"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“生きるということは人の心を感じられること ”

2011-12-30 20:08:28 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/12/30】 致知出版社編集部 発行
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 年末までの3日間は、今年配信したメルマガの中で
 特に反響の大きかった記事3本をお届けします。

       * *
 
 本日は、イタリアで行われた
 合唱のワールドチャンピオン大会で、
 世界一となる快挙を成し遂げた、
 杉並学院中学高校合唱部顧問・
 渕上貴美子先生のお話をご紹介します。


────────────────────────────────────


        「小児がん病棟での慰問演奏」
       
       
           渕上貴美子(杉並学院中学高等学校合唱部指揮者)
        
                 『致知』2009年3月号
                  特集「賜生(しせい)」より
            
http://www.chichi.co.jp/monthly/200903_index.html


────────────────────────────────────

【記者:20年間の合唱指導の中で、特に忘れられない
    出来事をお聞かせください】


 7年前、小児科の末期がん患者の病棟に
 演奏をしに行った時のことです。

 学校のある卒業生の方から

 「病院にいる子供たちに、あなたたちの
   天使の歌声を聴かせてあげてもらえないか」
  
 とお話があり、私も「ぜひ」と言って
 受けさせていただいたんです。


 病院には全員ブレザーを着ていったのですが、
 黒っぽい服では威圧感があるからと、
 その場で上着を脱がされて、全身に消毒液をかけられました。

 寒い時期だったんですが、扉を開けると、
 物凄く暑くて、狭い部屋だったんです。
 
 目の前には、本当にこの子がもうがんなんだろうか、
 と思うような赤ちゃんから、
 放射線で髪の毛がぼさぼさになってしまっている子、
 頬全体が陥没して顔が半分ない子だとか、
 もうそれは、見ただけでも
 体に震えがくるようなひどい状態の子たちがたくさん……。


 その子たちの前で、私たちは部屋の隅っこのほうに
 へばり付くように立ちました。
 
 敷かれたホットカーペットの上には、
 お母さん方も座っていたり、
 廊下にはドクターや看護師さんの姿も見えました。
 
 私は壁の一番端に行って、指揮棒を振ったんですが、
 もう涙が止まらなくて、本当に……。


 私の目の前で、お母さんが乳飲み子をギューッと抱えながら、
 涙をポロポロ零すんですよね。
 
 あぁ、自分の子はこんなに
 大きくまで育つことができないんだ、とか、
 いろいろ思われたんじゃないかと思うんですが、
 看護師さんもドクターも皆泣いていらして、
 泣いていなかったのは、当のがんの子供たちだけで。


 私も我慢しなくちゃ、と思うんですが、
 もう悲しくて悲しくて、
 生徒たちも涙をポロポロ零しながら、
 でも必死に笑顔をつくって、一所懸命歌って。
 
 そしたら歌が終わった後に、
 髪の毛のない子や顔の陥没した子たちが

 「お姉ちゃんたち、どうして泣いてるの」
 
 って言うんです。看護師さんが
 
 「あなたたちがあんまり一所懸命聴いてくれるから、
  お姉ちゃんたち感動しちゃったのよ。楽しかった?」
  
 と尋ねました。するとその中の一人が
 
 「凄く楽しかったぁ。
  大きくなったらお姉ちゃんと一緒に歌いたい」
  
 って、もう私、本当に胸が張り裂けそうで…。
 
 
 その時に、心から、あぁ歌は素晴らしいと思いましたし、
 いま生きていて、自分のできることを一所懸命やることが、
 どんなに大切なことかを凄く強く感じました。


 その帰りの電車の中で、ある生徒が
 
 
 「先生、あんなに皆を悲しませちゃって、
  私たちが合唱をしに行ったことは
  本当によかったんだろうか?」
  
 と言ったんです。何しろあの場にいた大人たちが
 あまりにも涙を流していましたから。

 その時に私は
 
 
 「うん、よかったんだよ。
  たぶん、お母さんも、病院の先生も、看護師さんも、
  皆悲しくて、もう泣きたくて、泣きたくてね。
  
  でも、いま一所懸命生きている子たちの前で
  泣けないでしょ? 
  
