意思による楽観主義のための読書日記

面白きこともなき世を面白くするのは楽観力、意思に力を与えるのが良い本 *****必読****推奨**閑なれば*ムダ 

今日も元気で読んでいます!


2008年1月から読んだ本について書き残してきました。読んだ内容を忘れるのは致し方のないこと、でも少しのヒントがあれば思い出すこともありそうです。今日も応援いただきありがとうございます

箱根0区を駆ける者たち 佐藤俊 ***

2019年01月22日 | 本の読後感

2018年12月20発刊という本書は、新春箱根駅伝を目の前にして提供されたことになる。取り上げられているのは東海大学陸上部の16名の昨年度4年生メンバーで、箱根を目指した一年間の努力が細かい取材をベースに紹介されている。すでにご承知の通り、東海大学は2019年1月の箱根駅伝で総合優勝を果たした。その一年前は5位。今年大活躍した三年生たちが二年生のときにすでに四年生、つまり今年の優勝メンバーにはなれなかった卒業生たちの物語である。

16名の四年生とは次の通り(*が2018年箱根メンバー、出身高校と就職先)。主将の春日*(佐久長聖、ヤクルト陸上競技部)、阿部(秋田花輪、ボールドア)、小野(佐渡、佐渡市消防本部)、川端*(京都綾部、コニカミノルタ陸上競技部)、國行*(徳島美馬、大塚製薬陸上競技部)、小林(西脇工、NTT陸上部)、島田(東京農大三、埼玉県中学教諭)、関原(自修館、東急電鉄)、田中(遊学館、遊学館高校)、垂水(九州学院、一条工務店)、兵頭(宇和島、愛媛銀行)、廣瀬(伊賀白鳳、東海大学)、谷地(東海山形、コモディイイダ)、山田(十日市総合、JTB)、主務の西川(九州学院、SGホールディングス陸上部マネージャー)、マネージャーの鈴木(東海相模、東武トップツアーズ)。

ちなみに、この時の黄金世代の二年生箱根メンバーは鬼塚*、郡司*、坂口*、關*、高田、館澤*、中島*、西川*、松尾*の9名(*は2019年優勝メンバー)。關、鬼塚、羽生は高校時代に5000m13分台、高校駅伝では坂口や館澤が活躍している。これは両角監督のスカウティグの成果、めぼしい選手がいると見ると高校の監督に連絡、佐久長聖時代の両角監督の実績が物を言い、東海大では成長できそうだという期待感を与えられた。その両角監督から見ると、早稲田、青学、明治は羨ましいという。両親からの大学ブランドへの信頼が高いからである。東海大学の年間スカウティング予算は25万円、札束による獲得競争には巻き込まれたくない。

東海大学両角監督の指導方針は、陸上競技は大学教育の一環であり個人面談で1年間の方向性を決める。選手個々の自主性を重んじ選択肢を与えトライさせる。駅伝勝利はもちろんだが、卒業後の競技人生も考える。青学の「箱根必勝カリキュラム」とは一線を画す。東海大学陸上部の誕生は1960年、最初は同好会だった。1973年に箱根駅伝初出場、2005年には往路優勝、そして2019年の総合優勝につながる。四年生は12月10日の箱根メンバー発表で、もう次の年がないだけに東海大学陸上部員として走れる場所がこれ以降はないことが決まる。それでも、下級生も見ているし選ばれない人もいて、そもそも選ばれるのは誰かは大体わかっているので派手なガッツポーズや励ましはない。この年度の四年生は、それまでのように選ばれなかったからと言って何もしなくなるということはなく、同輩・後輩選手の給水やサポートを買って出た。両角監督の指導に共鳴したのだろうと思う。

箱根駅伝のテレビ中継は1979年にテレビ東京でゴールの瞬間が伝えられるように成り、1987年からは日本テレビ系列が実況中継をスタートさせた。それが今では、視聴率30%(2018年)にも達するおばけ番組、お正月なので視聴者は家族や親戚、友人たちとお酒を飲みながらコタツで見るので、画面は見ていなくても音は耳に入る状態で、継続的に視聴することになる。お宝番組を持つ日本テレビとしては総動員体制、特別協賛サッポロホールディングスは10億円のスポンサー料を支払い、その他4社からの各数億円を合わせると、東京マラソンの18.9億円を軽く超える。大学名が連呼され上位を走るランナーはその顔と名前が否が応でも視聴者に覚えられる。メディアもそれを縦横無尽に事前事後取材して紹介するので、トップ校のランナーの名前は関東地区の一般的な主婦の間でも相当の知名度になる。トップ選手が一人で画面上に顔がクローズアップされる、5区登りの山の神としてその名前が連呼された「青学の神野大地」、「東洋の柏原竜二」などは、今街ですれ違っても気がつくくらい。当然、翌年度の入学志願者数にも大きな影響をもつため、大学も力が入るしお金も使う。上位校のウエアやシューズにはスポンサーがしっかり付くので、箱根駅伝を巡っては巨大なビジネス世界が成立している。

東海大学にも寮はあるが3つに分かれていて両角監督が同じ寮に住んでいるわけではないが、青学の原監督は夫婦で住み込み、そこが直前にでも選手の選択を自らの直感で差し替えられる勇気と決断につながっているのではないかと両角監督は推測する。タイムという数字、過去の実績をベースに選出する自分にはそこまでの自信は持てないと。しかし2019年の大会ではこの東海大学が優勝、世の中の評価も見る目も違ってくるはず。本書の価値は、5位に終わったチームの最終学年の16名のドキュメンタリーで、次回大会での活躍は発刊時点では決して約束されていない。そして発刊直後の大会で優勝することになるチームを取材対象としたこと、黄金世代の活躍がきっとあるとの確信があったのだろう。この黄金世代が来年度は四年生になるのだから、来年のお正月は更に楽しめそうだ。

箱根0区を駆ける者たち

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25年後の読書 乙川優三郎 ****

2019年01月21日 | 本の読後感

「書評家と同業者に向けた分かりやすい挑戦状」小説だと断定したい。主人公はエッセイストを生業とし書評家としても仕事が舞い込みだした57歳の独身女性の中川響子、その人生の後半のパートナーとなっているのは小説家で妻とは別居中のボヘミアン谷郷敬(やごうたかし)。谷郷は小説家としては既に名を成していて、有名な賞の審査委員も務めるほどだが、次作の執筆に悩んでいて、連載や依頼ではなく書き下ろしという形を取りたいと自らを奮励する。響子は、三十年前、仕事で訪れていたパラオで谷郷と知り合いそれ以来の付き合いとなった長い付き合いでもある小説家の姿勢を認めながら、前作に往年の巧みさや肌理細やかさが欠けているのを指摘する。二人の関係は文学という芸術が結びつけた仲、という大人の男女の物語である。

本小説の構造は、響子に書評のツボを語らせ、谷郷の口を借りて書き手である小説家の苦しみを説明させながら、響子には最後に筆者自身の次回作の宣伝までさせるという形になっている。つまり、小説に書評はつきものであるが、本小説を第三者が書評する時には、必ず本書内に散りばめられた書評のツボと本書の内容を対比することを余儀なくされるという形に書評家を追い込むことになる。よほど自作の小説に自信がなければ出来ない所業であり、作者も自分自身を追い込むことになる。

書評家としての響子には書評に関してのいくつかのツボを語らせる。「辛口の書評でも文学への愛情を欠いた文学少年バリのウブな指摘をみると評論家を名乗る前に人間を磨いてほしいと思う」「急ぎ足で書かれた文章の拙い書評や、学術的な異臭を伴う評論は読みづらい」「書評とは誰のためにあるかを失念しているのは笑止、思うことをわかりやすい言葉で大衆に向けて書いてほしい」「評論や批評だけが気高い山でいられるはずがない」「短い書評も文学に負けない美しい日本語で書くべきである」(私は素人だし雑誌に掲載されるわけでもないから気楽に感想を書けるが、プロの書評家は書きにくいだろうと想像する)。

こうした真摯な姿勢を貫き通そうとする響子は、果たして物語の後半で自律神経を病み、友人のすすめで南の島に長期療養する。その南の島での療養生活は、前半とはまた別の小説を読むようで美しい。トマス・マンの研究をして生きてきました、というドイツ人が夫婦で保養に来ていて、意気投合するくだり、その老人は「人間に良心があるうちは文学は廃れない」なんて、文学論をぶったりするが、これが作者が言っておきたかったことだろう。そして最後に編集者が東京から運んできてくれたのが谷郷の最新作のゲラ、これが「この地上において私達を満足させるもの」という作者自身の次回作で、最高のできだと響子の口を借り、響子も東京に戻れる自信が持てる。

甘めの書評が世の中にあふれていて、碌でもない作品にでも高評価の星がついていたりするのがこの作者としては許せないんだろうと思う。実際、響子が作中関わる男には谷郷の他に、冒頭部分で再会する新聞記者で学芸部員でもある栗原とバーテンダーの久瀬という3人が登場する。35年も前に自分を見限った男の評価が低いのは当たり前だが、今は少しは違うと分かっても、相変わらず甘めの書評を書いているという設定。一方、久瀬は”Name your poison"コンクールというカクテルの世界大会に出場するような腕前の持ち主で、響子も業界紙でカクテルの腕前を磨いた経験もあるため、もともと高評価。久瀬は他人の評価などはしない。文芸論、書評論、カクテル論の三つを絡めて一つのお話にしているという、まことにオシャレな作りで私としては良いと思うが、同業者や書評家からはどうなのか。図書館に「この地上において私達を満足させるもの」の予約を入れた。

