"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか”

2012-03-03 04:35:35 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

 (転載開始)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
     致知出版社の「人間力メルマガ」

                2012/3/1】 致知出版社編集部 発行
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 このメールマガジンでは、皆さまの人間力・仕事力アップに
 役立つ言葉や逸話を厳選して紹介しています。

 本日は『一流たちの金言2』に収録されている
 20の感動エピソードの中から、
 特に反響の大きい上月照宗氏(永平寺監院)の
 記事をご紹介します。


────────────────────────────────────


        「お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか」


           上月照宗(曹洞宗大本山永平寺監院)

                 『一流たちの金言2』
            http://www.chichi.co.jp/book/7_news/kingen2.html


────────────────────────────────────

親と子といえば、私には
どうしても忘れられない逸話があるんです。

土井敏春という中尉の話です。

昭和16年の安慶の攻略線の際、土井中尉は
部下5人を連れて将校斥候に出たのですが、
敵の地雷に引っ掛かってしまった。

    (中略)

一瞬にして5人の部下が
即死してしまったのだから惨いことです。

助かったのは土井中尉一人。
しかし、彼自身も両足と片腕を吹き飛ばされ、
爆風で脳、眼、耳が完全にやられてしまった。

あまりの苦しさに舌を噛み切って自害するといわれますが、
土井中尉は上下の歯もガタガタになってしまった。
死ぬに死ねません。これほど悲惨なことはありません。

どこにいて、何をしているのかもわからない。
声だけは出るものですから、病院に担ぎこまれても、
ただ怒鳴り散らすばかりです。

まだ昭和16年のころでしたし、将校ですから、
病院や看護婦は至れり尽くせりの看護をしたのですが、
本人にしてみれば地獄です。

目は見えない、耳は聞こえない、自分で歩くことも、
物に触れることもできない。

食事も食べさせてもらうのはいいが、
しょっちゅう漏らして看護婦の世話になる。
ただ、怒鳴るだけしかできず、介護に反発しますから、
ついには病院中のだれにも嫌われてしまった。

それで内地送還になり、
最後は箱根の療養所に落ち着くのです。
その連絡がお母さんのところに届きます。


すでに、夫を亡くしていたお母さんは
その当時はみんなそうでしたが、
息子のために毎日毎日、陰膳を供えて
彼の無事な帰還を祈っていました。

ですから、息子が帰ってきたという知らせに
母は娘と夫の弟さんを連れて、取るものも取りあえず、
箱根に駆けつけたんですね。

療養所では面会謝絶です。院長にお願いしても、

「せっかく来られたのですが、
 息子さんにはとてもあなた方のことはわからないでしょう。
 今日はお帰りください」

と聞き入れてもらえない。

しかし、母にとっては待ちに待った息子の帰還です。
何とか一目でいいから会わせてほしいと懇願し、
やっとの思いで院長の許可を取ることができました。

病院に案内されると廊下の向こうから
「わぁー」という訳のわからない怒鳴り声が聞こえます。
どうもその声は、自分の息子らしい。
毎日陰膳を供えて息子の無事を祈っていた
自分の息子の声であったのです。

たまらなくなって、その怒鳴り声をたどって
足早に病室に飛び込みます。

するとそのベッドの上に置かれているのは、
手足を取られ、包帯の中から口だけがのぞいている物体
息子の影すらありません。声だけが息子です。

「あぁー」と母は息子に飛び付いて、
「敏春!」「敏春!」と叫ぶのですが、
耳も目も聞こえない息子には通じません。

それどころか、「うるさい! 何するんだ!」といって、
残された片腕で母を払いのけようともがくのです。


何度呼んでも、体を揺すっても暴れるだけです。
妹さんが「兄さん!兄さん!」と抱きついても、
叔父さんがやっても全然、受け答えません。
三人はおいおい泣き、看護婦も、
たまらずもらい泣きしました。

何もわからない土井中尉はただわめき、
怒鳴っているばかりです。

こんな悲惨な光景はありますまい。
しばらくして、面会の時間を過ぎたことだし、

「またいいことがあるでしょう。今日はもう帰りましょう」

と院長が病室を出ると、妹さんと叔父さんも泣きながら、
それについて帰ります。

しかし、お母さんは動こうとしない。
どうするのか、見ていると、
彼女はそばにあった椅子を指して
看護婦にこういうのです。


「すみません。
 この椅子を吊ってくださいませんか」


そして、それをベッドに近寄せると
お母さんはその上に乗るや、もろ肌脱いでお乳を出し、
それをガバッと土井中尉の顔の
包帯の裂け目から出ているその口へ、
「敏春!」といって押しあてたのです。


その瞬間どうでしょう。

それまで、訳のわからないことを怒鳴っていた土井中尉は、
突然、ワーッと大声で泣き出してしまった。
そして、その残された右腕の人差し指で
しきりに母親の顔を撫で回して


「お母さん! お母さんだなあ、
 お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか。
 家に帰ってきたんか」


