モンテル

モンテル、入ってる。
モンテルは、行ってる。

今津から高島へ。

2009年08月30日 | びわ湖一周

8月が終わる。
30日、日曜日、今日は衆議院総選挙だ。
9時半、地域の集会所で投票する。
関西に戻ってきて最初の選挙だ。
投票を終え出るとき投票済み証明書を受け取る。
義務を果たした証明である。
このときの選挙は政権交代を果たした、歴史的なものだった。

山科駅から湖西線に乗る。
前回「次回から列車の本数が増える」と書いたが、結局いつもと同じ新快速に乗っている。
したがって混んでいる。

近江今津で降りる。
10時40分。
湖岸をめざす。
降りたほかのお客さんたちも、同じように岸へ向かう。
今津港から出航する竹生島行きの観光船に連絡しているのだ。

私は一人湖岸を歩く。
このあたりの浜は砂利だ。
今日は少し波が高い。
砂利にぶつかる波の音が聞こえる。
顔はずっと左を向き、湖の様子と音を聞いている。
「えり」がきれいな矢の形を示す。
夏の終わり。
水遊びの子ども。

街道の並木は松と桜。
緑の時期の美しさは、桜より松の方が秀でている。
街道沿いに「売り地」の看板。
このあたりに別荘を持つのもいいかもしれない。
しばらくしたら、旧道は湖岸を離れる。
ブロック敷きの道になる。
「旧北国海道改修記念碑」を整備した表示があった。
一応資料を見ながら歩いているが、間違いなくここが「北国海道」であることが確認できた。
湖東は中山道や北国街道の道票や表示が、そこそこあって、歩いていても安心感があった。
湖西側はそれがあまりなくて、正しい道を歩いているのか、よく分からない。
石碑の前でセルフ写真を撮る。
やがて旧道は、現代の自動車道に飲みこまれ、大きな交差点にでる。
饗庭交差点だ。
地下道で移動する。
県道556を歩く。
車がスピードを上げて走る。
道沿いに「かばた」がある。
神社、お寺が多い。
古道なのだ。

突然、レコードショップがあった。
民家を改造したお店。
レコードを売るということは、古物商だ。
ものすごい量のレコードを集めたようで、家の外まで積んでいる。
雨ざらしだ。
SPレコードである。
人気(ひとけ)もなく、商売っ気もない。

12時も過ぎ本日も昼食はラーメンを予定している。
このあたりはあまりお店がない。
調べておいたラーメン店をめざして、安井川という地で旧道をそれて川沿いに下る。
風景はガマの畑。
北畑という地でラーメン店みつけ、昼食。
食べ終わって小学校の前を通過。
新庄城跡の看板を見る。
安曇川大橋で安曇川を越える。
川で漁師が魚を獲っている。
道は、さっき離れた県道556に再び合流。
資料では、このあたりの北国海道は近世古道と中世古道の2本が並行している。
県道556は近世古道である。
車が通り抜けるだけのおもしろくない道だ。
JRの線路の向こうには中世古道が通っている。
適当なところで中世古道に行くかな。

道ばたに消費者金融の無人スタンドがあった。
ふと入ってみる。
金を借りるわけではない。
気まぐれの好奇心だ。
涼しい。
クーラー効かせ過ぎだ。
道の真ん中にぽつんとたって、誰もいないときでも、キンキンにクーラーを効かせている小部屋。
この電気代はいったい誰が持っているのか。
お金を借りた人が、すべてのコストを支払っているのだ。
だが、夏のさなかのウォーキングのとき、暑さしのぎの避難場所としては、このサラ金の無人スタンドは有効かもしれない。
助かる。

安曇川駅に来た。
本日の行程をここで終えるかどうするかの判断をしないといけない。
そこそこに疲労はある。
とりあえず休憩することにした。
駅前の平和堂に入る。
店内、普通に平和だ。
発泡酒と焼き鳥を1本買う。
店の前のベンチでつまむ。
元気を取り戻したので、もう少し歩くことにした。

線路をくぐり県道23にでる。
中世古道である。
道ばたに継体天皇伝承地「えな塚」や、鴨稲荷山古墳、歴史民族資料館など、ここが確かに旧道であることを示す遺跡が続く。

そのとき、後ろから歩いてきたウォーカーに
追いつかれた。
いきなり、
「こんにちは」
と挨拶された。
髭面のジャージ姿。
首にタオル。
声はさわやかだ。
返事をし話をする。
彼はリハビリので歩いているという。
地元のおじさん。
なにを患ったのかと聞くと、脳卒中で倒れたという。

元々は大阪の人だった。
実業団の野球選手だったという。
スポーツマンで体造りのために食事を増やした。
辞めた後、システムキッチンの施工業を開いた。
スポーツを止めた影響で、100キロの巨漢になった。
典型的な生活習慣病になり、血圧は200を越えていたという。
倒れる前、前兆でふらふらしていたという。
幸い現在の彼はスリムな体を取り戻し、歩く姿にも麻痺は感じられなかった。
私は、自分が今年のはじめから、びわ湖一周の旅をしていることを伝えた。
我々の歩いている道が、北国海道であることを確かめながら、しばし道連れウォーキングとなった。
高島の自然と住やすさについて話を聞く。
やがて彼の家が近づき、おじさんと別れ、一人で歩を進める。
疲労してきた。

石碑がある。
万葉集が刻まれている。
「客在者三更刺而照月高嶋山隠惜毛」
「旅なれば夜中を指して照る月の高島山に隠らく惜しも」
と読むらしい。
風流だ~。
疲れた~。

近江高島駅に到着した。
駅前にガリバーメルヘン広場というのがある。
高島とガリバーの関係は分からないが、疲れたので、現実を受け入れることにした。

本日の行程26000歩。5時間。13.5キロ。

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10年後、自分も脳卒中になる。

 

脳卒中 。 - モンテル

先月末、3月26日、脳内出血で日赤に運び込まれた。本日4月3日、1週間で出てきた。脳卒中。

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中庄から今津まで、九里半街道も少し往復。

2009年08月07日 | びわ湖一周

梅雨は明けた。
本日代休。
前回の続き、近江中庄の駅から歩き始める。

山科駅9時50分の湖西線に乗る。
前回(8時30分)より1本遅い電車だ。
本数が少ないので、この時間だ。

電車はやはり4両で車内は混んでいる。
今回は子どもが多い。
スポーツの大会、キャンプ・・・なのか。
子どもは騒がしい。

途中、車窓に雨粒が降り注ぐ。
本日は晴れる予報だったのに。

11時前、目的地到着。
近江中庄、駅を出る。
田舎。
駅前の浄土宗のお寺でお経を上げている。

小雨が降る。
笠をかぶって歩く。
カンカン帽は傷みが来たので修理中だ。
本日は編み笠復活。
だがこの笠は優れものだ。
小雨ぐらい平気、傘をさす必要がない。
三度笠で歩いていける。

この旅の初日、今年の1月2日、東海道を大津の宿場から歩き始めた日も雨だった。
雨傘をさしたり閉じたりしながら歩いた。
それ以降、このびわ湖を巡る旅は、雨にあっていなかった。
本日は2回目の雨だ。

