鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

19635歩、歩いたよ その1  奈良でブラタモリみたいに

2023年09月28日 | 旅行、散歩

奈良散策ですが、高齢者学校の授業の一環で、遠足や散歩ではない。

奈良での集合は必ずと言って良いほど、近鉄駅前の行基さん前。

 

ここから、興福寺や奈良女子大の方向に、藤原摂関家に関係のあるところを回ります。

案内は奈良女子大学の歴史の先生。

 

まずは、興福寺です。 ここは藤原鎌足から始まり、藤原不比等が興福寺と命名。 藤原家のお寺です。

 

近鉄奈良駅からこの坂を上がってきたのですが、ここは春日山から続く高台の終わりで、奈良盆地全体が見渡せます。

確かに家がなかった昔には遠くまで見渡せただろう。

こういうところに、興福寺を作ったのですね。  ブラタモリみたいだ!

 

最近再建された中金堂です。 いろいろな説明がありますが、聞いた時にはなるほどと思うんだけれど、すぐに忘れてしまう。

 

観光客は多いが、日本人は我々だけのような海外の人がほとんど、という感じ。

 

鹿に手を出すと匂いを嗅ぎにくるが、鼻の先が湿っていて冷たい。

こんなことをしていると置いてゆかれるので、遅れないように歩く。

 

奈良時代の地図だと、 興福寺が大きくあるが、興福寺横の赤丸が近鉄奈良駅で、今と違って、興福寺がものすごく大きい。 この地図がくしゃくしゃなのは胸ポケットに入れていおて、汗でぐしょぐしょになったものを乾かしたんだ。 もう破れる寸前だった。

 

二条大路近くだと思うのだが、道の先を見てください、登っていますとか、昔はここがまっすぐ繋がっていたとか、説明があるが、 実は暑くてもうバテ気味で、真剣に聞いていない。

 

ここは奈良女子大の横の門。

 

こちらは先ほどの地図の裏。 江戸時代の地図で、ここで奈良奉行所があるところが、今の奈良女子大。 この中に入ります。

 

ここは古い建物があって、数年前にも高齢学校の違うクラスから見学に来ているので、懐かしい感じがする。

 

生協の横の飲食スペースで休憩、 食事にはまだ早い。 年寄りが多いので、歩くのが遅く、真夏並みの暑さなので、私はバテバテ。 いやというほど水を飲む。 とても9月の終わりと思えない。 夏だ!。

 

奈良女の正面から出て、次に向かう。 

佐保殿のあった付近の細い道をあちらに曲がりこちらに曲がり歩くが、何せ暑い。 フラフラする感じもする、ひょっとして熱中症か? と心配になり、エナジードリンクと水を交互に呑みながら歩くが、早足で歩くと、どうもない。 ゆっくり歩くと、フラフラ感になる。 いや、もうきついが。他の年寄りももうあかんと言いながら歩く。

すると、小さな山が現れ坂が見えてきた、 ここを上がるので、何人かはここで待っていると坂を諦めた。

この先には藤原不比等の墓があるらしい。 

この坂を頑張って上がる。

途中で、三笠山が三角に見える地点があった。 この辺りでしかこの山は三角に見えないとのことだが、あの山の左に大仏殿が見えるのだが、日陰で休憩のつもりで景色を眺める。

 

山を上がって、少し降ったところに、石碑があった。 藤原不比等の墓らしきもので、あちこちにあるものの一つらしい。

私はさほど興味はなくて、ここの石段に腰掛けて休憩。 これでかなり元気になって、

 

また山を越えて戻る時に見たら、遠くに興福寺の五重塔が見える。 あそこから歩いてきたのだ。

一条大路に戻り、東に向かう。途中も道の曲がりや坂を見ながら、参加者同士でブラタモリごっこ。

 

途中に聖武天皇陵があった。 ほとんどの人はここで待っていたが、私は数人と御陵の近くまで行き、階段を上がってお参りをしてきた。 聖武天皇は東大寺を建立して大仏殿を作った人です。 

 

近くに光明皇后の御陵もあって、そちらにも参拝してきました。 光明皇后は正倉院御物を残した人です。 

後ろに鹿がいるのが見えるかな? こんな所にまで鹿がいるんだ。

 

 

転害門到着。 東大寺の横門だ。 ここで、授業は終わり解散だ。 もうくたくた。 この時点で12000歩ほど。

ここからは班ごとのグループに分かれ、少人数で行動する。 我々は県庁で食事。

 

県庁屋上から、東大寺をバックに自撮り。

ここからは、JR奈良駅にバスで向かった。

 

つづく

 

 

コメント
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