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「でにをは」別口入力・三属性の変換による日本語入力 - ペンタクラスタキーボードのコンセプト解説

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誤打鍵自動修正機能の活用も視野に入れて

2018-11-02 | ジャンル横断的な問題
タイピング時にはミススペル・誤打鍵がつきものですがすでに先行技術ではスペルチェッカ・コレクタなどの実用化も見られます。
日本語入力における誤打鍵修正の可能性については、
未知語の復元 - 誤打鍵特性利用による語の絞り込み効果について(野田雄三 1994)
で詳しく解説されておりますが、今回はこの文書を参考にして記事をまとめていきたいかと思います。

まず意図しない誤打鍵のうち最も多くのものは横隣接の間違えという配置の物理的な要因によるものが多いのではないでしょうか。
前提として英語QWERTY配列での誤打鍵を考える上において、

・余計な一文字の挿入
・足りない一文字の欠落
・一文字の他の文字での置換
・隣接文字の交換(順序入れ替わり)

などがあるかとは思いますが、ペンタクラスタキーボードの議論では簡単のためにこれらは検出対象には含めず、もっぱら
<同一クラスタキー内での物理的隣接文字の置換>
にだけに的を絞ってオートコレクトを作動させるときについて考察していきたいと思います。
つまり、「たちつてと」なら「たちつてと」の同行内(同じクラスタキー)での打鍵間違えを修正する(「た」を「ち」にするなど)機能についてであります。
5角形のクラスタに、同行の文字を集積させたこのキーボードに則した最適形を探っていこうというわけです。

QWERTY配列での横隣接では[i-o]母音の隣接や[s-d]子音の隣接などがありますが、それに加えて[k-l]のようにlが小書き文字の始動要因となる厄介な隣接もあって概してまとまりがなく複雑なものとなっています。
ですので日本語入力環境としては誤打鍵修正機能の道筋はなかなか現実味に乏しいものでした。
しかしペンタクラスタキーボード配列では同行クラスタ隣接で完結しているので見通しがつきやすくかな入力の発展形で80種近くと多くのかなキーがあるので分別性も高く復元データ参照も効率的にできるのではないでしょうか。
いよいよ日本語入力での誤打鍵自動修正機能も現実性を帯びてくる段階に入ったといえます。

もちろん5角形のクラスタキーの押下機構をどうするのかという問題は根本的にありますがそれはさておきクラスタキーの打鍵特性を事細かに考察していくことでソフトウェア的な突破口を求めることはできます。
まず五角形の形から分析しますとi段e段のようにクラスタの外側にあるもの同士とu段のように内側にあるものとではミスタイプ交錯することにしては若干分離しており混鍵する可能性は少ないのではないかという推測があります。
また「あ段」はキートップにあるので比較的適意の打鍵である確率が高いのではないかという目算があるのも同様です。
また「かかく(価格)」「かくく(各区)」のように連続打鍵部分(かか、くく)はFix度が高いという運指の癖もヒントになるので候補削減に活用できるかと思います。
このような打鍵特性をうまく盛り込んで復元語の候補をスリム化することができれば負荷を最低限に抑えることができるのではないでしょうか。

でにをは別口入力でお膳立ては整っているので欲を言えばイディオムのつながりや文脈解析みたいなものまで判断材料にできれば可能性は広がってくるかと思います。
特に短い2文字3文字の単語の誤打鍵復元は困難であるので「運がいい」「縁がある」「韻を踏む」のように前後のつながりをスコープに入れられれば絞りやすくなり弱点も克服できます。
ここだけでも充実させれば効果は大だと思うのです。
でにをは別口入力を含んだ一連の文章は細切れ変換ではなくひとまとめ変換がペンタクラスタキーボードでは推奨されているのでより全体像をつかんだ文脈解析が活躍できる素地は十分あります。
もちろん別口入力があることでやっかいな一文字助詞はほぼすべて弁別してあるのでわずかな文字列であったとしても混線候補懸念は最低限避けられます。