歩いていく道は、再び旧北国海道。
前回、この旧道がおもしろくなく湖岸を歩いたほうが良かったかもしれないという考えがあった。
だが、ここまで、東海道・中山道・北国街道・塩津海道、そして湖西入ってからは、北国海道へと、古道にこだわって歩いてきた。
だから、たとへ単調でも旧道ウォーカーのプライドで北国海道をキープすることにした。

細い道路。
車の数は多くはない。
歩道があれば歩道を歩き、なければ車道の橋を歩く。

小一時間歩き「弘川口」という交差点に出た。
ここで南下してきた北国海道は湖岸へ向かう。
また、この交差点から西に向かう道は、九里半街道と呼ばれる道である。
九里半街道とは、びわ湖畔の今津から日本海の港・小浜まで通じている、いにしえの道だ。

塩津から敦賀に抜ける塩津海道もそうだったが、この九里半街道も、日本海と京の都を、湖の海運を経由してつなぐ大動脈だったのである。

びわ湖を歩いて回る私の旅。
本日は特別なイベントがある。
ここから少しだけだが、北国海道をそれて、この九里半街道を歩く。

道路標示は行く先にある街・小浜市を示している。
アメリカの新大統領「オバマ氏」と同じ名前の「小浜市」は、2009年の日本において話題の都市だ。
私はまだ行ったことがない。

途中ザゼンソウ群生地があった。
ザゼンソウとは水棲のサトイモ科の植物で、早春に包に囲まれた地味な花を咲かせる。
今の季節は、大振りな葉っぱを茂らせるばかりで風情はない。
九里半街道を行く、弘部という地だ。
国道303号に並行して、細々と旧道が続く。
大きなサイレンが鳴り正午と知った。
田舎の有線放送だ。

やがて旧道は国道に合流。
道路沿いに探していたラーメン店「らーめん天平」を発見。
時間も良し、食事にしよう。
ラーメンを食べる。
注文を終えると、お店の方から、
「歩いておられるんですか」
と声をかけられた。
「はい」
と答える。
「小浜まで行かれるんですか」
と聞かれ、
「うーん、まあ、ゆくゆくはそこまで」
と適当に答えた。
本当は飯を食ったら引き返すのだ・・・。

今日はできないが、小浜まで歩くのも楽しいだろうか。
オバマ市を眺めるのもおもしろかろう。
また新たな目的地が出来てしまった。
びわ湖一周が終わったら、今度は小浜までのウォーキングに行かねばならぬ。

あっさり醤油ラーメンを食べ終えて、店を出る。
来た道を戻る。
分岐点である弘川口に戻る。
子どもの頃から思うのだが、同じ道を戻るとき、なぜか帰りは短く感じる。
「帰り道は早い」みなさんもそういう経験はないだろうか。
この弘川口の交差点から、今津の浜までは北国海道と九里半街道は重なっている。

今津の町中に入ってきた。
道はヴォリーズ通りとなる。
ヴォリーズとは、明治にやってきた外国人の建築家で、近江で活躍した。
メンソレータムという会社を作ったといえば「ああ~、あの」と、うなずいていただけるだろうか。
湖東にもヴォリーズ旧跡はあったが今津にもある。
そのうちの一つが、ヴォリーズ記念館として保存されている。
シックな建物。
中にはいると、近所のおばさんが2人、ご飯を食べていた。
道には、この地の旧跡を紹介する札が立っている。
九里半街道の起点の交差点にも看板が立っていた。
今津は観光資源として町を活用しようとしている。

ここからの北国海道は湖岸だ。
今津港から湖を眺める。
浜にでてみると、遠く海津が見える。
前回、半島を抜けた後、海津の浜でも、びわ湖を眺めた。
着実に距離を稼いだ。
「びわ湖周航の歌」はこの地で生まれたという。
それを記念する建物まである。
館内、人はいない。

14時過ぎ、近江今津駅に到着。
本日の歩行を終了とする。
結局、今回は一駅分しか歩かなかった。
だがこの一駅は大きい。
JR湖西線は近江今津止まり電車も多い。
つまり次からこの駅まで来る本数が増えるのだ。
これまでより朝の出発時間が自由に選べる。

電車が来るまでの間、駅前の極短かのアーケードを歩いた。
西友(にしとも)の出店がある。
湖北の魚料理の名店だ。
ウナギがうまいと聞く。
行ってみたいものだ。

本日の行程(九里半街道の往復を含む)19000歩。2.5時間。10キロ。

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解説:北国海道をそれて九里半街道をラーメンを食べるためにだけ行ったのは、そのころこっそりやっていた、隠れ副業ラーメンレポーターの仕事のためである。

 

ラーメン批評 - モンテル

当ブログ、ラーメンの感想が多い。最近はラーメンの評価は、ラーメンデータベースというサイトで、やっている。---解説:この「ラーメンデータベース」はすぐにやめた。その...

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永原から中庄まで。

2009年07月23日 | びわ湖一周

現在、夏期休暇を取っている。
例年になく梅雨明けが遅い。
毎日うんざりするほど雨が降る。
日蝕も見ることができなかった。

ようやくこの日、日差しが戻って歩けそうになった。
朝、早めに家を出る。
涼しいうちに歩きたい。

山科駅8時半の湖西線。
電車は4両しかなく、車内は混んでいる。
通勤の時間だ。
だが駅が進んでも降りる客は少なく、いっこうに車内はすいてこない。
目的地の永原まで1時間の予定だが、30分すぎてようやく座れた。
どうやらJRに乗りっぱなしで、びわ湖一周をしようという団体さんが乗っているようだ。
降りないはずだ。
歩いてびわ湖を回っている私だから、JRで湖を回ろうとする気持ちは分かる。
しかし電車の中で席を4人掛けにして、ペチャクチャお喋りしているだけで、窓から外も見ず、びわ湖一周とはどうだろうか。

まあ、それでもいいのだろう。
楽しみ方は自由だ。

永原駅に到着したのは9時半。
私に似たリュックを背負ったおじさん系が何人か降りた。

駅を出る。
おじさんたちも、それぞれに歩き始める。

私は前回の終了地点、大浦へ向かって川沿いの道を歩く。
両側は田んぼ。
サギが優雅にたたずんでいる。
大浦の三叉路に出た。
大浦漁港が目の前だ。
沖では繁茂しすぎた水草を除去する作業が行われている。
ここから道は県道557号となる。
海津の半島をぐるっと回る。
湖岸のすぐきわに歩道があるようだ。
だが雑草が繁って歩けない。
車道の左端を歩く。
道路は狭い。
車は飛ばす。

