表題は、ご縁を頂きました菊の助さんの4月23日日記のタイトルです。
菊の助さんは、九州各地の脱原発を訴える団体の方々と共に、福岡市にある九州電力本社の「電気ビル」に行かれました。
“玄海原発と川内原発を今後どうするのか、広く公開された場での話し合いを持つことを求める為”だったそうです。
自作の原発の歌を歌う方がいらしたり、福島から九州に避難してきたという母子がいらしたり、思い思いの横断幕やプラカードを作ったり、チラシを配ったりと、手作り感が出ていますね。
九州電力の大分支店にも要望書を提出されたそうです。
“電力会社の人と一緒に、持続可能な、安心な社会を作っていきたいと思う。”
私も、これから“持続可能”、“循環型”の社会が立ち上がっていくと思います。
実は、4月15日の日記“原発に関する議論について”について、菊の助さんよりご提案頂きました。
その文章を、菊の助さん流にアレンジ頂きビラとして配って頂いたのです。
下記、掲載させて頂きます。
『今回の福島の原発の事故によって、たくさんの方々が甚大な被害をこうむることになってしまいました。当然、原発は危険だから無くした方がいいと言葉に出すと、
“原発が無くなると電気が足りなくなってしまうじゃないか”
という議論がされてしまいます。
しかし、私は、その議論自体が、間違っているのではないかと思うのです。
今回の福島原発事故で、原発の事故は、それが一度起きると、多くの方々の生命を脅かすものになってしまうことが分かりました。
放射線の被害、これが実際にどのレベルまでであれば人体に有害ではないのか、ということについては、色々意見が分かれていて結論が出ていません。しかし、放射線の数値が大きくなればなるほど、健康被害のリスクが高くなっていくということは間違いのないことでしょう。
ですが、例え将来、癌や白血病になったとしても、因果関係が証明できないので、国からも電力会社からも補償はありません。
健康被害の境界線がはっきりしない以上、自分やその子供たちの健康は、自分たちで守るしかありません。
水が飲めない、綺麗な土や空気から育った野菜や果物が食べられない、海で育った魚が食べられない・・・。
今回の福島の事故により、原発事故が起きると、人が生きるためのもっとも基本的な要素である、空気、水、食べ物に影響が出てしまうことがわかりました。
そして、ここで私が問いたいのは、
原発を止めることによって電気が足りなくなることは、そもそも、空気、水、食べ物を失うことと、比較できることなのでしょうか?
ということです。
今まで、すでにチェルノブイリや、スリーマイルや、日本でも大小様々な事故が起きていました。新たな原発の計画も進んでいました。
にもかかわらず、私自身は、今回の事故が起きるまで、原発を無くす為の積極的な行動に出ることはしませんでした。
しかし、私たちは、少なくとも今回、実際にこのような事故が起きてその実態を知ることになったのです。知った以上、行動を起こさないのは、推進しているのとあまり変わりはありません。
私は、すべての原発を撤廃すべきだと考えています。
今動いている原発を停止しても、ずっと原子炉を冷やし続けなくてはならないこと、使用済みの核燃料は何万年も管理しなければならないことも知りました。子どもたちに押し付けてしまう巨大な負の遺産に、途方に暮れてしまいます。
しかし、私たちは、少なくとも、原発撤廃に向けて、前進していくことは今すぐできます。
これから未来を切り開いていく子供や子孫に、新鮮な空気、清らかな水、新鮮な海の幸、山の幸を残していきたいと思うのです。
それと比較できることが、一体他にあるでしょうか。』
菊の助さんが最後に引用されているガンジーの文章、いいですね。
自分が行動したこと
すべては 取るに足らないことかもしれない
しかし、行動したという
そのことが 重要なのである
世界の不幸や誤解の
四分の三は
敵の懐に入り
彼らの立場を理解したら
消え去るであろう
「目には目を」
という考え方では
世界中の目を
つぶしてしまうことになる
握り拳と 握手はできない
明日死ぬと思って
生きなさい
永遠に生きると思って
学びなさい
菊の助さんは、九州各地の脱原発を訴える団体の方々と共に、福岡市にある九州電力本社の「電気ビル」に行かれました。
“玄海原発と川内原発を今後どうするのか、広く公開された場での話し合いを持つことを求める為”だったそうです。
自作の原発の歌を歌う方がいらしたり、福島から九州に避難してきたという母子がいらしたり、思い思いの横断幕やプラカードを作ったり、チラシを配ったりと、手作り感が出ていますね。