二十五年後の読書

この地上において私たちを満足させるもの

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近代日本の構造 同盟と格差 坂野潤治 ***

2019年01月20日 | 本の読後感

1890年の国会設置から1937年の日中戦争開始まで、日本の国会ではなにを対立軸としてどのような議論がなされてきたかを述べて、現代日本の政治と対比する。筆者は東京大学名誉教授、設定してみた対立軸は「日英同盟」か「日中親善」、そして「地租軽減」か「格差是正」。現代日本で言えば「日米同盟」か「日中関係」、「財政改革」か「格差是正」、状況は変化しているが対立軸としては共通している部分が多い。

日本は朝鮮半島と満州権益を目して日清・日露戦争を戦う中で日英同盟を結び、戦争で獲得した権益を英国の後ろ盾により国際社会に認定させようとした。それは第一次大戦後まで続いたが、満蒙権益奪還を目指した中国に対する21か条要求を、英国の後ろ盾をベースに行う日本に対して警戒感を抱いていた米国により外交包囲網を築かれる。日英同盟解消とそれに代わるとされた9カ国条約では、中国南部の権益にまで手を伸ばした日本に対抗して英中同盟強化が図られ、英国までを敵に回す結果となり、結局1937年には日中戦争、その後の対米英戦争につながる。現代日本で言えば、米中対立をどのように捉え、今後の世界の対立軸と、日米、日中、日EU関係をどのように考えていくかは、日本にも重要な結果をもたらす可能性を秘めている。

1890年国会開設時に自由民権運動が掲げたスローガンは「経費節減・民力休養」、保守派が唱えたのが「富国強兵・積極主義」。その後もリベラル派と政友会の対立軸と成り、現代に至る。しかし1929年の世界恐慌を境として、アメリカでは民主党のニューディール政策など、失業対策としての「積極財政」をリベラルが唱え、共和党は「小さな政府」を目指すとして現代にまで至っている。これに対して日本ではリベラルの民政党は健全財政論を維持、「積極財政」を主張する保守政友会による高橋是清財政としても知られる超積極財政に引き継がれ不況脱出には成功したが、成長の余滴はやがて分配に至る、という政策方針は現実には実現できなかった。ここもトリクルダウン理論が未だに実感できない現代と共通している。

「格差是正」の機会は1925年の普通選挙法実施であったはずだが、それまでの成人男子300万の投票権者が1200万人に増えても、社会的不平等解消を唱える社会民主主義を主張するような政党への得票にはつながらず、日中戦争直前の1937年総選挙で社会大衆党は37議席と議席を倍増させたが、それでも民政党が179議席、政友会が175議席、既成政党優位は変わらず、日中戦争、太平洋戦争、国家総動員体制に突入していく。本書内容はここまで。

こうした国会での議論とは別に、天皇に直結した統帥権をもつとされた陸軍参謀本部と関東軍主導で満州事変以降、日中戦争、太平洋戦争突入が行われたが、それを支えたのはマスコミと現状に不満を持つ市民による支持でもあった。日露戦争後の日比谷焼き討ち事件は日清戦争のときには獲得できた賠償金が得られなかった不満が、戦争中の重税感と相まって吹き出たものだった。こうした市民の動きと国会における議論や対立の軸は無関係ではなかったはずで、グローバル的視点を持てないままに市民を煽ったマスコミや学者の責任は重かった。現代の憲法改正の対立軸は安全保障に関する対立のはずであるが、立憲民主でも自民でも安全保障の基軸は日米同盟であり、改正反対論者でも自衛隊の存在は認めていて「今の政権には改正させたくない」という思いが先行しているようにも思える。

20年前以前の自民党内にはこれらほとんどの対立軸が内在していて、当時の野党との明確な対立軸は安全保障と経済活性化か福祉充実だった。当時の社会党は政権奪取を目の前にして、対立軸だったはずの安全保障で自衛隊合憲、安保維持を丸飲みし、短期間の首相の座と引き換えに党の存在意義自体を自ら葬った。冷戦崩壊、中国の存在感増大、米国の相対的地位低下、という環境変化を踏まえ、現代の問題は政治的対立はしているようでも明確な対立軸を特に野党が国民に示せていないこと。本書の意義はそこにこそある。対立軸はなにかを明確にすることによりもっと国民に議論が分かりやすくなるはず。格差是正、財政健全化、経済活性化、福祉向上、いずれも重要な論点であり、XX改革を唱えるなら、保守対リベラルの対立軸とともに具体的な改革ポイントを明確にして論じなければ、現代の野党も社会党と同じ運命を辿るのではないか。

近代日本の構造 同盟と格差 (講談社現代新書)

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古墳のひみつ 古墳浪漫協会 ***

2019年01月19日 | 本の読後感

「古墳コーフン協会」というのがあるらしい、古墳ファンの9割は女子だとか、そんな古墳の秘密を知らずにボーッと生きている訳にはいかないと読んでみた。

全国に古墳は16万基あるという。3世紀中頃から7世紀までが古墳時代でその前後の墳墓は古墳とは呼ばない。古墳時代に列島で勢力を示したのがヤマト政権で、飛鳥地方に勢力をおき、その後の天皇家につながる一族。3世紀中頃といえばまだ九州なのか飛鳥なのかが確定していない邪馬台国があり、倭国の全体像も定かではない時代。それでもヤマト政権としてその権力を誇示するために作られた墳墓が前方後円墳で、ヤマト王権と盟約を交わした豪族のみが建造を許されたので、前方後円墳の分布と築造時代を見ればその頃のヤマト政権の勢力範囲が分かる、これが「前方後円墳」体制。それ以外の古墳、前方後方墳、円墳、方墳などはヤマト政権との関係が薄いとみることができる。前方後円墳は全国に4700基、大きさのランキングで言うとベスト5は次の通り。

1.大仙陵古墳 486m 2.誉田御廟山古墳 425m 3.上石津ミサンザイ古墳 365m 4.造山古墳 350m 5.河内大塚山古墳 310m 最初に造営されたとされているのが3世紀前半の纏向の箸墓古墳でこれに続いて京都や岡山、福岡にも前方後円墳が造営されていく。前方部分が葬送の祭祀を執り行い、後円部分に被葬者を埋葬したので、この形は葬送の祭祀の形式が統一されていくことにつながる。古墳は全国に存在するが、前方後円墳は初期は纏向、4世紀になると奈良盆地北部の佐紀古墳群、5世紀には大阪河内の百舌鳥古墳群、古市古墳群になり、6世紀前半には大阪北部高槻の三島野古墳群となる。移転には謎が多いが、一つは王墓を築く豪族の変化がその理由とされる。

宮内庁は歴代天皇の陵墓を決めているが、歴史的、考古学的に確定できるのはわずか。天智天皇の山科陵、天武・持統天皇合葬された檜隈大内陵、そして継体の陵とされるようになってきたのが高槻の今城塚古墳など。三角縁神獣鏡が副葬品に含まれると「卑弥呼からもらった」という時もあったが、三角縁神獣鏡は日本製であり、魏志倭人伝に書かれた100枚を遥かに超える540枚が見つかっている。副葬品には埴輪もあり、人型、動物型、器財、家型と円筒がある。埋葬された人の生活や業績を示すように配置され埋葬されていたのが副葬品だが、前方後円墳の終焉とともに埴輪も姿を消すため、埋葬方法の変化により埴輪の役割もなくなったと考えられる。仏教伝来とともに古墳造営はされなくなり、寺院建設に置き換わる。そもそも前方後円墳は連合政権のシンボル的存在であったのが、蘇我氏の台頭によりヤマト政権への権力集中が確立され、序列と連盟を誇示する必要もなくなったと見る。

3世紀前半のヤマト政権が求めたのは朝鮮半島からもたらされた鉄製品と鉄素材、そのための諸国連合は鉄入手の経路沿いに、北九州、瀬戸内、河内、出雲、越前、近江などに広がる。4世紀には朝鮮半島で北部の高句麗、新羅、百済が抗争を繰り広げ、ヤマト政権も半島南部の伽耶諸国に進出して鉄権益を確保しようと務めるなかで、北からの高句麗と戦うため百済と同盟した。4世紀末から5世紀にかけては、倭国勢力は高句麗に破れ、倭の五王として宋に朝鮮半島の権益を認めてもらうよう朝貢するも、6世紀半ばには伽耶諸国は新羅、百済に圧迫され滅ぼされたためヤマト政権は半島に足場を失う。7世紀からは遣隋使、遣唐使を派遣、その間百済が滅亡、白村江では唐と新羅軍に大敗を喫し高句麗も滅亡、壬申の乱後は日本でも律令制度、徴税制度の確立とともに古墳時代は終わる。

中に入れる古墳は少ないし、近づいても山になっていたり木が生えていたりで、歴史と成りたちを知らなければ古墳巡りは面白くもないだろうと思う。こうして写真と解説本を読んでいるので満足するのが得策かなと思うが、それでは古墳女子に叱られそうである。極彩色の絵が見られるというキトラと高松塚に一度は行ってみようかと思う。

