Jacarandaの木の下で

2004年〜2006年
ザンビア共和国での在外公館派遣員の記録

僕の旅~ケニア~

2005-08-05 08:28:49 | Weblog
7月2日、一ヶ月にわたる僕の旅が始まった。
友人から借りたバックパック一つ背負い、15年前のガイドブックを頼りに予定より一週間ずれ、僕はケニア航空機に乗った。
流れる機内アナウンスは英語とスワヒリ語。
アフリカの国を旅するのはこれが初めてだ。

ナイロビ空港に着いた。
入国審査でビザが必要と言われたけれど、そんなこと聞いたことがなかった。
はなからケニア人を信用しないでいたからかなり警戒レベルを高くもっていた。
オフィスまで言って責任者と話すとどうやら本当らしいけれど、50ドルは高い。
でも決まりは決まり、用紙に書き込み、ビザ申請のデスクで用紙と50ドル札を渡すとスタンプの押されたパスポートと10ドル札5枚が戻ってきた。そして係官は僕に金額を確かめろと。
いや、しっかりと払った50ドルそのまま返ってきたよと言うと、係官は「今日はいらない、通れ」と言う。
確かにビザはおりていた。なんて国だ。
ザンビアでは10ドル札より50ドル札の方が換金レートが良い。
もしかしたらケニアでもそうで、係官が得をするためにただ両替をしただけかもしれない。スタンプを何人に押そうが他の人にはわからないから。
なんて国だ。ますます不信感が増した。

初日はナイロビに泊まった。
ナイロビはアフリカ的な都会。
日本やヨーロッパに高層ビルがあってもなんとも思わないけれど、このアフリカ大陸にここまで高層ビルがあると違和感がある。
建物は古い。経済のよかったその昔に建てられたものだろう。

ホテルにお勧めのレストランを聞いてタクシーで向かう。
なるほど、歩いていくというのを制止された理由が分かった。
レストランの前では目のうつろな輩が何人も横たわっている。タクシーから降りてすぐレストランに入る。レストランの入り口も鉄格子が付いている。

翌日5時間かけて陸路でマサイマラへ向かう。
飛行機でもいけるけれどそれでは面白みがない。
点ではなく線の旅がいい。
道中にはアフリカ大陸の裂け目、「大地溝帯(グレートリフトバレー)」が広がっている。まさに大陸の溝、辺りは高い山に囲まれそこだけ平原が広がる。なんて規模が大きい景色だろう。

マサイマラに近づくにつれ、赤い布をまとった「マサイ族」の人間がちらほら目に付くようになる。町にいる彼らは自転車に乗り、洋服を着ている。でも木の棒を持ちシンボルの赤い布必ずまとっている。
そこで彼らを写真に撮ることは厳禁。法律で罰金をとられるらしい。
国立公園内に入らずとも、野生の動物が見える。キリン、アンテロープ、ゼブラ・・
危険なため彼らを避け車を止めて、ケニアの大地でする小便はなんて開放的なんだろう。

ロッヂに到着し、午後からサファリに出る。
広い。視界も広い。どこまでも見える地平線は残念ながらザンビアの国立公園は到底相手にならない。
動物もまとまっていて、探さずとも遭遇する。
運転手の勘で向かった先にはチーターの家族が狩りをしようと移動していた。チーターはかなりレアに違いない。
彼らの体のラインはすごくセクシーで、確かに速そうだ。
残念ながら狩りは見れず。

ライオンもいる。そのライオンに顔を喰われたバッファローが横たわっている。ダチョウもいる。あまりに当たり前に見れるから彼らが野生だということを実感できないけれど、確実に彼らはここで弱肉強食の世界に生きている野生の動物なんだ。そのライオンが手を伸ばせば触れる距離にいた。

カバはあの図体でおよそ60キロのスピードで走れるという。動けるデブって奴だ。カバの子供がワニを襲おうとしていた。そのくらい強い。

翌日、マサイ族の村を訪ねた。
そこは観光客相手にしているけれど、確かに普通の部族的な生活もしている。
僕らが着くとまず20ドル払わなくてはならない。払ったその瞬間から撮影許可がでる。
そして伝統ダンスと歌で迎えられる。見てる分にはいいが、その連中が飛び跳ねながら近付き、囲まれた時は本気で怯えた。情けない。
そしてライオンの顔の皮を剥いだ被り物を被らされ、一緒に求愛のジャンプをする。高く飛べれば飛べるほどモテるという。
案内する人間は英語ができる。マサイの食べ物や、一夫多妻の話、教育の話をしながら動物の糞でできた道を歩き、明かりの無い家の中を案内される。
一通りエキシビジョンをすると無理やり土産物屋へ連れて行かれた。
そこへ入るとさっきまで飛び跳ね、歌っていたマサイの男女が急変して、関西のおばちゃんになる。これ買え、これくれ、と好き勝手に売り物を人につけたり、僕のものをとろうとしたり。唖然。誇り高きマサイ族、この姿はよろしくない。

2日間、マサイマラで過ごし、ナイロビに帰る。
明るいうちだから平気かと街を歩く。さすがに危ない匂いのするところはすぐ引きかえしたけれど、それでも人でごった返す旧市街に足を踏み入れた。
アフリカの中の都会、溢れんばかりの人で街が埋め尽くされている。
黒人には慣れているから大丈夫だろうと自分に思い上がっていたのが間違いだと後々気付くことになる。

夜のフライトを控え、ホテルのロビーでこれからの予定を立て、この旅に出る前に館員にもらった「海外旅行危険談」の本を読む。
そこにはナイロビは世界でも3本のうちに入る危険地域、白昼街中でも殺人があっても全然おかしくない、平気でナイフで刺してくる等等。
危険とは聞いていたけれども自分の意識の低さと、無謀さに冷汗が出た。

ホテルを夜八時に出発するのさえ怖くなっていた。
ホテルの用意したタクシーに乗ると、これまた暴走タクシー。マナー最悪のナイロビ道路事情の中、数センチのところで追い越しをかけ空港に向かう。
着いて話すと、僕のフライト時間がわからないからとりあえず急いでみたと。
一言聞いてくれたら無駄に汗をかかなくて済んだのに。

ビザの一件があったから空港で一悶着無かろうかと心配したけれど、すんなり通り、初のヨーロッパ大陸上陸にドキドキしながら飛行機に乗り込む。
預けたバッグを開けられているなんて気付きもせずに・・・

~ケニア写真~