  それを、あなたたちの歌で感動したふりをしてね、
  思いっきり泣くことができたからよかったのよ。
  
  明日からまた笑顔で頑張っていけると思う」
  
 と言ったんです。すると生徒が
 
 
 「そうか。じゃあ私たちの歌で少しは楽になったのかな?」
 
 
 と言うから
 
 
 「そうよ。そして歌を聴いていた子たちが
 『お姉ちゃんと一緒に歌いたい』と言った。
  生きよう、って。
 
  いや、生きるということは分からないかもしれないし、
  もしかしたら一か月後には命がない体かもしれないけれど、
  少しでも希望を持って生きようとしたということは、
  素晴らしいことだから」
  
 
 と話して、お互いに感動しながら
 学校に戻ったことがあるんです。


 私は、生きているということは、
 自分一人がここに存在して、
 ただ呼吸をしているのではなく、
 いろいろな人と出会って、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、
 苦しみを分かち合ったりして、
 相手の心や周りにいる人たちの心を、
 ちゃんと感じられることではないかと思うんです。


 私が慰問演奏に行った時に、
 「いまを大切に生きなければ」と強く思ったのは、
 幼くして亡くなってしまう子たちもいるんだから
 頑張って生きよう、という思いではなくて、
 あの時、あの部屋の中で、
 それぞれの人の心がうごめいていたんですね。

 無邪気に喜んでいる子供や、
 日頃泣けない家族の人たち……、
 そういう、たくさんの思いが
 満ち溢れている中に入ったから、
 あぁ、ちゃんと生きていかなくちゃ、
 神様から与えられたこの命を、
 大切にしなくちゃいけないと感じたのだと思うんです。


 谷川俊太郎さんの詩に
 
 
 「生きているということ
 
  いま生きているということ
 
  泣けるということ
 
  笑えるということ
 
  怒れるということ」
 
  
 という言葉がありますが、本当にそんな思いですね。
 
 そうやって、いろいろな人の思いを感じられることで、
 人間は生きている価値が生まれてくるものだと思います。



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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(転載以上)

涙なしでは、読めない話ですね。

“「先生、あんなに皆を悲しませちゃって、
  私たちが合唱をしに行ったことは
  本当によかったんだろうか?」”

子供たちのために良かれと思って歌ったこと、それが本当に正しいことだったのか。

“「うん、よかったんだよ。
  たぶん、お母さんも、病院の先生も、看護師さんも、
  皆悲しくて、もう泣きたくて、泣きたくてね。
  
  でも、いま一所懸命生きている子たちの前で
  泣けないでしょ? 
  
  それを、あなたたちの歌で感動したふりをしてね、
  思いっきり泣くことができたからよかったのよ。
  
  明日からまた笑顔で頑張っていけると思う」 ”

 

“「そうよ。そして歌を聴いていた子たちが
 『お姉ちゃんと一緒に歌いたい』と言った。
  生きよう、って。
 
  いや、生きるということは分からないかもしれないし、
  もしかしたら一か月後には命がない体かもしれないけれど、
  少しでも希望を持って生きようとしたということは、
  素晴らしいことだから」 ”
  

そこまで深めることが出来る先生と生徒たちだからこそ、世界一となることが出来たのではないでしょうか。

 

自分がどう生きていくかということに、正しい、正しくないというはっきりした答えはないのだと思います。

その時、その時、自分が感じたことを、言葉にし、行動していく、

そしてその体験の中で感じたことを、また言葉にし、行動していく、

 その積み重ねなのではないでしょうか。

 

“私は、生きているということは、
 自分一人がここに存在して、
 ただ呼吸をしているのではなく、
 いろいろな人と出会って、怒ったり、笑ったり、悲しんだり、
 苦しみを分かち合ったりして、
 相手の心や周りにいる人たちの心を、
 ちゃんと感じられることではないかと思うんです。”
 

“私が慰問演奏に行った時に、
 「いまを大切に生きなければ」と強く思ったのは、
 幼くして亡くなってしまう子たちもいるんだから
 頑張って生きよう、という思いではなくて、
 あの時、あの部屋の中で、
 それぞれの人の心がうごめいていたんですね。”