このようにまだ思索の段階ですが条件は整いつつあります。
「なんとも使い勝手が悪そうなキーの配置だ」と苦言を呈されることもあったこのキーボードの配置ですが、これらの策で少しでもそのイメージを払拭できれば良いなと思います。
実際に動作させるには候補提示の負荷との兼ね合いが読めないところではありますが今の技術で何とか克服できないかと淡い期待を抱いています。
なにより五角形のキーに同行を集積しているおかげで配列上覚えなくてはいけない単位は実質16個+α(でにをはキーは別)ですし、愚直に「あいうえお」が並んでいる構成配置にするのはこの形そのものが欲する必然のわかりやすさですからそれを活かす手段はいかなるものでも取り入れたいと思っています。

あと補足的には盤面下部の「でにをはキー群」の領域のキーは誤打鍵修正対象には考えてはおりませんが、それならば少しキーが小さいのではないのか…という懸念もありましたので、
こちらは物理的に各キー(丸型四角形)を均等に大きくしてしまえば良い…とも考えております。
不便なりにもアイデアは出てくるもので、持って生まれたカタチの個性をそのままにいいところを伸ばしていけばいろんな知恵が出てくるだと信じてこれからも検討を続けていきたいです。

[かな/英]入力字種がハッキリしていればインクリメンタルサーチが使いやすくなる

2018-10-22 | アルファベット液晶入力+テンキー部
IMEを長く使っていると検索窓に入力するときに数秒固まってしまいまごつくことがあります。
これはIMEのせいなのか検索サイトとのやりとりによって起きている事なのか原因はよくわかりませんが未変換文字列から変換のキーを押したところで発生しているので文字列データの読み込み時に何らかの不調が生じているものと考えられます。
どれだけ効果があるのかはわかりませんが、ペンタクラスタキーボードの[かな/英]完全分離の仕組みがこれらの問題に良き作用をもたらすのではないでしょうか?
例えば「BONSAI」という英語として入力したくてもスペースキーの単純な変換では出てきませんしアルファベットの変換はF10を押すのにキーの位置を手探りで探してしまうという有様です。
これはもちろん検索窓の挙動においても常に起こる入力の悩ましい問題です。
しかしはじめから入力文字列の字種が日本語なのかアルファベットなのかはっきりわかっていれば字種解釈の曖昧性で迷うこともありません。
この問題を多キー化で物理的に解決しているペンタクラスタキーボードの構えが単純にして最も効率的なアンサーであるというのは非常に強力な機構で、子供でも分かるシンプルな世界を文字入力にもたらすと言えるでしょう。
これは理解のうえでも単純であると同時に、実際のコンピュータの処理上においても風通しをよくしてくれているものなのです。

私はブラウザで訪問ブログの履歴などを検索窓に投げ込んでいろいろ検索することが多いのですがブログ名というのはアルファベットのものも多くてその度にひと手間掛かるのはなかなかもどかしいものです。
それならと英数モードにして折り目正しく入力しようかとも思いますがつい忘れてしまったりなんとなく英数モードになっているかなと思って後で慌てて直したりするなど純然とした言葉に取りかかろうとしているのに言葉以前の文字のつまらないやりとりに意識を取られてしまうのです。
ここにダイレクトにアルファベットのまま直に入力できればそのような些末な問題からやっと解放されます。
話はアルファベットに限らず、[かな/カナ]文字のとりまわしにも好影響を及ぼすものだと自負していたりもします。
もちろんファンクションキーのF6でひらがな、F7で全角カタカナ、などのように変換手段もあるにはあるのですがちょっとこれでは日常頻出動作にしてはちょっとキーへのアクセスが億劫すぎます(位置的に)。
ペンタクラスタキーボードでは盤面中央部やや左下に[かな/カナ]キーがいつでも押しやすいように鎮座しているのでちょっとしたときでも瞬時に、反射的に押せる位置にありますので日常動作での頻度へしっかり配慮されたキー配置であると自信を持って言えます。
これは従来のキーボードの制約の中からは出てこない、日本語特有の事情を重く考慮したプラグマティックな発想だと思います。

