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蓬莱の島通信ブログ別館

「すでに起こったことは、明らかに可能なことがらである」
在台日本語教師の東アジア時事論評あるいはカサンドラの眼差し

中国による沖縄への領土的野心はあるか?Ⅱ─沖縄領有の根拠─

2005年06月04日 | 「謀略」に抗するために
 先日、紹介だけした「沖縄諸島はもともと我が国のものだ」という中国のブログ記事の内容から、主張の根拠を考えてみたい。
 なお、このブログの全文と書き込みは以下に示している。
http://blogs.yahoo.co.jp/kei_shi347/3985240.html
 この記事は、http://www.blogchina.com/の中の、個人利用者のページ
http://cathaychen.blogchina.com/230268.htmlである。
 内容から考えると、書き手はある程度の知識をもった中国の中産階級らしい。中国の歴史教育の一端も推測できると思われる。
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琉球群島本來是我國的
  12 世紀 琉球群島出現南山、中山、北山三國,分別在琉球群島的南部、中部和北部。1372年 明太祖朱元璋給琉球的中山王察度下達詔諭后,琉球的北山、中山、南山三王遂開始向明政府朝貢。從此琉球成為我國的藩屬. 1416年~1429年中山王尚巴志征服北山、南山,形成統一的琉球王國(第一尚氏王朝,據考証琉球王國的尚姓也是中國皇帝御賜的),以後的毎一代國王都需要由中央政府冊封任命。中央政府不干預琉球王國内部事務,像現下的香港和澳門一樣。1853年5月 美國海軍準將Matthew C. Perry的
艦隊到達琉球。1854年3月 Perry與小日本簽訂《神奈川條約》,Perry誤以為琉球是小日本的領土,所以要求小日本開放包括琉球那霸在内的五個港口,小日本的談判代表向Perry承認琉球是個遙遠的國家,小日本天皇和政府無權決定它的港口開放權。 1854年7月11日 Perry與小日本談判結束后,趕回琉球與琉球王國政府談判,最後以中、英兩種文字正式簽訂條約開放那霸港口。1868年 小日本明治維新,從此,日本走上強國之路。隨著日本逐歩強大,其野心也日漸膨脹,1875年 小日本強迫琉球國王停止向清朝中央政府朝貢。1879年 中日就琉球問題開始談判,中方提出把琉球群島分成三部分︰ 挨近小日本方向的庵美大島作為小日本領土;而琉球本島及其附近島嶼作為一個獨立的琉球王國存在;而在南部的先島群島則作為中國的領土。小日本方面建議把琉球劃分成 2 部分︰琉球本島及其北方島嶼作為是小日本的領土,而南部的先島群島則作為中國的領土。(在談判中沒有包括釣魚台,可見釣魚台在琉球群島以外)。1945--1972年 美國佔領時期,美國在琉球實行異化政策. 1947年4月 聯合國《關於前日本委任統治島嶼的協定》,把屬於中國的琉球群島和釣魚台交給美國"托管"。 1970年 美日背著中國簽
定《美日舊金山和約》,拿中國的領土作交易,私相授受,把琉球連同釣魚台的"施政權"轉給小日本。中國直到今天也沒有承認所謂《美日舊金山和約》。我們是不是可以依據歴史證據相對地提出 "琉球地位未定論",在國際上重開琉球群島的歸屬爭議。這對切斷日本對中國東海海權和釣魚島的領土野心,徹底解決領土領海問題和鞏固中國在西太平洋的長遠戰略地位,均有莫大的幫助。
- 作者︰ czbe 2004年11月12日, 星期五 20:18 加入博采
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【翻訳】
琉球群島はもともと我が国のものだ
 12世紀、琉球群島は南山、中山、北山の三国が現れて、琉球群島の南部、中部と北部に分かれていた。1372年明太祖と朱元璋が琉球中山王察度に勅書を下達した後に、琉球の北山、中山、南山の3人の王はすぐ明朝政府に朝貢を始めた。それから琉球は我が国の属領になった。 1416年から1429年に中山王尚巴志は北山、南山を征服して、統一された琉球王国(第1尚氏王朝、考証に拠れば琉球王国の尚性は中国皇帝の下賜したものである)を形成し、後は各国王ごとにすべて中央政府から冊封による任命を受けていた。中央政府は琉球王国内部の事務には関与しなかった。現在の香港とマカオのようだ。1853年5月 米国海軍の准将Matthew C. Perryの艦隊が琉球に到着した。1854年3月 Perryと愚かな日本(小日本)は《神奈川条約》を締結した。Perryは誤って琉球が愚かな日本の領土だと思い、愚かな日本に琉球那覇を含む5つの港の開港を求めた。愚かな日本の交渉代表はPerryに、琉球が遥か遠い国家であり、愚かな日本の天皇と政府には権利その港を開放する権利がないことを承知させた。1854年3月 Perryと愚かな日本との交渉が終わった後、琉球に急いで引き返して琉球王国の政府と交渉し、最後に中英文で正式に那覇港を開港する条約を結んだ。 1868年は、愚かな日本の明治維新である。それから、日本は強国の道に立った。日本が1歩1歩強大になるにつれて、その野心も日に日に膨張し、1875 年、小さい日本は琉球国王に清の中央政府への朝貢を停止するように強制した。1879年、中日は琉球問題について交渉を始め、中国側は琉球群島を3部分に分けることを提案した:愚かな日本方向の庵美大島に近いところは愚かな日本領土とする;琉球本島と近くの島は独立した琉球王国として存在する;南部の先島群島は中国領土とする。愚かな日本の側では、琉球を二つに分けることを提案した:琉球本島と北方の島は愚かな日本領土で、南部の先島群島は中国領土とする(交渉中には尖閣諸島は含まれていない。尖閣諸島が琉球群島以外だったことがわかる)。1945--1972年、米国の占領期、米国は琉球で異化政策(?)を実行した。1947 年4月、国連《日本が以前委任統治していた島嶼に関する協定》は、中国(訳者注:中華民国で中華人民共和国ではない)の琉球群島と釣魚台を米国の"信託統治"に委ねた。1970年(訳者注:以下の記述は、「1951年サンフランシスコ講和条約」と1971年「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」が混同されていると思われる)、米日は中国(訳者注:中華民国ではなく中華人民共和国)に背いて《日米サンフランシスコ講和条約》に調印し、中国の領土を取って取り引きをし、ひそかに受け渡しをして、琉球を釣魚台"施政権"とともに愚かな日本に一転して与えた。中国(訳者注:中華民国ではなく中華人民共和国)は今日もいわゆる《日米サンフランシスコ講和条約》を承認していない。私達は歴史証拠の検討により、"琉球地位未定論"を提出し、国際上で琉球群島帰属の論争を再開することができるのではないか。これは、日本による中国の東シナ海領有権と釣魚島に対する領土的野心を断ち切ることに対し、徹底的に領土領海問題を解決して中国の西太平洋での長期戦略的地位を強固にすることに、同じくこの上ない助けがある。
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 一部に重大な間違いはあるが、一応の論証にはなっている、こうした中国側の一定レベルの知識階層の意見から、日本人は何を学ぶことが出来るだろうか。以下、列挙して見たい。
①中国の歴史教育:この記事から推測すると、中国では、琉球(沖縄)の明治期までの歴史を、おそらくこのように教えているのではないかと思われる。日本では、中国・韓国の干渉により、歴史教育の現場は混乱しており、よく言われるように、”微妙な点は教えない”。従って、独立王国で、中国大陸と日本との間で苦闘の歴史を歩んでいた琉球列島史は、一般の日本人はほとんど関心もないかもしれない。以前、NHK大河ドラマで、「琉球の風」を放映したことで、はじめて、独立王国だったのかと分かった人も多かったかもしれない。私たちは、自分を護るためにも、子供たちに、琉球(沖縄)や北海道など、近代化の過程で併合された、もともと日本本土ではなかった地域とそこに暮らす人々の歴史と声を知る必要がある。幸い、インターネットで多くの方の声が読めるのは幸いである。見つけたブログは以下。http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2005/04/post_eb03_1.html

