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ウズベキスタンの旅 その7

2018-10-25 22:00:24 | 旅行

10月25日(木曜)

朝食を済ませてヒヴァからバス移動で国内線、ウルゲンチ発タシケントに向かいます。1時間半程です。  

  

タシケント市内観光。最後の観光です。

直ぐに昼食です。中華料理になっていますが中国でも韓国でも日本でもないタシケント風。W

     

ナボイ劇場  総床面積1万5000平方メートル、客席1400席を有する煉瓦作り3階建てのビザンチン風建築のオペラハウス。正式名称は「アリシェル・ナボイ劇場」。 建物内部にはいくつかの間やパーティの部屋があり、壁装飾は中央アジアの各地域の特色を生かすよう工夫されている。レーニンによる政権樹立を行なった1917年11月7日の革命30周年にあたる1947年11月までにこの劇場を建設することを決定して建築を進めていた。しかし、第二次世界大戦が始まったため、土台と一部の壁、柱などがつくられた状態で工事が止まっていた。そのため大戦後、日本人捕虜を活用して革命30周年に間に合わせることを命題とし、建築に適した工兵457人の日本兵が強制的に派遣された。ソ連の捕虜になったのは合計60万人とも言われ、満州で捕虜となった日本兵はシベリアなどで森林伐採、道路・鉄道建設に従事しており、この劇場建設の任務は特殊業務であった。歴史を再確認。

     

劇場裏手の記念プレートには以前ウズベク語とロシア語、英語で「日本人捕虜が建てたものである」と書かれていた。これをみた独立後大統領に就任したカリモフ大統領は「ウズベクは日本と戦争をしたことがないし、ウズベクが日本人を捕虜にしたこともない」と指摘し、「捕虜」と使うのはふさわしくないと1996年に新たなプレートに作り変えられた 

ティムール広場まで歩きます。美しい公園で画家達が絵を描き販売しています。ティムール像が中心に立ち、ソ連時代のホテルなども周りのあります。

         

工芸博物館  1937年にオープンした工芸博物館は、現在4000点以上の展覧品があり、博物館の建物自体が最大の美しさを持つ展示品。ウズベキスタン各地の職人によって彫刻された建築装飾は、伝統的な建築工芸のレベルを観覧させる。1907年にロシア公使の私邸として建てられたこの建物は、3度に修復され、1930年までには孤児印、教育センターなど利用。13部屋に広がる19世紀の伝統的な建築工芸、壁が装飾が素晴らしい。

  

結婚式で使われる楽器。絨毯sっや刺繍が素晴らしい。

    

帽子の柄で環境がわかるそうです。独身者、既婚者など。

  

広間では雨乞いの音楽演奏が行われていました。

   

陶器の部屋、家具の部屋など伝統工芸が並んでいます。もちろん御土産店も。

日本人墓地 ソヴィエト時代は土を盛っただけであったがウズベキスタン独立後、遺族関係機関の支援やウズベキスタン政府の協力により、現在のような戦没者名と出身県を刻印した墓石が設けられ、敷地内奥にはこれらウズベキスタン各地に点在する13か所の日本人抑留者墓地の共同慰霊碑が設営されている。 

 

現地のかたで親子代々墓守をしてくれてます。

  

機内食が出るまで時間があるので先ほど昼食でしたが早い夕食をします。

        

お腹は空いていないのに美味しく食べました。2時間前のチェックイン。

 

タシケント発20:05で帰国します。飛行時間は約7時間半。

 


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