今ではすっかり当たり前となっている、予測変換やインクリメンタルサーチ(逐次検索)についても字種の取り回しの良さはその使い勝手を大きく向上させるのに十分寄与するのも期待できます。
特に予測変換でのアルファベット単語の候補提示は英字入力に弱いペンタクラスタキーボードとしては力強いサポートになるのではないでしょうか。
なにしろ入力文字列が日本語の変換を前提とすることのない完全分離されたアルファベットなので心置きなくその字種のみでサーチできるのが良いところです。
また、英語での予測変換ではセキュリティーなどの問題も懸念されるところですが、ID・パスワード入力フォームでの入力にはWebサイトからのフォーム入力シグナルを適切に読み取ることで回避することが求められますし、タッチ液晶入力でのモード移行の便宜として予測変換の機能しない「素っ気ないモード[素]」を設けたりして配慮に努めているところです。
そのような諸問題を慎重に取り扱いつつもアルファベット字種での予測変換やインクリメンタルサーチの使いやすさの向上は、「BONSAI」だけでなくさまざまな語において活躍してくれることでしょう。

そもそも字種の境界の曖昧な現在の入力事情では、
「Cは」とか「Sは」などの入力も[cha][sha]となり、かな音節の「ちゃ」や「しゃ」と原理上区別がつかなくて混同してしまうのは根本的な欠陥なのです。
日本語はただでさえ同音異義語の問題で手を焼いているのに、言語の違う、表記体系の異なるところはせめて門前で他所へやっておいてあとはただひたすらに同音異義語や文中の要素の区切り輪郭の文法的解析の部分に専念してあげられるように下ごしらえしてやってあげることが理想の物理配置にできる最も重要な力の見せ所なのではないでしょうか。
予測変換やインクリメンタルサーチに限らずそれ以前の根源的な構えとして[かな/英]の字種完全分離の方策は、ありとあらゆるところでしなやかに文字列処理をする上での強力な骨格になっているものであると改めて思うのでした。

アルファベット+促音の単語・表現いろいろ

2018-10-12 | ジャンル横断的な問題
「イッヌ」…ネットを見てると時々目にする言葉ですがこれはローマ字入力だとどうやって入力すればいいのか一瞬悩んでしまいますよね。
打鍵的にはiltunuやixtunuで打てばいいのですが促音の直後の文字列(子音)を2度続けてタイプするというローマ字入力特有の事情が抱え持つ"盲点"を体現したかのような文字列であります。
このようなものだけにとどまらずヘボン式や訓令式のものとはまた違った独特の「ワープロ式」のタイピング規則は表記さばきを一意に決めたいがゆえの苦労も垣間見えるところですが、促音、長音、撥音などアルファベット体系とは別物の異質なファクターを一抱えに飲み込むというのは今の入力事情からすれば割り切れなさが残る感があるのは否めません。

しかし、こういった問題もペンタクラスタキーボードなら難なくクリアできてしまいます。(もちろん一応かな入力方式でやれば問題ないのですが)
よく検討してみると先述の「イッヌ」やカイジのセリフの「圧倒的感謝っ!」みたいな促音つなぎの終端が特殊である例はローマ字入力では概してウイークポイントであるようです。
有利に思えるかな入力はかな入力で濁音・半濁音の入力時は二打鍵となり時として煩雑な事や数字の入力もモード切替が必要であるなどなかなか一筋縄ではいきません。
このように従来の入力方法はもともと英語圏で使うことに最適化された物理配置を無理くり日本語であてはめて運用しようというものですから、どだい無理が出てきます。

ペンタクラスタキーボードでは[かな/アルファベット]がそもそも完全分離されておりますのでかな入力でさえもできないような表記の便宜をスムーズに解決してくれる(はず)です。
混乱の要因は日英混在・兼任のキー割り当ての未分化からきていること、これに尽きます。
[かな/アルファベット]がそもそも完全分離で何が変わるのか、の大きな議論はあるかとは思いますが、以前も説明したので割愛しまして今回は冒頭の言葉にちなんで少し関連したトピック…
「アルファベット+促音」の語に関して述べていきたいかと思います。


以前の過去記事、
アルファベット/日本語混在入力に強い(2) - P突堤2
内においてもチラッと出てきましたがちょっと補強しつつ振り返ってみましょう。

[アルファベット+促音の単語・表現いろいろ]
TVっ子 Mっ気 Mッフィー Mッキー BックをOフにしている店 みるみるUPっぷ↑↑

よく使われる/結構マニアックなのかどうなのかは別にして従来の入力方式だとモードの切り替え等でなかなかもどかしい変換になる語群でありますがこんなのもペンタクラスタキーボードでは難なくこなせる例です。
あるいは文末の装飾ニュアンス的なものだと

