった。種の自殺だ。すると世界中の植物に異変が起こった。多くの種子植物は受粉ができなくなり、その数は激減していった。ほとんど砂漠化した地表の景色も悪くはない。(中略)次の世が来ても、人間がいる限り蜂は帰ってこないだろう。』

 

このシナリオはすべて手書きで、著名人が代筆しているというなんとも贅沢な展示です。 政治家やジャーナリストや宇宙飛行士などの世界の終焉を語る33のシナリオを読むうち、愚かな人間は本当に世界を滅ぼしてしまうだろうと思えます。そして最後の作品はまたあの静かな海です。世界が死んでも海は残るということなのでしょうか。

 

「廃墟劇場」は杉本氏がアメリカ各地の廃墟となった劇場を撮影したものだそうです。自ら張ったスクリーンに自選の映画を投影し、カメラのシャッターを開放して、映画フィルム1本分の光で撮影された崩れた壁や朽ちた座席などはものすごい怖さと迫力を感じます。作品の前には投影された映画の題名が掲示されていましたが、みんな世界が終わる映画でした。

 

そして世界が終わった後の展示が「仏の海」です。大判に引き伸ばされた9枚の京都三十三間堂の千手観音です。末法思想の世に極楽浄土を望んだ仏の姿です。その静かだけど圧倒的な強さを感じる佇まいに、これが杉本博司の『意志』だ!と思いました。

前々から開催されたなら観に行きたいと望んでいた杉本博司の写真展でしたので、今日は幸せな気分です。

 

 

 

 

 


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