ここは桜の名所だ。
半島を通じてサクラの木が植えられており、開花の季節には見物の人々で大混雑する。
今の季節は青い葉っぱの、ただの街路樹だ。
サクラには、ひとこと意見がある。
ソメイヨシノは好きじゃない。
江戸時代に作り出されたこの品種は、さし木などの今でいうところのクローン技術で大量に作られて、日本中に植えられている。
春、新葉が出る前に開花する。
花だけの状態になるのが美しく、人々に好まれたのだ。
性質がまったく同じクローン植物だから、温度に対する反応もまったく同じ。
その地域が一定の温度になったら、どの木も一斉に花を咲かせる。
何日か経ったら一斉に散る。
そこも好まれている。
だが私は嫌いだ。
普通に植物として見たら、全部が同じ反応をするのは不自然だ。
生物はバラツキのあるもの。
いろいろな個体があるから種が生き残れる。
それが自然だ。
ソメイヨシノの一斉開花と一斉花吹雪。
それは集団行動を連想させる。
花も木も人も、いろいろがいい。
ソメイヨシノは美しい。
だが、その姿の奇怪さを知る人は少ない。

自分はびわ湖一周に旧道を選んできた。
湖岸のルートでなく里の道だった。
本日はしばらく湖岸の道を、湖を眺めながら歩くことになる。
湖を見ながら歩く景色はきれいだが、湖岸の道は変化が少ない。
二本松水泳場という地に来た。
水着の家族が一組。
歩を進める。
沖に竹生島。
左に半島。
山が湖に沈みこむ半島の姿。
三角にそびえる竹生島。
ダイナミックな景色だ。
びわ湖は断層でできたという。
私が歩いているほうの半島も、突端の部分は山が直接湖に落ち込んでいる。
道を造るスペースがとれないのだろう、道路は短いトンネルの連続となる。
トンネルの中も歩道はない。
自動車が速度をゆるめず走り抜ける。
恐怖だ。
やがて道路標示があり、伊香郡西浅井町から高島市になった。
トンネルを抜け海津大崎港にでた。
竹生島と結ぶ船の港だ。

食堂&売店がある。
そこでソフトクリームを買った。
歩きながら食べる。
冷たさが喉においしい。
気がつけば2時間以上、まだ休憩していない。
高島市の町並みが近づき、海津の漁港が見えてくる。
海津の入り口に来た。
久々に交差点だ。
歩いてきた半島を回る道に、北から来た道が加わる。
湖岸の道を進む。
この道は旧北国海道である。

湖の東、米原から先、中山道から分岐し北へ向かう道も北国街道だった。
読みは一緒だが、
湖東は北国街道
湖西は北国海道
である。
こちらの北国海道は別名西近江道ともいう。

湖岸の民家は立派な石垣を備えている。
通りの看板によると、これらは江戸時代からある石垣だという。
確かにこの道は旧道の趣を残している。
ふと振り返って北を見ると海道の先に山がそびえ、その山を背景にお寺の大屋根がそびえている。
いい風情だ。

西浜という地点に来た。
資料によると北国海道はここから岸を離れ、現在の国道161号線に飲み込まれる。
時間は12時半。
腹も減り休憩が必要だ。
マキノの駅についた。
駅前で食事のできる店を探す。
「蕪」という店に入り、生ビールの中ジョッキと唐揚丼をオーダーした。
ビールを飲みながら、店に置いてある高島市の案内パンフレットを眺めていたら、料理を持ってきたオヤジさんが、
「これからどこかにいかれるのですか」
と話しかけてきた。
私は、
「永原から歩いてきたんです。半島をずっと回って・・・」
と答えた。
オジさんは、ちょっと驚いて、
「へえー・・・」
と言い、さらに何かを考えていたが、グループの客が入ってきて話は途中になった。
彼は厨房に戻った。
忙しくなったオヤジさんとは、その後、会話はできなかった。

マキノ駅。
珍しいカタカナの駅。
駅の下の道を抜け旧北国海道を目指す。
このあたりも国道161が旧北国海道になる。
歩道を歩いていた。
背後から来た大型ダンプの風にあおられカンカン帽を飛ばされてしまった。
帽子は道を転がり後続車にひかれそうになる。
後続の運転手が上手によけてくれて帽子は無事だった。
車道に出て取りに行く。
愛用のクラッシック帽も、この旅でだいぶ傷んできた。
この先、川の前で旧北国海道は国道を離れ県道になる。
これが旧道であると、事前の資料調査で確認しておいたのだ。
遠くマキノのメタセコイア並木が見えた。
そのまま県道を歩く。
風情はない。
湖岸のほうがよかったかもしれない。

JR近江中庄の駅に来た。
今日の歩行はこれで限界だ。
駅に着いたら電車の到来まで40分待ちだった。
1時間に1本しか来ないのだ。
到着時の歩数は28000歩だったが、駅の周りをぶらぶらしていたら3万歩になった。
足が痛い。

本日の行程、30000歩。4時間。17キロ。


塩津から大浦まで。

2009年07月15日 | びわ湖一周

有給休暇。
季節は完全に夏・・・、おっと梅雨明けは、まだだった。
だが、ギラつく日差しは攻撃的。

びわ湖をまわる旅。

今回から湖西となる。
目的地に行くのも湖西線だ。
近江塩津まで1時間。
湖の西側は山と湖の距離が近く景色はダイナミックだ。
北に行くほど客が減り、電車の停車時間が長引いていくのは、湖東と同じ。
電車のドアのセルフ開閉も同様だ。

塩津に11時到着。
小さな駅を下車し、前回駅へと歩いた道を、岸に向かって戻るかたちになる。
本日のウォーキングのスタートだ。

日差しがきつい。
今日は念入りに日焼け止めを塗っている。
本日の格好はショートパンツにアロハシャツときわめてカジュアルな兄ちゃんのスタイルだ。
合わせるトップスは三度笠をやめてカンカン帽に変更である。
えっ、三度笠をやめたの?
やめました。
特に理由があるわけではない。
飽きたからである。
アロハとショーパンに合わないし・・・。

さて、道は県道303に分岐し西へ向かう。
本日、予定としてはびわ湖に突き出した半島を、集落としては月出~菅浦を通る、半島巡りのコースも頭に描いていた。
しかし天から注ぐ厳しい日差しに圧倒され、また前回藤ケ崎を大回りしたルートもこたえたので、山の中をショートカットする岩熊トンネルを抜ける道に行くことにした。

トンネルに向かって登っていく。
トンネルは、新旧2本並んでいる。
中は車が通ると路面のせいだろう、ものすごい大音響が響く。
特に大型車が走り抜けるとき、恐ろしい何かが襲ってくる時の映画の効果音のようだ。
車が近づくにつれて、激しい音がトンネルの入り口から音量を上げながら近づいてくる。
幸い本日は風がきつくトンネル内排気ガスで苦しくなるようなことは無かった。