古墳のひみつ 見かた・楽しみかたがわかる本 古代遺跡めぐり超入門

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読むだけでトランペットがうまくなる本 上田じん ***

2019年01月18日 | 本の読後感

そんな本はない、と思いながらも何が書いてあるのかと手にとった、タイトルの勝利である。筆者は京都の堀川高等学校音楽科を卒業し、東京芸大に進んでプロの演奏家になっている方、「響け!ユーフォニウム」の高坂麗奈のトランペット担当でもある。私も実はトランペットを吹いている、というより退職して時間があるので20年ほど前に購入してタマに吹いていた楽器に再び手を出している状態。管楽器は基本的には一人で吹いていても面白くないので合奏、アンサンブル、楽団などに入れてもらうのが良いのだが、たまに吹く程度ではちゃんとした音は出ない。練習方法については、中高時代の吹奏楽部生活と大学のオケで、先輩に教わったとおりにやっていただけなので、本当はどうしたらいいのかを実は知らない。本格的には先生に習えば良いのだが、なまじっか少しは吹けるからその気にならない、という中途半端な状態。そこで本書。

楽器とマウスピースの選び方、掃除と整備方法、関連グッズ。奏法としてウォーミングアップ、アンブッシャ(唇の当て方)、呼吸法、バジング方法(マウスピースだけで吹く)。吹奏楽では音程の合わせ方、タイミングのとり方、譜読みと反復練習、フレージング。オケではトランペットの種類(C管、B♭管、E♭管など)、オケ譜面。アンサンブルでは合奏とアンサンブルの違い、進め方。ソロでは伴奏者とCD活用、ビブラートについて、ソロ曲。

いやいや、知っているはずのことでも言われてみればそうだなとか、練習法でロングトーンは長時間やってもあまり意味がないこと、吹くときには唇は少し濡らす、リップクリームを塗って拭き取りその後に吹くなど、いいね、プロの演奏家のアドバイスを本を読むだけでもらえたようなもので、私のような中途半端な楽器演奏を気が向いたらやる派には最適本。

大きな音のするラッパをどこで吹くのかは永遠の課題だが、私は荒川の河原、佐久の雑木林の中と地下室、という秘密の場所がある。また吹いてみるかな。

上田じんの 読むだけでトランペットがうまくなる本

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トランプのアメリカに住む 吉見俊哉 ****

2019年01月17日 | 本の読後感

筆者は東大情報環境学教授、2017年10月から2018年6月までハーバード大学で教えるため渡米、丁度トランプ大統領が就任した2017年1月からの期間に重なっていたため、歴代大統領とアメリカ国民が積み重ねてきた常識から大きく逸脱する政権がもたらした混乱について筆者の考えたことをまとめた。大学教育の日米格差はここ数十年でさらに広がったと感じている筆者、日本での大学改革は行われてはいるが表面的制度導入にとどまり本質は変わっていないと評価する。ハーバードではライシャワーメモリアルハウスに滞在し、ライシャワー博士が日本大使に果たした役割と成果についても解説する。

ライシャワー博士は日本近代史について次のように評価していた。江戸時代までの封建制度から明治維新で欧米文明を取り入れ自己変革を実現するというリベラルに振れ、その後日清・日露戦争の頃には欧米諸国が権益を持って資本主義を発展させていた植民地経営に参入を目指し帝国主義的意識に目覚め、大正デモクラシーではパリ不戦条約を挟んで軍縮を断行・リベラルに向かい、その後ファシズムが台頭して日中戦争から太平洋戦争という大きな間違いを犯した。戦後はアメリカと日米同盟を基軸とした同盟関係を維持するなかで、家父長的で植民地的でもあったマッカーサー体制から、ケネディ・ライシャワー路線は日本におけるデモクラシーと非軍事化をすすめた。改革を民主的に進める日本について、これらはアメリカからの輸入品ではなく、日本に戦前から根ざしていた価値観であるとし、自己の意志により成熟させていくべしと励まし続けた。この路線に共鳴したのが当時の日本保守の近代化論者、日米同盟を前提とした平和憲法遵守路線である。しかし中曽根政権以降1980年代以降の日本保守派は軍事的側面を強調するようになり、冷戦崩壊、9/11以降のアメリカが軍事力を全面に出した単独行動主義に突き進む中、日本の保守も変質、中国の台頭に対応して、憲法見直しと日本自身の軍事力再評価に向かっている。アメリカの政治の流れは共和党政権の流れとして一貫していて、1981年のレーガン、2001年のブッシュ政権と軍事化に舵を切った。その後のオバマ政権の理想主義はトランプ政権で全否定されている。本書では「ポスト真実化」「アメリカでの階級化」「分断」「差別と暴力」という視点から現在のアメリカを評価する。

「ポスト真実化」2016年大統領選挙でトランプ側にいた選挙参謀による暴露本が出版され、メディアによる取材などでもロシア疑惑が裏付けられるに連れ、クリントン候補に向けたニセ情報が特に接戦州では大々的に実際行われ、選挙結果に影響を及ぼした可能性が指摘されている。プーチン政権としてはクリントン政権よりトランプ政権の方が与しやすいと考えたとの推測もある。ウクライナのヤヌコビッチ政権は親ロシア、EUとの協定を破棄し、やがてロシアのウクライナ介入につながった。無知な多数派に影響力を及ぼし知識層は相手にしない、というのがトランプ政権、ロシア資金がトランプ大統領に渡ったことが証明されれば現政権は崩壊する。

「階級化」アメリカでの知識階級を育てるのは大学教育、日本の大学との違いは奥深い。大学の先生授業に先立ち授業の方針であるシラバスを公開するが、日本でのそれはカタログ表示であり、アメリカでは解説書+13回分の授業のシナリオ、方針説明書であり学生との契約でもある。そこには授業内容とともに評価の指針も詳述され、Webに登録される事前学習(評価20%)、演習出席(10%)、中間レポート(15%)、教授によるレポートフィードバックへの書き直し(10%)、最終レポート提案書(5%)、最終レポート発表(10%)、最終レポート内容(30%)などと成績評価で重視することまで事前に公開する。授業は教授と大学院生が務めるTA(教育助手)により進められるが、教授は演出家であり、主演は学生、重要なのは演技指導を行うTAだという。予習と復習に時間が必要なため半年で履修する科目は4-5科目、日本では10-12科目であるのでその重みが違う。13回の授業の最後には学生による評価、これも単なる感想やアンケートではなく、細かく重み付けされた評価であり、その次以降の授業選択の情報となる。これらがすべて公開されるため教授も学生も必死になる。テニュアは教授の身分保障で、実績を積み重ねた教授に与えられるが、それがない准教授や研究者は毎回のシラバス作り、授業、評価に追われる。もちろん教育と研究が両立して初めて先生としての評価になるので、競争は激しい。

ブッシュ政権では学校教育の質向上策として全米規模での学力試験実施とその結果による補助金増減制度を導入した。その結果、裕福な地区の成績が上がり、貧困家庭の多い地区の成績が振るわなかったのは予想通り、それがもう20年も続き、その結果として貧困家庭の子どもたちの教育が破綻して大人になっても雇用を得られない、裕福な家庭の子供達は高等教育を受け、貧富の格差はさらに広がり定着する。オバマ政権が行ったオバマケアに代表される貧困層・弱者層への補助をトランプ大統領はすべて否定、格差拡大の固定化による階級化は以前にもましてアメリカ中に拡大しているという。

「差別と暴力」近年アメリカで報道されるのはロシア疑惑、そして#MeToo運動、銃乱射事件。悪質なセクハラ、パワハラは映画界、芸能界、ビジネス社会で蔓延している。アメリカでの男性性はポリティカル・コレクトネスで封じられていたように見えたが、水面下ではずっと水底にあった。それが今表面化したのだと筆者は見ている。銃の保持は憲法で認められているため、銃保持の制限法制化は何度やっても成功しない。アメリカ市民の歴史は大地開拓、先住民制圧、自然エネルギーの制御、ならず者への対抗措置である。そこに宗教、人種、思想が加わり銃の保持がWASPと呼ばれるアングロサクソン系白人プロテスタント団結の象徴となっている。WASPの中でも中産階級だったクラスが経済格差拡大により下流化し、政権やメディア・権威への反抗につながった、それをトランプは巧みに引き寄せた。トランプ大統領が「アメリカ第一」「アメリカを再び偉大に」という時のアメリカは銃を持って大陸開拓をしてきたWASPである。#MeToo運動は銃規制や弱者の権利保護に繋がり、アンチトランプにつながるが、大統領は気にしない。差別も暴力さえも自らの支持者へのアピールになると考えている。

「分断」1980-90年台にテレビで好評を博していたロザンヌ・バーによるTV番組「ロザンヌ」は2018年3月に復活、トランプ支持を表明するロザンヌに反対するその妹や仲間たちをコメディとして取り上げることで喝采を浴びたが、ロザンヌ・バー自身がTwitterで、イラン生まれの黒人を「猿の惑星生まれ」と呼ぶ人種差別発言をしたことで即刻中止に追い込まれた。トランプ大統領が差別的発言をしても即刻弾劾とならないでここまで持ちこたえたのは周りにいるスタッフの制御による。有能なスタッフが自分のお気に入りばかりに入れ替わっていけば、あと2年の任期を全うできるかどうか、大いに不透明である。本書内容はここまで。

アメリカのこうした現状を解説した堤未果の「貧困大陸アメリカ」シリーズでも読んでいたが、こうした格差や階級化はアメリカ政治の大きな流れの中で形成されたものであり、トランプ大統領がいなくなればなくなる話ではない。トランプ大統領はそれに一層拍車をかけていることに間違いはないが、このことは世界の安全保障や中国台頭に伴う世界バランスの大変化にも影響を与えることは間違いないだろう。日本政府が維持してきた日米同盟中心の立憲主義は大きなうねりの中にあると言える。日本は中国との関係、日米安保条約、EUとの距離感、いずれも思い切った見直しが必要なときが来ているのかもしれない。

