モンテル

モンテル、入ってる。
モンテルは、行ってる。

北国脇往還を歩く2(小谷~相撲庭)

2011年09月25日 | びわ湖一周

北国脇往還を歩く2(小谷~相撲庭)

私の趣味はウォーキング。
暑かった今年の夏も、彼岸の声を聞くと、あっさりその暴力的な力を弱め、涼しい気候をもたらした。
3連休がトビトビで続く9月の後半、本日は天気が良くて涼しく、歩きには最高だ。
最近のテーマ「北国脇往還」に久々に歩きにいった。

念のために書くが「北国脇往還」とは、関ヶ原と木之元を斜めにつなぐ街道で、現代では、基本的に国道365である。
信長や秀吉、今話題の「浅井三姉妹」などが歩いた道は、旧道として国道の脇にある。

「北国脇往還」を歩くのは6月以来だ。
そのときは木之元から小谷までだった。
小谷(城)は「お江」の生まれたところだ。
本日はその続きを歩く。

今NHK大河ドラマにあわせて、「江・浅井三姉妹博覧会」をやっているので、このあたりへのアクセスが大変都合がいい。

JR長浜駅から、会場行きのシャトルバスが循環している。
前回、そのバスでウォーキングの終了地から駅に戻ったのだ。
だからまたそのシャトルバスに乗ってその場所、「小谷・江のふるさと館」へ向かった。
会場についたのは正午だった。
売店でフランク、フライドポテトを食べた。

ウォーキングを開始する。
関ヶ原に向けて出発だ。
道沿いの畑にはソバの花が咲く。
「伊吹そば」だ。
秋だ。
伊部、八島、内保を過ぎ、1時間で「浅井・江のドラマ館」に到着。
「江・浅井三姉妹博覧会」の、二つめの会場だ。ここでしばし休憩。

歩きを再開し、道は野村に入った。
街道で、神主と礼服姿の男性3人とすれ違った。
祭りの儀式だろう。
佐野、今荘と歩を進める。
道は、相撲庭という地にきた。
ここから道が山中に入る。

<林道で大鹿と遭遇>
伊吹山麓、山の中の旧道を歩いていた。
前後にも対向にも誰もいない。
中山道や東海道と違い、北国脇往還ともなると、ウォーキングしている同好の人はほとんど見かけない。
山中の林道で、遠くに何かがいるのが見えた。
野ジカだった。
「でかい!」
奈良のシカとはスケールが違う。
野生のシカだもんな。
こっちを見ている。
一瞬の後、ピョンと跳ねて去って行った。
行ってくれたから良かったが、ぶつかられたらケガをする。
そこは、人の世界と野生との境界だった。

<国道に出て昼飯>
びっくりしたら腹が減ったので、歩きをやめて、ラーメンを食うことにした。
脇にそれて国道に出て少し戻る。
地図にマークしておいた「手もみラーメン 伊吹家」へ行った。
ほっこりして、ローカルバスに乗って、長浜駅に戻った。

本日の行程21000歩。3時間(12:10-15:10)。11.1km。

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スケートに関係ない話。私のもう一つの趣味である、旧道ウォーキング、最近のテーマは「北国脇往還」である。9-27-2 - 「スケート大好き!」

これより2日前。私のもう一つの趣味である、旧道ウォーキングに出かけた。最近のテーマは「北国脇往還」である。「北国脇往還」とは、関ヶ原と木之元を斜めにつなぐ街道で...

「スケート大好き!」

 

 


北国脇往還を歩く1(木之元~小谷)

2011年06月04日 | びわ湖一周

北国脇往還1(木之元~小谷)

旧東海道ウォーキングは前回でいったん終了した。
次の目標は「北国脇往還」である。
この道は湖北の木之元から岐阜県の関ヶ原まで、山沿いを通っている。

草津から始まった中山道は、米原で東に折れ、伊吹の脇を通り関ヶ原を抜けて江戸まで続く。
米原で中山道から北に分岐するのが北国街道で、福井に向けて通っている。
その北国街道の途中の木之元に関ヶ原から斜めにショートカットする街道が北国脇往還なのである。
すなわち、木之元、米原、関ヶ原は3角形を作っており、それぞれの辺が、北国街道、中山道、北国脇往還なのである。
で、脇往還。
「脇」という名前がついているが決してサブの道路ではない。
東国から中山道をやって来て日本海に行くには、こちらの方が早いし、メインロードとなる。

本日は初日。
木之元側から関ヶ原をめざして歩く。
目標は小谷城あたりまで行く予定だ。

6月最初の土曜日。
天候は薄曇り~晴れ。
JRを木之元で降りたのは11時。
ウォーキングのスタートだ。
駅前の北国街道は既に歩き済みだ。
木之元に来たら、はずせないのがつるやパンである。
この店の名物のパンのことは、以前にも書いた。
グループウォーキング。
木之本から塩津まで。
虎姫から余呉湖まで歩いた。
本日は「サラダパン」だけでなく「サンドウィッチ」と、さらにもう一品を購入。
歩きながらの、お供とする。
街道に戻り少し北国街道を歩くと分岐点である。
ここから北国脇往還へ分かれる。
未知の道路だ。

民家の間の細い道と車の走る大きい道路を交互に歩き、しばらく行くと「雨森芳洲(朝鮮通信士にゆかりの深い江戸時代の外交官)」の出身の地に入った。
地名も「雨森(あめのもり)」だ。
郷土の偉人を讃える石碑がたっている。

やがて街道は一級河川・高時川の堤防の上を通る道となる。
現在の道は舗装され車も通る道となっている。
土のままの道だったら、時代劇のロケに使えそうな風情だ。
川を渡ると「馬上(まけ)」の集落となる。
北国脇往還は歴史の舞台だ。
ともに織田信長の家臣だった柴田勝家と豊臣秀吉が戦った「賤ヶ岳の戦い」において、岐阜にいた秀吉が、味方の無勢を聞き、この地まで一夜で帰ってきたのを「秀吉の大返し」と言う。
そのとき通ったのがこの北国脇往還である。
「馬上(まけ)」に到着した秀吉は、その北の地名が「北馬上(きたまけ)」と聞き、「北が負けとは、縁起がいい」と喜んだというが・・・。
本当かどうかはわからない。
後から作った「しゃれ」かもしれない。
「馬上(まけ)」の町中は、各家の前を小川が流れている。
川で作業ができるよう作業用の段が作られている。
生活密着の川なのだ。
風情がいい。
水量が多い。
歩を進め「丁野(ようの)」「郡上」を抜け「小谷」に到着。

ここでは「江・浅井三姉妹博覧会」というイベントが開催されている。
現在放映中のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」に合わせて、浅井三姉妹(江・茶々・初)のゆかりの地、長浜にて、3つのパビリオン「小谷・江のふるさと館」「浅井・江のドラマ館」「長浜黒壁・歴史ドラマ50作館」で開催されている。(~12月4日(日))

小谷の城の前で行われているのは「小谷・江のふるさと館」。
観光客があふれている。
パビリオンの中には入らない。
実はこの博覧会には、3つとも入ったことがあるのだ。
詳細はまた書く。
会場を少し眺め、シャトルバスに乗り込んで長浜に戻った。

本日の行程19000歩。2.5時間(11:00-13:30)。9.1km。


旧東海道ウォーキング2(水口~甲西)

