「致知一日一言」よりです。
「致知一日一言」読者の皆さま
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
人間学を学ぶ月刊誌『致知』がおかげさまで創刊33周年を迎えました。
明日と明後日の二日間、それぞれ日経、読売新聞で全面広告が掲載されます。
そこで本日は、昨年の『致知』創刊32周年の際、新聞広告で紹介された感動の実話「縁を生かす」をご紹介します。
不潔でだらしのない少年と、その少年を疎ましく思う先生。
やがて先生の知る真実、そして二人が結ぶ縁とは―。
* * *
その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
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☆「縁を生かす」全文はこちら
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http://www.chichi.co.jp/i/event2010/i-enwoikasu.html
(転載終了)
是非、全文をお読み下さい。
深い感動と共に様々な思いが心をよぎります。
“服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年”
実は、それは“深い悲しみを生き抜いている生身の人間”の姿でした。
“先生の胸に激しい痛みが走った。”
読んでいるこちらの胸にも痛みが走ります。
この少年は、このような素晴らしい先生とめぐりあうことが出来て本当によかったと思います。
一生を左右する出会い、そして先生も少年もその縁を大切にして来ました。
少年にも先生にも、ありがとう、と思います。
でも、こうした少年や少女はまだまだたくさんいるのですよね。
そう思うとなんとも言えない気持ちになります。
そして、少しでも多くの子供たちの心が少しでも癒されていくといいな、と心の底から思います。
まさに、この少年の背景を先生が察したからこそ、本質をしったからこそ、救いが向けられたんじゃないかなと思います。
でも、心の問題だけじゃなくて経済力なくして、犯罪の少ない社会は実現できませんね。その少年がたまたま、先生の救いによって持ち直したとしても、ほとんどの子は、そうはいかないでしょう。ニヒリズムというよりリアリズムから。衣食足りて礼節を知るという言葉がありますが、これも最低限の経済力がなければいけないという意味だと思います。
この子のお父さんもそうだったのかも知れないと思うのですが、この子にとって一番大変だったのは、自分が本当に必要な人間なのだろうか、お母さんが亡くなったあと、だれからも愛されていないのではないかということだったのではないかと思うのです。
この子の経済状況は多分しばらくは変わっていなかったのではないかと思います。
でも先生が気がついて放課後の授業を始めた時がこの子の人生の転換点になったのだと思うのです。
ベーシックインカム導入等、社会の仕組みを変えていくことももちろんとても大切なことだと思います。
でも、やはりまずここからなのではないかと思うのです。
社会ではなく、まず自分が他の人の心の痛みを知り、自分でできることをやっていくこと。
それを体現されたのが、この先生だったのではないでしょうか。
この話の素になったのがありました。
エリザベス・シランス・バラッドが1976年に発表した『テディからの三通の手紙』です。
心に響く話です。
そうだったのですね。
貴重なお話、ありがとうございます。