"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

坂本龍馬のこと

2010-11-30 04:10:00 | 日記
「龍馬伝」、ついに最終回も終わってしまいましたね。

毎週楽しみにしていた番組が終わって、ちょっと放心状態です。

「ゲゲゲの女房」が終わった時も同じような気分になりました。

両番組とも、出演者や、企画、製作関係者の方々の気迫がこもった素晴らしい内容だったと思います。

龍馬の一生、最後は、なにかあっけない幕切れだったようにも思いますが、大事業である『薩長同盟』と『大政奉還』を成し遂げて、この生での役割をやり遂げた、という意味もあったのかなあと感じました。

「龍馬伝」のお陰で、32年という、短くかつ怒涛のような龍馬の人生が少し理解出来たように思います。

にも関わらず、私の頭の中には、“龍馬とは一体何者だったのか?”という問いが残っています。

そしてその問いはこれからもずっと消えないような予感がしています。

龍馬は、武士の中でも身分の低い、下士でした。

土佐では、身分の高い上士と、低い下士とがはっきりと分かれており、龍馬にもその面での不満は大きかったことでしょう。

米国のプレジデント(大統領)は、国民の選挙で選ばれる、即ち、身分に関係なくだれにでもなることが出来る、と聞いてあこがれを強く持ったのは、龍馬が下士の出だったからだという要因は、やはり大きかったと思います。

しかし、多分、当時の武士たちからすると、龍馬は、一体何を考えているのかさっぱりわからないような人物だったのではないかと思います。

何しろ、武士なのに人を斬ったことがない、武市の勤皇党に血印を押して入ったにも拘わらず、吉田東洋暗殺の流れが出てくると、脱藩してしまう。

血気にはやる武士達の『尊皇攘夷運動』には、

「刀では、外国に勝てない。」

と言って反対する。

薩長同盟を結んだ後、武器購入に走り回って何とか調達し、長州軍について幕府に対する勝利を収めたのに、

「幕府と戦うのはもうやめよう。」

と長州に言う。

そして、本来は、武市に切腹を命じた仇敵である土佐藩の後藤象二郎に近づき、大政奉還を薦め、土佐藩主と連名で幕府に建白書を提出させ、大政奉還を成し遂げる。

一つ一つの事象だけ見ていると、たくさんの敵を作るのも当然、という感じがします。

龍馬暗殺の黒幕がだれだったのか未だにはっきりとしていないということは、龍馬に、いかに多くの敵がいたか、ということの証明でもあるのではないかと思います。

一方で、龍馬は、豪商「才谷屋」から分家した商人の家系でもありました。

その血のおかげでもあるのでしょう。

彼の商人としての才覚は、黒船を買ったり、船を沈めた時の賠償交渉、武器購入時等様々な資金調達の場面で如何なく発揮されます。

龍馬は、会いたい人がいると、自分が脱藩浪士なのにも関わらず、相手がどんな大人物でも、会いに行ってしまう、そして、相手を感服させてしまう魅力がありました。

勝海舟しかり、高杉晋作しかり、西郷隆盛しかり・・・。
まさに大セールスマンですね。

しかし、龍馬の商人としての行動は、自分や自分の会社が儲けることを第一の目的としている訳ではありませんでした。

武士の目から見ても、また、商人の目から見ても、つじつまの合わないその行動の数々。

一見、支離滅裂とも見える龍馬の行動の中に、ただ一つ、その底を流れる思いがありました。

それは、“平和裡に、日本を世界に受け入れられる民主国家に転換していくこと”だったと思います。

虎視眈々と日本の植民地化を狙うイギリス、フランス、アメリカ等の諸外国。

そうした海外勢に隙を見せず、即ち国力の衰えをもたらさないような方法で、宿敵同志の藩をまとめて幕府と対峙させ、しかも、戦争なくして、260年続いた幕藩体制を、次の体制に移行させる。

ほとんど奇跡のような大事業だったと思います。

私は、日本の明治維新、それが一体何故成功したのか、いくら調べてもわからないところがあるのではないかと思っています。

もちろん、それは坂本龍馬一人では決して出来なかったこと。

その時代には、わが身を省みず「公」の精神で生きる人材が、それこそキラ星のように登場しては消えて行きました。

たくさんの人々が、様々な思惑で動いていく中で、結果として奇跡的に成し遂げられたことであり、何か人智を超えた、とてつもなく大きな力が働いていたような感じもします。

龍馬は、実は普通の人であって、過大評価し過ぎている、という人もいます。

しかし、私は、龍馬は、高い視点から全体が見えていた数少ない人物の一人であり、彼がいなければ、ああいう形での大政奉還は成し遂げられなかったと思います。

昔、高知から京都に行くのも、京都から九州に行くのも、どこに行くのにも歩きと船でした。

私は、目的地に向かってひたすら歩くその姿を想像し、その時一体龍馬は何を考えていたのだろうと思うと、深い感謝の気持ちとともに、なんとも胸を締め付けられるような思いがしてくるのです。

竜馬がゆく〈1〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋


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