と、むしゃぶりついて離さない。
母はもう口から出る言葉もありません。

時間です、母は土井中尉の腕をしっかり握って、
また来るよ、また来るよといって、帰っていきました。

すると、どうでしょう。
母と別れた土井中尉はそれからぴたりと怒鳴ることを
やめてしまいました。

その翌朝、看護婦がそばにいることがわかっていて、
彼は静かにいいました。


「ぼくは勝手なことばかりいって、申し訳なかった。
 これからは歌を作りたい。
 すまないが、それを書きとどめていただけますか」


その最初の歌が、


 見えざれば、母上の顔なでてみぬ
 頬やわらかに 笑みていませる



目が見えないので、お母さんの顔、
この二本の指でさすってみた、
そしたらお母さんの顔がやわらかで、
笑って見えるようであった。

土井中尉の心の眼、心眼には
母親の顔は豊かな、慈母観世音菩薩さまのように
映ったのに違いありません。


  (中略)


この話はその現場に立ち会っていた
相沢京子さんという看護婦から聞いたものなのですが、
その相沢さん自身も母親の姿を目の当たりにして、
患者の心になり切る看護というものに目覚めたということです。


道元禅師の言葉にこうあります。


「この法は、人々の分上に豊かにそなわれりといえども、
 未だ修せざるには現れず、証せざるには得ることなし」


「法」とは「仏性」のことです。
ですから、すべての生きとし生けるものには
みな仏性があると、根本信条を諭されます。

しかし、道元禅師は、それも修行して
磨きをかけないと本当の光が出てこない。

本当に磨きをかけることによって、
真実の父親、母親になれ、
その真実の人がそのものになり切ってこそ
偉大な力を発揮するということになるのです。



==================================
ひたむきな人生を送った人たちの「20の感動エピソード」を収録。
 プレゼント用としても、多くの方にご利用いただいております。
==================================

  『一流たちの金言2』(藤尾秀昭:監修) 1,260円(税込)
   http://www.chichi.co.jp/book/7_news/kingen2.html




定期購読のお申し込みはこちらhttp://www.chichi.co.jp/guide.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

『致知』には毎号、あなたの人間力アップに役立つ記事が満載です。
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓


       『致知』4月号 特集テーマ「順逆をこえる」
     http://www.chichi.co.jp/monthly/201204_pickup.html

         『致知』は書店では販売しておりません。


 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
(転載以上)

 

敵の地雷の爆発で、一瞬にして部下全員を失い、

 “助かったのは土井中尉一人。
しかし、彼自身も両足と片腕を吹き飛ばされ、
爆風で脳、眼、耳が完全にやられてしまった。

あまりの苦しさに舌を噛み切って自害するといわれますが、
土井中尉は上下の歯もガタガタになってしまった。
死ぬに死ねません。これほど悲惨なことはありません。”

 

想像を絶する修羅場です。

ようやく、箱根の療養所で土井さんに対面することが出来たご家族。

しかし、

 “そのベッドの上に置かれているのは、
手足を取られ、包帯の中から口だけがのぞいている物体
息子の影すらありません。声だけが息子です。”

毎日毎日、陰膳を供えて土井さんの無事を祈っていたご家族の悲しみはいかばかりだったでしょう。

その中で、一人帰ろうとしなかったお母さんのなりふり構わない行動・・・。

“もろ肌脱いでお乳を出し、
それをガバッと土井中尉の顔の
包帯の裂け目から出ているその口へ、
「敏春!」といって押しあてたのです。”

そして奇跡が起きたのですね。

“それまで、訳のわからないことを怒鳴っていた土井中尉は、
突然、ワーッと大声で泣き出してしまった。
そして、その残された右腕の人差し指で
しきりに母親の顔を撫で回して

「お母さん! お母さんだなあ、
 お母さん、ぼくは家に帰ってきたんか。
 家に帰ってきたんか」”

地雷に飛ばされて手足を失い、見ることも聞くことも出来ないまま、箱根の療養所まで運ばれて来た土井さん、

実は、地雷に飛ばされた後も、土井中尉の敵地での戦いはずっと続いていたのですね。

 

“見えざれば、母上の顔なでてみぬ
頬やわらかに 笑みていませる”

 

お母さんの乳を口に含み、その笑顔を心の目で見た時、

そこで初めて、土井さんの長い長い戦いが終わったのだと思います。

 

以前読んだ戦時の話で、

自分の子供が家屋の下敷きになっていたのを見つけたお母さんが、

やけどで肉が垂れてしまっている自分の肩を使って、

それまで何人がかりでも動かせなかった家屋を持ち上げて子供を救ったエピソードがありました。

そのお話にも共通する母親の姿だと思いました。


4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Yayoi)
2012-03-04 22:29:09
とても素晴らしい話をありがとうございました。
返信する
Yayoiさん (テラ)
2012-03-05 00:37:07
ありがとうございます。
土井さんが、お母さんの乳に触れて2回目の誕生が果たせたこと、その奇跡は、自分では全く動けず叫び声を上げ続けていた土井さんを、戦地から療養所まで運び介護してこられたそれこそ数えきれない方々によって支えられたものでもありますよね。
返信する
Unknown (Yayoi)
2012-03-06 09:26:01
そうですね。
土井さんは、母という存在を通して、自分を支えてくれたすべての人に対する感謝の気持ちを開花させたと思います。

母(女性原理)の中にはやはりすべてを包み込み、花開かせる要素があると思います。

強く心を打たれました。
返信する
Yayoiさん (テラ)
2012-03-06 15:34:29
ありがとうございます。
感動と共に色々なことを考えさせてくれるお話ですね。
返信する