トンネルを抜けたら出たら曇天だった。
ホッとする。
天気予報では梅雨前線がしつこく残っており天気は不安定だと言っていた。

曲がりながら道を下る。
湖西線の下をくぐり永原の町中だ。
見えてきたのはJR永原駅。駅に止まったとき車窓から見える、駅前の役場、銀屋根の体育館、小学校が道の両側に並んでいる。
時間は、歩き始めてから1時間と少し。
ここでやめるのはちょっと早い。
しかし次のマキノ駅まで行くとなると少しこの先は長すぎる。
ここで止まるか、もう少し先まで行くか、迷うところだ。
どちらとも決めないまま大浦まで来た。
「北淡海・丸子船の館」があった。
入る。
館内、人の姿はなし。
入り口で受付の女性に、お金を払って入館する。
丸子船とその他の展示品をみた。
ここ大浦の地は、塩津や本日行かなかった菅浦などとともに湖上運輸の港だったのだ。
北陸から来た荷物はここで丸子船に積み替え、湖上を大津まで行き、そこからまた陸路で京の都へと運ばれた。
今では、大津とこれら湖北の町は、その規模を比べようもないが、湖上交通の重要だった時代は、大津に対する大浦、塩津だったのだろう。
「丸子船の館」の見学が終わって、私は窓口の女性に、ここから永原の駅までバスがないかと聞いてみた。
調べてくれたら、ちょうど10分後に、駅に行くバスが来るという。
礼を言って外に出た。
人通りも、車どおりもないバス停の前で、花を眺めて待つ。
誰も客のいないバスに乗って、永原の駅に着いた。
JRの駅に入ると、ちょうど帰りの電車が来る。
タイミング良く帰路に就いたのだった。

本日の行程、13000歩。2時間。8キロ。


木之本から塩津まで。

2009年06月18日 | びわ湖一周

びわ湖をまわる旅。

前回は余呉湖まで行った。
この湖は山に囲まれている。
JRは山の下をトンネルで貫いて塩津まで行っているが、道路は西に抜けていない。
ここからは歩きでびわ湖一周はできない。

従って私の本日の歩き旅の出発は、前回の通過地点である木之本からとなる。

山科駅から木之本駅までの電車は調べておいた。
目的地に行けるダイヤは1時間に1本しかない。
だから家を出るタイミングも1時間おきとなる。

その日の朝、出発の準備ができ、植物に水もやり、する事がなくなった。
1時間の出発タイミングの中間の時間に出発してしまった。
あんのじょう、途中の長浜駅で30分待つことになった。
この駅の改札の中はトイレも売店もなく、ただぼんやりするしかない。
30分後に家を出たら乗るはずだった電車がやってきて木之本で下車した。
到着時間は11:30。
調べておいたとおりだ。

前回、木之本でおいしいパンを食べた。
もう一度その店「つるやパン」に寄る。
タクアンのサラダパンと、新製品「ラスク」を買った。
出発にあたり、木之本のお地蔵様に旅の安全を祈願した。

木之本を出発。
西に向かう。
ここより北国街道を離れる。
歩く道は国道8号線。
しばらく歩道を歩き「大音」という地点で道が分かれる。
ここから県道514に入る。
この道はたぶん国道8号の旧道なのだろう。
車の少ない道だ。
まったく車が通らない。
人も通らない。
サラダパンを歩きながら食べる。
しょっぱいタクアンがうまい。

国道を離れこの道を選んだには理由がある。
山を貫いてまっすぐ走る国道。
そのトンネルが非常に長く、歩きだと車の排気ガスが苦しそうだからだ。
田圃の中を進み、道は登り始める。
伊香具小学校の前を通り、つづら折りを上る。
やがて到着したのは「静が岳トンネル」だった。
トンネルの中は暗い。
不気味だ。
車の多い道が嫌でこっちにきたのだが、トンネルのなかに、歩きで自分一人というのも、ちょっと考えものだ。
変なものがある。
トンネルの壁にペットボトルがぶら下がっている。
いっぱいある。
誰がやっているのだろう。
壁の出っ張ってる何かに、ひもを下げ、それに主にペットボトル、その他のポリ容器を、ブラブラといくつも下げてあるのだ。
変。
ひとりぼっちで、おかしなトンネルを進む。
出口のほうから音がする。
良かった、工事をやっているのだろうか。
しかし音は、ぶら下げられたアルミ鍋(コンビニで売っている、容器ごとガスレンジにかけることができる、うどんの容器)だった。
これが風に吹かれて、カラコロと音を立て、トンネル内に音を響かせているのだった。
何ともはや。

トンネルを抜けると絶景だった。
びわ湖が目の前にあった。
いくつかの突き出した半島、湖上に竹生島が見える。
湖岸には集落。
びわ湖を眼下に見ながら、曲がった道が下ってゆく。
直線の国道もここがトンネルの出口、車が音を立てている。

峠を下りきる。
県道が8号線に合流する。
飯浦だ。

いったん合流した道は、ここから先、また国道と県道に分かれる。
国道は8号、県道は336号。
道が分かれる理由は、先ほどと同じ。
県道は旧道で、国道はトンネル。
そして私は、交通の激しい国道を避けて、半島を回るルートへと進む。

今から歩く半島、突端の地名は藤ケ崎だ。
湖まで迫る山のふちを道が通る。
右に山、左に湖面。
この旅で、びわ湖湖畔を歩くのは、これが初めてだ。
湖面に浮かぶ水鳥。
鵜だ。
ポツンと数羽。
近年びわ湖で鵜が大量繁殖して迷惑がられている。
だが、湖面をたたきながら飛び立つ姿は、悪くない。
風情がある。
湖上に浮かび首をもたげる姿は、ネッシーを水墨画に描いたような風情だ。

道は淡々と続く。
暑い。
結構距離がある。
車は走っていないが、時々大型車両が行く。
この先に何かがあるわけではない。
大型車は、道路脇のパーキング・スペースに、アイドリングしたまま駐車している。
中で運転手は休憩しているのだろう。
これらのスペースは、本来マイカーでドライブする人に、ちょっと停めてもらって、きれいなびわ湖の風景を見てもらうためにあるのだろう。
だが、その目的には使われていない。
つまり今やこの県道は、時間調整もしくは疲労回復のために、トラックの運転手が入る迂回路なのだ。
ましてや、歩いている人はいない。
だが、風景は絶品だ。

塩津が近づき、湖は北欧のフィヨルドの雰囲気だ。
直接山が湖に落ち込んでいる。
人がいない。
半島を回りきり、塩津の町並みに入る。
ここから敦賀まで「塩津海道」ということになる。
読者は「街道」が「海道」に変化したことに注目されよ。
塩津海道は、海に向かう「海の道」なのである。
ただし「塩津街道」という表記も、まったくないわけではない。
国道と平行する民家の間の道が塩津海道の旧道だ。
古い家が並ぶ。
この風情がいい。
好きだ。

近江塩津駅まで歩き続ける。
塩津、この先は福井県だ。
JRの近江塩津駅から先は行ったことがない。
また、今回の歩き旅は、県外に出ることはない。
ここの山の向こうはもう敦賀である。
海だ。
びわ湖一週が終わったら、機会を見つけて、塩津~敦賀の歩き旅もいきたい。

近江塩津駅は、びわ湖を取り囲むJR西日本の重要な駅だ。
北陸本線と湖西線、2線が近江塩津で合流する。
米原から始まり湖の東側を走りぬけ、余呉湖をかすめ、山の中を貫いてきた北陸本線。
山から顔を出すこの線路にあわせるため、湖西線はものすごく高い位置を巨大な高架で走っている。
重要なターミナルなのにこの駅は小さい。
駅員はいないが、うどんの売店がある。
改札には近所のおばさんが座る。

