89歳の日々

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インドに仏蹟を尋ねて・・若きブッダ・・

2012-03-06 20:48:07 | 海外旅行


写真は 祇園精舎跡・・
 平家物語の冒頭にも「祇園精舎の鐘の音、生者必滅の理を現す」と。
(紀元前4世紀に、コーサラ国の皇太子の園林だった処を
 資産家スダッタが沢山の黄金で 買い取り、ブッダに寄進した僧院。
 此処でブッダは24回の雨季を過ごされ沢山の経を説かれたと言われます。
 7世紀には玄奨も訪れてていますが、当時はもう廃墟だったようです。

私共夫婦は2月下旬~3月初めにかけてインドの仏蹟を巡るツアーに
参加しました。
22回も仏蹟を尋ねられた大学の名誉教授の皆川先生がご案内下さり、
その方がとても素敵な良い方でしたので、他の7人程の方たちと
楽しくて勉強になる旅行をして来ました。

私共は一応 仏教徒なのですが、日本の仏教はブッダが説いた教えとは
違うように思い、今回ブッダの遺跡を巡る事で少しでも仏教の本質や
ブッダの生き様、教えを知ることが出来るかなと思ったのです・・・

北インドでは朝はジャケットとセーターを着、日中はジャケットだけ位の
気候で、旅行には快適な時期でした。

私共がお釈迦様と言う ゴータマ・ブッダはインド国境から4キロ程
北にある、現在ネパール領の「ルンビニ」に紀元前463年頃に生れました。
当時シャカ族はコーサラ国に従属していましたが、ブッダの父は
そのシャカ族の国王でした。

皇太子のブッダの纏っている布はすべてカーシー(現在のベナレス)産の
もので、冬と夏と雨季の3つの宮殿があった 等々とその生活を語たられと
古い仏伝が伝えています。
シャカ族の中心地 カピラ城からベナレスへは多分 300キロ位は離れて
いるので、2500年も前にここからは山越え、川越えで大変な日数をかけて
皇太子ブッダが着るその最高のブランドの布を運んできたのでしょう。

生誕の地「ルンビニ」
ブッダの実在は英国人の1898年フューラがBC3世紀のアショカ王が建て
碑文が刻まれた石柱をこのルンビニに発掘した事で判明したと言われます
碑文には「王はブッダが誕生されたこの土地に来て、石柱を立てた・・・」
それは頭部が失われていますが古代の文字も見る事が出来ます。
母親のマヤ夫人の大きな遺跡は今は覆家に入っていました。
此処は国連の指導で、丹下健三による仏教公園都市が計画され各国の
仏教寺院が作られ整備された公園になっていました。
余り広いので、2人づつ リキシャ乗って移動をした位です。

この辺りは今も一面の緑の穀倉地帯ですが、ブッダの時代もお米が作られて
豊かな土地だったと言われています。
処が舗装はしているとはいえ、道がでこぼこで私が付けていた万歩計は
車の振動で何万歩にもなり、一人の方は席から跳ね上がって頭をぶつけて
しまいましたよ! これは本当です。

さて、29歳のブッダは出家を志して自国のカピラ城の南門から馬に乗って出城し
当時一番強大なマガタ国の文化の中心だった首都ラジキールまで
600キロも行き、そこで有名な人に学びご自分でも修業をしましたが、
その都は山に囲まれた要塞の地ながら、今は一面に草と灌木が茂っていて
つわもの共の夢の跡でした。ブッダの死後、第1回の仏典結集の遺跡や
その他沢山の遺跡があります。






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