"ちょっと外から見た日本"

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大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“「全人類のために」という言葉は誰にでも言うことができるが”

2011-12-15 05:13:13 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/12/14】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   月刊誌『致知』より
   皆さまの人間力を高めるエピソードを
   厳選してご紹介しています。

       * *

   3歳で右目を、9歳で左目を失明。
   18歳で聴力も失い、全盲ろうになった福島智氏。
   本日は、現在発行中の『致知』1月号に掲載され、
   反響を呼んでいる氏のお話をご紹介します。


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        「人生における“問い”」
      
       
            福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授) 
        
            『致知』2012年1月号
             特集「生涯修業」より
      

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私が思うに「修業」というのは、
何らかの苦悩を伴いながら自分を
高みに連れていこうとする営みのこと。

ビジネスでも、学問でも、お寺の勤行なんかでも
そうかもしれない。

しんどいことはしんどいけれど、
そのしんどいことを通して別の喜び、
別の景色が見えてくるということだと思います。


私自身は障害を持ったほうがよかった、
などと単純には言いません。

ただ、たまたま障害を持つという運命を
与えられたことによって、自分自身の人生について、
また障害を持つとは何なのか、
完全でない人間が存在するとはどういう意味なのか、
といったことを考えるきっかけを得ました。

誰かに質問されなくても、絶えずそのことは
心のどこかで考えていることになりますので。

そういう人生における「問い」が
私の心の中に刻まれたという点で、
自分にとってはプラスだったなと受け止めているんです。


完全な答えが出ることはないでしょうが、
重要なことは、問いがあって、
その問いについて考え続けることだと思います。

その部分的な答えとしては、おそらく人間の価値は
「具体的に何をするか」で決まるということ。
何をするかとは、何を話し、何を行うか、すなわち言動ですね。


私が盲ろう者になって指点字の通訳が始まりつつある時に、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだんです。


その作品の中で、ある貴婦人が


「私は人類愛がとても強いのですが、
  来世を信じることができません」
  

と悩みを打ち明ける。

それに対して長老は


「実行的な愛を積むことです。
 自分の身近な人たちを、飽くことなく、
 行動によって愛するよう努めてごらんなさい。
 
 ただし実行的な愛は空想の愛に比べて、
 怖くなるほど峻烈なものですよ」
 
 
と諭すんですが、私もそのとおりだなと思いました。

人間は博愛主義者にはすぐになれるんです。
「全人類のために」という言葉は誰にでも言うことができる。
だけどすぐそばにいる人の困っていることに対しては、
案外冷淡になるんですよね。

だからこそイエスは「汝の隣人を愛せ」と
言われたのではないかと思うんです。


      (略)


医師も看護師も、その他様々な職業に就いている人たちも、
問われているのは世界中の人々に対してどうこうではなく、
具体的な他者に対して何ができるかということです。




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 ●「安岡正篤先生が遺した言葉/新井正明&豊田良平」

   引き込まれるように読みました。
   自分の器では吸収しきれない程の教えが凝縮されており、
   何度も繰り返し読み味わいたいと思う記事でした。

   人間学は決して難しい学問ではなく、
   日常に生かしていけるものであり、
   また生かしてこそのものであると改めて思いました。
   人物の第一条件、気力、活力を養い、
   人生を溌剌颯爽と生きる自分でありたいと思います。


                     管理部 水島瑠美



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(転載以上)


厳しくも真実の言葉ですね。

全盲ろうという大きな障害を持たれたことについての言葉も本当に深いものだと思います。


“私自身は障害を持ったほうがよかった、
などと単純には言いません。

ただ、たまたま障害を持つという運命を
与えられたことによって、自分自身の人生について、
また障害を持つとは何なのか、
完全でない人間が存在するとはどういう意味なのか、
といったことを考えるきっかけを得ました。

誰かに質問されなくても、絶えずそのことは
心のどこかで考えていることになりますので。

そういう人生における「問い」が
私の心の中に刻まれたという点で、
自分にとってはプラスだったなと受け止めているんです。”


そして、その問いに対する部分的な答えとして、

“おそらく人間の価値は「具体的に何をするか」で決まるということ。”

自らの言動こそが、人生における問いに答えうるものだとおっしゃっているのですね。


“人間は博愛主義者にはすぐになれるんです。
「全人類のために」という言葉は誰にでも言うことができる。
だけどすぐそばにいる人の困っていることに対しては、
案外冷淡になるんですよね。”


私にとっては本当に耳の痛い言葉ですが、その通りだと思います。


“医師も看護師も、その他様々な職業に就いている人たちも、
問われているのは世界中の人々に対してどうこうではなく、
具体的な他者に対して何ができるかということです。”


具体的な他者とは、親であり、祖父母であり、兄弟であり、子供であり、友人であり、同僚であり、お客様であり、近所に住む方々であり、自分が知る人々なのですよね。

“ただし実行的な愛は空想の愛に比べて、
 怖くなるほど峻烈なものですよ”

「カラマーゾフの兄弟」の長老の言葉、心に沁みます。


4 コメント

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実行的な愛は楽しいですよ (骨董君)
2011-12-15 09:04:48
“ただし実行的な愛は空想の愛に比べて、
 怖くなるほど峻烈なものですよ”

僕はそう感じませんね

愛は与えるものでもなければ貰うものでもない

愛は今生きていると言うだけで感じられるようにならないと本当の意味での幸福感は得られない

人は今生きていると言うだけで感謝出来れば皆幸せに成れるんですよ

先にも書いた天運地運にも通じますがなかなか生き物は自分の想うとおりに生きていけるものではありません

一寸先は闇かもしれないし光かもしれない

今生きている事に感謝出来る人に成れれば人は誰にでも優しくなれるし厳しくもなれる

たったそれだけの事が出来る人は一パーセント以下なんですよね

だから本当に愛すべき隣人とは自分

奢らず等身大の自分が生きていると言う事に関して関わりのある全てに感謝が出来れば

愛って峻烈なものにはならない

手前味噌ですが僕はそうです
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骨董君さん (テラ)
2011-12-15 14:56:06
素晴らしいコメントありがとうございます。

”今生きている事に感謝出来る人に成れれば人は誰にでも優しくなれるし厳しくもなれる”

同じような言葉でも骨董君さんの言葉にはご自分の体験を踏まえた凄みを感じます。
返信する
Unknown (あさ)
2011-12-19 10:29:22
私は、この福島さんと17年ほど前お会いしお話しする機会がありました。
そのとき、私は指点字ができなかったので、手話の指文字で一文字一文字伝えたのですが、その指文字の私も手を福島さんが両手で触り、読んでくれました。

私は昔から表面の障害は個性であると思っていましたが、より深く感じた事はその障害(個性)があるからこそ内側に視覚聴覚ではない感覚の配線がありしっかりとそれから観ているのだな、確信。

そんな新たな目を観た感動は、わたしの内側が「ヤッホー」と喜んだし、よりこれからも身近に生かして喜びあふれま~す!
返信する
あささん (テラ)
2011-12-19 15:50:46
ありがとうございます。
福島さんにお会いになられたことがあるのですね。
ご自身が三歳の時に、幼い福島さんの片目が見えないことを知ったお母さまの、驚きと悲しみの表情を忘れることが出来ないという福島さんの言葉、印象的でした。
その後、もうひとつの目が見えなくなり、そして目が見えないだけに頼りとしていた耳も、片耳、そしてもう片耳と聞こえなくなって行く中での率直な思いも述べられていました。
そこから起き上がって行かれたのですね。
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