2011年05月08日 | びわ湖一周

旧東海道ウォーキング2(水口~甲西)
(何度も言うけど)私の趣味は、近江の旧道ウォーキングなんですよ。

2009年は、東海道~中山道~北国街道~塩津海道~北国海道と歩き継いで、びわ湖をぐるっと1周したんですよ。

2010年以降は、滋賀県内外の
・朝鮮人街道
・中山道
・東海道
・北国脇往還
・塩津海道
・小浜海道
などを気ままに歩いている。

今年(2011年)の最初のテーマは、「その先の東海道」である。
4月2日、最初の草津~甲西を歩いた。

月が改まり5月になった。
ゴールデンウィーク(GW)いい季節だ。
歩きに行くにはベストだが、GWにはいってすぐ、鼻風邪というかアレルギーというか、何か風邪っぽいものをひいてしまい調子がいまいちだったので、家でだらだらしていた。
それでも次第に体調は回復し、連休最終日の5月8日、甲西から先の部分を歩きにでかけた。

テーマ「その先の東海道」は終点を水口(みなくち)と決めている。
水口から先はルートが鉄道から離れてしまう。
歩くルートが鉄道の駅から遠いと、電車ウォーカーの私には、スタート&終了が面倒になるのだ。

ということで、今回の甲西~水口で東海道は終わりになる。
本日は鉄道で先に水口まで行って、歩いて甲西まで戻ることにする。

JRを東海道線から草津線に乗り換え、貴生川からは近江鉄道に乗車、水口で下車。

12時過ぎ、旧東海道に行きウォーキングのスタートだ。
道は水口城を「コ」の字に迂回しながら進んでいく。
旧道を示す表示が整備されており、それを見ながら進めば迷うこともない。

道は水口宿のはずれになり、野洲川を渡る。
このあたりの野洲川は横田川と呼ばれ、江戸時代は「横田渡し」と呼ばれる川渡しがあった。
巨大な常夜灯が今も残る。
現代の旅人は、人に担がれて川を渡るわけには行かないので、少し下流の自動車道の橋「横田橋」を渡るのだった。
橋を渡ると、JR三雲駅である。
淡々と歩くうち甲西に到着した。
テーマ「その先の東海道」は、終了である。

次のテーマはいよいよ「北国脇往還」だ。
NHK大河ドラマで話題の、浅井三姉妹の生まれた、小谷の前を通る。

本日の行程20000歩。2.5時間(12:10-14:40)。10.5km。


旧東海道ウォーキング1(草津~甲西)

2011年04月02日 | びわ湖一周

私の趣味は、近江の旧道ウォーキング。

2009年、1年かけて、旧東海道~中山道~北国街道~塩津街道~北国海道(西近江路)で、びわ湖1周を達成した。

2010年以降は「びわ湖一周ウォーキング関連事業」として、
・朝鮮人街道を制覇する。
・旧中山道を番場から先を歩く。
・旧東海道を草津から先を歩く。
・北国脇往還を制覇する。
・塩津海道を塩津から敦賀まで歩く。
・小浜海道を今津から小浜まで歩く。
を順にこなしている。

昨年2010年中は、
・朝鮮人街道
・旧中山道
を達成した。

時はすでに2011年になっている。
ということで4月2日、次のテーマ「その先の旧東海道」に出かけた。

前回歩いたのは昨年の10月だ。
まる半年歩かなかったことになる。
こんなにも間があいたのは、この冬が特別寒かったからだ。
長くウォーキングしてなかったので、歩きたい気持ちがつのっていた。

滋賀と京都を分ける峠「逢坂の関」の近くにある我が家は、朝日がさす時間になっても室内が寒い。
セーターとブルゾンを着込んだ。
頭にはLLビーンのキャップ、三度笠はもうやめにする。
飽きたからだ。
でも普通の帽子だと、まともすぎておもしろくないんだけどね。

9時半、自宅を出発。

JR草津駅に到着、10時ウォーキング開始。
駅前商店街である旧中山道を少し戻り、東海道・中山道分岐地点に来た。
東海道を行く。
道は草津川沿いを歩く。
いい天気、暖かい。
すぐにセーターを脱ぎたくなる。
大きく曲がる川に沿って道は続く。
車が通る狭い道だ。

まもなく「手原」に到着した。
「手原」と言う地名は、商人で長期出張に行った兄の嫁を守るため、弟が毎晩嫁の腹に手を当てていたら妊娠したという、民話が由来だ。

11時すぎである。
昼飯にする。ネットで調べておいた、ラーメン屋「なかまる」に行く。
ここで、やたらと塩辛い「まぜそば」を食って水を大量に飲んだ。

旧道に戻る。
単調な道を歩き続け「石部」に近づいた。
道沿いに「石部金山(いしべきんざん)」という山がある。
この「石部金山」、「石」と「金」という2大「堅いもの」がでてくる。
ゴロがいいので、堅物者のことを表す「石部金吉」の語源となった。

疲れた。
そろそろ本日の行程を終わりにしたい・・・石部駅に着いたら、13時05分発の電車が、目の前で出ていくところだった。
次は30分後。
30分間のボンヤリ待ちはつまらないので、次の駅を目指すことにした。
ということで「甲西駅」まで、根性で歩いて・・・駅についたらまたしても電車が目の前で。

本日の行程24000歩。4時間(10:00-14:00)。13.5km。


その先の中山道を歩く。2回め。

2010年10月06日 | びわ湖一周

私の趣味は近江の旧道ウォーキング。
10月のテーマは「中山道、その先へ」である。
先日、関ヶ原~柏原を歩いたので、残ったのは、柏原~番場。
ここを埋めれば目標が達成だ。

本日のスタートは番場。
番場には、こちらにお住まいの知り合いの方がいる。
この方から、中山道のウォーキングをしているのなら、ぜひ寄ってくれと前から言われていた。
ということで、双方の都合の結果、10月6日、本日、この部分のウォーキングとなった。

朝、9時45分、米原駅まで車で迎えに来ていただき、番場のご自宅にてしばし歓談。
定年退職をなされたその方と、現在も私の所属する職場の人事に関する、ぶっちゃけ話に花が咲いた。
1時間の滞在の後、10時45分、その方と奥さんに見送られて番場を出発した。

さわやかな秋。
彼岸花が咲きそろい、キンモクセイの香りが里にたちこめる。
米原インターチェンジの下をくぐり、1時間で醒ヶ井に到着。
ここで、昼飯とする。
醒ヶ井駅の前には「水の駅」という産直市場&食事のスペースがある。
こちらで鱒フライの定食を食べた。
天気がいいのでテラスで外を眺めながらの食事。
食後は、醒ヶ井宿の清水を眺めながら、中山道を歩く。
観光的にも整備され、車のお客がちらほら。
そんな道も町外れにいたり、間違えて早めに国道に出てしまった。
で、国道21号を歩き、再び柏原に至る旧道が始まり、そちらを歩く。
この道は、ずっと登りだ。
途中、連続するくしゃみにおそわれる。
14時。
柏原に到着。
終了とする。