トランプのアメリカに住む (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)  

沈みゆく大国アメリカ (集英社新書)

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花失せては面白からず 城山三郎 ****

2019年01月16日 | 本の読後感

城山三郎作品は1980年代に企業小説を読むようになって手にとった。「総会屋錦城」「官僚たちの夏」「黄金の日日」などなど、その中で印象に残ったのが「大義の末」。幼年時代に学んだこと、それは教育勅語にもうたわれた忠孝悌、それが敗戦でひっくり返る。お国のためにと信じた「大義」は一体何だったのか、1927年生まれの城山三郎に代表されるこの世代の特に男子が感じたことだったのではないか。1929年生まれの加賀乙彦は「帰らざる夏」で幼年学校での教育と終戦後の大人による裏切りで同様のことを感じ脱力感を味わったと回顧する。同年代で言えば結城昌治は「戦旗はためく下に」で理不尽な上官命令や、敵前逃亡、上官殺害を描いた。この世代の特に男子は、幼い頃から叩き込まれて正しいことと信じていたことが、ある日突然否定され、それを教えていた同じ大人たちが、全く異なる民主主義と平和主義の価値観を教えだす。これでいいのかと悩む。そして、戦後大学に入って学ぶことで、自己の再形成をはかる。私の父と同年代で、城山三郎とはたった数年違いの1923年生まれの司馬遼太郎は、もっと学びたいと思いながらも学徒出陣していて、戦争に対する批判的姿勢を保ちながら戦後を迎える。ほんの少しの世代の違いでも感じ方は違うのである。自己形成の大切な時期に戦時教育で軍国主義を叩き込まれた世代である1925-1930年生まれの人達による戦争と戦後に対する思いが書かれた書物を読むと、戦争の理不尽さが際立ってくると感じる。

その城山三郎が一橋大学で教わった経済学者の山田教授についての思い、思い出を語ったエッセイである。先生への敬愛と尊敬が込められていて、読んでいて城山三郎の情感に胸打たれるものがある。山田教授の教えについて、読者の一人として印象的だったことを紹介する。

「一般よりも特殊を重視しなければならない」。これは例えば社会体制として資本主義と社会主義いずれが優れているのかを論ずるとき、全体論ではなく、計画経済と市場経済についての現実的な問題について議論して、その部分の優劣、メリット・デメリットを議論すべしということ。部分の分析と評価を積み重ねることにより全体の展望が得られる。

「正常よりも異常を、調和よりも不調和を出発点としなければならない」。例えば福祉と財源との関係、生産と分配の関係などの、現実にはなかなか解決策を見出しえない困難を含む問題にとり組むのがよくて、そこに生ずるいろいろな困難をできるだけ軽減する手がかりを探るべきであるということ。平等とか幸福などの抽象的議論を避け、不平等や不幸の現実的な原因を広く深く探るべきであると。

「一元論よりも多元論」国の体制としても独裁制より民主制を基盤とすべきであり、同様な意見を募るより少数意見も多元であることを良しとすべし。

これらを総合すると、経済理論的モデル構築は重要であるが、現実社会への適用における一部矛盾点や人々の不満、反対意見の出る環境分析、それらを再度組み上げて行う再モデル化などに重要性を見出すということ。経済を学びながらも脱落して文学を目指した城山にとって、こうした山田教授の教えを後ろ髪を引かれる思いで聴いていたのかもしれない。

もう一つは世阿弥による「花伝書」からの言葉から何を学ぶか。「花なくば面白きところあるまじ」という部分を城山三郎は「花失せては面白からず」と覚えてしまった。それが本エッセイのタイトルにもなる。山田教授によれば「花とは基本的には父観阿弥の目指した芸風の基調として幽玄そのものを指すと同時に、能役者がその曲目の見せ場を作ると言う意味での花を指す」つまり美しさを目指すがそれはドラマでなければならない、ということ。しかし一方で、萎れたる姿や寂しい風景などにも美を見出すのが世阿弥。つまり「花」は華やかであると同時に萎れたる美でもなければならないという。これを表現できるのがプロだと。そして曲趣を表す9段階は上中下の中に更に三段階、それを表す漢字が「妙、深、純、正、広、常、剣、荒、粗」この上から4つが「花」だという。城山三郎から見た山田教授の生き方は上から4つの漢字にふさわしいと感じたという。

経済理論と実践、もうひとつは芸術論、学究の徒も表現者でなければ世の中のお役にはたてないということ。これはどの世界でも同じことだろう。お勉強が出来ても仕事ができるとは限らないし、優れた研究をしても論文にして発表、次の研究者の役に立たなければ意味がない。いくら美しい絵や音楽が作られても、それを見てもらい聴いてもらって感動してもらうことで初めて芸術として人々に美しさと喜びが伝わる。いい製品ができても売れて使ってもらい利便性を消費者に享受してもらえなければ企業人としては成功したとは言えない。戦争で挫折感を味わい、戦争推進の大人の「転向」に落胆した少年が大人になり作家という表現者となった。小説家の城山三郎が、山田教授という戦争中でも筋を通した大人に学んだこと、感じる所は多かったはずだ。

それにしても卒業後も社会人となっても、そして老後にもお互いに意見交換して切磋琢磨、社会人として対等な立場になっても尊敬し合う、となんとも素敵で深い師弟関係ではないかと感じるところ多である。 

花失せては面白からず 山田教授の生き方・考え方 (角川文庫)

総会屋錦城 (新潮文庫)

官僚たちの夏 (新潮文庫)

黄金の日日 (新潮文庫)

帰らざる夏 (講談社文芸文庫)

軍旗はためく下に (中央文庫BIBLIO)

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地面師 森功 ****

2019年01月15日 | 本の読後感

五反田の旅館の土地を巡る55億円の土地売買契約詐欺、通称「地面師」と呼ばれる一味による犯行と大々的に報道された事件で、「大企業がなぜ騙された」と思った人は多いハズ。本書はその手口と最近の地面師による土地売買詐欺を紹介している。2018年12月4日というタイムリーな発刊。

地面師による土地売買詐欺の手口では、土地所有者が高齢になり相続人がいないケース、認知症になっているケース、海外に行っていて長期不在などの土地が狙われる。古くは戦後間もない時期に空襲などで土地の登記書類などが不明になり、土地所有者が曖昧になった時代に暗躍した詐欺師たちが地面師の始まり。法務局は持ち主の本人確認では印鑑証明によるが、人手不足の時代には書類のでっち上げは容易だった。その後の1980年台の土地バブルが次のピーク、今は第三のピークが来ているという。狙われた土地の所有者になりすました地面師は印鑑証明の印影変更手続きから始める。捏造したパスポートか運転免許証を提示すれば役所は通常は本人確認ができたとして、印鑑証明の印影変更に応じてくれる。そうすれば、その後は正式な印鑑証明書が偽の印鑑でも発行されるので、本当の所有者さえ気づかなければなりすましが容易になるという。

「積水ハウス事件」、史上空前の55億円という被害額に驚く。手配逮捕されたのは地面師としてはその「業界」では名うての詐欺師たちだという。首謀者の小山(カミンスカス)操、内田マイク、北田文明は大物地面師、取引窓口になった生田剛、地主のなりすまし役の羽毛田正美、羽毛田を手配、教育した秋葉紘子、その他書類偽造の「印刷屋」、振込口座を用意する「銀行屋」などが主たる登場人物で、弁護士や司法書士などの「法律屋」も地面師御用達のグループである。被害にあったのは積水ハウスで土地所有者は旅館「海喜館」の海老澤佐妃子さん、五反田駅至近の旅館は600坪、再開発をすれば評価額は100億円になる。長らく営業しておらず、地面師たちに狙われた。積水ハウスがニセ地主に支払った額は63億円、最終的な損失は55億円だったと発表。旅館の廃業は2015年で実母から相続した所有者が経営不振のため営業中止、既に古希を迎えていた所有者が町内会に顔を見せた最後は2017年2月、病気入院したためだった。地面師たちは2016年12月に旅館脇にある駐車場を海老澤さんから借りる契約をした。契約では貸主の個人情報や印鑑証明書情報が得られるため、10万程度のお金で住所、生年月日、電話番号、実印印影などを知ることができる。その上で、休眠会社を買い取り、不動産取引をしても怪しまれない社名に変更、銀行口座設定を都内の渋谷支店とした。地面師たちは何社もの不動産業者に取引を持ちかけたが、なりすましを疑われて成約にはいたらなかった。不動産業界では地面師を警戒して、所有者のパスポートなどをコピーし近所に確認して回ることは常識的に行われているらしく、それでバレたという。そこで、一度、IKUTA社という会社に売買したことにして所有権を仮登記して移転させる。