駅に着いたらちょうど帰りの電車が出る時間だった。
タイミング良く帰路に就いた。

本日の行程、20000歩。3時間。12キロ。


虎姫から余呉湖まで歩いた。

2009年06月01日 | びわ湖一周

6月1日。
月頭。
好天。
歩く。
今日の服装は半袖シャツだ。
目をやられそうで、サングラスを用意。
顔には日焼け止めクリームをたっぷり塗る。

前回が4月16日だったので、かなり間があいた。
5月は一度も歩かなかった。
理由があるわけではないが、なんやかんやで5月は歩かなかった。

家からJR虎姫駅に向けて出発。
これぐらい遠い湖北までとなると、大津から一本でいく電車は少ない。
途中の米原か長浜で乗り換えることになる。
現実は12両編成の前半分が米原で切り離され長浜止まりとなり、遅れて米原を始発する後ろ半分が、近江塩津駅(福井県の直前の駅で湖東からと湖西からの両方の路線の終着駅)行きとなるのだ。
乗りかえてはいない。
虎姫に着くのは、家から1時間半かかる。
車窓からの眺めは、水田に苗が一斉に植えられた。
大量の水が地上にも蓄えられている。
滋賀はびわ湖だけでなく、陸地も含めて水の県である。

10:20目的地に到着。
歩行を開始する。
北国街道。
ところどころ旧道もあるが、ほとんどは国道8号の歩道を歩くことになる。
河毛、高月、木之本と田舎の道をとぼとぼ歩く。

高月には、国宝、十一面観音菩薩立像がある。
向源寺(渡岸寺観音堂所在)。
数年前、この観音様は滋賀を離れ東京上野の国立博物館で展示された。
大人気だった。
博物館に入場するため、何時間も待つ人々の列が上野の公園につながった。
私も見に行った。
観音様は高い位置に備えられ、念入りに計算された照明に照らされていた。
大勢の人々の隙間から姿を眺めた。
今は興福寺の阿修羅像が人気でみんな「アシュラアシュラ」とつばを飛ばして見に行っているが、阿修羅は顔が三つしかない。
十一面観音は顔が十一あるので阿修羅より、お化粧代がかかる
昨年滋賀に帰ってから、一度、本来の場所である高月の渡岸寺で再会した。
さりげなく、すっと立っていた。
その高月を今日は歩いて通過する。
本日は、観音様は見に行かない。

やがて木之本に至る。
事前に調べておいた、北国街道ラーメンの店「ごっとん」に電話を入れる。
営業中を確認し場所を聞く。
そこで、生ビールを飲んで、猪のチャーシューの北国街道ラーメンを食べた。
ラーメンには珍しく、ゴボウ、シイタケが入っており、いい香りを出している。

店内の張り紙に「話題のサラダパンあります」とあった。
もしかしてあれ?と思い、聞いた。
テレビの番組でも取り上げられたのだが、湖北地域のソウル・フードとして、サラダパンという品があるのだ。
サラダと言っても、入っているのは刻んだタクアンなのだ。
マヨネーズであえている。
木之本のパン屋さん、つるやパンの商品だ。
サラダだと水っぽくなるので、刻んだタクアンを入れたという。
各種マスコミに取り上げられて大人気だ。
ごっとんは、そのつるやパンの経営なのだという。
少し先のパン屋の店でサラダパンを2つ買った。

高月が十一面観音なら木之本は地蔵だ。
お地蔵さんをお参りし足はさらに北へ。

寂しい道をとぼとぼ歩きJR余呉駅に到着した。

電車は1時間に2本。
余呉湖を周りたいと思った。
駅にいたおじいさんに、歩いて湖を回るとそれくらいかかるか聞いた。
周囲6キロメートルあり、2時間かかるという。
見たら自転車のレンタルがあったので、レンタルサイクルで、余呉湖を一周することにした。
これだと1時間程度だ。

湖周辺に人気はない。
まるで彼岸の岸辺かと思うばかりの風景だ。
波のない湖面。
この湖には羽衣伝説がある。
天女が残した子どもが菅原道真になった。
湖の周囲の山、賎ヶ岳は古戦場でもある。
柴田勝家と羽柴秀吉が戦った。
余呉湖は血で真っ赤になった。
こんな小さな湖で何をするやら。
車も人もいない湖周の道を自転車は音もなく走る。
ハンドルを握る半袖の腕がすでに日焼けで真っ赤だ。
痛い。

帰りの電車はJR余呉湖駅から。
駅のホームでサラダパンを食べた。
タクアンの味が体にしみる。

本日の行程、26000歩。4+1時間。16キロ歩行+6キロ自転車。


ウォーキングをはじめるには

2009年05月26日 | びわ湖一周

ウォーキングにかかわるエッセイを、書きためていきたいと思っています。

<はじめるには>

<通勤からウォーキングへ>
ウォーキングを始めるには、まず毎日の通勤通学の延長から始めてみてはどうでしょうか。
通勤の途中で散歩をしてみるのです。
毎日の電車から見える道を歩いてみましょう。
駅から駅まで歩くのです。
でも最初からそれは抵抗があるでしょうから、まずは、途中下車&駅周辺の散策から始めてみてはいかがでしょう。
用が無くても途中の駅に降りるのです。
普段は通過するだけの、駅前を歩いてみてください。
改札を出て駅の周辺を歩きます。
駅前にスーパーなどのお店があったら入ってみましょう。
発見があるはずです。
面白いなと思ったら、もう少し周辺も歩いてみましょう。
そうなると、次の駅まで歩き始めるのはすぐです。

普段の通勤で電車の窓から見える変なもの、ないですか?
降りてじっと見るとおもしろいものです。
近くで見てみると違いますよ。
電車の窓から、ちらっと見るのと比べ、じっくり眺める感動は一度知るとやめられません。
時間が自由だし近いと迫力がある。
なぞの理由がわかるでしょう。
ただ駅間歩きは、都会の電車はいいけれど、田舎の一駅は長いのでちょっときついかもしれません。
帰ったら、地図で歩いたルートを確認しましょう。
これがまた楽しいです。