オロナミンCッッッ! ももいろクローバーZぇぇぇっと

みたいなものもあるかと思います。「っ」ばかりではなく小文字母音「ぁぃぅぇぉ」のものも含めて考えてみることができますね。
さらには「--ぷり」「っぽさ」のような文法要素や別口入力でもある「と」「て」などとの結合、あるいは口語的な語尾などの例:

GREATっぷりに痺れた Mっぽさ HUGっと!プリキュア Rって本当? C#っちゃあC# ggってみたら

なども促音結合例のバリエーションとして押さえておかなければなりません。
こちらは文法的機能や別口入力の助詞とのカラミでもあるので単に名詞単語として認識するのではなく、構文解析上や別口要素付加物として多少ややこしくなるかとも思いますがアルファベットととの境界はハッキリしているので余計な混乱を招くこともないかと思います。
「C#っちゃあC#」の例ですが「っちゃあ」はともかくアルファベット部分のC#のように記号が混在している場合でも同列に処理していけば良いので例えばF1のような数字の場合でも問題なく処理できるのではないでしょうか。


さて、ペンタクラスタキーボードの根本に立ち返って概観してみると「キーが多ければそれはそれでいいことだ」ということは素直に受け取って良いメッセージなのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
浅慮を承知で言いますと日本語のかなの体系は英語のそれとは違ってモーラ[注1]の一文字一文字が立っていますから…つまり英単語におけるアルファベットは例えて言うのなら漢字の部首みたいに部品としての構成要素の側面が大きくて、一文字一文字の粒度は砂絵のように粒は揃っているが文字列処理にとってはどれも等価な扱いのある粒様となっているのが大きな特徴だと私は考えます。
対して、日本語のかな文字一単位はもちろん単語の構成要素の一部品としての存在もありますが単文字助詞「で、に、を、は」としてや接尾語接頭語として「化」や「非」「氏」など機能関連的広がりがみられたりしますし、
さらにはサ変動詞連用中止法の「-し」などのように単文字であっても意味上重要な働きをするものもあります。
何が言いたいのかというと一チャンクの単語中の部品(フラグメント)としてではなく、一文字の意味が文法関係~語彙関係にわたる機能性マーカーとしての綾をその織物素材になしているので「ひと粒の粒度」のシナジーが立体的に広がった、こう、何か別種の粒様ではないかと思うのです。
当然の帰結として「かなとしての一文字」の重要度は増すことになり、アルファベット粒度で分断される(=ローマ字入力)のは言語本来の良さを殺してしまっているということなのではないでしょうか。
「でにをは別口入力」が成り立つその礎も、「かなをかなとして打てる、アルファベットはアルファベットとして打つ」この基本の構えにたどり着く事と同時に、知れば知るほどその良さを反芻しながら再確認せずにはいられません。

キーが多い事、つまりタッチタイピングという観点では不利にならざるを得ないものなのですが元より現在広く普及しているオフィスユース、メインユースのタイピング環境に正面から対抗しようなどとは想定していませんので今さら物理配置の違いについて遠慮するということもないです。
どちらかといえばパーソナルな文章入力編集ツール、あるいは検索語やファイル名タイピングをちょっと独特で創作的なスタイルに柔軟に対応してくれる、オルタナティブで補完的な立ち位置のインターフェイスとしてやっていければと考えていますので、ペンタクラスタキーボードが抱えるちょっとした逸脱も新たな適者生存を目指したうえでのひとつのガラパゴス進化であります。
ちょっと訳の分からないことを言っているので具体的に何が言いたいのかを申し上げますと、

