自転車のことを、
「じでんしゃ」
と言う人は多い。
「じ」にひっぱられて、濁るのだろうか。
しかし、「自転、公転」(天体の回転)のときは、
「じでん」
とは、言わない・・・。
この日のスケートブログ。↓
自転車のことを、
「じでんしゃ」
と言う人は多い。
「じ」にひっぱられて、濁るのだろうか。
しかし、「自転、公転」(天体の回転)のときは、
「じでん」
とは、言わない・・・。
よそで起こった事を、ひとごととせず、自分を、いましめる。
そんな時、
「他山の石」
なんて言ったりする。
これって、
「他山の石とせず、自戒する」
のか、
「他山の石として、自戒する」
なのか。
どっちが正しいのだろうか。
ひとごとだと思わず、考えてほしい。
年末だ。
テレビは通常の番組を終えて、特番が増える。
「万引き」と、その対策の番組を見た。
スーパー。
無人販売。
食べ物や、価値のあるものが、自由に持っていける状態に置かれているのを見た時。
どう思う?
僕たち人間は動物である。
動物たち。
草食動物は、エサがいっぱいあるのを見つけたら、大喜びで食べるだろう。
肉食動物なら、うまく狩りをすることこそ、生き残り能力だ。
スーパー、無人販売。
「やった~。こんなとこに、いっぱいいいもの、みっけ」。
人間に生まれると、素直に生きていくことは、できない。
ふいに、
「ぶしゅうのだんな」
ということばが、頭に浮かんできた。
何のことかわからない。
「武州の旦那」だろうか?
時代劇か?
数日後、思い出した。
大菩薩峠だ。
衛星放送で時代劇映画「大菩薩峠」が放送されたので、録画した。
ひまなときに見ようと、思っていた。
まだ見ていないのに、過去に見た時の記憶が、よみがえってきたのだ。
***
以上は今年の初めに書いた。
「大菩薩峠」三部作を、全部見てみたが、
「ぶしゅうのだんな」
というセリフは出てこなかった。
記憶違いだ。
では、なんだろう。
「田中邦衛」みたいな俳優が演じる下男が、侍の世話をしていて、侍にむかって、
「ぶしゅうのだんな、なになにですぜ」
みたいな感じで、話をする・・・・。
何の映画だったろう。
この日のスケートブログ。↓
この秋、日本各地でクマが人を襲い、ニュースになっている。
当家でも、朝、庭を歩くと、シカかイノシシか、地面を掘った、二本爪の跡がある。
子どものころ、「ヤマイヌ」と呼ばれる動物がいた。
ようするに、飼い犬ではない野犬の事なのだが、ヤマイヌという言われかたを、されていた。
今、野犬なんて見ることもない。
野犬そのものも、危険な存在だったが。
犬の散歩をする人は、多い。
10年くらい前まで、庭で飼われる「番犬」を見た。
今は、室内犬ばかりのようだ。
この日のスケートブログ。
春。
空気が澄んでいる。
空を行く飛行機が見える。
旅客機だ。
(この写真には写っていないが)。
飛行機は、どれくらい離れているのだろうか。
調べてみると、おおよそ1万メートルを飛んでいるという。
雲が出て雨が降ったりする気象現象は、1万メートルより下で起きている。
対流圏という。
飛行機はその上を飛ぶ。
雨の日に飛行機で移動をするとき、水平移動になったとたん、明るくなっていい天気で、下は雲海・・・そんな経験、あるでしょう?