番場~柏原
本日の行程18700歩。3時間15分。10キロ。


その先の中山道を歩く。1回め。

2010年10月01日 | びわ湖一周

私の趣味は近江の旧道ウォーキング。
昨年一年かけて、湖東を旧東海道~中山道~北国街道と歩き、塩津街道から湖西に行き、北国海道(西近江路)を南下する、旧道利用でのびわ湖1周を達成した。
このことは前にも書いた。
今年になってからは、昨年歩いているあいだに「ここも歩きたい」「この道も行ってみたい」と感じていた道を歩くことにした。
その候補は、
・朝鮮人街道を制覇する。
・旧東海道を草津から先を歩く。
・旧中山道を番場から先を歩く。
・塩津海道を塩津から敦賀まで歩く。
・小浜海道を今津から小浜まで歩く。
である。
6月から9月まで、3回に分けて「朝鮮人街道制覇」を達成した。
そして10月になり、2つめのテーマ「中山道、その先へ」に出る。

びわ湖一周で歩いた中山道は、草津宿の東海道との分岐から始まり、鳥居本を越えて番場まで行った。
びわ湖を回る目的なら、鳥居本から北国街道に向かうのが近道だ。
番場にまで足を延ばしたのには理由がある。
職場にこちらにお住まいの方がおられ、ぜひ寄っていくようにいわれたからだった。
2010年のテーマ「中山道、その先へ」は番場から始まることになる。
とりあえず、関ヶ原までは行きたい。
番場から関ヶ原までは20キロ弱の道のりだが、2回に分けて歩く。
しかも変則的に先に関ヶ原に近い部分を歩く。
というのは、その方のお家に寄る都合で日程的にそうなったのである。

秋晴れの10月1日。
前半戦を決行する。
この部分の歩きは、さらに変則的に関ヶ原から戻る向きで歩く。

東海道線に乗って関ヶ原まで行く。
米原~大垣間はJR東海である。
このJR東海の東海道は2度めだ。
実はこの夏、大垣に遊びに行ったのだ。

10時20分、関ヶ原駅に到着。
田舎の駅である。

中山道は国道21号。
歩道を歩く。
ここは関ヶ原の戦いが行われたところだ。
あちこちに「誰々の陣跡」とか「誰々の墓所」などの旧跡が多い。
程なく道は国道から旧道に分かれ、人気のない道を歩いていく。
関ヶ原の名前の由来である「不破関」を通ったら、道は今須峠へ向かう。
東海道線に挟まれた峠道を上る。
いいお天気だ。
人はまったくいない。
今須宿に入る。
道の両側には民家。
ポツポツ人影を見る。
やがて「寝物語の里」といわれる、岐阜県と滋賀県の分かれめに来た。
美濃と近江の境である。
一本の細い水流で分かれており、となり同士の宿屋で、他国の人間が、寝物語でお話できるといういわれである。
道は、東海道の線路沿いを進み、柏原宿に入った。
町に人がいない。
だが風情がいい。
最高によい。
12時過ぎ、柏原の駅に到着。
本日のゴールはここである。

帰りの電車の時間を確かめて、近隣にある
「柏原宿歴史館」という施設に併設へ移設の喫茶柏で「やいとうどん」を食べる。
とろろこぶの上に紅ショウガが乗る。
これで「やいと(お灸)」を表しているのだ。

関ヶ原~柏原
本日の行程13600歩。2時間。7.3キロ。


朝鮮人街道を歩く「第3回」能登川~彦根。

2010年09月24日 | びわ湖一周

朝鮮人街道を歩く「第3回」能登川~彦根。

「朝鮮人街道」を歩く旅も第3回めだ。

前回の歩きから、また間があいた。
暑かったのだ。
猛暑日が連続する異常な夏だった。
9月に入ってもそれは続いた。
9月の後半、祝日が続く。
23日、お彼岸、ようやく涼しくなった。
台風が前線を押し下げて冷たい空気がやってきた。
ただ、この日は大雨だった。

次の日。
9月24日、代休を取得。
予定どおり雨が上がり暑さは消え去った。
曇天の中、歩く。
本日の予定では、能登川から彦根まで行く。
今回も私のガイドは、「朝鮮人街道」をゆくである。

JRで能登川まで。
駅を出発したのは10時40分。
歩きはじめる。
能登川の駅前は寂れている。
線路を東側から西側に渡り県道2号に合流。
ここからずっと歩道歩きである。
この道は交通量が多い。
コンテナ車が特に多い。

10時56分、東近江市の「今」という珍しい地名の交差点を、今、通過。
おもろいのはそれぐらい・・・。
後は淡々と歩道を歩く。
道沿いの田圃は、おおかた収穫も終わり、残った稲穂にコンバイン・・・。
一時間が過ぎ、11時50分頃、道は山崎山にぶつかる。
ここで県道は右に行くが、旧道は左に曲り荒神山の前、山崎山をぐるりと回る。
ようやく県道(自動車道)を離れた。
風情がいい。
田舎の道を歩き、川を渡り、彦根の日夏というエリアに入る。

12時45分、本日の予定食事場所「にっこう」に到着。
人気店だ。
おいしいラーメンを食べた。
30分ぐらいの食事休憩だった。

道は「西今」という場所を通る。
伯父の家の前を通過。
「朝鮮人街道」も、このあたりまでは、すでに彦根側から会社帰りに歩いているので、「朝鮮人街道」制覇は完了しているといえる。
南彦根駅から帰る案もあるが、もう少しがんばって本日は彦根まで行く。
14時、菅直人に似た異常に機嫌のいい人物の看板を見つけ写真を撮る。
彦根が近づいてきた。
14時半、職場の前を通過。
14時50分、彦根駅に到着。
本日の歩きを終わりとする。
厳密にいうと「朝鮮人街道」の終了の地は鳥居本だ。
彦根~鳥居本間は、昨年の「ビワイチ」で歩き済みなので、本日をもって「朝鮮人街道制覇」は完了とする。
次はどこを歩こうか。

本日の行程26000歩。4時間15分。16キロ。


朝鮮人街道を歩く「第2回」近江八幡~能登川。

2010年08月01日 | びわ湖一周

朝鮮人街道を歩く「第2回」

近江八幡~能登川まで。

前回のウォーキングから2月が過ぎた。
7月中は一度も歩かなかった。
体調を崩していたのである。
7月の最初から微熱で調子が悪かった。
ある朝、体に水泡が出た。
「水痘(みずぼうそう)」だった。
大人がこの感染症にかかると、子どもと比べて重症化しやすいという。
事実、高熱と激しい痛みで自宅療養をあきらめ1週間入院した。
病院で点滴の毎日を過ごした。
症状が収まり、ウイルスも消滅。
退院した。

元気を取り戻した8月最初の日曜日、朝鮮人街道ウォーキングの2回めに出かけた。

JRで近江八幡まで来る。
近江八幡は、本日「伊崎の竿飛び」と呼ばれる奇祭がおこなわれる。
びわ湖に突きだした竿の先から、修行のため坊主が湖に飛び込む。
そのため八幡の駅前は人が多かった。
私はバスに乗り小幡の資料館前で降りた。
前回の終了場所に到着。
歩き始めたのは10時45分ころだった。

本日も私のガイドは、「朝鮮人街道」をゆくである。

八幡の町中、碁盤の目の細い道。
ここでの朝鮮人街道の呼び名は京街道だ。
べんがら格子の街並み。
ガイド本を読み読み歩く。
晴天。
カンカン照り。
紫外線が肌を焼く。
日焼け止めクリームを塗り重ね、手がべたべたする。
町はずれになると、道はまるで「W」の字の形で、左右順番に曲がる。
田圃の中だというのに。