・確かにキーが多いのはやっかいだが適度なリズムで「でにをは別口入力」をはさむので打鍵の流れがよどんでいる…と感じることが体感的に少ない。

これは錯覚かもしれませんが「あ・い・す・く・り・ー・む」と入力するところが例え手探り感満載であったとしてもその後に「を」食べる、「が」うまい、などのように続く助詞が「間を埋めるように」すぐ押せるということ、慣れればとりあえず迷いにくい別口入力部で親指担当の打鍵をすればいいというのがパターン動作になるということを見出しているのです。
これによってたとえ実時間で大した効率がなかったとしてもユーザー体感のストレスはぐっと減るのだと期待しています。
単語のように意味のひとかたまりの動作は中断せず一連の動作で打鍵することができて、一区切りついた手間の終わったところで習慣性の強い「でにをは」動作でパターン化すれば集中と緩和のトータルバランスが優れているのではないでしょうか。
そもそも「でにをは」までタイプしてひと休みすることは理に適っているのですが、固有の単語の入力途中でいきなり小休止を入れるなどといった打鍵は考えにくいですし一度走り出したら単語部分完遂まで一気に打ってしまおうとするタイプ感というのが人間原理的に染みついていますのでその論法に倣うのならペンタクラスタキーボードのそれはより自然な打鍵リズムをサポートする物理システムではないかと思うのです。
さらには

・キーボード盤面の液晶画面で入力中の文章を表示するようにすれば何もタッチタイピングにこだわることもない

というのがあります。打鍵時に手元を見るのは自然なことでそちらに合わせて機械の方が人間に寄り添えばいいのではないか…というのは別に何も大それたことを言っているようには思えません。
現にMacBook Proではタッチバーの機能が非常に便利にはたらいていますし、ペンタクラスタキーボードの液晶画面のようにより思い切って広く領域をとればやれることも可能性が広がっていくことに疑いの余地はありません。
もちろん文章の編集全体像をつかむのにはメインディスプレイに敵うものはないのですが、ローカルの文字列入力確認程度のところでは手元を見ればすぐわかる手軽さというのは今まで見落としていたソリューションであると私は考えます。


今記事はなんだか[アルファベット+促音]のトピックからずいぶん脱線してしまいましたがお陰でモヤっとしていたところがうまく言語化できたのでむしろよかったかな…と勝手に思っています。
一応タッチ液晶部の表示をいくつか改めなくてはならない課題も残りましたが、何にしろ当初の「イッヌ」をきっかけとしてここまで議論が発展できたのでむしろ多キー配置のメリットのくだりがここでは真の本題とすることにします。
カテゴリは最初「かな84キー+記号キーがある事の利便性」にしようと思っていましたが、色々盛り込んでしまったので「ジャンル横断的な問題」の方にしたいと思います。あしからずご容赦ください。


※10月18日一部修正
文中の[注1]としてある部分は元々「シラブル」としておりましたが修正して「モーラ」に訂正することといたします。
かなの一文字一文字に着目しているのはモーラ(拍)の考え方の方が適切でしたのでそちらの方を使います。よろしくお願いします。




雑記事をまとめた新カテゴリ作成

2018-10-07 | 番外編の番外編
ご好評いただいている「アニソン・股旅」の番外編カテゴリですが、思ったより盛り込みたい曲が沢山あり、追記事を書くべく吟味を重ねているところですがなかなか時間が取れず思ったよりお待たせさせてしまいそうです。
せっかくまとまったアニソン記事のカタマリを雑記事で混ぜてしまうのは忍びないので今記事は「番外編の番外編」としてリスト記事に対する雑評などを独立させて論じていきたいと思います。
この補カテゴリを作成したのを機にペンタクラスタキーボードの本筋の話題以外の、アニソン・映画・書籍に関する話題はこちらに集約してのちのち発信していきたいかと思います。
もちろんアニソンリスト集に関しては従来通り「番外編」でやっていきますので検索の際には「アニソン・股旅」のキーワードで思い出したらググってやってください。
ちょっとおせっかい的にカテゴリのリンクも貼っておきます↓
「番外編」のブログ記事一覧-P突堤2

さて、この記事を書いたついでに「[第2弾]アニソン・ゲーソン・同人・ボカロぶらり股旅100景」のリスト中の曲を一部微修正したいと思います。
リストから外すのはいささか失礼ではないかと気が咎めるところですが、なるべく違和感のない形で修正し今後の追記記事でなんらかのフォローをしたいと思っておりますのでどうぞご理解ください。
除外曲は(OUT)で、採り上げ曲は(IN)で表していますので修正箇所にご留意ください。