なお、飛行機は、それより上には行けない。
燃料を燃やして進んでいる飛行機は、1万メートルより上は、空気が薄くて飛べないのだ(成層圏)。
1万メートル。
3ケタでくくって、単位を変えると、10キロメートル。
水平での距離では、京都盆地の東西が、10キロくらいだ。
車で1号線を山科から来て、東山のトンネルを出て坂を下っていくとき、盆地の西の端の山が見える、それくらいの距離だ。
10キロ。
遠いようだが、そうでもない。
当ブログの過去の記事に「横浜から千葉が見える」というものがある。
以前、横浜市洋光台に住んでいた時のものだ。
またスケートブログに「臨海から淡路島が見える」と書いている。
これらは、20キロぐらい。
それぐらいは軽く見える。
滋賀にはびわ湖があるが、対岸は20キロ以上ある。
長浜や彦根からは、比良比叡に夕日が落ち。
高島からは、伊吹に昇る朝日がきれいという。
富士山は、横浜からはもちろん、江戸から楽に見える。
100キロ前後はあるが、でかいからねえ。
だから、10キロ上のジェット機は、見えて不思議はない。
十二支とは、もともと物事を12で、ひとまとまりと考える、思想のようなものだった。
その後、それぞれに、動物をあてはめたことで、人気が出た。
僕たちは、そうなってから生まれたから、そっちしか知らない。
ネズミはウシの頭に乗っていた
とか、
ネコは招集日をダマされた
など
十二支童話を聞かされる。
歯科に行った。
歯の写真を撮られ、ディスプレイで見せられる。
奥歯から奥歯まで、すべての歯が一枚に収まっている。
不具合の部分がどうなっているかと写真を見る。
('_')
しばらくして勘違いに気づく。
左右が反対なのだ。
私にとって、右の歯は右に、左の歯は左にある。
だが、その写真は、外からの視線・人が私をながめる視線で配置されている。
右の歯は向かって左に、左の歯は右にある。
だから、自分の歯が、反対に見えるのだ。
60歳を過ぎると、体内の写真を撮られることが多くなった。
頭部、胸部・・・いろいろと。
どの写真も、同じだ。
外からの写真、医師が私を見る視線だ。
私は自分の目玉を、頭からとりだすことができない。
だから、生まれて以来、他人が自分を見るように、自分を見たことがない。
自分の内側からしか見ることができないのだ。
次の写真を見てください。
この写真は、私だ。
私の心臓は左にある。
写真では右に映っている。
次の写真は、私の姿を鏡に映したものだ。
心臓は向かって左にある。
これは、しっくりする。
私の心臓は、体の左側で、ドキドキしている。
鏡に映る姿とは、頭から目玉を取り外すことができない私たちの、内側から見る自分自身を、きちんと映している。
この日のスケートブログ。↓
私は以前、鏡について書いた。
ある日私は、左手に心臓を持ち、鏡を見てみた。
「鏡像は反転する」という。
今私は、左手でハートを持ち、右手は右を差している。
ここから私は、右手の指さす方向に向かって円を描きながら移動する。
鏡の横まで来たら、そのまま後ろに回って、鏡の向こうまで行く。
そうすると、私の右手は向かって左を差し、左手に持った心臓は向かって右にある。
すなわち、これが
「鏡に映る像は、左右が逆になる」
と言われるものだ。
---
では、次の写真。
今度は私の右手は上を差している。
そこで私は重力を超越して、上に向かって移動する。
円を描きながら鏡の上まで移動する。
私の頭と足は水平になり、私は宙に浮いている。
そのまま移動を続け、頭を下にして鏡の向こうまで行く。
すると、頭は下に足は上になるが、右手は下を差し右側にあり、左手は左にあってハートを持っている。
この方向で移動した場合は、鏡は
「左右は保持されて上下が逆になる」
ことになる。
これは、どういうことだ?
