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意思による楽観のための読書日記

幕末の大誤解 熊谷充晃 ***

江戸時代末、幕末の歴史にはドラマチックな展開が多くて、小説や映画化も多くされているため、そちらのお話の方が記憶に残っていて、その内容が実際の歴史的史実とは若干離れてしまっている場合も多い。明治維新の逸話などは子母澤寛や司馬遼太郎の作品内容の方が人口に膾炙していることが多いと警鐘を鳴らすのが本書。薩長が多くを占めた明治の政治家や官僚より、小栗忠順や榎本武揚など、旧幕臣には優れた人が多かったと記している。本書は、実際はこうだった、という40のエピソードを記した一冊。

脱藩して官軍と戦った大名がいたという、その名は林忠崇、古くから徳川家を支える譜代の上総請西藩主で、1867年に20歳で家督を継いだ青年大名だった。幕府陸軍の一隊に撒兵隊という組織があり、江戸開城に対して徹底抗戦したいと、主犯の大鳥圭介に率いられて上総木更津を訪ね、藩主に助太刀を求めた。房総半島の諸藩は徳川譜代のため「房総諸藩の兵力を結集すれば新政府軍に対抗できるし、そのうち奥羽諸藩の助太刀を得られるだろうから江戸城奪還も夢ではない」。血気盛んな青年藩主は出陣を決意。「無傷で残る幕府の軍艦に精鋭が分乗して東海道沖を西上し、桑名あたりで上陸すれば新政府軍を挟撃できよう。その余勢で京都を占領するのだ」と自分は浪人の身になるのだとして、大名として空前絶後の脱藩をして隊士を率いて真鶴に上陸した。林の檄文を受けた沼津藩、緊急事態として江戸の新政府に通報し、元箱根で新政府軍と衝突。その戦いでは勝利を得たものの、恭順姿勢を示す将軍家にはかえって迷惑をかけるとして東北に引いて、仙台藩を通じて降伏した。林は死を覚悟するが、助命され1941年まで生きた。その間、ほかの大名とは異なり華族とはなれなかったが、後年なんとか男爵となり、最後は92歳、この時点まで存命した大名は他にはおらず、最後の大名として生涯を閉じた。

収録されているエピソードは、そのほか「龍馬の正体は無名スパイ」「ヘタレだった勝海舟」「ペリーの沖縄戦両計画」「策略家だった西郷隆盛」「大村益次郎が死んだ理由」「雪が降っていなければ結果は違っていた桜田門外の変」などなど。すすっと読める気軽な一冊。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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