九州電力の大分支店にも要望書を提出されたそうです。
“電力会社の人と一緒に、持続可能な、安心な社会を作っていきたいと思う。”
私も、これから“持続可能”、“循環型”の社会が立ち上がっていくと思います。
実は、4月15日の日記“原発に関する議論について”について、菊の助さんよりご提案頂きました。
その文章を、菊の助さん流にアレンジ頂きビラとして配って頂いたのです。
下記、掲載させて頂きます。
『今回の福島の原発の事故によって、たくさんの方々が甚大な被害をこうむることになってしまいました。当然、原発は危険だから無くした方がいいと言葉に出すと、
“原発が無くなると電気が足りなくなってしまうじゃないか”
という議論がされてしまいます。
しかし、私は、その議論自体が、間違っているのではないかと思うのです。
今回の福島原発事故で、原発の事故は、それが一度起きると、多くの方々の生命を脅かすものになってしまうことが分かりました。
放射線の被害、これが実際にどのレベルまでであれば人体に有害ではないのか、ということについては、色々意見が分かれていて結論が出ていません。しかし、放射線の数値が大きくなればなるほど、健康被害のリスクが高くなっていくということは間違いのないことでしょう。
ですが、例え将来、癌や白血病になったとしても、因果関係が証明できないので、国からも電力会社からも補償はありません。
健康被害の境界線がはっきりしない以上、自分やその子供たちの健康は、自分たちで守るしかありません。
水が飲めない、綺麗な土や空気から育った野菜や果物が食べられない、海で育った魚が食べられない・・・。
今回の福島の事故により、原発事故が起きると、人が生きるためのもっとも基本的な要素である、空気、水、食べ物に影響が出てしまうことがわかりました。
そして、ここで私が問いたいのは、
原発を止めることによって電気が足りなくなることは、そもそも、空気、水、食べ物を失うことと、比較できることなのでしょうか?
ということです。
今まで、すでにチェルノブイリや、スリーマイルや、日本でも大小様々な事故が起きていました。新たな原発の計画も進んでいました。
にもかかわらず、私自身は、今回の事故が起きるまで、原発を無くす為の積極的な行動に出ることはしませんでした。
しかし、私たちは、少なくとも今回、実際にこのような事故が起きてその実態を知ることになったのです。知った以上、行動を起こさないのは、推進しているのとあまり変わりはありません。
私は、すべての原発を撤廃すべきだと考えています。
今動いている原発を停止しても、ずっと原子炉を冷やし続けなくてはならないこと、使用済みの核燃料は何万年も管理しなければならないことも知りました。子どもたちに押し付けてしまう巨大な負の遺産に、途方に暮れてしまいます。
しかし、私たちは、少なくとも、原発撤廃に向けて、前進していくことは今すぐできます。
これから未来を切り開いていく子供や子孫に、新鮮な空気、清らかな水、新鮮な海の幸、山の幸を残していきたいと思うのです。
それと比較できることが、一体他にあるでしょうか。』
菊の助さんが最後に引用されているガンジーの文章、いいですね。
自分が行動したこと
すべては 取るに足らないことかもしれない
しかし、行動したという
そのことが 重要なのである
世界の不幸や誤解の
四分の三は
敵の懐に入り
彼らの立場を理解したら
消え去るであろう
「目には目を」
という考え方では
世界中の目を
つぶしてしまうことになる
握り拳と 握手はできない
明日死ぬと思って
生きなさい
永遠に生きると思って
学びなさい
その時の原発に対する思いを詩に託して・・・。
「グラシアス、アディオス!」って。
今も同じ思いです。
今やっと、ガンジーの素晴らしさが周知されるときなのかもしれません。
暴力では何も解決しない、ただまた新しい暴力を生み出すだけ。
知力と愛で解決していかなくてはいけないですよね。
昨年知り合った方がガンジーのことが好きでいろいろと教えていただいたことが今とても心に響いています。
ガンジーさんの一言、一言、深いですね。
“握り拳と 握手はできない”
握り拳を開くとき、それは心を開くときでもあるのでしょうね。
テラさんからいただいた文章のお蔭で、たくさんの方に本当のことを知らせることができます!
今後とも色々学ばせてください!
、(菊^――^菊)にま~
菊の助さんの写真も楽しませて頂きました。(笑)