体験した方のみが感じることが出来る素晴らしい言葉だと思います。 


“自らの命を賭して20人の研修生を救った佐藤さん”

2011-12-30 03:08:48 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/12/29】 致知出版社編集部 発行
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 本日より年末までの3日間は、
 今年配信したメルマガの中で
 特に反響の大きかった記事3本をお届けします。

       * *

 日本復興への祈りをこめて発行された
 『致知』2011年6月号の特集「新生」。

 先の大震災で自らの命を賭して人を救った
 宮城県・佐藤充さんのお話を、
 ともに致知愛読者の会・石巻木鶏(もっけい)クラブで
 学ばれてきた櫻井健悦さんに伺いました。


────────────────────────────────────
■2011年の心に残った記事
────────────────────────────────────


        「身を挺し研修生を救った木鶏の仲間」
         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


                櫻井健悦(ケイ・エス代表取締役、石巻木鶏クラブ会員)

             『致知』2011年6月号
             「致知随想」より


…………………………………………………………………………………………………

                
 中国ではいま一人の日本人男性の命懸けの行為が
 国民の間で大きな感動を呼んでいます。
 
 宮城県女川町の佐藤水産専務・佐藤充さん。
 享年五十五歳。
 
 子供の頃から先輩として親しみ、
 石巻木鶏クラブの大切な仲間でもありました。

 二〇一一年三月十一日。
 東日本を巨大地震と大津波が襲ったこの日のことは
 私たちの記憶から一生消えることがないでしょう。
 
 
 佐藤さんはその時、港のすぐ傍にある会社で
 業務に当たっていました。
 
 佐藤水産は東京築地市場をはじめ、
 全国の主要都市に出荷を続ける生ウニの老舗で、
 佐藤さんはその営業責任者でした。

 近年では中国遼寧省の大連から研修生を受け入れており、
 三年という期限付きで二十人が加工や出荷に携わっていました。
 
 震災が起きたこの日も、いつもどおり
 冷たい水作業に手をかじかませながら
 和気藹々と仕事に勤しんでいたのです。
 
  午後二時四十六分、突然の激しい揺れが襲いました。
  驚いた研修生たちはすぐに寄宿舎の傍の
  小高い場所に避難しました。
  
  しかし彼女たちには津波に対する十分な知識がありません。
  佐藤さんは怯えながら寄り添う研修生の姿を発見するや
  
  
  「もうすぐ津波が来る。早く避難しなさい」
  
  
  と大声で伝え、高台にある神社まで連れて行きました。
  
  そして、残っている従業員や研修生はいないかと、
  自らの危険を省みることなく再び会社に戻ったのです。
 すでに津波は目前に迫っていました。
 
 水かさは一秒ごとに増していきます。
 佐藤さんは屋上に逃げたものの、
 高台にいる研修生の前でついに社屋ごと津波に呑まれ、
 そのまま行方が分からなくなりました。
 
 研修生たちはなすすべもなく、
 泣きながら見守ることしかできなかったといいます。

 大雪の中、帰る場所を失い途方に暮れる
 研修生たちを助けたのは、
 佐藤さんの兄で社長の仁さんでした。
 
 仁さんは悲嘆に暮れる間もなく、
 山手に住む知り合いに助けを求めて研修生の居場所を確保し、
 二十人全員を無事中国に帰国させたのです。


「あの時、もし佐藤専務に助けられなかったら、
  私たちは全員津波の犠牲になっていた」 
 
 
  研修生たちがそう涙ながらに語る姿を、
  中国のテレビや新聞は一斉に報じました。
  
  報道は国民に大きな反響を呼び、
  同国のポータルサイトには
  
  
  「彼は愛に国境がないことを教えてくれた」
  
  「彼の殺身成仁精神を中国人は決して忘れない」
  
  
  という声が殺到しました。
  私も佐藤さんをよく知る一人として、
  彼の犠牲的精神に心から敬意を表し、
  縁あってともに学び、語り合えたことを
  誇りに思わずにはいられません。




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(転載以上)


中国からの研修生を、自らの命を懸けて守った佐藤さんのお話、ご存知の方も多いと思います。


おびえている研修生を安全な高台まで連れていった後、従業員や研修生を捜すために再び会社に戻り、
高台にいる研修生の目の前で、社屋ごと津波に呑まれて行方不明となりました。