契約直前には積水ハウスに「本取引は詐欺、所有者の海老澤は偽物」という手紙が届くが、積水ハウスはそれを詐欺師グループに示し、その手紙が偽物であることを証明する書類を作成させた。つまり、積水ハウスは契約締結まで偽物を信じていたという。加えて、積水ハウスは土地取引と合わせて自社が販売するマンションを偽の所有者に販売しようとしていて、取引総額70億円、マンションの内金が約7億円、騙し取られたのが63億円となった。積水ハウスが主張するのは55億円、差額の8億円は不明金であるが、なぜか積水ハウスはその理由を明らかにしておらず、そこには社内の勢力争いも絡んでいるのではないかと筆者はみている。事件から半年後の2018年1月には取締役会議長和田会長から、詐欺事件の責任者として阿部社長の解任が提案されたが、会長の事前根回しが不調に終わり、逆に和田会長の解任動議が阿部社長より提案され議決されてしまう。阿部社長はこれに先立ち2017年12月にマンション事業本部長を務めていた三谷常務を更迭、若手の仲井常務に社長昇任を約束していた。地主の海老澤佐妃子さんは2017年6月に死去、犯人たちは逮捕されているが騙し取られた55億円は闇の住人に分配されすでに「溶けてなくなって」いるため、取り戻すことは難しいという。

地面師による土地売買詐欺事件は過去にも何度も摘発されているが、逮捕され起訴、有罪まで持ち込めるケースが多くないのは、土地の所有者が不明、相続人がおらず該当する不動産権利が国庫に入るケースが多いこと、善意の第三者を挟むことにより、事情を知らない第三者から土地の権利を取り上げられないこと、などから警察が積極的に動かず、訴訟を起こす被害者がいないケースも多いため。2014年に完成した通称マッカーサー道路わきの新橋5丁目の評価額12億円の土地取引では所有者死亡、最終的な買い主はNTT都市開発、12億円は地面師たちに渡ったが、犯人は摘発されていない。同様に、富ヶ谷井ノ頭通り沿いの147坪の物件は、被害額6億5千万円が地面師ではなく雇われた弁護士に賠償請求され判決が確定、地面師は摘発できていない。赤坂二丁目114坪の駐車場土地売買では、土地所有者が92歳と89歳の兄弟で施設入所、地面師に雇われた老人二人が兄弟になりすまし、ダイリツ、クレオスという中間業者を間に噛ませて、アパホテルが12億円以上の被害にあったが会社広報部はコメントを拒否。二人のなりすましは逮捕されたが10万円で雇われたとして、しかも記憶が薄れていてよく思い出せないと供述。関係者も逮捕されたがすぐに釈放、その後彼らは積水ハウス事件に関わる。

かくのごとく、地面師は何度も何度も詐欺を繰り返すが、そのたびごとに手口を考え、役者を入れ替えて騙せる相手と物件を探し続けている。警察も捜査はしてもなかなか本命にたどり着けないように複雑な手口になっているところが地面師詐欺師たちの常習手口。街の不動産業者よりも大企業の担当者たちが騙されているのは、担当者の経験不足と責任管理体制の不備。今後は高齢化が進み、人口減少も相まって都会不動産で相続者がいないケース、いても施設入所、入院などで土地の権利確認が出来ないケースなどで詐欺のネタには事欠かないだろうと予測される。デベロッパー、不動産業者はプロのはず、どうしたら騙されないか、チェックポイントは、なぜ相手は急いでいるのか、売買競争相手はいるのかなど準備できることは多いと思うが、恥ずかしい詐欺事件を表面化したくない企業がどのように対応できるのかがポイントなのかも知れない。不動産売買や相続は、高額であればあるほど狙われている可能性があり気をつける必要があるというのが教訓。

地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団

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日本の祭り解剖図鑑 久保田裕道 ****

2019年01月12日 | 本の読後感

日本の祭りを意識しながら欧州やアメリカを旅行すると、逆に日本の良さに気がつくことが多い。アメリカやヨーロッパの自然は素晴らしいが、地方による食べ物や文化の違いがバリエーション豊富なのはイタリアやスペイン、アメリカはどこでも均一、日本の特に地方には本当に多くの古い祭りやしきたりが残されていることに気がつく。ローカル文化の原点は「ご近所の底力」ではないかと思う。人との繋がりなしでは農業、林業、漁業は成り立たなかったから、豊作祈願、厄除け祈願、健康祈願などを村人みんなで神様にお願いしたのがお祭り、これは「神に奉る」に由来するという。本書はその日本の祭りの起源と成り立ちを図解して紹介し、併せて日本全国の四季の祭りを解説している。旅行をするときに祭りを意識して訪れると楽しみは倍増するかもしれない。

祭りの歴史は祖霊信仰と来訪神の祝いから説明できるという。原始のまつりの痕跡としては、日時計状の組石として知られる秋田県鹿角のストーンサークルは日時計をかたどっていて、一年のいつ何をするかの目安を表す。縄文時代の土偶の多くは女性で大きな腰、乳房、性器を細かく表現して妊娠と安全出産を願う。古墳は死者を弔い死者に対する祭祀を供養として行った場所である。これらすべてが古代の祭りと関係している。祖霊信仰の神は集落近くの山に宿り、いつもは山にいらしてお願いすると里にある神社まで出てきてくださる。そのお願いのメインは豊作で、田植え、刈り取り、虫よけ、鳥よけなどバリエーションが多い。来訪神は遠方からのマレビト神、沖縄に種子取(タナデュイ)祭は子や孫を連れてくる長者様に豊作を感謝し来年の豊作を祈願する。秋田のナマハゲや甑島のトシドンも来訪神。マレビト信仰に則り、集落内での婚姻を繰り返すといい子が育たないことから、商売などで村を訪れる訪問者と村の女性が婚姻することが進められるケースも有った。

古事記や日本書紀の神話がモチーフになっている祭りには神楽がある。天の岩戸とアメノウズメや倭健命のヤマタノオロチ退治などのエピソードがお祭りになった。出雲大社では旧暦10月10日に全国から集まる神様を稲佐浜でお迎えする「神在祭」があり、夜に焚かれる篝火の前で行われ、神様たちは7日間を出雲で過ごし各地に帰っていく。2017年に世界遺産に認定された宗像大社沖津宮は女人禁制だったが、遺産認定とともに女性だけではなく一般も上陸が禁止されるようになった。

祭りの構造は、祭りにはプロセスがあることを知ることで理解できる。1.神を祀る「神まつり」。最初に柏手を打って神を迎え、お供えをする。2.お供えした食べ物や飲み物を神様が召し上がった後に人間がいただく直会(なおらい)ただの飲み会ではなく神様とともに食事するのがポイント。3.芸能、これは人間同士の二次会で無礼講というのはこれ。村人の中で踊りや歌が上手な人が芸を披露したことから始まり、猿楽、田楽そして能や狂言の原型となった。

祭りは神道とつながっている。神道の根幹はアミニズムで山自体を神とするのは大神神社、神社には本殿はなく三輪山そのものがご神体である。境内には三鳥居という鳥居がみっつ合体したものがある。春日大社の神はタケミカヅチ、フツヌシ、アメノコヤネ、ヒメカミの総称である春日神で鹿に乗って奈良に来たとされる。東大寺の境内には鎮守社が3つあり修二会の初日と終了後にこの社に参拝する。このように仏教伝来以降は神仏が習合して一体になってきたため祭りにも両方が取り入れられるケースも有る。修験道は仏教の修行が神道と混ざり合って生まれた日本独自の宗教。山伏は信仰を広めるために身につけた力を見せて信仰を広めたが、明治維新の廃仏毀釈で廃止された。しかし各地の祭りには修験道の影響を受けたものも多い。奈良の吉野で7月7日に行われる金峯山寺の蛙跳びでは、カエルに扮した男性が山伏で行いの悪い人間を改心させるという。山口の周南市の三作神楽では三宝荒神の舞という修験者によるアクロバットが披露される。

祭りの順序は 1.修祓(しゅばつ):神職が祓詞を唱え幣束を振って参加者を清める。 2.開扉と献饌(けんせん):本堂の扉を開き神様にお供えをする。 3.祝詞:お祭りの趣旨を神様にお伝えする。 4.神楽:神様を歓迎する。 5.玉串奉奠:榊などを神前に供え神様にお迎えする側の心持ちをお伝えする。 6.撤饌(てっせん)と閉扉:神饌を撤収して扉を閉める。

祭りのアイテム 1.神輿:神様が氏子地域を回り、離れた場所に設けられた「御旅所」まで移動するときに乗る乗り物が神輿。荒々しく揺さぶると喜ぶ神様には、大きく神輿を揺らす。泥まみれにする上尾のどろいんきょ祭り、火に入れる石川宇出津の宇出津あばれ祭り、宮城の鹽竈神社では年に三回神輿を出す荒神輿が開催される。2.山車:山・鉾・屋台のバリエーションが有る。神様がそこまで降りてくるのが山と鉾、代表は京都の祇園祭。屋台は神様を囃す楽団が乗り込む乗り物。見て楽しむことに特化した山車が青森三社大祭の山車。四日市の鳥出神社の鯨船行事は鯨船の山車でクジラ漁の様子を演じる。だんじり祭りは屋台、大阪や愛媛西条のだんじりは大規模。八代の妙見宮祭礼の笠鉾も神様の降臨装置。八戸のおがみ神社、長者新羅神社、八戸三社大祭などでは歌舞伎や民謡の場面を題材にした壮麗な山車が27基も練り歩く仕掛けを楽しむ山車。

江戸時代までは祭りは旧暦で行われたが、明治維新以降は太陽暦で実施されるようになった。それでも新政府に反抗的だった南九州や沖縄では今でも旧暦で行われる祭りが多い。十五夜は旧暦15日でなければ満月にならないので今でも旧暦だ。長崎のペーロンや沖縄のハーリーは中国の華中、華南のドラゴンボート(龍船)が伝わったものとされる。小笠原の南洋踊りは戦前にサイパン諸島などから取り入れられた。獅子舞も中国の獅子舞が日本で独自に変化を遂げたもの。獅子舞はマレーシアやシンガポール、ベトナムにもある。

