89歳の日々

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孫娘と訪れたメキシコの人々 (1) メキシコ市とMさん

2009-10-10 02:26:59 | 海外旅行
       9月16日の独立記念日の飾りつけ

 メキシコ(1)    メキシコ市 と Mさん
ヒューストン経由でメキシコシテイに午後着きますと、白いブレザーを着た長身のMさんが迎えに来て下さいました。 当地のロータリーの会長が「彼はとても立派な方です」とmailを下さり、4日間も私共のホストを申し出て頂いた方に、ここで初めてお目に掛かりました。やさしい感じの方で、日系の3世のこの彼に4日間のスケジュールを総てお任せしています。

  まず日本人会館に迎いました。ここは、テニスコートやプールもある広い敷地に立派な庭園に面してお寿司や、焼肉のレストランもあり、中のお部屋では草月流の生花教室に参加している彼のお2人のご姉妹にご紹介頂きました。お1人はここでメキシコ人の生け花教師をなさっておられます。

  ここのお庭には、この土地も寄付された松本三四郎氏の胸像がありました。                   第2次世界大戦開戦の時、アメリカ国境近くの日本人が72時間以内に持てる物だけ持って、メキシコシテイ等に強制移動された時、大統領の知己でも有った高名な造園家の松本三四郎氏は自分の農園の建物を提供して百何十人もの日本人を救済された事を、後でMさんのお母様に伺いました。

 84歳のお母様はとてもお元気でお宅ではお嬢さん一家と住んでおられ、妹様も来られて賑やかな夕食でした。Mさんが大きなマンゴー入りのケーキを、甥ごさんが海老のフライをと、ここでは男性陣もお料理上手です。巻き寿司や蛸のお酢の物など沢山の美味しい日本料理で 初めてのお宅でこんなご親切にして頂き感激しました。

 お母様やその妹様も小さい時のことを良く覚えてお出でで、沢山の日本人が入植されたメキシカリには立派な日本人学校があり、幼稚園時代から日本に帰っても困らない様にと、その日本人学校に通い、メキシコの小学校に行った時には、夕方から夜まで、又日本人学校に通いとても眠かったそうですが、そのお陰で今でも立派な日本語を話されます。ご子息Mさんは英語の方が楽な用ですが日本語もかなり話されます。

 このお宅は50年も前に建てられ鉄筋造りでは広い居間や食堂などのとても立派なお家ですが、強制移動されて10数年後に広い敷地にこのような家も作られたのは、ここでお父様が短期間に大変成功された証と思いました。

 Mさんは独身ながら、500坪余のお庭がある48坪程の自宅マンションに住んでおられ、小さな別室付きのベッドルームを私共に提供して下さったのです。彼の作る朝食も、お庭の色々な果物も使って素敵なものでした。彼はかなり楽そうな自営業ですが、庭作りも趣味で広い庭を綺麗に保ち、片隅に作られたアスレチックジムで定期的に運動をなさるそうです。

 2日目、フランス人が治めていた時にシャンゼリーゼのように作られた大きい並木に面したロータリ会館に Mさんは私共を連れて来て下さり、ガヴァナーのチャーミングなF夫人をご紹介下さいました。九谷焼の“鴛鴦の箸置”を差し上げましたら、私共のホームページを開かれ、何もかも素晴らしいと言われ、特に九谷美陶園の売れっ子の「メキシカンシリーズ」を喜ばれました。

 美しい彼女の一番お勧めのシックなインテリアのメリアホテルでお食事をご一緒に頂きましたが、「M氏一族のプールのある7寝室の別荘は行くべきよ」など話され楽しい時間でした。 

 その後私共は有名な考古学博物館を見に行きましたが、巨大な石造文化に押しつぶされる程で予習して来た筈ですが、オルメカ、マヤ、トルテカ、アステカなどの各文明をとても消化できませんでした。

 丁度9月16日の独立記念日前で町はその飾り付け中でしたが、F夫人が夜はロータリーの独立記念パーテイに招いて下さいました。女性たちは皆、ひらひらの地方ごとの民族衣装を着て、男性でも銀色のメタルを飾った素敵な衣装の方もありました。カップルの衣装コンテストがあり、皆上気した顔で大騒ぎです。何と言ってもこのF夫人は真っ白い豪華なドレスに大きな花の髪飾りをつけ、にこやかに挨拶して廻る姿にかなう人はありませんでした。私共がこっそり帰ろうとすると、マリアッチの楽団と一緒に写真を撮して下さったり、皆々親切なメキシコの人でした。
              


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