意思による楽観のための読書日記

同和と銀行 森功 ****

バブル発生から崩壊にかけて、当時の三和銀行淡路支店の取引先課長岡野と、解放同盟の支部長だった小西邦彦の関係を中心としたドキュメンタリ。都市銀行が大阪における裏の顔役であり、解放同盟という組織活動の支部長として双方が巨利を貪った実録である。

小西邦彦は1967年頃、暴力団活動よりも実入りが期待できるとして解放同盟の飛鳥支部長に就任した。同和問題はデリケートなだけに行政や警察も及び腰になる、これに目をつけたのが小西であった。1980年頃からはバブルが拡大、土地価格の高騰などにより、銀行は貸出先を急拡大した。小西は暴力団とのつながりと同和問題のボスとして表の金融機関である三和銀行からの融資を受け、裏の活動である暴力団への転貸により巨利を得た。バブル崩壊後にはその転貸案件の多くが不良債権となったのであるが、バブル拡大時には三和銀行にとって小西は業容拡大には欠かせない窓口となっていた。歴代の淡路支店取引先担当課長は小西の担当となり無茶な要求を聞いてきた。岡野が淡路支店に着任した時には「小西融資枠は5億円」と聞いていた。岡野は高卒の行員として大卒のエリートたちと競争してきたが、バブル景気を背景に、小西と一蓮托生、業容拡大と自己の出世のためには、小西と一緒になってバブルの勢いを利用しない手はないと考えるようになった。この辺りの構図はピーク時には2兆7000億円にも融資されていたという尾上縫と日本興業銀行、許永中とイトマンなどと非常に似ている。

岡野は難波地区にある新歌舞伎座の正面に広がる一等地の地上げにあたり、小西に口利きを求めた。小西は自分の飛鳥会という自分が設立した福祉組織に三和銀行から従来の融資枠の2倍にあたる10億円を融資させ、地上げをうまく行かせた結果、土地をイトマンに40億円で転売することができた。口利きに協力したヤクザへの支払い5億円を差し引いても25億円の丸儲けであった。三和銀行にとってもこれは食いはぐれがないうまい儲けであった。この場所には現在ナンバヒップスが建っている。小西と三和の取引はこの土地ころがしがきっかけで拡大していく。

小西は芸能界とのつながりも多かった。笑福亭仁鶴の「どんなんかなー」は小西が料亭にきた芸姑に話しかけているのを聞いた同席の仁鶴が「それ使わしてもうてもいいですか」と言って流行らせたという。西城秀樹の姉は山口組若頭だった宅見勝組長のあねさん、西城秀樹の婚礼には西条のパートナーになる槙原美紀の来賓として小西も招待されていたという。この槇原美紀の父博実は三和銀行とも縁が深く、三和のプロジェクト開発室案件であった新大阪駅開発計画に参加していた。その他、勝新太郎夫妻、岡本夏生、加賀まりこなどの芸能人や、自民党の村田吉隆衆議院議員、東力、渡辺美智雄などの政界、警察署長や税務署関係などネットワークは多岐にわたっていた。

阪神高速の11号線池田線の梅田出口にビルの中を高速が貫通している箇所があるが、そのビルの建て替えの口利きも小西であったという。行政とゼネコン、ヤクザ、地権者などの込み合った調整を小西に依頼するとうまくいったというのである。

バブル崩壊とともに銀行からの融資は焦げ付き、最終的には80億円の焦げ付きとなって幕を閉じる。小西も晩年は誰も人が寄り付かなくなり、寂しく肺がんで死んだ。岡野は葬儀にも行かなかった。

現在でもみずほ銀行の反社会的組織との関係が取り沙汰されているが、みずほだけではないのは金融機関の関係者ならだれでも知っていること。今は三菱UFJ銀行となっている三和銀行のケースでは、淡路支店の取引先担当課長に窓口を一本化することにより被害の最小化を当初より企図している点はたちが悪い。みずほ銀行の現在の不祥事も関係会社からの融資のため問題の認識ができなかった、などと説明されているがほとんど同じ構図だと考えられる。問題は当事者意識の有無、サラリーマンが、本当に正義感をもって対処できる組織かどうかであり、多くの日本企業でも同種の問題を内在しているのではないだろうか。今では「コンプライアンス」という括りで語られ、自分の会社は結構まじめに対応している、などと思っているが、本当にそうであろうか、自問自答したくなる内容である。


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