各地に残る祭りの保存は各地方の人々の協力で残っている。なんとか残してほしいし、自分ができるのは現地に見に行くことかと思う。全国の祭りカレンダーを保存しておいて、旅行のときには参考にしたい。

日本の祭り解剖図鑑

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生命科学の未来 本庶佑 ***

2019年01月11日 | 本の読後感

ノーベル賞受賞直後に「とにかく出そう」と発刊されたのが本書、それを図書館で一番に手にとったのが私。過去の講演録が2つ、対談が一つ、受賞後のメッセージ付き、という内容。

研究内容については報道の通り、印象に残った箇所を少々紹介。1つ目は特許を取得したPD-1抗体をヒトに応用したヒト型抗体として製品化する際、共願者であった小野薬品工業に相談したところ、一社では無理なので1年かけて共同研究してくれる相手を探したがすべて断られたといって、研究断念を通達された。そこで自分で米国のベンチャーに話を持ちかけたら、即断即決、条件は小野薬品工業が撤退すること。小野薬品工業が撤退の検討をしている間に特許期間が切れたため内容が公開、それを知った米国の別のベンチャーであるメダレックス社と小野薬品工業に共同研究を申し込み開発が開始された。本庶さんはエピソード的にサラッと紹介しているが、相当なイライラ感があったのではないかというお話である。研究は進んでいても商品化に手間取るという日本企業の典型的な事例ではないか。その後は2005年にヒト型抗体として特許を出願、2006年には米国FDAで承認され治験開始、日本では2年遅れで難治性がんを対象に治験開始。当時は免疫治療の有効性が医師の間で信じられていなかったため、もう直らないという患者ばかりで、それが大変な効果が見られた。この後は報道の通り。外科、化学、放射線いずれも身体的な免疫力を弱めることになるため、初期に免疫治療をすることが将来第一選択になると、本庶さんは2016年11月時点で予見している。

もう一つの講演録は2007年4月、「幸福の生命学」というちょっとパロディー風のタイトル。生物にとっての幸福は「生きる」こと、根底には「心地よい」があり、そのためには生殖欲、食欲、競争欲を満たすことが重要という解説である。生物にとっての快感は生命の三要素である自己複製(子孫を残す)、自律性(自分の体を一定の状態に保つためにエネルギーを摂る)、適応性(外敵から身を守り逃げる)と密接な関係がある。こうした欲望や快感を持てない生物は子孫を残せず絶滅してきたという。生物は生き残るために、今まで生き残ってきたことで獲得できた有益な情報をDNAのなかに蓄積してきた。つまり生物とはDNAという情報からできている。DNAは生まれたときにすでにある防衛能力と、生まれた後にも環境変化に対応して新たな防衛能力を獲得できる、という2つの能力を持っている。つまり母親から伝えられた免疫力に加えて、ドンドン変異してくるウイルスや環境変化にも対応しながら成長過程で新たな免疫力を獲得するという能力を持っている。ところが生物の幸福感や欲望は獲得すると麻痺する、つまり同じものを得ても満足できない、という危険性がある。ところが不安を除去する、人間で言えば「今は苦しいけれども死んだら極楽に行ける」などという宗教的安堵、という形での幸福感は麻痺しない。つまりこの2つのバランスが重要で、「安らぎと時折の快感刺激」が重要だというのが教授の主張である。

免疫治療、大いに期待したい。

生命科学の未来 〔がん免疫治療と獲得免疫〕

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ウラミズモ奴隷選挙 笙野頼子 **

2019年01月10日 | 本の読後感

本書を読もうとする人には事前に注意事項がある。本書は政治的主張の強い小説であること。また、TPP絶対反対、LGBT権利擁護推進、水道法反対、働く女性絶対応援という方はまずはこれ以降も読み進んでも意味があるが、安倍政権支持、麻生大臣が好き、櫻井よしこの講演会には何度も行った、百田尚樹の愛読者などはハナから近づかないほうがいい。そのうえで本書内容は以下の通り。

最初は状況がまるでつかめないままに我慢して読み進むと徐々に、場所は日本で、それも茨城県付近、時代は50年後だということが分かってくる。TPP条約批准が行われ、水道法も成立して、「グローバル自由貿易」が徹底的に推進された結果として、グローバル企業の植民地になりはてた国「にっほん」があり、その中に、女性が中心となり独立を果たしたウラミズモという国がある。

にっほんは一昔前は一人あたりGDPが世界一、そかしグローバルビジネスを推進するため規制改革を断行した末に国家主権まで失ってしまう。ジェンダーギャップは114位だったのがさらに低下、世界最低レベルになっている。この国に住む人は逃れるすべがある、それは亡命する、もう一つは隣国であるウラミズモに帰属することを選挙で決めるという「ウラミズモ奴隷選挙」、しかし救われるのは女性だけ。しかしこのウラミズモも極端な女性社会となっていて、子供は外国から精子を輸入しての人工授精で女性ばかりで女の子の子育てをする。TPPには参加していないため水も食糧事情も豊か、独立国としての面目は維持できている。しかし国内には監視カメラが溢れ、稀にいる男性はにほんから押し付けられた痴漢犯罪者で、見世物にされる。クラミズモ奴隷選挙とはこうした選択を迫られる究極の選択である。本書内容はここまででだいたいわかる。

極論で主張を述べるという手法は好き嫌いが分かれるだろう。昨今、トランプかサンダーズかの選択を迫られたアメリカ国民、マクロンかルペンの選挙だったフランス、EU離脱か否かを迫られた英国民、TPPありかなしかを迫られた日本、などなど。決めるときには結局は右か左かでありいずれも民主的プロセスを経ての決断なので、どうしようもないが、もう少し他の選択肢を示してほしかった、という国民は多いのではないか。

それでも筆者の政治的主張と危機感はしっかりと伝わる。「セクハラ」という犯罪はないと言った大臣、「認可対象組織の長であるお友達とゴルフするのは許認可権者として如何なものか」と問われて「テニスや将棋なら良いのか」と答えた国のリーダー、弱者切り捨てのグローバル化を推進しようとする官僚、こうした存在に「ハッキリと拒否」という政治的意志を作品に込めていると評価することもできる。しかし本作品は文学としての魅力はない。荒唐無稽な小説というものは存在するが、ストーリーの脈絡が現実世界とのリンクでのみ命脈を保つ、という展開にはついていけない。芥川賞も取った立派な作家さんであり、筆者の政治的主張に賛同できる方には参考文献として紹介できるが、万人には決しておすすめできない。

 ウラミズモ奴隷選挙

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ウイルスは悪者か 高田礼人 ****

2019年01月09日 | 本の読後感

10年ほど前に鳥インフルエンザが人から人に感染するようになったと大騒ぎになったことを忘れてはいないだろうか。今でもH5N1高病原性ウイルスは存在して、種と宿主を乗り越えて感染するようになるリスクは依然として目の前にあるといえる。あれから10年近く立って最先端の研究はどうなっているのか知りたくて2018年11月発刊という本書を手にとった。

ウイルスは宿主を生かして自分も生きる、ある種の共生関係を自然宿主と築いている。ヒトも含めてそれぞれの宿主には、長い時間をかけて共生するようになった固有のウイルスが存在する。宿主を殺してしまえばウイルスも生きられないのに致命的な病気を人間にもたらすのは、長い時間をかけて築かれた共生関係に人間という別の宿主が踏み込んでしまったからであり、ウイルスが持つ自己複製能力と環境変化対応能力が極めて優れているからだという。自然の中で静かに生きていたウイルスと宿主の環境に、文明や科学技術の発展により活動領域を広げてきた人間が頻繁に接触し、ウイルスはそうした環境変化に対応する中で、自己複製エラーを起こしながら進化を図る中でヒトには有害な存在になる場合にエボラ出血熱や高病原性インフルエンザが発生したのだという。

ウイルスには意志がない、ヒトを傷つけようという悪意は存在せず、自己生存のための活動がヒトに害をもたらしているのがウイルス性の病原性と感染である。ウイルスの本体は遺伝子そのものであり、生物らしさで言えば自己と他者の境界を持つ、自己複製をするという特質を持っている。代謝をするというもう一つの生物の特質は、宿主の細胞に入り込むことで宿主のエネルギーを使って自己複製を成し遂げている。ウイルスの誕生は生命の誕生より前なのか後なのかは分かっていないが、30億年以上前より地球上に存在していたのではないかと考えられる。ウイルスのRNAが動物の細胞内に入り込んでいるのが内在性ウイルス、このように宿主が進化する際にウイルスの力を借りている内在性レトロウイルスの存在も確認されているという。これは細胞からRNAが飛び出してウイルスになったのかもしれない。ひょっとしたらウイルスと宿主の共進化があったのかもしれない。

筆者はエボラ出血熱とインフルエンザを研究する学者、研究の最先端にいる。よく知られるようにエボラ出血熱の致死率は8割から9割にも達する恐ろしい疫病。ワクチン開発には時間とお金が必要だが、エボラ出血熱の発生はアフリカの一部地域に限られ、患者数も限定的なため、致死性が高い割には製薬企業に利益をもたらさないため、ほとんどの企業は興味を示さないという。筆者は政府予算からの研究資金を得てエボラウイルスの対応策を研究している。

