今年、愛読書の「坂之上の雲」のTVドラマがNHKで放映されます。
それが嬉しくて、今年の夏は、主人公達が生まれた四国と日露戦争の相手方、
ロシアを意識的にも訪れたのです。
坂之上の雲の主人公、秋山兄弟と正岡子規は松山の出身。
松山には子規が暮らした旧家を復元した子規堂が小さなお寺の境内にありました。
車で行くと見つけにくい場所で少し迷ってしまいましたから注意してください。

子規堂の中には、愛用の机を置いた三畳の部屋がありました。何か懐かしさ
の感じる狭い部屋。質素さの中に日本人の精神性が凝縮している気がしました。

子規の書いた野菜の絵が沢山飾られていましたが、上手な描写で多才ぶりが
大いに感じられました。

坂の上の雲ミュージアムにも行ってみました。子規の俳句も当時の風景写真と
共に展示されていました。
道後温泉を描いた俳句「草鞋といて浴衣着て飯のうまき哉」
写生、写実を重んじた子規らしい素直な俳句です。
有名な俳句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を思い起こしました。

正岡子規は結核を煩い30代前半で亡き人となります。
しかし、当時の日本文学界を進歩させた人物として「坂の上の雲」で描かれて
います。野球が好きだったことは有名な話です。自分の名前が「のぼる」
だったことから「野球」(のぼーる)とも名乗ったそうです。
ミュージアムのある場所を更に登っていくと、「愚駄佛庵」という夏目漱石
と子規が一時共に暮らした下宿があります。漱石と子規は東大の同級生です。

明治時代の初期の文化の躍進を感じさせてくれる松山の文化遺産です。
それが嬉しくて、今年の夏は、主人公達が生まれた四国と日露戦争の相手方、
ロシアを意識的にも訪れたのです。
坂之上の雲の主人公、秋山兄弟と正岡子規は松山の出身。
松山には子規が暮らした旧家を復元した子規堂が小さなお寺の境内にありました。
車で行くと見つけにくい場所で少し迷ってしまいましたから注意してください。

子規堂の中には、愛用の机を置いた三畳の部屋がありました。何か懐かしさ
の感じる狭い部屋。質素さの中に日本人の精神性が凝縮している気がしました。

子規の書いた野菜の絵が沢山飾られていましたが、上手な描写で多才ぶりが
大いに感じられました。

坂の上の雲ミュージアムにも行ってみました。子規の俳句も当時の風景写真と
共に展示されていました。
道後温泉を描いた俳句「草鞋といて浴衣着て飯のうまき哉」
写生、写実を重んじた子規らしい素直な俳句です。
有名な俳句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を思い起こしました。

正岡子規は結核を煩い30代前半で亡き人となります。
しかし、当時の日本文学界を進歩させた人物として「坂の上の雲」で描かれて
います。野球が好きだったことは有名な話です。自分の名前が「のぼる」
だったことから「野球」(のぼーる)とも名乗ったそうです。
ミュージアムのある場所を更に登っていくと、「愚駄佛庵」という夏目漱石
と子規が一時共に暮らした下宿があります。漱石と子規は東大の同級生です。

明治時代の初期の文化の躍進を感じさせてくれる松山の文化遺産です。