津波のこわさをご自身で知っていたからこそ、研修生を高台まで連れていかれたのでしょう、そして会社に戻られました。

屋上の佐藤さんを、泣きながら見守った研修生たち・・・。

 
そこには、私たちが決して忘れてはならない生身の人間の姿があると思います。


大雪の中、途方に暮れる研修生の居場所を確保し、二十人全員を無事中国に帰国させたお兄さん。

そこには、だれにも知ることの出来ない、深い兄弟の絆があったのだと思います。


“運命を自らの生きる力へと変えること”

2011-12-29 04:51:00 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/12/28】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   月刊誌『致知』より
   皆さまの人間力を高めるエピソードを
   厳選してご紹介しています。

       * *

   3歳で右目を、9歳で左目を失明。
   18歳で聴力も失い、全盲ろうになった福島智氏。

   本日は、『致知』2012年1月号より、
   過酷な運命を自らの生きる力へと変え、
   盲ろう者として初の東大教授になるなど、
   障害学の分野に新たな地平を拓いてきた氏の
   お話をご紹介します。


────────────────────────────────────


        「この苦渋の日々が未来を光らせるための土台」
       
       
            福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授) 
        
            『致知』2012年1月号
             特集「生涯修業」より
      
http://www.chichi.co.jp/monthly/201201_pickup.html#pick6

────────────────────────────────────

(3歳で右目を、9歳で左目を、
 14歳で右耳がほとんど聞こえなくなり)
高校二年の終わり頃に、残された左の耳が
とうとう聞こえなくなってしまったんです。

これは神戸の実家に帰っている三か月の間に
急速に進んでいったんですが、
一番心の傷になっているのは、
完全に聞こえなくなってしまった時ではなく、
そうなりかけの時期だと思いますね。

いまでもよく夢に見るのは、
相手の声はちょっと聞こえているんだけど、
何を言ってるんだか分からないという状況……、
ある種の恐怖ですね。

その夢を見るたびに、あぁ、私の内部では
三十年間これが傷になっているんだなぁというふうに感じます。


【記者:その恐怖感は何に対してのものですか】


人とのコミュニケーションが難しくなるというのが一番で、
あとは、将来どうなるかが分からないということです。

特に病気が進行して、どんどん落ちていく過程は凄くしんどい。
コミュニケーションが徐々に難しくなり、
周囲の世界が遠のいていくような感じ、
自分がこの世界から消えていってしまうような感覚ですね。


私はその状態になる少し前に、
芥川龍之介の『歯車』という短編小説を読んでいたんです。

これは芥川が自殺する直前に書かれた作品ですが、
作中人物が激しい自殺の衝動に駆られる描写があり、
もう読むだけで気が滅入るような話なんですね。


ところが私はそれを読んだ時、逆にね、
“自分は死ぬまい”と思ったんです。
彼は死を選んだようだけれど、私は自分から死ぬことはしないと。

その頃は暗い、絶望的な小説が
やたらと読みたくて成功物語めいたものは
あまり受け付けなかったんですよね。

苦しい状況の中で人間はどう生きるかを考える話のほうが
心に響いたんでしょう。毒をもって毒を制すとでも言いますか。


その頃、私は友人へ送った手紙の最後に
こんなことを書いているんです。


「この苦渋の日々が俺の人生の中で
  何か意義がある時間であり、
  俺の未来を光らせるための土台として、
  神があえて与えたもうたものであることを信じよう。
  
  信仰なき今の俺にとってできることは、ただそれだけだ。

 俺にもし使命というものが、
 生きるうえでの使命というものがあるとすれば、
 それは果たさねばならない。
 
 そしてそれをなすことが必要ならば、
 この苦しみのときをくぐらねばならぬだろう」


要するにこの苦悩には意味があると考えることにしようと、
自分自身に言い聞かせてるんですよね。

別に悟りを開いたとか大袈裟なものではないですが、
でも、相当いろんなことを考えざるを得ない。
最初は右の目が悪くなって左の目が、
次に右の耳、左の耳と順番に奪われていったわけですから。