インフルエンザは季節性では致死率は0.1%、時に起きる世界的流行ではそれが0.5-2%にまで上昇する。1917年のスペイン風邪では2%にもなった。1997年には香港でH5N1の高病原性インフルエンザにヒトが感染して死亡した。これは多くのウイルス学者が恐れていたことであった。その後も数回の発生と死亡例が発生するたびにウイルス封じ込めの努力がなされたが、2009年には人から人に感染する新型インフルエンザが発生し、全世界がパニックに襲われたことは記憶に新しい。現在知られているインフルエンザウイルスは大きく分けて144種類が知られ、Hが16種類、Nが9種類でその組み合わせが144種類あるということになっている。毎年流行するのがA型と言われるH1N1、H3N2とB型のH2N2である。高病原性が確認されているのがH5N1、H7N9など。高病原性のインフルエンザは内臓の出血を伴う症状からエボラ出血熱との類似性もある。

こうしたインフルエンザウイルスによる感染症に対するワクチンには感染予防と症状抑制が期待される。生ワクチンはウイルスを体内で増殖させるため少量の投与で免疫に効果的かつ長期間免疫を獲得できるが、接種後にヒトの体内で増殖し変異してしまい、病弱なヒトは本当に感染してしまうリスクも存在するため、日本では安全性のためウイルスを不活性化しウイルスの増殖機能を取り除いたワクチンが使用されている。筆者が開発しているのは皮下注射ではなく粘膜に塗るつける方式の粘膜ワクチン。インフルエンザは上気道という粘膜から感染するため、皮下接種では上気道からのウイルス侵入は防げないという。つまり現行の不活性化ワクチンは予防効果ではなく症状抑制効果を期待して接種されているということ。粘膜ワクチンで存在するのは「フルミスト」米英カナダで認可されているが日本では未認可。

抗インフルエンザ薬として現在使用されているのはタミフルとリレンザ、2010年台にはアビガン、ゾフルーザが開発されているが現在は条件付き認可で、既存薬が効果を示さない場合の備蓄薬とされているという。また、有精卵を使ったワクチン製造には数量に限度があるため、培養細胞による開発が進められ2018年に成功した。またH1-H16全てに有効なワクチン開発にも成功しているという。全世界でパンデミックが発生し再び多くのヒトが感染してしまう事が起きる前にこうしたワクチンや対応策が現実に利用できるよう祈るばかりである。

ウイルスは悪者か―お侍先生のウイルス学講義

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内戦の日本古代史 倉本一成 ****

2019年01月08日 | 本の読後感

日本の対外戦争は4世紀から5世紀にかけての高句麗戦、7世紀の白村江の戦い、その後は秀吉の朝鮮出兵があって、明治維新まではそれだけ。海外からの襲来は新羅の入寇、刀伊の入寇、蒙古襲来があり幕末のペリー来訪まではない。一方、内戦では次の通り。邪馬台国時代の事はよくわからないが倭国大乱、古代では磐井の乱、物部戦争、壬申の乱、藤原広嗣の乱、恵美押勝の乱、蝦夷征伐、天慶の乱、平忠常の乱、前九年の役・後三年の役、治承・寿永の乱、奥州合戦、承久の乱、鎌倉の戦い、応仁の乱、川中島の戦いなどの戦国時代、関ヶ原の戦い、島原の乱、赤穂事件、戊辰戦争とここまでが明治維新以前。1500年程度の歴史で考えて、多いのか少ないのか、筆者は欧州や中東諸国、中国などと比して極めて少ないと評価する。これは中国大陸や朝鮮半島から海により隔てられていて、海外勢力による侵攻をあまり想定せずに中央集権国家建設の必要性を感じなかったためではないかという。逆に同じ理由から海外進出もほとんど企てることがなかったため、強力な軍事力を持つ国家という強い意志を持つ必要性も感じなかった。

確かに内戦を見ると、王権である天皇家に反逆した例はない。本気で王権を武力で倒す勢力は登場せず、王権側も革命に対応する武力を用意する必要性がなかったのも要因である。天皇の住まいである京都の御所は堀や高い塀もなく、守りも攻めも考えられていない。平安京に遷都して以降、王権を取り囲む支配層は藤原氏からはじまり、そのすべてが王権の正当性を信じて養護する立場を取り、武士となる平氏と源氏も桓武、清和の王権由来であることを正当性主張の主眼としてきたため、武力行使勢力でさえ王権サイドの世襲と言える。

謀反は数多いが、皇太子交代を企てたクーデター計画や王権側である藤原氏が仕組んだ陰謀以外は、出先機関である国府の襲撃事件で、そこには受領という地方豪族がいて民衆から収奪をおこなう一族がいたからである。王権から反逆者への追討も形式的な外交手段であり、大規模な戦闘や殲滅作戦ではなかった。そもそも追討自体も現地の豪族に命じていたほどである。王権側は反逆者を殺してしまうと怨霊に祟られることを嫌って穏便な解決策をとってきた。

天慶の乱の鎮圧にあたった藤原秀衡、平貞盛、源経基といった天慶功労者の子孫は兵(つわもの)の家として中央における軍事貴族の地位を独占した。こうして生まれた武士は検非違使や受領を歴任することを目指し、摂関家などの有力権門の家人になって周辺警備としての奉仕に務めることで密着を強めていった。こうして武士は貴族の中から生まれ、中央の貴族が自らは手を出さない戦闘や人殺しを職能とする集団となった。このようにして生まれた武士集団が鎌倉室町を通して中央政治に影響力を行使すると暴力的な時代となってしまう。明治維新はこうした武士の政治を断ち切り国民による政治を目指したはずだったが、欧米的な帝国主義国家を目指してしまう。そのプロセスで国民を兵士として教育し、武士道の価値観を教え込んだ。筆者は武士を「善」、貴族を「悪」とする価値観が国民の間で醸成されてしまったのではないかと推測している。そして現在でもそれは続いてはいないかと、戦後の民主社会の危うさに警鐘を鳴らす。本書内容はここまで。

倭健命の熊襲征伐、出雲征伐の神話は、1世紀から5世紀にかけての倭国大乱の歴史を、大和政権に都合のいいように書き直したものではないかと感じていたので、筆者の見解を知りたかった。中国の歴史書に登場する「倭国」が北部九州の勢力か、大和盆地の勢力なのかは確定できないが、弥生中期までは鉄器を北部九州勢力が寡占、その後大和盆地の勢力などにも鉄の需要が増加、鉄の物流を巡っての軋轢の結果が「倭国大乱」ではないかと筆者は推測している。もっとも大乱といっても大規模な戦闘ではなく、伊都国を盟主とした体制から後漢や魏からみれば窓口はどこなのかがわからない状態が続いてということ。その時代には北部九州、中部九州、山陰、瀬戸内、機内、北陸、東海という諸地域に勢力が次々に生まれていた。魏志倭人伝の卑弥呼は「ヒメミコ」、倭国は九州北部から中部にあったと筆者は推定する。その倭国が魏と結ぶのは、敵対する呉が南部九州勢力と手を組んでいたから。鉄の入手は出雲、北陸からも行われるようになり、百済と出雲勢力、新羅と北陸勢力が結びつく。ヤマト王権は白村江の戦いで破れた北部九州の勢力に代わり、百済・出雲勢力と手を組んで、その後、新羅・北陸勢力とも結んだ勢力が大和王権となったのではないかと私は思う。朝鮮半島や中国にはまだまだ未発見の資料があるはずだし、天皇陵とされている多くの陵墓を科学的手法で調査する必要性を感じる。

古代の内戦に関心があって本書を手にとったが、「おわりに」の筆者の思わぬ指摘に驚いた。大河ドラマでも京都の貴族はなにか滑稽に描かれている気もする。これからは気をつけて観察していかねば。

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東慶寺花だより 井上ひさし *****

2019年01月04日 | 本の読後感

こういう作品が「おしゃれ」なんだなあと思わせる。さすが井上ひさしという手管や博識も散りばめられる。


大泉洋が主演で、戸田恵梨香や満島ひかりも出演しての映画化もされたという本作品は短編集。鎌倉にあるタイトルの寺は江戸時代に「縁切り寺」と呼ばれた場所、江戸の街で亭主に愛想を尽かせた女性たちが、用事に出るフリをして朝方に家を出て、歩いて歩いて翌朝早くに鎌倉にたどり着く。探しに出た追手が追いつくかつかないかというそのときには、女性が身につけている簪でも櫛でも境内に投げ込みさえすれば「駆け込み」は成立、亭主と追手は手出しができない、という決まり。決まりには他にもいくつかあって、寺とその周りにある宿が離婚手続きに関わる。寺は幕府公認の縁切り寺で、そこで事情聴取をされて女性の言い分、亭主側の言い分が聞かれて認められれば、寺役所に届けられ、寺で24ヶ月の時間を女性が過ごせれば、はれて離婚成立となる。その際に亭主が書かされるのが縁切り状、「三くだり半」というあれである。

歴史学者の網野善彦は宗教的な聖域を「アジール」と呼び、室町時代以前よりそうした場所は存在したと書いていた。化外の民、犯罪者、被差別民などが迫害や差別を逃れて駆け込む場所がアジール、この縁切り寺もそうしたアジールであると。井上ひさしは鎌倉在住でもあり、オール読み物の連載を1998年から引き受けるに際して、舞台を鎌倉に設定した。本書はその中から選ばれた15話。