田園地帯、稲はすでに出穂している。
前回歩きに来たときは、田植えの済んだ時期だった。
季節が巡る。
今年は暑いから稲が豊作になるだろう。
ギザギザの道が終わり、道は一直線になる。
完全に郊外に出たのだ。
JRの線路から見える距離で並行して進む。
この道はいつも通勤の時に眺めている。
しばらく進むと、道が次第に町化していく。
12時、安土に到着。
休むことにする。
駅前の店「竜王そば」で、ざるそばといなりの昼飯を食す。
ビールも一杯。
満腹になり、休憩し元気が出たので先をめざす。
13時出発。
安土の街中では、朝鮮人街道は「下街道」という名を得る。
やはり「W」の形の直角曲がりの連続だ。
朝鮮人街道は町中ではギザギザで、郊外では一直線になる。
その繰り返しだ。

安土の町中を抜けると、道は県道2号に合流する。
歩道がない車道脇を歩く。
車がすぐそばを走り危険だ。
この道のサイドには、安土城跡がある。
織田信長の居城があったところだ。
道は繖山を登りJR東海道のトンネルを横切って越える。
朝鮮人街道はJRの線路を西側から東側に回り、また並行して進む。
いつも通勤でJRから見えている寂しいあたりだ。
端正な石垣積の神社は、崖を御輿を引き吊り落とす奇祭「伊庭坂下し祭り」で有名な繖峰三神社だ。
道は能登川駅に向けて進む。
14時、駅に到着し本日の終了とした。

本日の行程20000歩。3時間15分。10.5キロ。


朝鮮人街道を歩く「第1回」野洲~近江八幡。

2010年06月06日 | びわ湖一周

朝鮮人街道を歩く「第1回」

野洲~近江八幡まで。

私の趣味は近江の旧道ウォーキング。
昨年一年かけて、大津から出発して湖東を旧東海道~中山道~北国街道と歩き、塩津街道から湖西に行き、北国海道を南下し大津札の辻に戻る、旧道利用でのびわ湖1周ウォーキングを達成した。
そのことは、このブログにも書いた。
これは私にとって2009年の一大イベントだった。
12月末にびわ湖を回りきって1年が終わり「卒業気分」を味わった。
今年になってからは歩いていなかった。
冬から春へと変わり半年が過ぎようとしていた5月、ウォーキングの楽しさを忘れられない私は、また歩きに行きたい気持ちが高まっていた。
そしてついに半年のインターバルの後、また歩くことを決意したのだった。

歩きを再開するにあたり、どこを歩くか考えた。
計画の中には「びわ湖をもう1周」という案もあった。
昨年1月からはじめて1年かけて回ったが、半年ずらして歩き始めると、冬に湖北を歩くことになる・・・冬の近江は雪深い、きっと異なる景色が見られるだろう。
しかし真冬の湖北は余りにも深く雪が積もる。
歩けるだろうか。
不安もあった。
また同じ道をもう一度歩くというのも、もうひとつ面白くないと思った。

結局びわ湖の2周めに向かうのではなく、昨年歩いているあいだ「ここも歩きたい」「この道も行ってみたい」と感じていた道を歩くことにした。
それは、
・朝鮮人街道を野洲から鳥居本まで制覇する。
・草津から旧東海道を気の済むまで歩く。
・旧中山道を番場から気の済むまで歩く。
・塩津海道を塩津から敦賀まで歩く。
・小浜海道を今津から小浜まで歩く。
である。
昨年のびわ湖一周をメイン事業と考えるなら、これらは「びわ湖一周ウォーキング関連事業」と名付けることにしよう。
2010年6月から終了は決めず「関連事業」をこなしていきたいと思う。

さてこの関連事業の最初のテーマは「朝鮮人街道」である。

「朝鮮人街道」という名前、道の名としては異色だ。
江戸時代についたものである。
豊臣秀吉の朝鮮侵攻の時代を終え、江戸幕府は再び対等な関係として朝鮮とお付き合いしたいと考えた。
そこで友好の証として通信使(通信とは信を通じ合うという意味)を朝鮮より迎えた。
国使「朝鮮通信使」が通った「朝鮮人街道」である。
朝鮮通信使は東海道ではなく中山道を通ったが、なぜか近江の野洲から鳥居本までは別の道を使った。
ここの部分を「朝鮮人街道」と呼ぶのである。

朝鮮人街道の歴史についての参考資料としてまた歩くためのガイドとして、滋賀県彦根東高校の門脇正人という先生が書いた、「朝鮮人街道」をゆくを参考書、指南書として使う。
東高校の新聞部の生徒が道を探して歩くドキュメントであり、挿し絵の絵地図がウォーカーのガイドとしても使えるのだ。

6月最初の日曜日、早めに家を出た私がJRの野洲駅を降りたのは朝の9時すぎだった。
駅の東側、すぐ近くを旧中山道が通っている。
この道を昨年歩いた。
駅から少し戻る感じで、中山道と朝鮮人街道の分岐点、行畑へ向かう。
Y字型の分岐は小学校を挟むようになっている。

9時30分スタート。
道は「祇王井川」に沿っての道となる。
祇王とは妓王のことだ。
平家物語に登場する白拍子で平清盛に寵愛された。
彼女の出身地はこのあたりなのだ。
この祇王井川、町中を通るのでゴミが浮いているし泡も浮いている。
きれいでない。
川壁は石やコンクリで固められ風情もない。

指南書の図ではこの先朝鮮人街道はJRで横切られる。
現実の道は線路をまたぐ大きなオーバーパスで人や車が行き来している。
書かれた地図では踏切か地下道のようなもので線路を横切るような絵になっている。
歩いていってみるが、そのようなものはない。

本文を読むと道路のオーバーパスで渡ることが書いてある。
図は「本来は道はこうなっている」の意味だったのだ。
道案内として万全ではない。
買いてあるとおり線路をわたり、少し戻ってJR沿いの道を歩く。
線路の下を流れてきたであろう祇王井川が道に寄り添ってくる。
正しい道を歩いているようだ。
やがて道は旧道らしい風情を感じさせはじめる。
朱塗りの柱を持つ民家が並ぶ。
こういう景色の道歩きはいい。
冨波、永原などの地名の集落だ。

旧家の町並みが終わり、左右に田畑に広がるエリアに入った。
左右ともに広々としている。
「ヒューン」という甲高い音に右手を見ると、遠く新幹線が走っている。
その手前には東海道。
前に広がるのは、田植えの終わった緑の水田だ。

自分の歩く道は桜並木が続く、時代劇に出したいような集落と集落のあいだの道だ。
左手には黄金色の麦穂が奥まで広がる。
麦が実る初夏のことを「麦秋」という。
秋という字が入るが、春の終わりで梅雨の前のことだ。
今まさに麦秋である。
いい眺めだ。
右手に水田、左に麦秋。
一番いい季節に歩きに来たものだ。
空気が澄んでいないので霞んでいるが、左手のずっと奥の山並みは、方角からすると湖西の山々である。
湖の反対側の山が見えているのだ。
考えてみれば、これだけの広い眺望を得る場所は日本の内地では珍しいのではないだろうか。
関東平野や大阪平野、名古屋平野も広いは広い・・・しかし丘やビルで意外と眺望は利かない。
巨大なびわ湖と田畑が連なり視界をさえぎるものが無いこのあたり、海抜84メートルの平らなスペースは国内唯一であろう。
「絶景かな」。

