"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“運命を自らの生きる力へと変えること”

2011-12-29 04:51:00 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/12/28】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   月刊誌『致知』より
   皆さまの人間力を高めるエピソードを
   厳選してご紹介しています。

       * *

   3歳で右目を、9歳で左目を失明。
   18歳で聴力も失い、全盲ろうになった福島智氏。

   本日は、『致知』2012年1月号より、
   過酷な運命を自らの生きる力へと変え、
   盲ろう者として初の東大教授になるなど、
   障害学の分野に新たな地平を拓いてきた氏の
   お話をご紹介します。


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        「この苦渋の日々が未来を光らせるための土台」
       
       
            福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授) 
        
            『致知』2012年1月号
             特集「生涯修業」より
      
http://www.chichi.co.jp/monthly/201201_pickup.html#pick6

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(3歳で右目を、9歳で左目を、
 14歳で右耳がほとんど聞こえなくなり)
高校二年の終わり頃に、残された左の耳が
とうとう聞こえなくなってしまったんです。

これは神戸の実家に帰っている三か月の間に
急速に進んでいったんですが、
一番心の傷になっているのは、
完全に聞こえなくなってしまった時ではなく、
そうなりかけの時期だと思いますね。

いまでもよく夢に見るのは、
相手の声はちょっと聞こえているんだけど、
何を言ってるんだか分からないという状況……、
ある種の恐怖ですね。

その夢を見るたびに、あぁ、私の内部では
三十年間これが傷になっているんだなぁというふうに感じます。


【記者:その恐怖感は何に対してのものですか】


人とのコミュニケーションが難しくなるというのが一番で、
あとは、将来どうなるかが分からないということです。

特に病気が進行して、どんどん落ちていく過程は凄くしんどい。
コミュニケーションが徐々に難しくなり、
周囲の世界が遠のいていくような感じ、
自分がこの世界から消えていってしまうような感覚ですね。


私はその状態になる少し前に、
芥川龍之介の『歯車』という短編小説を読んでいたんです。

これは芥川が自殺する直前に書かれた作品ですが、
作中人物が激しい自殺の衝動に駆られる描写があり、
もう読むだけで気が滅入るような話なんですね。


ところが私はそれを読んだ時、逆にね、
“自分は死ぬまい”と思ったんです。
彼は死を選んだようだけれど、私は自分から死ぬことはしないと。

その頃は暗い、絶望的な小説が
やたらと読みたくて成功物語めいたものは
あまり受け付けなかったんですよね。

苦しい状況の中で人間はどう生きるかを考える話のほうが
心に響いたんでしょう。毒をもって毒を制すとでも言いますか。


その頃、私は友人へ送った手紙の最後に
こんなことを書いているんです。


「この苦渋の日々が俺の人生の中で
  何か意義がある時間であり、
  俺の未来を光らせるための土台として、
  神があえて与えたもうたものであることを信じよう。
  
  信仰なき今の俺にとってできることは、ただそれだけだ。

 俺にもし使命というものが、
 生きるうえでの使命というものがあるとすれば、
 それは果たさねばならない。
 
 そしてそれをなすことが必要ならば、
 この苦しみのときをくぐらねばならぬだろう」


要するにこの苦悩には意味があると考えることにしようと、
自分自身に言い聞かせてるんですよね。

別に悟りを開いたとか大袈裟なものではないですが、
でも、相当いろんなことを考えざるを得ない。
最初は右の目が悪くなって左の目が、
次に右の耳、左の耳と順番に奪われていったわけですから。

その時、私の中には、なんで自分だけが、
という気持ちもあったけれど、
それと同時になんだか不思議だなぁ、と思ったんです。


私は自分の力で生きているわけではない。

多くの人々によって支えられて生きているけれど、
周りの人々もまた、自分自身の力で出現したわけではない。

人間の理解の及ばない何ものかが
生命の種をもたらし我われがここに生きているとすれば、
この苦悩、私の目が見えなくなり、
耳が聞こえなくなるという特殊な状況に
置かれたことには何かしらの意味があると思いたい――。

そう考えれば気持ちが落ち着いたんです。



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『致知』最新2月号 特集テーマ「一途一心」
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(転載以上)

 

福島智さんのこと、最近の日記でも触れさせて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/59dbea7fc7326168db46a76c08649ef9


“(3歳で右目を、9歳で左目を、
 14歳で右耳がほとんど聞こえなくなり)
高校二年の終わり頃に、残された左の耳が
とうとう聞こえなくなってしまったんです。”

“一番心の傷になっているのは、
完全に聞こえなくなってしまった時ではなく、
そうなりかけの時期だと思いますね。”

“そうなりかけの時期”を四回も経験すること、その気持ちを推し量ることはとても難しいことではないでしょうか。


“その頃は暗い、絶望的な小説が
やたらと読みたくて成功物語めいたものは
あまり受け付けなかったんですよね。”


私たちは、気分が落ち込んでいる人に向って、

「もっと楽しいことを考えてみたら」とか、
「気分が明るくなる本を読んだ方がいい」とか、
「ワクワク生きよう」とか
「頑張ろう!」

と言って、その人を励まそうとします。

でも実は、知らないうちに、その方にとってとても酷なことをしてしまっているのかも知れないと思います。
むしろ解決からその人を遠ざけているということもあるのかも知れません。


福島さんが読んだ芥川龍之介の『歯車』。

“これは芥川が自殺する直前に書かれた作品ですが、
作中人物が激しい自殺の衝動に駆られる描写があり、
もう読むだけで気が滅入るような話なんですね。”

しかし、その本を読んで福島さんは、

“自分は死ぬまい”と思ったんです。
彼は死を選んだようだけれど、私は自分から死ぬことはしないと。”

“毒をもって毒を制す”、その通りなのでしょう。

そのようにして福島さんは立ち上がって行かれたのですね。


“私は自分の力で生きているわけではない。

多くの人々によって支えられて生きているけれど、
周りの人々もまた、自分自身の力で出現したわけではない。

人間の理解の及ばない何ものかが
生命の種をもたらし我われがここに生きているとすれば、
この苦悩、私の目が見えなくなり、
耳が聞こえなくなるという特殊な状況に
置かれたことには何かしらの意味があると思いたい――。

そう考えれば気持ちが落ち着いたんです。”

 
そのような道をくぐり抜けてこられた方の言葉、とても深い思いを感じます。