<出張、旅先でウォーキング>
旅行や出張。
普段の生活から離れて、どこかに行くことがあったら、ぜひとも歩きましょう。
出張は楽しい。
泊まりの出張があったら、そのときはチャンスです。
ホテル、旅館に閉じこもっていては、つまらないです。
仕事のあと少しの時間でも歩きましょう。
でも、仕事だと自由な時間はないとおっしゃるでしょうか。
営業の職務、夜の接待が終わったら、歩くチャンスです。
寸暇を惜しんで歩きましょう。
まずは駅の周り、ホテルの周辺を歩きましょう。
ホテルに着いたら地図をゲットするといいですよ。
たいていホテルのフロントには、周辺の地図が置いてあり、飲み食いの場所が書いてあったりします。
寝る前に一回り、ホテルの前や周りを歩いてみましょう。
知らない土地を歩くことに、不安や抵抗があるかもしれません。
方向感覚が弱い、すなわち方向音痴を自認している場合、もしも迷ったら・・・と思うと前に進む勇気が出ないかもしれません。
心配ありません。
行った道を帰ってくればいいです。
ウォーキングを趣味にしているとそのうち音痴は直ってくると思いますよ。
スーパーを見つけたら必ず入りましょう。
そこは楽しい、保証します。
鮮魚コーナーを見ましょう。
地域独特な魚があるでしょう。
同じ魚でも名前が違ったり。
お総菜コーナーも、見る価値ありと言えます。
美人、イケメンを見つけるのもいいですね。
目が合ったら、店員さんとお話ししましょうか。
最後は、ビールなり発泡酒なり、その他なり・・・酒でも買ってホテルに帰りますか・・・・。
部屋に帰って一杯飲んで、楽しく寝ましょう。
ウォーキングの醍醐味は、知らない土地を歩くことです。
ただし、注意は必要です。
女性の場合は、夜歩きに注意しましょう。
都会の深夜は、男でも、強盗、おやじ狩りに注意が必要です。


歩数

2009年05月25日 | びわ湖一周

ウォーキングにかかわるエッセイを、書きためていきたいと思っています。

<歩数>
歩数とは便利なものです。

歩数とは何か。
ウオーキングの楽しさを、人間のもっとも理解しやすい「指標」である数字に還元して理解、コミュニケーションできる手段であります。
優しく言うと、ウオーキングするとき歩数を計るようになると、歩く楽しみが増え満足度が増し、同じ趣味の友人と同じ話題でコミュニケーションできるようになります。

<人間は数字が好き>
数字は人間にとってもっとも分かりやすい指標です。
人は理解しやすいものが好きなのです。
意味不明なものは嫌いです。
世の中のあらゆるものは、何でも数字(数値)にすることで、単純明快に理解できます。

<目標ができる>
歩くことが好きになり、趣味として続けていくとき、そこに歩数という数値があると、歩く行為はグンと楽しくなり、モチベーションも高まります。
多く歩けるようになると、歩数が増える喜びが生まれます。
歩数があるから目標を設定する事が可能になり、それをクリアしたかどうかがはっきりわかります。
達成の喜びがご褒美となります。
そうすると目標をクリアすることが日課になります。

<仲間ができる>
歩数という秤(はかり)を持つことで、ウォーキング仲間の間で、歩きの程度に関して共通の理解を持てます。
「昨日は2万歩行ったヨ」
「すごいね」
数字という明快な言葉で、たくさんの説明を省いてコミュニケーションがとれます。
これが進むと、距離の指標として「どこから、どこまで、約何歩」と歩数で会話できるようになります。
ウォーカーじゃなかったら、わかりません。


ウォーキングと私。

2009年05月24日 | びわ湖一周

<私の今年の目標>
今年の私は歩いてびわ湖を一周するという目標を立てています。
理由があります。
私は滋賀に生まれ育ちました。

就職後は、関東で暮らしました。
60歳の定年まで、このまま関東に居続けるのではなく、適当なタイミングで早期退職して、地元にUターンしたいと考えました。
50で会社を辞め、関東を離れました。

地元に戻り、幸いにも県の施設(消費生活センター)で嘱託の職に就くことができました。
地元密着の生活と勤務で、大変良かったと思っています。
この職場、消費生活センターでは、県民の消費契約に関わる様々な質問・相談にお答えしています。
そんな中、質問者との会話の中で、滋賀県の地理・地名で、わからないことがありました。
私が滋賀を離れていた何十年のうちに、市町村の合併が進みました。
ふるさととはいえ、身近に接していないと、地理がわからないのです。
私は、滋賀の地理を改めて知る必要があるとの意識を強くしました。
その結果、私の導き出した解答は、滋賀を歩くというものです。

2009年の元日、私は新年の目標としてウォーキングでびわ湖を一周回ると決意しました。

<もともとウォーキングが好き>
関東にいたころから、ウォーキングが好きでした。
ここ何年かは、歩数計をつけて楽しんできました。

ウォーカーにとって歩数とは便利なものです。
数字は人間にとって、もっとも理解しやすい指標です。
その日、どれだけ歩いたのか、歩数という値で把握すれば、前後の日との比較、歩き仲間との比較もできます。
ウォーキング仲間で、歩数で話をできます。
距離のものさしとして「何歩ぐらい」という数え方で、他人と理解ができるのです。
数字の増減を見れば、増える喜びがあります。

目標設定すれば、クリアすることが日課になり、達成の満足を実感できます。
通勤の行き帰りに、電車一駅もう一駅と歩いて、風景を眺めることを楽しみにしてきました。
通勤時間を余裕をもったスケジュールにしています。
その中から、歩いてみようかという気分がでてくるのです。

<どんな道を行くか>
びわ湖を周るにあたり歩く道は旧道を行くことにしました。

自分にとって旧東海道は、親しい道です。
自分が生まれて育った、そして現在住んでいる場所が、旧東海道沿いの「逢坂の関」の近くなのです。
ご存知でしょうか。
京の都から東国にでる最初の関所です。
古文の教科書に出てきましたね。
旧東海道は子どもの頃から私にとっては親しみのあるものでした。
この道は、現在でも国道1号線として、日本でもっとも重要な道路のひとつです。

関東暮らしの時も、茅ヶ崎、藤沢、横浜となぜか、旧東海道、国道1号線の近くに住んでいました。
友人に実家のことを問われたときは、1号線を指して「この道のずっと向こう」と説明していました。

滋賀に戻り、旧道に関する興味は、別のきっかけでまた深まりました。
草津市の駅前のアーケードの商店街を歩いていたとき、そこが旧中山道であると知りました。
何気ない商店街が、五街道の一つ中山道であること、そしてそこが街道の始点であることを知り感動しました。
滋賀には東海道だけでなく歴史のある道がほかにもあると頭に残りました。

<旧道の良さ>
旧道はいい。
古道を歩くと雰囲気がいいです。
本当の時間が作り出したもの、歴史以外には決して作りえないものがあります。
観光客向けのにわか作りのテーマパークのような旧道は、観光客には受けるでしょうが、しっとりとした奥深さを感じません。
その点、旧中山道の本当のいにしえからの風情は最高です。

<びわ湖一周ウォーキング>
びわ湖一周は、ウォーキングのテーマとしてとてもいいです。
びわ湖を一周するという、わかりやすいゴールが存在します。
何事も続けるには、ゴールに向かって積み上げていく喜び、これが大切です。

小さい目標と達成を積み重ねることは、何かを続けるための大事な要素です。
小さい喜び、何かのご褒美が、ものごとの継続の秘訣です。
やせることを目的に、同じところばかり歩いているウォーキングは、飽きてしまって三日坊主になることが多いです。

びわ湖一周というと、湖岸を歩くイメージがすぐに来るかもしれません。
私は、上に述べた理由で旧道を選択したので、湖岸を歩くびわ湖一周のルートになりませんでした。
だいぶ、離れたところを通っています。
でも、もちろん湖岸に道路はあります。
湖岸の道の良いところは、最短距離で回れること、常にびわ湖を眺めていられること、基本的に上り下りが発生しないことでしょうか。
湖岸の道のデメリットは、どこまで歩いたのかを、感覚的に把握しづらいことです。
景色が大きく変化せず、はっきりと地名が変わっていきません。
それから湖岸の道は、基本自動車ユーザー向けのものですから、トイレなども自動車移動の距離ペースになっています。


この日、守口でスケートをした。

 

守口で滑り三昧。朝の貸切に出たあと、いつもの教室。 - 「スケート大好き!」

今朝は、また6時代に家を出た。誘われて朝の貸し切りに参加することにしたのだ。 大人スケーターだけの貸し切りを月に一度やっているという。 リンクに到着すると、さらに...