美しい風景の中を歩いているのに反し、私の体は変調をきたしてきた。
目がかゆくなってきたのだ。
花粉症の季節はとうに終わっているが、何かのアレルギーだろう。
この季節こういうことはあるので、そのアレルゲンがこのあたりに飛散しているのだ。
こするとかゆい。
・・・道の風情のよさと体調の不具合のアンバランスが悲しい。

目をこすりながら歩を進め、道は大きな河川、日野川を渡る。
かかる橋は仁保橋という。
道路に「この道は朝鮮人街道です」の表示がある。
橋の上、川の風でくしゃみを連続。
鼻を押さえながら川を渡りきった。
県道と平行する旧道に入る。
この道もまたいい風情だ。
両側に旧家が並ぶ。
するとアレルギーも止まる。
この町並みには朝鮮人街道であることを示す石の道標がいくつも建っている。
歴史ある道であることを地域の誇りにしているのだ。

体調も復帰し風情を楽しみつつ時は過ぎ、そろそろお昼、空腹を感じる。
時間は11:30。
地名は江頭。
昼食をとる。
事前に調べておいたラーメン店「いっこく」でこってりラーメンを食す。
休憩&食事のあと、だいぶ疲れたと感じる。
本日の道程を終了するという考えもありうる。
地図で確認すると、ここで終了すると最も近いのはJR篠原駅だが、かなり歩くし方角的には戻る感じだ。
次の近江八幡まで行っても同じくらいだ。
ゆっり歩きながら先に向かうことにした。
ペースを落として先に進む。
麦穂の海の向こうに山が見え、近江八幡の町が近づいてきた。
小船木から近江八幡の街中となる。
町の入り口にまた朝鮮人街道の表示。
近江八幡に入ると「京街道」の別名も持つようになるようだ。
八幡の街中を歩き小幡の資料館前で本日のリタイヤとすることにした。

実は3か月前も近江八幡の町を歩いた。
3月13日(土)、春の奇祭、左義長を見るため、近江八幡を訪ねた。
左義長とは、織田信長が始めた正月の火祭りがルーツだ。
巨大な松明(たいまつ)に担ぎ棒をつけて御神輿のように担いでねり歩くのだが、松明に「だし」(飾りもの)をつけている。
だしはその年の干支をテーマに毎年作るのだという。
だしがつくとはいえ基本的に松明だから、最後は火をつけて燃やしてしまう。

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寅年の左義長。

JR近江八幡駅からバスで町の中心地へ向かった。
初めてきた八幡の中心地は昔の風情の町並みだった。
松明の行進が始まっていた。
神社からでてきて行進に向かうところだった。
担ぎ手の兄ちゃんたちは、酔っぱらってフラフラだ。
奇声をあげながら、ゆらゆら揺れて進んでいく。
その日、土曜日は行進だけだが、日曜はぶつかり合って喧嘩したり、夜には火をつけるのでもっと派手なことになるのだろう。
見物しながら町をさまよう。
初めて訪れた近江八幡の町は、道が縦と横に交わる計画的に作られた中世の都市だった。
そのときも利用したのが小幡のバス停だった。

朝鮮人街道1日めの私は、再び小幡のバス停からJRの近江八幡駅へ向かった。
朝鮮人街道制覇は3回ぐらいでできそうだ。
次回は未定。

本日の行程16000歩。3時間20分。11.6キロ。


「スケート大好き」の、2010年3月13日のレポート。

 

そのあとは、お祭り見物。滋賀の近江八幡で左義長を見る。3-13-2 - 「スケート大好き!」

本日の散策は大阪ではなく滋賀だ。JRに乗り地元をすっ飛ばして近江八幡で降りる。本日訪れたのは、春の奇祭、左義長を見るためだ。近江八幡駅からバスで中心地へ向かう。...

「スケート大好き!」

 


坂本から大津まで歩いた。びわ湖一周完結。\(^o^)/

2009年12月29日 | びわ湖一周

びわ湖を歩いて一周するという2009年の私のプロジェクト。
本日フィナーレをむかえる。
一周して元の場所に帰ってくるのだ。
お遍路でいえば「結願」である。

今月半ばから寒気が到来し冷え込みが厳しい。
暮れの休みに入り、天気予報を注意深く見ていたが、歩くのに適切な日は29日だけのようだった。

12月29日、朝。
用意を済ませて9時過ぎに出発。
本日は京阪電車で出発地、坂本へ向かう。
このびわ湖一周の旅で目的地に行くのにJRを使わないのは、出発した日に石場まで行ったのと、本日となる。

10時前に終着駅「坂本」に到着。
歩きを開始。
うす曇り。衣装はダウンジャケットを着てきた。
フードのふちにファーがついているタイプで、最近とても流行している。
自分も、はやりものを着ようと思い購入したのだ。
フードの上に帽子をかぶると、いささか過剰感があったので、何もかぶらない。
これまでのびわ湖ウォーキングでは、いろんな帽子をかぶってきたけれど。

坂本駅を出て山手の日吉宮に背を向けて、参道を湖岸へ向けて下がっていく。
北国海道と合流する地点に若宮神社が建つ。
ここから旧道を南に向かって歩く。
寒いと喉が渇かない。
いい調子で歩いている。
旧道は、国道160号とクロスした後、有名な両社の辻に到着した。
北国海道に向かって酒井神社と両社神社、同じ形をした二つの神社が並ぶ。
「双子の神社」と呼ばれている。
このあたりは下坂本と呼ばれ旧道沿いに神社とお寺がいっぱい。
街道の風情だ。
坂本城跡の看板もあった。
明智光秀の居城だ。

お天気がよくなってきた。
旧道はなくなって国道に合流する。
少し歩いたら、唐崎公園に到着した。
1時間ばかり歩いたのでここで休憩とする。
自販機の缶コーヒーで喉を潤す。
このあたりは近江八景「唐崎の夜雨」で知られる風景のいいところだ。

ここから先はずっと国道歩きだ。
ますますいい天気になってきた。
さっきからずっと太陽を真正面に見る形で歩き続けている。
まぶしい、帽子が必要だった。
顔が熱い(厚くはない)。

単調な歩道歩きが続いている。
やがて目の前に陸上自衛隊の基地が現れ、国道は大きく迂回している。
実は旧北国海道は陸上自衛隊基地の中を貫いている。
地図を見るとかすかに自衛隊の施設の中に旧道の痕跡がある。

柳が崎をへて西大津に至った。
ようやく国道を離れ、また人家の並ぶ旧道になった。
時間はお昼時。
何か食べようかとジャスコに入った。
だがあまり空腹ではない。
マクドナルドで100円マックのシャカシャカチキンを買う。
店を出て元の道に戻り、歩きながらスナックをつまむ。

このあたりの旧北国海道は既に歩いたことがある。
大津の人間だから。
その意味では、びわ湖の一周はもう完結している。
だが、せっかくなので出発地の義仲寺まで行く。

尾花川から観音寺へ。
道沿いには大掃除の人々。
師走なのだ。
天気がいいし掃除にぴったり。
三井寺の前で、北国街道はZ型に鋭角に折れ曲がる。
不思議な道どりだが、大津城のお堀を回る道と知れば今は合点がいく。
アーケードは外堀だったで、その一本上の道が旧道だ。
叶匠の本店前を通りいよいよ札の辻に到着。
ヤッター、北国海道を歩ききったゾー。
札の辻は今でこそ十字路だが、本来は湖岸側に大津城がありT字路だった。
東海道と北国海道が直線でつながり、京都へ向かう東海道は直角に曲がる。
その辻に高札が出されたので札の辻と言う。

辻を突き抜けて旧東海道に入る。
こちらは電柱に「旧東海道」の表示がしっかりある。
街道に面した民家や商店も、直すときには昔風にしているという。
町並み保全が政策になっているのだ。
北国海道はわかり難かった。
旧道であることを示す表示はほとんどなかった。
町並みは昔の風情を残す地域もけっこうあった。
もっとアピールしたらいいのに。

県庁の前で大きな荷物を背負ったウォーカーと行きかう。
「知っているよ、おぬしも歩いているんだね」
と心の中でつぶやいた。
本日の私は普通の格好なので、向こうは私もウォーカーであることをわかるまい。

12時40分、義仲寺に到着。
ついに歩いてびわ湖一周の完全制覇を達成したぞ!