(OUT)63.METRO BAROQUE/ (IN)63.深愛/WHITE ALBUM/作詞・歌 - 水樹奈々 / 作曲 - 上松範康 / 編曲 - 藤間仁
(OUT)71.ピースサイン/ (IN)71.打上花火/映画「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」/ 作詞・作曲 - 米津玄師 / 編曲 - 米津玄師、田中隼人 / 歌 - 「DAOKO×米津玄師」名義によるコラボレーション
(OUT)72.季節は次々死んでいく/ (IN)72.空に歌えば/僕のヒーローアカデミア/ 作詞・作曲 - 秋田ひろむ / 編曲 - amazarashi、出羽良彰 / 歌 - amazarashi


追記記事の投稿までしばしお待ちください。


粒度考:「視野を広く持つ」ではなく「構えを洗練させてみる」の方がしっくりくる

2018-09-27 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解
物事を分割することで「構造」が生まれ、推論や指示系統や相互関係などの「シナリオ」が自ずから喚起される――いきなり抽象的な話から入っていきましたが、物事の枠組みを決定するうえで、分割のスタイルというのは重要なところです。
これは言語においても多分に当てはまります。日常の頻出事項はきめ細かく要素が生まれ、そうでないものは面倒をもって何かの複合的な概念としてなんとか言い表して事を済ませます。
日本語においては梅雨、時雨、五月雨、小糠雨(こぬかあめ)など雨に関する語彙が充実しているのと同様に
英語だとcattle(集合的に畜牛)、cow(雌牛・乳牛)、bull(雄牛)、ox(去勢された雄牛)、calf(子牛)、beef(牛肉)など畜産系の語彙が発達しています。
逆に自国の語彙にないものはひと単語では言い表すことができず、既存語の組み合わせによってあらわすことになります。
これは世界の切り取り方そのものです。切り取り方ひとつで世界の見え方が変わって見えてそこの語彙背景を匂わせながら陳述に動きやムードを纏わせることができます。

話は変わってペンタクラスタキーボードの世界の切り取り方はどうでしょうか。
「でにをは別口入力」によって助詞の境界はハッキリしたおかげで無用なセパレート変換候補は排除されて選択肢が絞られてよりシンプルな世界を目指した、とも言えます。
その一方で助詞でも非助詞であっても統一的にまな板にのっけられることのできた形態素解析のプロセスに余計な分断をもちこんでしまいむしろ事態を複雑化させてしまっているというのも見方によっては真実です。

こういった何に力点を置くか、それによって変わってくる世界の捉え方は「業務プロセスの粒度」であるとか「サービスの粒度」といった形で分解能のきめ細やかさの度合いをこう呼ぶビジネス用語が定着してきておりますが、私流のアレンジを加えると尺度にこだわらずスタイルそのもののありかたをふわっと描いた言葉として、
「粒様」(りゅうよう)といった造語も同じく使っていきたいと思います。
粒度を枝の例えに言い換えることもできます。枝の分岐が2~3又に分かれるのか、多数の枝に一気に分岐するのかという数量的な要素ももちろんありますしもっとイメージで伝えるとしたなら曲がりくねった枝ぶりであるとか峻厳な佇まいの枝ぶりもあるでしょうし、こういった「味」を解釈するうえでは「粒様」のほうが抽象的でより察しがつくというものでしょう。

「井の中の蛙大海を知らず しかし空の深さを知る」という改変ことわざも、一見負けず嫌いのやせ我慢からでた感が見え隠れする表現ではありますがこれもある意味では粒度の幅を絞ってその一方で「空」という深いレイヤーへのリーチはいつでもアクセス可能!…みたいな「選択の潔さ」からくる新たな地平の可能性に気づかせてくれる素敵な表現だと思います。
これとは対極に
「天網恢恢疎にして漏らさず」というのもぼんやりと目に見えないくらいのゆるい網、これは可算数個の粒度では説明しきれず不定数の粒度の概念を持ち込むかのごとくでありますがそのたどり着く先は「すべて漏らさぬ包囲網」であってここにいろんな神秘の明知が詰まっています。
これら二つの例も「粒度の運用法」という共通の眼差しから見たら統一的に説明のつくまな板の問題と捉えることができます。

