ましログ

日常と好きなものと母の自宅介護の極私的記録

2014-01-19 04:55:14 | 日記
手と手をあわせて、幸せとか。

まあ、そんな話であるw


私の母は、くも膜下出血の後遺症で
自分で自由に動くことが
あまりできない。

あまりと書いたのは、
麻痺してはいるが、
自分の意志で動かせる部分もあるからだ。

加えて母は言語機能障害もある。

これもくも膜下出血の後遺症で
脳の言語をつかさどる機能が損傷し、
言葉を話す事ができない。
医学的には、
こちらの話も理解しているかどうかはわからない。

喉に何か損傷があるわけではないが
奇声やうめき声すら発さない。

脳がやられると
人間の機能の失われ方というのは
本人が喋ることができない以上
外から想像するしかない。

これは母が病気になって始めて実感できたことだ。


時折、麻痺している手を必死で動かす事がある。
たいていは、不快を訴えるサインだ。

起きている時でも、
寝ている状態の時でも
体に力が入る事がある。

そういう時
不快だろうと思われる箇所を
さすったり、かいたり、揉んだり、
たんを吸引したり、体勢を変えたりと
いろいろ手をつくす。

それでも手を動かし続ける時がある。
こういう時は
万事休すで、ほうっておくしかない場合もある。

介護をはじめた当初は
声を出さずに動かし続ける手に
ノイローゼぎみになった事もあった。

万策尽きたと一時は思っていた母のそのサインが
実はもっと単純な事を訴えているのではないかと思ったキッカケがあった。

父が、
母の目をじっと見つめ返し
その手を握り返すのを見た時だ。
しばらくすると
母が落ち着いてスヤスヤと眠ったのだ。


手を握ると落ち着く。


こんな単純な事にも気づけない自分に愕然とした。
孤独の怖さを知らされた気がした。

母はきっと今も
自分を襲う何かと
ベッドの上で戦っている。

それはきっと
とても勇気のいることだろう。

心が折れそうな時
母は必死で動かない手を動かして
助けを求める。

母が戦いをやめる日まで
父と私で
その手を握り返す事をしたい。




今宵の一曲
「STEP OUT/JOSE GONZALEZ」
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ゼロから

2014-01-12 02:23:26 | 日記
このところ同じ映画を何度も見にいっている。

「ゼロ・グラビティ」という映画だ。

原題は「GRAVITY」。


文字どおり、重力のない世界=宇宙空間で
突然の事故に巻き込まれた宇宙飛行士が
どうやって生き残るのか、、、。
一級のエンターテイメント映画であり、
3D映画として歴史に名を残す作品
と話題になっている。


もちろん3Dの技術や
パニック映画としてのドラマの運びも巧みなのだが、
この映画の凄さを語るには不足である。


実はこの映画の本質、、、
人間の「再生」のドラマにあるからだ。


どうせ、ジョージ・クルーニーとサンドラ・ブロックが
宇宙でテンヤワンヤして、地球へ戻って
みんなで万々歳、、、、みたいな映画でしょ?
と思っているそこのあなた!
四の五の言わずに
明日劇場へ見に行くべしwww
である。


事実、
映画の前評判を聞いて、
気が進まないと言っていた私の友人も
天の邪鬼っぷりを撤回したくらい。



DVDならいざ知らず、
劇場に何度も足を運んで
同じ映画を見るという経験は
随分と久しぶりに感じる。


2013年の私のベストムービーであると同時に
人生のターニングポイントとなる映画にまた一つ出会ったからかもしれない。


住んでいた場所を離れ、
友人達と離れ、
自分で作ったささやかな居場所を失い、
忌み嫌って出た土地に戻され
未来に希望を持てずに膨らむ不安、焦燥。
最大限の孝行を、罪滅ぼしをと思って
自ら選んだにも関わらず
本当によかったのだろうかと揺らぐ決意。
孤独に押しつぶされそうになってしまうこの日常を
なんとかかんとかやっていく中で
たまっていく、心に巣食っていく黒い感情。

これら全てを包み込み、
そして
解放してくれた映画だと思う。


この映画を観たからといって、
すぐに明日から自分を変える事はできないけれど、
ひとつひとつ積み上げていくしかないと
改めて思う。


これまで自分がやってきた事に
ケリをつけた2013年。
腐らず人生の旅を楽しもう
そう心に抱く2014年。


またゼロからスタートしようと思う。

皆様どうぞよろしく。
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