「スケート大好き!」

 


コンビニ

2009年05月15日 | びわ湖一周

ウォーキングにかかわるエッセイを、書きためていきたいと思っています。

<コンビニ>
コンビニエンスショップは、ウォーカーのための社会インフラと言えます。

<コンビニのいいところ>
要所要所にあり、トイレが使えます。
いろいろと、ものが買えます。
飲み物があるし、不慮の際の連絡も応急処理の調達もコンビニがあればOK。
コンビニでビール(発泡酒)を買って歩くのもいいですね。

<軽装のすすめ>
登山などに行くならば、最初から装備を整えて行くのでしょう。
ウォーキングは、もっと気楽に出かければいいのではないでしょうか。
普段着でさっと出かけて・・・もし気候の変化で問題がおきても、防寒、雨具など、コンビニがあれば服装なども何とかなりますし、ハンカチ、はなかみ、その他、必要なものは買えます。
場合によっては、服さえも買うことさえできます。


気軽なウォーキング

2009年05月13日 | びわ湖一周

ウォーキングにかかわるエッセイを、書きためていきたいと思っています。

<気軽なウォーキング>
ウォーキングの定義は、人によりいろいろあるのでしょう。
私は「町歩きは、気ままに歩けばいい」と考えます。

<地図を持たないウォーキング。>
ウォーキングに地図は必要ないかもしれません。
構えずフラッと始められる趣味と考えます。
「でも、地図がなけりゃ、迷ったらどうするの」
とあなたは聞くでしょう。
大丈夫です。
地図がなくても、歩きはできます。

<線路沿い>
まず思いつくのは、線路沿いに歩くことです。
これは最も安心。
出発地も駅、ゴールも駅、同じ線路。
道の都合で線路から離れたら、その次の角を曲がって線路まで近づく。
そうやって歩いていけば、決して迷うことなく次の駅まで行けます。
日を変えて別の駅間を歩く。
慣れてきたら線路を離れても、だんだん平気になります。
線路沿いウォークがマスターできたら、次のランドマークを見つけましょう。

<区切りの中で>
土地というのは、何らかの区切りがあります。
どんな土地でも山、川、海岸線(湖岸線)などで区切られています。
ですから、その範囲でさまよえば、知らない道で迷ってもどうせその範囲内です。
迷っても平気。
歩いていける程度の距離なら、戻ればいいです。
そんな気持ちで歩いてみましょう。

<山に入るな>
このとき山には入ってはいけません。山歩きは別のカテゴリーでしょう。
登山など本格派のウォーキングとは異なるウオーキングです。

<いつでもやめられる>
ウォーキングをするのに気構える必要はありません。
いつでもやれます。
予定をする必要はありません。
思いついたら、いつでも歩きましょう。
町を歩くのであれば、いつでもやめられます。
これが山歩きだと降りてこないと終わりません。
途中でやめられないのです。
ウォーキングならいつでもやめられます。
もちろん、何らかの公共交通の駅(停車場)にまでは行かないといけません。
すぐやめたかったら携帯電話でタクシーを呼んだらいいのです。


車道を歩くのはつらい、どの道も歩道は整備してほしい。

2009年05月12日 | びわ湖一周

ウォーキングにかかわるエッセイを、書きためていきたいと思っています。

<車道を歩くとつらい>
車の多い道を長時間歩き続けるのは、つらいものです。
自動車中心に考えられた道は、歩道が狭かったり歩道がなかったりします。
狭い道では、ぎりぎりに走る車に恐怖を感じます。
トンネルの中を車といっしょに歩くのは、きついです。
排気ガスが苦しいです。
車と一緒に登り道を行くとき、車がエンジンをふかすところは、人間も息があがっています。


坂田から長浜をへて虎姫まで。

2009年04月16日 | びわ湖一周

出発地の坂田まで電車に乗る。
やはり家から遠い。
単に遠いだけでなく電車の本数が減り、駅で止まっている時間も長い。

この旅も7日め、今回からの新たな課題に挑戦する。
それは、すれ違う人すべてに会釈をすることである。
人々との交流、新たな出会いを求めてである。
どうなることやら・・・。

坂田駅は閑散としている。
田舎だ。
10:30。
駅前の神社で三度笠をかぶり歩き始める。
歩く北国街道は県道556号だ。
この道は歩道がない。
路肩の白線上を歩く。
中央線のない細い道路だ。
だがそんなに車の数が多くないので怖くない。

山は、新緑の薄い緑。
歩く服装も軽くなった。
程なく田村に着く。
田村神社で参拝する。
まだ誰とも行きかわない。
歩き続け、長浜の町はもう目の前だ。

ちょうど11:30になり、長浜新川に沿う「夕映えさいかち通り」という風雅な通りにある梅花亭というラーメン屋さんで、食事をする。
おいしいラーメンだった。
事前に調べておいた本のコピーを見ると、このあたりの北国街道は556号から離れたところにある。
いったん田んぼで道は消え、湖岸でまた始まっているのだ。

食後、川筋を下って街道に入る。
道はびわこ大仏の前を通る。
竹生島から長浜港に船で入港するとき、湖岸に大仏の後姿が見える。
大仏はびわ湖に背を向けているのではなくて、街道に向かって立っているのだった。
そういえば以前私は、「大仏見物」を趣味にしていた。

この先の北国街道は、雰囲気のいい旧道だ。
地図を頼りにJR北陸本線をアンダーパスで渡り、ヤンマーの工場の脇を長浜の駅前に向かって歩いていく。

長浜の町は春の風物詩「曳山祭り」が終わったところ。
今から片づけるのであろう舟形の山車を眺め、祭りのパンフレットをもらう。
数日前、仕事帰りにちょっと寄ってみて、子ども歌舞伎の町内向けの演技を眺めた。
長浜の曳山祭りは有名だ。
この町を統治していた豊臣家に子どもが生まれたお祝いに、庶民に金(きん)を配ったのが始まりである。
この祭りの規模は湖国でも最大級だ。
お囃子「シャギリ」の音が湖面にこだますると人は言う。
私は初めて見た。
正月から歩き始めて、ちょうどお祭りにあわせて長浜を通過したのも何かのタイミングだろうか?