主人公は23歳の中村進次郎、医師の見習いであるが戯作者になりたくて縁をたよってこの寺の御用宿であった柏屋に身を寄せている。柏屋の他にも二軒の御用宿があり、亭主側と妻は別の宿に泊まるのが決まり。「花だより」というのは鎌倉に咲く四季の花を15章に振り分け、梅、桜、花菖蒲、花槐、蛍袋、白萩、黄蘗、蓼、藪椿などという各章に女性の(時には男性の)名前がつけられていて、江戸時代の女性が経験していたエピソードが紹介される仕組みになっている。縁切りは女性からは言い出せない、というが、江戸時代の女性の立場は家庭では決して弱くはなかったと言われる。しっかり者の女性は家計の紐をしっかりと絞ったり緩めたりで、商売に才能を発揮する場合も多かったという。
 
女性の言い分を聞いていくうちに、思わぬ夫婦の関係に気付かされたり、女性がつく嘘にも気づいたりして、進次郎も戯作者として人間としても成長していく。それにしても井上ひさしの手練手管、読者のウラを書くようなどんでん返しのお話の作り方や文章技術に舌を巻かされる。柏屋には主人とその妻、一人娘のお美代ちゃん、番頭夫婦がいて、その他にも東慶寺の尼さんや、医師で和尚の清拙などの登場人物も多くいて、映画化しても楽しめる設定になっているのが作者のプロの技を感じさせて憎い。
 
鎌倉を訪れたことがある読者なら鎌倉やその手前の北鎌倉の駅を降りて歩いた小道やその周りにあるお寺の風景を思い出しながら読むことは書き手の想定内、この本を読んで、「今度あじさいの頃にでも鎌倉に行きたいね」などと夫婦で話をする、なんていう、鎌倉マーケティングのツールとしても立派に成立している。小説を書きたい人の教材として(ちょっと上手すぎるが)良いお手本になると思う。

東慶寺花だより (文春文庫)

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹 ***

2019年01月02日 | 本の読後感

今年最初に読んだ本は村上春樹。隠喩が散りばめられたような、読者の思念をかき乱しておいて「あとはお好きに」というような、それでも読んだものの心に暫らくはしっかりと張り付いて離れないようなストーリーである。

主人公は多崎つくる、名古屋での高校時代に知り合った5人組は3人の男子、2人の女子のグループ、お互い同士が必要不可欠であり、そのグループが当該5人であることが必須であるとみんなが感じあっていた。多崎つくる以外の4名には苗字に色の名前が入っていて、男子がアオとアカ、女子がシロとクロ、つくるは自分には色がない、個性も持たないただの入れ物でしかないのではないかと考え、自信を持てないでいた。つくるはシロが好きだったが、素直に自分の気持を行動につなげると5人グループがだめになりそうでそんな思いは封印していた。つくるは他のメンバーもそうだったのではないかと思っていた。

高校卒業でつくるは東京の工科大学に進学、残る4人は名古屋に残り別々の大学に進学した。東京に一人で進学したつくるは、休みが取れると名古屋に帰り5人で合って話をしたり食事をして楽しく過ごしたが、ある時、名古屋に帰り4人にそれぞれ連絡をとろうとするが返事がもらえない。そしてアオから電話があり、「4人はお前とはもう会えない、理由はお前が一番知っているはずだ」と告げられる。理由に心当たりがないつくるは「なぜなんだ」と聞くが「分かるはずだ」と電話を切られてしまう。

他のメンバーにも理由を問いただしたいが、つくるにはその勇気が出ない。死んでしまいたいほどの衝撃を受けたつくるは半年ほどの間、まさに死んだような生活を送り、体重を激減させ体型や容貌が変わってしまう。息子の様子が激変したのを知った母や姉は理由を問いただすが、少年が青年に移行したのだと納得する。東京の大学では新たな友人がなかなかできないつくるだったが、体を鍛え直すために通っていたジムのスイミングを通して、2年年下の灰田と知り合い意気投合する。そして灰田の父の昔話を聞くことになる。そこに出てくるのはジャズピアニストの緑川。緑川はなんでも出来てしまいそうに思えるというある「実現可能感」とも言える感覚と引き換えに生命の危機にあるという話を灰田の父にした。緑川がその後、本当に死んでしまったのかどうかは分からないが、灰田の父はその後故郷に帰り大学教授として定年までを過ごすことになる。仲良くなったと思っていた灰田は突然、何も告げずにつくるの眼の前から姿を消す。

大学を卒業したつくるは鉄道の駅を作るという職業につく。そして36歳になったとき、沙羅という2歳年上の女性と知り合う。それまでにも何人かの女性とお付き合いを経験していたつくるだったが、沙羅のように心を惹かれた相手は初めてで、なんとか手に入れたいと思うようになる。沙羅に高校時代の5人組の話をしたとき、沙羅はその話に興味を示すとともに、なぜ4人がつくると絶縁したのかを知らない限り、つくるの気持ちの中にあるわだかまりが邪魔をして、これ以上の二人の関係に邪魔をすると言い出す。そして4人の現在の住所と職業を調査してつくるに提示、4人に合ってきたほうが良いと提案する。つくるはそれに従うことにする。

アオは名古屋でレクサスのトップディーラーになっていて、アカは同じく名古屋で企業向け研修サービスの会社を立ち上げて、どちらも成功している。アオはシロがつくるにレイプされた、と言い出して、4人がつくるとはもう合わないとでもしない限り死んでしまうほど取り乱したという話をつくるに伝える。そんなことはしていない、と弁解するつくるにアオは「そんなことはあるはず無いと皆も思っていたけれども、そうするしかシロの混乱を収めるすべがなかった」という。つくるはアカにも会いに行ったが、ビジネスで成功しているらしい彼の現状になにかついていけないものを感じる。そしてシロはその後浜松で殺されたことを聞いたつくるは、もうひとりのクロに会いに行く。クロは結婚してフィンランドにいるという。

休みをとってヘルシンキから1時間半のところにあるサマーハウスに滞在していたクロはフィンランド人の夫、二人の子供と幸せそうに暮らしていた。クロはシロが精神的におかしくなってしまったこと、それは親友のクロがつくるのことが好きだったことを察したことにも原因があるのかもしれないと言うが、つくるはそんなことは知らなかった。つくるが本当はシロが好きだったこともクロは感づいていたが、それでもクロはつくるが好きだったと告白する。つくるはクロに、ずっと心の中にしまっていた思いと心配事などを吐き出す。自分は色がない存在だ、個性もない空っぽな容器でしかないと言う。するとクロはそんな容器に私は自分を入れてほしかったと告白、自分にとって多崎つくるはカラフルな存在だったと言ってくれる。現在つきあっている彼女の沙羅のことを説明すると、クロは彼女を大切にしなさい、あなたが彼女が止まれる駅を作ってあげられる、と励まてもくれた。

東京に帰ったつくるは沙羅に3人に会ってきたこと、シロは死んでしまったことなどを電話で伝えるが、沙羅に強く惹かれていること、他に好きな人でもいるのではないかなどということまでも伝える。そして3日後に会って沙羅からの話を聞くことを電話で約束する。東京の新宿駅は350万人もの人が行き交う巨大駅、JRや私鉄、地下鉄も入り組んでいて複雑だ。つくるは毎日こうした駅を通過しながら数時間も通勤で費やす日本人は幸せなのかと自問自答する。つくるは50人ほどの観客を前にしてピアノを弾く夢を見る。複雑なピアノ曲を初見で弾けるのだが、譜面めくりをしてくれる女性の手にはなぜか指が6本ある。緑川の言っていた「実現可能感」を手に入れてしまったのだろうか。それなら・・・目がさめて、つくるは自宅でシロが弾いていたリストのピアノ曲「巡礼の旅」を何度も聞く。物語はここまで。

赤、青、白、黒という色彩に一つの無色が加わって完全な5人グループができるという話。灰色の友達が一人できて、緑川というピアニストの話を聞かされる。どうしても色を混ぜて考えたくなるというもの。白と黒で灰色、赤と青で緑。駅をつくるのは出発と到着、乗り換えもできる。巡礼の旅は4人の友人に会いに行く旅。つくるは作る、沙羅は皿。ピアノを滑らかに弾く5本の指、親指があって残りの4本が上手く使える、譜めくりするのは6本指の女性。読みてはドンドン想像する。

本当ならアオから決別宣告された時に聞いておくべきだった話を17年も経ってからしか、それも恋人にお膳立てまでしてもらって聞いて回るなんていうのはどうなのか。人は知るべき事実から目をそらしたままでは、まともには生きてはいけない。不動産業をしていた父から大学時代にも、就職してからも住まいを提供され、経済的にはなんの不自由もない暮らし、自分では色彩がなくて個性がないと思っているが、友人のクロからは強く思われていたほどの存在であったつくる。このイノセンス感、鈍感力、優柔不断といってもいいつくる。それでいて、2歳年上の沙羅に甘えるように、切羽詰まって、3日後に会って話をしようと言われた沙羅に「好きだよ、君が必要なんだ」と伝えるために夜中の4時に電話をしてしまう未熟さとわがままさもある。街で見かけた沙羅と手を繋いでいた男に嫉妬するつくる。お金があってしっかりとした仕事を持ちいい男子でもあるのに、世の中の心の弱い男の殆どを背負って生きているような存在のつくる。ここでも3日後の沙羅からの答えを聞く勇気をもてないまま、新たな巡礼の旅にでも出かけるつもりなのだろうか。つくるにはもう新しく向かうべき場所などはなさそうである。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (文春文庫)

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