万歳!!       \(^o^)/       

うれしい気分にひたりながら、義仲寺にお参りする。
義仲寺とは源氏物語の登場人物の一人、木曽の義仲(源の義仲)の墓所である。
正確にここというわけではなく、おおむねこのあたりだろうということだ。
その義仲寺を江戸の俳人松尾芭蕉が気に入った。
芭蕉の旅行記、奥の細道は世界的に有名である。
いわば江戸のトラベル・ライターである。
私もこの旅のメモを残したから、先輩・松尾芭蕉翁に挨拶に行かねばならない。
寺内に入る。
義仲公、芭蕉翁と順に墓参。
お堂にあった自由帳にメッセージを残す。
「今年の1月2日にこの寺の前を出発し、旧東海道・中山道・北国街道・北国海道(西近江路)と徒歩で、びわ湖をまわってきました。本日12月29日で完結です。びわ湖がきれいでした。感激です。旅の無事をお礼申し上げます。旅人」

本日の行程18600歩。2時間50分。11キロ。

*************

びわ湖一周ウォーカーの皆さんが良くやるように、トータルを集計。
18日
58時間
37万8千100歩
206.5キロ
湖岸を小さく歩くのに比べると、やはり少し長いようだ。


堅田から坂本まで

2009年12月01日 | びわ湖一周

月が改まり12月の声を聞くという日、暖かい一日になりそうなので休み(代休)を取って歩くことにした。

朝。
オフの朝はゆっくりめに起きて、日が出たら、庭でシオデの植えつけをする。
タキイ種苗の通信販売で注文しておいた苗が宅配便で来ていたのだ。
シオデとはアスパラガスに似た日本固有の山草で、栽培が大変難しい。
適切な用土がわからないので4種類用意して分けて植える。

10時、家を出る。
本日のスタイルは、三度笠をやめてLLビーンのコットンハットをかぶる。
すでに秋も終わり冬の気配。
ストローハットの一種である三度笠は季節はずれの感がある。代わりの帽子をかぶる。
LLビーンのコットンハットは10年以上前に買った。
映画のインディー・ジョーンズがかぶっている、あれである。

堅田駅に10時40分に到着。
歩き始める前に駅前のアルプラザへ。
朝、庭仕事をしたから少し小腹がすいた。
虫押さえに堅田のベーカリー「コンセルボ」でチキン総菜パンを購入。
パクつきながら歩き始める。
虫押さえというのは、人間のお腹の中には虫が住んでいて、空腹になるとそれが暴れるという考えから来た言葉だ。

駅前の旧道は、細めの生活道路だ。
車も走るし駅に急ぐ人々も行き交う。
カーブを抜けて太い自動車道路に合流した地点で、旧北国海道を離れ湖岸へと向かう道を行く。
私のびわ湖一周もゴールが近い。
目的地が見えてきたので、本日からのウォーキングは寄り道付きで、のんびり行くことにする。

旧北国海道を離れ湖岸へと向かう道で、めざすのは「浮御堂」である。
近江八景のひとつ、堅田の落雁で有名なお堂だ。
びわ湖上に、一千体の阿弥陀仏を納めたお堂がたたずむ風光明媚として知られる。
関東にいたときテレビで見たが、実際に来たのは実は初めてだ。
入場料を払って中に入る。
平日の朝、お客はほかに1人だけ。
堂から眺めるびわ湖は波静か。水鳥が湖面をたたいて遊ぶ。
たっぷりと、ゆっくりした後、元の道に戻り、本日は坂本まで歩いた。
ゴールでも、ちょいと散歩を追加する。
坂本は日吉大社が有名。
以前に行ったので今日は日吉東照宮に参拝。
徳川家康公のパワーを頂戴して家に帰る。

たぶん次回はゴールに着く。

本日の行程18000歩。3時間。8キロ。

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シオデは何年か育てたが、やはり大きな成長はなく、いつの間にか消えた。


志賀から堅田まで。

2009年11月08日 | びわ湖一周

11月に入り、すぐ木枯らし一番が吹いた。
寒くなり秋の終わりを知らされた。
ところが昨日からまた暖かくなったのである。
暑いくらいだ。
10月の終わりになっても秋らしくなく変だったのだが、さすがに11月の声を聞いたら寒くなった、と思っていたのに「そうは行きませんよ」と、また暖かくなるなんて、天の野郎もバカにしやがる。

まあ、それはさておき、今日はウォーキングに行ったのだ。
暖かくなるのを待って歩きに行ったわけではない。
日曜日で、あいていたからだ。
なお、11月8日は私の誕生日(51歳)である。
でも、誕生日だから歩いたというわけでもない。
誕生日だから特別なことをしようというような性格ではない。
日曜日、雨ではないのでマイテーマのびわ湖一周の続きに出かけた、というところである。
とは言うものの、本年の誕生日に「びわ一」をしたのは今年の思い出として残る事実である。
この先も特定の日を思い出すためのメルクマークとなるだろう。
それはそうとして、誕生日に歩いたことに関して、こんなにも長く前置きを書いているのは、やはり私は誕生日を気にしているのである。

もういい。

11時、前回終了の志賀駅に到着した。
各駅停車の電車から降りる人も少ない。
三度笠をかぶって歩きの開始だ。
このあたりの北国海道も車の道と旧道がある。
自動車道をはずれ旧道に入ると蔵を持つ農家が並ぶ。
そんな道を歩いて行く。
コピーしておいた資料の地図を見ながら、国道と旧道の入れ替わる道を探しながら歩いていった。
この近辺、並んで走るJRの駅名は、難しい漢字が多い。
志賀駅の次が、蓬莱(ほうらい)駅、ついで和邇(わに)駅、とくる。
次の小野駅は難しくはないが、この地は「小野一族」の出身地である。
小野の姓を持つ、妹子、篁、道風などの歴史的人物だ。

小野妹子(おののいもこ)はご存知初代遣隋使。
「いもこ」だけど男である。
小野篁(たかむら)は平安政府に勤めながら、夜は冥界に出かけていき閻魔大王の元でも働いていたと言う、元祖ダブルワークのワーカホリックな役人である。
小野道風(とうふう)は、カエルがはねるのを見ていたら、書道の大家になったという、人を食った逸話の人物だ。
彼の子孫は小野豆腐店を営んでいる。
それから女性では、小野小町(おののこまち)という人物もいる。
彼女はどんなに美人に生まれても、年をとったら「ばばあ」になるということを嘆いたことで、人々の失笑をかった。
しかし至言だということで、現代においても美人の代名詞として残っている。
オノヨーコは昔から怖い顔をしている。
小野の里には、小野神社、小野篁神社、小野道風神社と、小野一族を氏神にした社が並ぶ。
休憩をかねて足を運んでみた。
どれも木造の古びた神社で客も管理の者もいない。
滋賀県にはこういう平安時代級の古刹が山ほどある。
いっぱいあるので地元の人間は、どうとも思わない。

