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川上哲治元巨人軍監督の死を悼む

2013-11-03 10:39:19 | 野球
川上元巨人軍監督が10月28日に93歳で亡くなりました。
今日のTBSテレビのサンデーモーニングにおいて、辛口の張本さんが涙ながらに川上さんの
思い出を語っているのを見て、私もブログで投稿したくなった次第です。
川上さんは熊本工業高校時代、投手で捕手の吉原選手とともに巨人に入ります。
この時お目当ては吉原選手だったそうです。
川上さんは投手で入団しましたが、つかいものにならず、打者に転向。
打者に転向して、その能力が開眼し、途中軍隊にも行ったそうですが、
戦後、再び活躍を始めます。

その頃同郷の私たちは子供ながら、昨日は何打数、何安打と話題にして応援したものです。
全国的にも絶大な人気がありました。
テレビはなかったですが、ほかのスポーツがあまり盛んでなかったから、国民的な英雄でした。
特に赤バットの川上と青バットの大下ともてはやされていました。

その頃の川上さんの試合を見たことがあるんです。
最初は九州でのオープン戦だったとおもいますが、ランナーに出て2塁から3塁に走る場面がありましたが、
顔を真っ赤にして、ものすごい形相で走る、重戦車が地響きを立てて突進するがごとき場面が今でも思い浮かびます。
それから2度目は修学旅行で東京に来ときに、友人と一緒に後楽円でナイターをみました。
杉下投手が全盛のときで、そのときは川上さんは打てなかったと記憶しています。
ナイターに浮かぶ緑の芝生が印象に残っています。


結局、首位打者5回、本塁打王1回(?)、生涯の打率3割1分4厘の素晴らし成績を残しました。
今日のテレビで張本さんが、「数字ではうわまわったけど、中身ではとても勝てません」と言ってました。
川上さんの晩年はテレビでみることができました。チャンスにめっぽう強く、しかもボックスに入ったら
微動だにせず、まさに堂々たる「不動の4番打者でした」。

引退後、しばらく水原監督のもとでコーチ修行をしたあと、監督に就任、ご存じのとおい9年連続日本一などの金字塔を打ち立てました。
王と長島いわゆるONがいたということはあってもうまく両選手を使いこなしたからでしょう・・・
ただ、選手時代と違って評判は決して良くなかったのですよ。
「おもしろくない」、「管理野球だ」などといわれたものでした。

しかしながら、球界人の多くが畏敬と尊敬の念を抱いたまさに「巨人」でした。
王や長島はもちろん金田、星野、張本などに多くの影響を与えたようです。
今日、日本シリーズの最終戦を迎える楽天星野監督はお寺に一緒に行ったり、背番号77は川上さんにあやかっています。
ついでに、いまでは、すっかりアンチ巨人になってしまったので楽天に応援します。

このように日本のプロ野球界の発展にもっとも寄与した方だとおもいます。
川上さんのご冥福こころから祈ります。




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