89歳の日々

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これがモロッコ(5) マラケシュ

2007-03-04 13:57:36 | 海外旅行
海外旅行 モロッコ 
              旧市街の「ガリア・ホテル」中庭
 フェズからカサブランカ経由でマラケッシュ飛ぶ。ここは11世紀頃、初めてベルベル自身でイスラム国家を作った都(世界遺産)で、北アフリカ最大の商都との事。

 私共の宿は旧市街の「ガリア・ホテル2星」。何処に行くにも浮浪者のような人でごった返す「フナ広場」を通り抜けると、さてどんな怪しげな宿に着くかと心配したが、ガイドブックで「モロッコ情緒にあふれ、清潔、冷暖房付き・・」は嘘ではなく古い建物を改造した、小さなホテルで、ヨーロッパのジャーナリストや、口うるさい夫から逃避中のフランス夫人などと、植物の茂る中庭で食事を共にしたりする。1部屋6500円

 旧市街の中心の「クーとピアの塔」を通って賑やかな「工芸館」など見る。昼食に建築好きな私共は、モロッコで最も歴史のある素晴らしい「マムーミアホテル」を目指すが、いくら歩いても着かない。1時間も歩いて、この素晴らしいモロッコスタイルの5星ホテルは、工事中で休業中だったことが分かる。
 
 探し疲れて、近くのヨーロッパ風のホテルで昼食、お客は総てフランス人。庭に面したレストランで生野菜のサラダなど安心してパクつく。お肉やデザート、2人で4,500円ほど。

 私共は、屋台とか、不潔な感じの店は、どうも好きではないので、その地方の趣を生かしたホテルやレストランを選んで食事をするが・・でもいつも上手く選べるとは限らないのです。

  2階建ての観光バスに乗り、新市街を回る。驚くほど整然とした近代都市。清潔でバラの花など植えている。私共の宿のある世界遺産の旧市街は、紙くずやゴミが散らかり、相変わらず沢山の生気の無い男性たちがぶらぶら立ち並んでいる。世界の観光客はこの旧市街を見に来るのに、新市街ばかりが綺麗になっている。

 モロッコに来て以来、町を歩いていると1日に何度も、若い男性が「私は学生です。英語の勉強のため、あなたを案内したい」というが、ここではお腹の出た 中年の男性までが「私は学生です・・・」と同じせりふを言うのには笑ってしまった。なにか中年向きの違うセリフが無いのでしょうか?

 立派な紳士が親切に案内して下さることもあるのですが、殆どは、ほんの5m先のモスクを尋ねても、附いて来て案内料と言ってすぐ手を出してお金を要求する。きちんとした人でもそういう風習らしいので、あきれて物も言えず、首を振る。これがモロッコらしいのです! 

 翌日は中庭での朝食。スロベニアからの夫妻と話す、私共姉妹とも、スロベニアに行った事があって話がはずむ。昨日は休みだった新市街の本屋で、「モロッコの旧市街の建物」の美しい本を買う.7500円。何よりの良い買い物になった。

 アマングループのホテル「アマンジェーナ」にタクシーで行って昼食。ここは1室15万~25万円という すごいホテルだが、お庭でランチのみは私共にも可。リッチなサラダ、ラザーニア、シャブリ、デザート、コーヒー。2人で12000円。
 中央に池を配した、イスラム風な別天地のホテルのお部屋や、大きなショップなど飽きずに回ってみる。

 タクシーを待っている間に、ホテルのマネージャーと色々話をする。9.11以来アメリカ人は、イスラムの国には来にくくなっているのでしょうと言う。イラクの話になって、私共も大いにモスレム側に同情する。タクシーが余り遅いので、運転手のケータイに掛けてもらうと、何とタクシーはパンクして来られないとの事、これは全くモロッコでした。

 広大な「バイヤ宮殿」など旧市街を回る。アクセサリー店で、一人旅の日本人の若い女性に珍しく会う。お店の人に「ネックレスなど半額なら買う」と言うと、その女性は驚いていたが、ここでは1/10から、掛け合った方が良いと言われている。言い値の半額ななら喜んで売る。

 ここの巨大な市場は、ほとんど日用品を売っているので私共観光客には買うものが余り無い。絨毯商人に付いて、スークの迷路をあちこちくぐり抜けて、絨毯の倉庫のような所にも行って沢山見たが、品質の良い物は無かった。

 翌日又、雑踏のフナ広場を越えて、ベン・ユーセフ・メドレッサ(神学校)をみる。16世紀から20世紀まで遣われた神学校。モロッコの建物はアトラスからの良質な木材に恵まれてい、木部に繊細な彫刻が施されて、タイル細工と複雑な美しさを醸している。130人の生徒の個室がタイルの中庭を囲んでいる。美しい「アグノウ門」「エル・バデイの廃墟」など回る。
 
 モロッコの建築の素晴らしさは、1492年にスペイン全土がキリスト教国になり、多くのイスラムの人たちが追い出されたことにより、アルハンブラ等を作ったイスラムの人が海峡を越えてモロッコに来て、その豪華絢爛の建築技術をを伝えたと考えられる。

 翌日、9日間のモロッコ旅行を終え、カサブランカ経由でドバイに向かった。



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