②歴史詭弁論法:この論者の書き方を見ると、中国側にとって都合のよい事実だけをあげて論証と言っているのが、逆に、よく分かる。中学生でも反論は可能である。たとえば、明の冊封だが、実態はどうか。足利尊氏など足利時代、明の冊封を足利幕府が受けていたことは、書いていない。その他の周辺地域や遠国も全部同じだったはずで、この論者の論で行けば、日本やその他の周辺地域や遠国も明の間接統治下にあり、「藩屬」だったことになる。また、南沙群島での中国の領有権主張の仕方とも共通している。歴史を遡れば、朝鮮半島には漢の武帝がおいた楽浪郡や帯方群があったから、朝鮮半島は、中国領土だとか、魏から王と認められた卑弥呼も、「藩屬」だから、日本は中国領土であるという論法に、いくらでも拡大できる。明治期部分をみても琉球分割は清と日本が相互に行おうとしたことで、琉球を中心に見れば、日本も中国も侵略者であることに変わりはなく、日本も中国も所詮、盜人である。中国の台湾への領有権主張と同様、こうした不毛な議論で、沖縄の人々の命運が左右されるのは、なんともやりきれない。なお、沖縄返還の資料は以下。http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yougokaisetu-ippann.htm

③現代史部分の危険性:日本国憲法のもとで生きる日本国の日本国民にとって用心するべきことは、1945--1972年の書き方である。この論者がたくみに、中華民国と中華人民共和国を使分けているのが、よく分かるだろう。つまり、台湾を併合し、中華民国を併合すれば、清->中華民国->中華民国/中華人民共和国という、歴史事実を、清->中国(中華人民共和国)と整理することが出来る。②の論法を合わせることで、当然、台湾の次は沖縄への領有権主張が出てくる。また、「中国(訳者注:中華民国ではなく中華人民共和国)は今日もいわゆる《日米サンフランシスコ講和条約》を承認していない」と言うように、日中平和友好条約を一方的に破棄して、第二次大戦終結時の状態にもどすというような論法を今後、当然採ってくる。これを欧米人に支持させるために日本の歴史犯罪追求を行っているとも見られる。まさに、「謀略」である。これに対抗するために「日本国」は、現代史について覚悟を決めなければならない。

 私たちは、南沙群島と台湾に線が引かれ、東シナ海、黄海などに領域が示されていない、中国政府測繪局の地図の意味するものを、十分に読み取るべきであろう。http://www.sbsm.gov.cn/territory.php?col=392&file=3484


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