ひなびたエリアから次第に堅田が近づいてきた。
急に都会化してきた。
三度笠をかぶって歩いているのが少し恥ずかしい。

本日の行程19000歩。3時間。11キロ。


近江舞子から志賀まで。

2009年10月27日 | びわ湖一周

びわ湖一周の旅、先月9月は、5日に高島から舞子まで歩き、21日にグループウォーキングに参加した。
10月に入ってから、忙しくて歩いていない。

今月は一度も歩かないまま過ぎるかと思っていた。
そんな中、本日ふとオフになり出かけることにした。
休日出勤の代休が今日がベストだったのである。
朝から洗濯、園芸を済ませて出発。
目的地に行く途上、期限が迫っている書物を図書館で返却。

JR近江舞子駅についたのは正午前だった。
歩きだしの時間としては最遅だ。

本日の行程、途中に食事をできるスポットがない。
歩き始めてすぐのコンビニで、おにぎりを購入。
準備が整った。

北国海道を歩くのだが、いつものように、国道と旧道が繰り返される。
昨日は雨だった。
今日は雨はあがったが風がきつい。
湖西なので山が近くに迫るが、雲が低く、山が塗れて見える。
自分のいる地点は晴れていた。
やがて風に吹かれた雲が山から頭上に来て、パラパラと雨を降らせる。
傘をさすほどでもない。
三度笠をかぶっているので、そのまま歩く。
道は「びわこ成蹊スポーツ大学」の横から、湖へと下がっていく。
旧道は湖岸沿いのコースとなる。
雨が上がる。
湖は波静か。
目を上げると、空は雲の切れ目から、日差しが光線となって放射状に注いでいる。
振り返ると、地表低く虹がかかっていた。

本日の行程15500歩。2時間。6.5キロ。


グループウォーキング。

2009年09月21日 | びわ湖一周

今年の9月は19日の土曜から23日の秋分の日までシルバーウィークと称される5連休となった。
その真ん中の9月21日敬老の日。
本日は趣向を変えてグループ・ウォーキングに参加する。

ウォーキング企画のタイトルは「琵琶湖一周健康ウオーキング」という。
主催は滋賀県ウオーキング協会で、主管(お役人の言い方だ)が「琵琶湖一周健康ウオーキング実行委員会」(部署名だな)である。
東海道本線開業120年記念事業として県がウオーキング協会と連携してやっている事業だ。

今年(平成21年)の7月12日に米原から長浜まで歩いたのを第1回めとして、最終は平成22年の12月19日に米原に戻ってくるので完結となる、1年半のイベントだ。
私は興味は持っていたのだが、既に正月からゴーイング・マイウェイで、旧道ウォーカーとしてびわ湖一周を始めていたし、1回め(7/12)にスケジュールが合わず参加していない。
このイベント、全参加希望者の費用は3000円だが、スポット参加でも一回500円で歩くことができる。
ということで第2回め、自分もこの日は他の予定がなく参加のできそうなので、申し込んでおいたのだ。

朝5時に起床。
7時に家を出る。
山科から各駅停車で米原へ。
祝日の車内は空いている。
ゆっくり新聞を読む。
米原駅で乗換えだ。
ここから湖北への電車は2両編成。
それが車内は大混雑。
お客がドア付近まで立っている。
みんなリュックをしょっている。
同じ企画に参加する人々だろうか?

案の定、一斉に長浜で下車する。
単独行動で平日にウォーキングしていたときは、こんなことはなかった。
企画参加の時はこういうラッシュが発生するのだと知る。

駅構内には臨時の精算所が用意されイベント対応の準備がばっちりだ。
改札を出るとオレンジのシャツを着た係員らしき人が旗を持って
「健康ウオーキングのバス乗り場は、こっちですよー」
と案内している。
駅前のバスに乗る列に並ぶ。
こういう点は、安心して任せられるので楽だ。

満席に客を乗せた直行バスは湖岸を15分ほども走り、受付会場「奥びわスポーツの森」に到着した。
テーブルが並べられ、オレンジのユニフォーム姿の人々がいっぱいいる。
滋賀県ウォーキング協会の方々だ。
事前予約の番号のテーブルに行き、受付を済ます。
参加費500円を支払い、この企画のパスポート用紙をもらう。
お昼の用意のために、受付に来ている米原のお弁当屋「井筒屋」に行き、弁当代を支払い引換券を受け取る。

準備は済んだ。
出発まで30分程度ある。
背中のリュックから取り出した三度笠を頭にかぶる。
多少の恥ずかしさは既に卒業した。

直行バスのピストン輸送が繰り返され、会場に人があふれる。
9時45分、出発式が始まる。
来賓の長浜市長のメッセージの後、司会者から、今回683人の参加があったと説明があった。
セレモニーの後、全員で準備体操のストレッチ。
出発に向けてみんなで「完歩をめざす雄叫びの声」を飛ばす。

10時出発。
運営側の設定で3班に分かれて歩く。
第1班は時速6キロ以上の早歩き、2班は5キロの普通速、3班は4キロ以下のゆっくり歩きだ。自分は歩き慣れているので1班に入った。だがとても早い。

歩く道は湖周道路の脇の歩道。
前の人について歩いているのだが「俺はもっと早く歩くんだ」という人が後ろから来て、どんどん追い越していく。
狭い歩道を無理に抜くものだから、追い越されるときに、さっと前に入られてぶつかりそうで危ない。
私は一人で歩いているけど、二人並んでいる人もいる。
そういうのを抜くのは追い越しにくいので、急ぐ人は車道にはみ出してゴボウ抜きをする。
車が驚いてクラクションを鳴らす。
「なんか、すごいなあー」
そんな初期のいざこざが収まった頃、だいたい同じくらいのスピードの人が前後に位置し、私も列の中で安定して歩いていた。
しかしこれも、普段の自分の歩きからすると、だいぶペースが速いと思う。
だがこのグループに入った以上はこのスピードで歩かねばならず、変に遅くすると、抜いてもらうのに迷惑をかけるので、ちょっと無理して歩いていた。

1時間もしないうちに、最初の休憩地点「道の駅みずどりステーション」に到着した。
建物の2階からびわ湖に浮かぶ水鳥が見られ、産直の野菜や軽食堂もある。
私は売店で、できたて熱々のコロッケを買ってほおばった。
すでに同じ1班の先に着いた大集団が休憩していたが、旗を持つ先頭者がもうじき出発だと言っている。
と思ったら、もう移動が始まっていた。
おおかたの集団が出終わったところで、私も列の後ろについて出た。

ここからの道は、自動車道わきの歩道から、田舎びた集落の中の道になった。
古めかしい看板を見つけデジカメ写真を撮りながら歩いていた。
後ろから来た男性に話しかけられた。
頭の笠のことを聞かれた。
通販で買ったこと、旧道を巡るルートでびわ湖一周に挑戦中であることを伝えた。
彼は彦根に住んでおり大津の出身だという。
自動車販売の会社に勤務していたが既に定年になった。
だがリタイア後も続けて働いているのだそうだ。
リタイアしたとはいえ、働いているとストレスがたまり、歩くことが最高の発散なのだという。
中年の頃、健康診断で糖尿の兆しが発覚し、医師よりの指導でウォーキングに目覚めたのだという。
大津のこと、ウォーキングのことで話が盛り上がった。
左手には湖岸の風景、崖の萩の花。
歩くとともに景色は代わり話題も進む。