鏡に映る像は、上下が保持されていると考えるならば左右が逆になり、左右が保持されていると考えるなら上下が逆になる、となる。
---
我々は、生まれて以来、重力に支配されている。
「上下」については、当たり前のものと思っている。
だが、ダイビングをしている人や、宇宙飛行士は、自分と他人の頭と足が逆向き・・・というようなことは、普通にありそうだ。
上下についても、自分の「上下」、相手から見ての「上下」を、正確にする必要がある。
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鏡に映る像では、上にある頭は上にあり、足は下に見える。
つまり、上にあるものは向かって上に、下にあるものは向かって下にある、といえる。
左右については、右にあるものは鏡の向こうでも向かって右に、左にあるものは向かって左にある。
すなわち、鏡に映る像は、
上にあるものは、向かって上に、
下にあるものは、向かって下に、
右にあるものは、向かって右に、
左にあるものは、向かって左に、
ある。
したがって、鏡に映る像は反転していない。
上下も左右も反転していないのだ。
この日のスケートブログ。
フランシスコ・ザビエル、というと、ハートの先に十字架のついた何かを手に持って、見上げている肖像を思い出すだろう。
教科書でよく見た。
(リンク先に画像 ↓ )
聖フランシスコ・ザビエル像 - 神戸市立博物館
この絵は、関西のある、お宅に大正時代まで秘蔵されていた。
現在は、神戸市立博物館にある。
ザビエルが手に持っている「ハートの先に十字架のついた何か」だが、そういう形のキリスト教の司祭が持つ、道具なのかなと思える。
例えば、仏教なら数珠とか、お坊さんの持つ法具とか・・・。
ところが、ザビエルが手に持つのは、そういった道具ではなく、自分自身の心臓なのだ。
信仰心の熱いザビエルは、ある日、心臓が熱くなり、体からとび出てしまった。
彼はその心臓を手にもって、
「主よ、十分です」
と言った。
**
私もやってみた。
私の心臓はとり出せないので、ヨギボーのミニハートを使用。
この日のスケートブログ。
<変わる六地蔵>
撤退したイトーヨーカドーの跡地が、大規模マンションとして、建設中だ。
募集TVCMも多い。
私は関東生活が24年あり、ヨーカドーには親しみがある。
六地蔵に、関西では珍しいヨーカドーがあったのは、うれしいことだった。
大阪のスケート教室に通っていたころ。
大阪から滋賀に戻るとき、京阪を使う場合、
・七条で降りてJR京都駅まで行くか、
・三条で降り京都市営地下鉄に乗る、
のが多いが、
中書島から宇治線で六地蔵に行き、地下鉄に乗り換えるというルートをとることもあった。
そのとき、六地蔵のヨーカドーが、休憩するのにちょうど良い。
買い物をすることもあった。
ヨーカドーが無くなって、残念だ。
新しいマンションには、商業施設は併設されるのだろうか。
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<家電量販店にて>
最近、家電量販店に寄っている。
新しいコンパクトデジカメ(コンデジ)を、買おうかな、と思った。
現在使用中の、ガラケーのカメラが、いまいちなのだ。
しかし今、家電店にコンデジはない。
置いていない。
コンデジの新製品がないのだ。
世の中の人は、スマホでじゅうぶんなので、わざわざコンデジを買う人がいない。
わずかにカタログ上のラインナップがあっても、コロナの上海ショックで品切れだ。
「コロナの上海ショック」とは、この記事を書いた2022年ころ、新型ウイルス、コロナの世界的蔓延で、人と物の交流が国際的に制限され、世界の電気製品の基盤制作を担っていた上海からの出荷がされなくなったことを示す。
入荷は数か月待ちだという・・・。
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この日も朝は、宇治でスケート。↓
その後に知った情報。
兵庫には文字どおり「兵器の貯蔵庫」という意味があるようだ。
朝廷において兵庫という職名があった。
兵器の貯蔵庫の役職だった。
その職名から「兵庫」という人名が生じた。
姓である。
「兵庫」という名ができたことで、兵庫職ではないのに「兵庫」を姓とする「兵庫さん」も生じたという・・・。
話をしていて、歳を聞かれることがある。
あまりはっきり言いたくないとき、
「四捨五入して何十歳です」
などと言ったりする。
50代になったころ、同じようなシチュエーションで、
「四捨五入して100歳です」
という冗談を使っていた。
まあ、笑ってもらえる。