ここで冒頭のタイトル「視野を広く持つ」ではなく「構えを洗練させてみる」の方がしっくりくる…に立ち返って思いを巡らせてみたいと思います。

粒度・粒様にいろんなパラメータを投げかけることで私たちはさまざまな世界の捉え方を描出できる術を手にしてはいますがそれだけでは世界の全てを知った事にはなりません。
私たちは俯瞰的なポジションにいるとつい錯覚して画一的な操作概念でアクセス可能な事象しかないと思い込んでいますがそんな保証はどこにもありません。
すべてが等価だとしたら先程の言語の例になりますが語彙も文法のなんでもMIXのちゃんぽん言語が効率化を目指した先の最終帰結となるわけですが、実際にはそんなふうにはならないのです。(今のところですが)
「視野を広く持つ」「価値観の多様化」といった言説には何か確固たる軸を持てない、大きな物語を持たない現代人の大いなる悩みから来た苦し紛れのぼやけた表現なのかもしれません。
特に「視野を広く持つ」というのは当世コレクター気質の現代人からすれば、カタログ集め、モンスター集めの営みでしかなくてコンプリート自体が目的化された書庫としての多様性しか意味しておらず奥行きに乏しいものであります。
「知っていれば」「持っていれば」それで終わり、の「そんな人もいるよね」程度の他人事のような世界観です。
このような有様では果たして「本当に知った」ことにはならないのです。
ネット情報に耽溺している私も、ついこんなことにはなっていてはしまいか、大いに自戒したいところです。もっと文脈も汲み取らねば…。

長々と書いてしまいましたが、大事なのは「視野」というスケールの問題ではなく、「構え」というルール/体系を自覚しながら行う営みのほうにより真髄があるのではないか、ということです。
なのでペンタクラスタキーボードのコンセプトもイロモノ扱い、変わり種扱いという辺縁のバリエーションと捉えてしまわれるのではなくなぜ(日アルファベット完全分離・でにをは別口入力・三属性の変換)このような「構え」をもつようになったか、その背景を噛みしめてもらいたいのです。

分かりにくい例えで恐縮なのですが「認知モアレを起こさない」ということも大事です。
「モアレ」とは、二つの規則的な模様が重なった際に起こる幾何学的な干渉縞のことでありますが、これをペンタクラスタキーボードの議論に当てはめると、品詞体系の整合性はどうするのか、変換アルゴリズムは最小コスト法みたいに助詞部分もスコア付けするのか
…みたいな従来線上の議論も当然出てくるかと思われますが、これは十分注意深く行わなければいけない、ということです。
わたくし当方といたしましては、そういった技術的なところで検証されることは喜ばしい事ではありますが、今までの確立された知見をもとにしてだけで話を進めてしまうと私の拙論ではあれがまずい、これがまずい、と厳しいダメ出しを食らうこともあるかとは思います。
ですがもう少しあたたかな立場でご検討をいただきたいということであります。
「構え」が違う以上、お馴染みの議論要素、論点であっても自己導出的な「常識の確認」に終始しているばかりでは何も建設的ではありません。「構えの中の『部分』」の話ですからわれわれは額面通りの論拠で斬るということはできずに、文脈ごと意味するところを論じなけれならないのです。
従来の日本語入力(①)と、ペンタクラスタキーボードの日本語入力(②)についてと、ほぼ同じような技術トピックをあたっているようなときであってもその背景の文脈の違いによって取り扱いを別ものとして扱う方が適切である場合もあるかもしれません。
評論の視点は、その時すでに「広い視野」の俯瞰視点に立っているとの前提でおこなわれますが、実際それが適格なものであるかどうかはふたを開けてみるまで分かりません。
「従来」の線上に①と②を載っけようとするから認識の齟齬=認知モアレが起きてしまうことになるので①②を「別の世界で起こった事象」と捉えて認識形を一から構築せねばなりません。別の世界で起こっている以上、当然物理法則も違うものなのです。


ほとんど抽象的な事ばかりであまり具体的な事には触れられなかったのですいません。
なにぶん模索中の身で自分の言いたいことすらわからない状態でありますのでご容赦頂きたいところなのですが、ここで語った思いのいくばくかが、今後具体的なところが見えてきたときにいつか羅針盤の役割になることができれば満足な事と思います。
今はとりとめもなく筆の進むまま思いの丈を書き連ねていったところであります。お付き合いありがとうございました。