89歳の日々

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オノ・ヨーコさんと私(中)

2010-12-13 18:46:18 | 日々
          (来年の干支の兎の飾り皿を食堂の窓際に飾りました。)
「オノ・ヨーコさんと私」などと思わせぶりなタイトルと書きながら、
その日は書きはじめれず尻切れトンボで終わり、申し訳ありません。

1988(昭和63)年7月、オノ・ヨーコさんが3日加賀に来られ、
ジョン・レノンのスケッチを付けた陶磁器を作りたいのと、
この地方を案内して欲しいと頼まれました。

何しろ22年も前の事ですから、おおざっぱな事しか覚えて居りません。
私が3日間の計画をたて、それを弟さんに手紙かで(FAXは無かった?)お知らせしたら
これで良いので全部お任せするとの事でした。
レノンのスケッチを付けたお皿は、ヨーロッパでも作られましたが、
日本でも試みるつもりだったのではないかと思います。
結局私共の処ではプリントの経験もなく上手くいきませんでした。
(後に有田の大きな会社で少し作られた様でした)

オノ・ヨーコさんは、若くて優しいヨーロッパの男性とご一緒で、
その他ご自分の弟さんとその部下の方との総勢4人で小松空港に降り立たれたのは、
午前中でした。
ヨーコさんはいつもの大きなサングラスにつばのある黒い帽子に上着とパンツ共に
黒いものをお召しでした。
お洋服は黒ずくめでしたが、お人柄は芸術家とかの特別な感じではなく
むしろインテリの女性のフィーリングのようでした。

私は、空港にお迎えして途中、那谷寺をご案内しましたらとても気に入られて、
紙を広げて何か音符のようなものを書きこまれました。
弟さんは彼女がそのような芸術的な事をなさるのは素晴らしい事だと那谷寺に
お連れした事を喜んで下さいました。

その間に私が若い男性と少し話しておりましたらヨーコさんは
「英語が出来るのね。勿体ないわ」と言われた事を思い出します。
小松空港辺りで、「コカコーラの広告があるわよ」と珍しげにつぶやかれたのは、
当時余りふつうの日本の地方に来られた事が無かったのではないかと思いましたが、
同様に私の簡単ながら英語を話すのを珍しいと思われたのではないでしょうか。

私共の工房に来られ、夫と話しをなさったりでしたが、親しい作家の川島洋さんに
来て頂き、ヨーコさんが直径45センチの素焼きの大きなお皿3枚や、
お抹茶碗に字を書いたり「色絵で夢を持とう」と九谷5彩で描かれるのを、
手伝ってもらいました。
これは色絵でしたし、九谷美陶園に下さり、とても素敵なのでしたが、
後で、「何かの展覧会に出すので貸してほしい」とのことでお送りしましたら
もう帰って来なかったのが、今ではざんねんです。
ヨーコさんは字を書かれるのもさっさとなさるような方でした。

昼食は、私共の自宅のベンガラの壁に漆のに柱のこの地方色のお座敷で、
ヨーコさん達4人と私共夫婦と川島さんで、当地の「柿の葉寿司」等の昼食を
召し上がって頂きました。
そのあと又工房で打ち合わせ等を致しましたと思います。

お宿は山中温泉の小さな「かよう亭」にご案内し其処に2泊なさいました。
次の日からは、主には、加賀の工芸をご案内しました。
タクシーにヨーコさんと若い男性が乗り、
私の車をヨーコさんの弟さんが運転し、2台で3日間、あちこち回りました。

白山のふもとの牛首紬を見に参りましたら、若い社長さんは沢山の方が働いている
工房を案内して下さり、ご自分の別荘で栃の実餅(和菓子)等を
お出し頂いた記憶があります。
其処の方々ではどなたもオノヨーコさんだと言って騒がれないので、
ずっと後に「スタッフの躾が良いのですね」と申しましたら、
何と「どなたか分からなかったので残念でした」と言われました。
(私共ではどのような方がお見えになられても、普通に静かにしているように
常々申しております)

次に、中島町の和紙工房をお訪ねしました。
和紙には興味がお有りのようでした。ここでオーナーの方が
「お連れのお客様はどちらの国の方ですか?」と尋ねられ私は、
「スペインのからの方よ」と申しました。
若者はヨーロッパ人(ポーランドのインテリアデザイナー?だったと思います)ですし、
ヨーコさんはつばの付いた帽子も何もかも黒ずくめでスペイン人のようでしたから。
此の和紙工房の方にも最近になって、「オノヨーコさんだったのですってね」と嘆かれました。

昼食は白山姫神社を一寸見て、近くの「和田屋」で頂きました。
其処は鄙びた風情にした素敵な処で、炭火で岩魚等を焼いて、
鹿や猪などのお料理を頂きました。お味は少し塩辛い方でしたが・・・

午後は金沢に参りました。
泊まっられた宿の接待さんに金沢に行かれるなら「忍者寺」を勧められ、
宿の主人が県会議員でしたので、休日ながら見せて下さるように頼んで下さいました。
私も初めて拝観しましたが、江戸時代にお寺の創建者が迷路のような建物を作るのに
興味があったのではないかと思いました。
戦いの時の為にはあまり役に立たないのではないでしょうか?
ヨーコさん達も結構楽しまれた様でした。

夕食は、どこが良いかと迷いましたが、高台にある料亭「山の尾」は雰囲気が一番素敵と
思い予約しておきました。丁度夕暮れ時で離れの部屋から下の町を見下ろすと、
東の郭が版画のように美しく見えて素晴らしい眺めでした。

此の後、2度程同じお部屋で夕方食事を頂きましたが、こんな夕暮れの版画のような風景を
もう一度見ることは出来ませんでした。
おかみさんがずっと付いて御世話をして下さり、器もバカラとか作家ものとか素敵にして下さいました。
(多分、山中の宿の主人がヨーコさんの事を、伝えてあったのでしょう)
何と、現在の「山の尾」のご主人は山代温泉の私共の本家・寺前家の隣の作り酒屋の室谷様の
二男の方で「お宅のお隣だったのですよ」との事、驚きました。

ヨーコさんの左手の薬指の指輪がシャープでモダンでしたので、見せて頂きましたら
カルチエとの事で、「彼からの贈り物なのでそんなにお高いのではないのよ」と
私の指にはめて見せて下さいました。丁度同じくらいのサイズででした。

ずっと後になってニューヨークに行った時、カルチエの店でそのデザインを探し、
デザインブックまでも見せて貰いましたが、見つかりませんでした。
今思えば、特注だったのでしょう。
私の好きなシャープなデザインで今でも細部でまでも記憶して居りますので、
どなたかに同じように作って頂きたいものです。 

「ヨーコさんと私」はとても長くなりましたので、次にもう一回書いておしまいにします。

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