いよいよ駅前になると、北国街道は観光客がいっぱいの観光エリアだ。
だがそれは、お化粧された旧道だ。
時間を積み重ねて得られる、歴史だけがつくりあげることができる本物の風情ではない。

やがて北国街道は、田舎の商店街のはずれという風情になる。
ここから旧道はカーブし、地図を頼りにJR北陸本線を踏み切りで渡り、湖岸の自動車道に入る。

また自動車道の横の歩道を歩いていく。
この道は、また中央線なしの歩道なしになり、路肩の白線上を歩く。
車が多く、怖い。
渋滞の抜け道になっているのだろうか、狭いのにやたらスピードを出している。

しばらくして国道8号に合流。
自動車はバイパス、旧道はその横を通る。
安心して歩ける。
この旧道は、北国街道の道標もあり風情がある。

塩津街道の別名表示も出てきた。
古戦場の姉川を渡るため、道は8号線に吸収され旧道は消える。
川を渡ったころで、今日も疲れたので、JR虎姫駅へ向かうことにした。

途中「酢」という地名の交差点やバス停があり、デジカメに納めた。

本日の行程、23000歩。4時間。11キロ。


彦根から番場を抜けて坂田まで

2009年03月31日 | びわ湖一周

代休で今日も歩きます。

電車で歩き始めの地点まで向かう。
その時間もかかるようになってきた。
本日の出発点は彦根。
現在の職場がある。
滋賀県消費生活センターだ。
定期があるので助かる。

彦根駅で降りて中山道まで向かう道は、朝鮮人街道を歩く。
朝鮮人街道とは、江戸時代、朝鮮通信使が通った道である。
朝鮮通信使とは、豊臣の朝鮮出兵後の江戸時代、復活した日朝国交の朝鮮からの使節である。
その使節に対して、近江の中は東海道でも中山道でもない特別な道を歩いていただいた。
それが朝鮮人街道と呼ばれる慶賀の道である。

ところが、この朝鮮人街道は現在あまり知られていない。
私はこの道のことでいろいろと人々と話をしてみたが、先の戦争で日本と朝鮮の間に起きた出来事、その結果の日本人の心の奥に植えられた感情、朝鮮人街道というネーミングから、江戸時代の人々の思いとは異なる解釈で、この歴史の道が忘れ去られようとしつつあることを知った。

彦根の町はJRの駅の西側と東側で雰囲気が異なる。
西は湖岸に彦根城が建てられ井伊の城下町となった。
現在も行政機関、学校、商店はこちらに集中している。
東は山。
石田光成の佐和山城があった。
だが江戸時代、敵方の城となり寂れていった。
それが現在でもそのまま続き、開発が進んでいない状況にある。

彦根駅からの朝鮮人街道は、別名彦根道とも呼ばれる。
佐和山にかかるその道には、建設業者が建てた奇妙な建築物群が、訪れる人もないまま朽ちゆき、シュールな眺めをもたらしている。

鳥居本の宿で中山道と合流。
石の道標が残る。
鳥居本の街中は、静かで昔の風景の残る旧道だ。
途中明治天皇の旧跡も多い。

しばらく行くと道は国道8号線に合流する。
そこが、中山道と北国街道の分岐だ。
このまま8号を行くと、北国街道になる。

私のこの旅の目標はびわ湖一周である。
ここらあたりで中山道に別れを告げて北に針路を取るべきなのだが、もう少し中山道に付き合う。

分岐からの中山道は摺針峠を上る。
この道は舗装道を離れている。
旧中山道は別名「1日中山道(いちにちじゅうやまみち)」と言われる。
ここは本当の古道、自然道の山道をあがる。

途中、向こうからハイキング姿の女性2名とすれ違った。彼女らは三度笠姿の私を見て
「あなたは、番場の忠太郎ですか」
と聞いた。私は
「えーっと、ちょっと違います」
と答えた。
この旅で最初の“声かけられ”だった。
三度笠の効果がはじめて出た。

山上の望湖堂跡でびわ湖を眺めた。
景勝地として有名だ。
休憩しながら、Sさんに携帯電話をかけた。
Sさんは同じ職場の方で本日定年退職する。
彼はこの先の番場に住んでいる。
前から、私のびわ湖一周の話を聞いて、番場に寄るようにと言われていた。

番場には名神高速道路が通っているらしい。
私の家の近くもそのハイウエイは通っており、じゃあSさんのうちと、私のところは繋がっているんですね、と盛り上がった。
私の目的はびわ湖一周なので、番場は行かない予定だと言うと、まあそう言わず・・・、いいところなのでぜひ寄っていってくれ、前を通ったときには、茶を一杯しんぜるとのことだった。
それで、寄ることにした。
電話をかけるとSさんは留守だった。

望湖堂を発ち歩き始めた。
程なく番場の町に入る。
石碑があった。
ぜんぜん人がいない。
まったく人気がないので、セルフタイマーで記念撮影する。
番場の道の両側にはポツポツと人家が並ぶ。
Sさんの家を探したが、同じ名字ばっかりでわからない。

向こうから、中山道ウォーカーっぽい男性がやってきたので、会釈をした。
彼は、
「どのあたりまでいくんですか」
と聞いた。
私は
「足と相談です」
と答えた。
彼は、
「私は関ヶ原からきました。鳥居本あたりまで行く予定です」
と言った。
関ヶ原か・・・岐阜県だなあ・・・。
私は中山道を、この先も進んでいきたい気持ちがした。
現在の私の目的はびわ湖一周である。
いつかまた機会があったら、中山道踏破の旅にでたい。

宿場はずれ、峠を下って米原の町に降りていく。
本日は大回りをしたので距離は稼げていない。
登りがきつかったので足も疲れた。
湖岸を歩くのだから、基本的にこの旅「びわ湖一周」は登り下りはあまりないはずだ。
だが今日はたっぷり登ってしまった。
足が疲れた。

米原まで出て地図をみて北国街道に入る。
そこはJRの東海道線と北陸本線が分岐する部分だった、新幹線も見えた。
少し北上して坂田で電車に乗った。

本日の行程、20000歩。3時間。11キロ。


五個荘から彦根へ。

2009年03月21日 | びわ湖一周

春のお彼岸を含む3連休。
中日。
歩く。

正月にはじめたこの趣味も、町は沈丁花の香りが漂う季節になった。

JRで彦根まで行ってから、近江鉄道で五箇荘駅へ(地名は五個荘で、駅は五箇荘だ)。
春の晴天、季節もよく駅には観光の人々が降りる。
11時、私も歩き始める。
愛知川を越えるあたりで国道8号に合流、愛知川宿入り口からまた旧道だ。
道はひたすらまっすぐ・・・豊郷をへて、高宮へ。

ここで調べておいた、玉屋というお店でラーメンを食す。
うどん、そば、丼もやっている店、まさにそば屋のラーメンである。
おいしかった。
向かいは、丸紅・伊藤忠の始祖、伊藤忠兵衛の生家だ。

このあたりから、かなり疲れ始める。
足も痛いが、8号の抜け道になっているのか車が多く、喉も痛い。
おかしなことに尻も痛い。
多賀大社への参道の大鳥居を眺めたところで、旧中山道をそれて彦根駅へ向かった。

本日の行程、4時間、約16キロ、25000歩。