我々の歩く道は、やがて広大な田圃の中の道に変化した。
彼は、お昼の休憩場所である「西野ほりぬき公園」が近いことを教えてくれた。
このあたりは、川が氾濫すると辺り一面水浸しになる地帯だったという。
それであるお坊さんが、水を引かせる水路を山を貫いて一人で掘ったのだという。
その結果、川が氾濫してもその水路を使って水をびわ湖に直接流スことが可能になり、人々に喜ばれたのだそうだ。
西野水道という。
私は話を聞き、目の前の山並みを眺めて思った。
確かに目の前の賤ヶ岳から山本山まで連なる山並みは、もしかしたら藤ケ崎、葛篭尾崎、海津大崎に並ぶ、4番目の湖北の半島になったかもしれない風情だ。
だから、我々が歩いているこのあたりも、もう少し低かったら湖の一部になっていたのかもしれない。

12時、西野ほりぬき公園に到着しお昼ご飯となる。
彼は、自分はおにぎりを持ってきていると言った。
私はチケットをお弁当に引き換えなければならずそこで別れた。
弁当をもらって戻ってきたが、群集の中にまぎれて彼の姿はもうわからなかった。

適当にベンチに座って弁当を食べながら公園の入り口でもらったパンフレットを見ていた。
高月町の由来が書いてあった。
私には以前から疑問に思うことがあった。
JR西日本の東海道線上には2つ「タカツキ駅」がある。
ひとつは湖北の高月だが、もうひとつは大阪の高槻市の高槻駅だ。
こちらは新快速が止まるのでなじみがある。
字は違うが同じ音の地名だ。
多分、高い何かの土地という意味で語源は同じなんだろう、と思っていた。
パンフを見ると案の定、こっちの「高月」ももともと「高槻」だったという。
「槻」はケヤキのこと、ケヤキの大木がある地と言う意味だそうだ。
だが平安時代、歌人がここを訪れ月の名所として歌を詠んで以来「高月」の字を当てるようになったという。
謎が解けた。

休憩時間が終わり先発隊の出発時間。
第1班の先頭集団が出終わったところで私も歩行開始。
だがスピードについていけない。
どんどん追い越される。
午前中、無理して歩いたのでその反動で足に疲労が来ている。
普段のスピードも出ない。
歩くのは川沿いの舗装されていない道だ。
靴に小石が入るとうっとうしい。
車の来ない道なので抜いてもらうのは楽だ。
マイペースをキープして歩く。
ススキ、ヒガンバナがきれいだ。
だが、話をする相手もなく、黙ってもくもく歩くのはしんどい。
いつものウォーキングは、ずっとそうなんだけれど。

ルートは伊香体育館煮到着。
ここでまた給水休憩となる。
バテバテだ。
14時ごろ目的地の木之本到着した。
第2回完歩認定印を押してもらい記念バッジをもらった。

木之本は3回め。
もうなじみになったパン屋「つるやパン」でサラダパンとサンドウィッチをお土産に買った。

本日の行程、25000歩。4時間。14キロ。


高島から舞子へ。

2009年09月05日 | びわ湖一周

今週は日曜(8/30)に歩き、同じ週の土曜にまた歩いている。
ちょっと、がんばっている。

山科駅を9時過ぎに出発。
各駅停車に乗る。
橙色と緑色の旧型の列車だ。
席は4席のボックス型のシート。
背を倒したりはできない。
各停は新快速に比べるとすいている。
新聞をじっくり読む。

電車はゴトゴトいいながら進む。
近江舞子で終点となる。
ホームに出て折り返し京都行きとなる車両を眺める。
橙色と緑色の取り合わせは、関東の湘南電車も同じだった。
駅から湖が見える。
朝日にきらめいている。
さわやかな9月の朝だ。
後続の新快速はすぐにきた。
最初からこの電車に乗ればいい話だが、鈍行の雰囲気が良かったので、これでよし。

近江高島到着。
ウォーカーのおじいさんの団体がどっと降りる。
駅前で仲間を待つようだ。
10時だ。
私は歩き始める。
三度笠をかぶる。
残暑。
日差しはきつい。
空気は乾いて感じる。

駅から湖岸へ行き、161号の高架を左手に眺めながら、旧北国海道を歩く。
旧道は、このあたりも湖岸のものと少し山手の2本がある。
だが現在は山手の道は消えているようだ。
右手に乙女ヶ池。
山が迫ってくる。
山と湖の間の狭い地域だ。
やがて国道161に合流。
歩道を歩く。
途中で少し山手にそれる道がある。
ごつごつした「四十八体石仏」が山はだに並んでいた。
道は、また降りてきて161に収束する。
遠く、湖に鳥居が見えはじめる。
白鬚神社の鳥居だ。
名所である。

歩道を歩くのは私だけはない。
神社に向かう地元の人々。
その流れに混じって歩く。
今日は白鬚神社のお祭りなのだ。
「なるこまいり」という子どもの成長をを祈るイベントをやっている。
出店が並び食べ物を売っている。
三度笠を脱いで本社で参拝する。
舞台には小さい子どもを連れた親子連れでいっぱいだ。
お神楽が鳴り巫女の舞が始まる。
この神社の神域は広い。
山の斜面の上まであるが、奥は末社ばっかりだった。

さて時間は11時、昼飯の時間だ。
事前調査で本日の昼食を予定していた「白ひげ食堂」が、まさかの臨時休業だった。
昼飯がお預けだ。
あきらめてウォーキングを続行することにした。
国道を下がっていく。
鵜川ファームという産直の店から湖岸側の細い道に入る。
小松ビーチである。
マリーナが並びマリンスポーツの愛好家が集まる。
水上バイクが多い。
湖の上で楽しそうに遊んでいる。

実は私は小型船舶操縦免許を持っている。
マリンスポーツのメッカ、神奈川県湘南地方に住んでいた私は、そのころ、はやり始めた水上バイクに興味を覚え、ボートスクールに入ったのだった。
免許は無事に取得したが、なにしろマリンスポーツをするにはお金がかかるので、結局その後この趣味を、継続的に楽しむことはできなかった。
若かった頃だ。
免許は更新して今も持っている。
関西のマリンのメッカ・びわ湖沿いに戻ったのだから、またこっちの方も復活したいものだ。

道を南下し、北小松の集落に入る。
旧道を歩く。
湖岸から湖を眺める。
北の方を見る。
もう竹生島も湖北の半島群も見えない。
東側の対岸は沖島だろうか。
この夏でだいぶ来たなあ~。
すでに高島市を終わり大津市に入っている。
やがて旧道は小松の集落を終わり、ここから道はまた山手へと向かう。

12時。
コンビニでおにぎりを買い歩き喰い。
残暑がきつい。
山がダイナミックだなあ。
いきなり切り立ち岩肌も見える。
道は未舗装の道となる。
この旅で舗装していない道を歩くのは、これが初めてだ。
だがすぐにこの道は消えてしまい、また国道になった。
交通量の多い道なのに左右に歩道がない。
危険な道だ。
疲れたナ。

本日の行程17000歩。2.5時間。10キロ。