その時、私の中には、なんで自分だけが、
という気持ちもあったけれど、
それと同時になんだか不思議だなぁ、と思ったんです。


私は自分の力で生きているわけではない。

多くの人々によって支えられて生きているけれど、
周りの人々もまた、自分自身の力で出現したわけではない。

人間の理解の及ばない何ものかが
生命の種をもたらし我われがここに生きているとすれば、
この苦悩、私の目が見えなくなり、
耳が聞こえなくなるという特殊な状況に
置かれたことには何かしらの意味があると思いたい――。

そう考えれば気持ちが落ち着いたんです。



============================================================
『致知』最新2月号 特集テーマ「一途一心」
============================================================

(転載以上)

 

福島智さんのこと、最近の日記でも触れさせて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/59dbea7fc7326168db46a76c08649ef9


“(3歳で右目を、9歳で左目を、
 14歳で右耳がほとんど聞こえなくなり)
高校二年の終わり頃に、残された左の耳が
とうとう聞こえなくなってしまったんです。”

“一番心の傷になっているのは、
完全に聞こえなくなってしまった時ではなく、
そうなりかけの時期だと思いますね。”

“そうなりかけの時期”を四回も経験すること、その気持ちを推し量ることはとても難しいことではないでしょうか。


“その頃は暗い、絶望的な小説が
やたらと読みたくて成功物語めいたものは
あまり受け付けなかったんですよね。”


私たちは、気分が落ち込んでいる人に向って、

「もっと楽しいことを考えてみたら」とか、
「気分が明るくなる本を読んだ方がいい」とか、
「ワクワク生きよう」とか
「頑張ろう!」

と言って、その人を励まそうとします。

でも実は、知らないうちに、その方にとってとても酷なことをしてしまっているのかも知れないと思います。
むしろ解決からその人を遠ざけているということもあるのかも知れません。


福島さんが読んだ芥川龍之介の『歯車』。

“これは芥川が自殺する直前に書かれた作品ですが、
作中人物が激しい自殺の衝動に駆られる描写があり、
もう読むだけで気が滅入るような話なんですね。”

しかし、その本を読んで福島さんは、

“自分は死ぬまい”と思ったんです。
彼は死を選んだようだけれど、私は自分から死ぬことはしないと。”

“毒をもって毒を制す”、その通りなのでしょう。

そのようにして福島さんは立ち上がって行かれたのですね。


“私は自分の力で生きているわけではない。

多くの人々によって支えられて生きているけれど、
周りの人々もまた、自分自身の力で出現したわけではない。

人間の理解の及ばない何ものかが
生命の種をもたらし我われがここに生きているとすれば、
この苦悩、私の目が見えなくなり、
耳が聞こえなくなるという特殊な状況に
置かれたことには何かしらの意味があると思いたい――。

そう考えれば気持ちが落ち着いたんです。”

 
そのような道をくぐり抜けてこられた方の言葉、とても深い思いを感じます。


“目頭を押さえながら食べた寿司の味”

2011-12-26 00:48:21 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/12/25】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。

今回は、クリスマスにちなんで、
2012年1月号の『致知』に掲載され、
大きな感動を呼んでいる大沼えり子さんの随想
「幸せの鐘を鳴らそうよ」をお届けします。

ぜひ最後までお読みください。


────────────────────────────────────
■「致知随想」ベストセレクション 
────────────────────────────────────


      「幸せの鐘を鳴らそうよ」
       
                   
              大沼えり子(作家、NPO法人ロージーベル理事長)


                  『致知』2012年1月号
                  「致知随想」より

────────────────────────────────────

 一人の少年のために、
 一人の少年のあの笑顔を取り戻すために、
 私は保護司(ほごし)になりました。

 あれは長男がまだ小学一年生の時でした。
 私は嫁ぎ先の割烹料理店の切り盛りに
 慌ただしい毎日を送っていましたが、
 鍵っ子だった自分と同じ寂しさを、
 我が子には味わわせたくないと思い、
 午後には一時帰宅し、おやつをつくって迎えていました。
 
 せっかくつくるのなら、と
 息子の友達にも振る舞うようになり、
 いつしか我が家は大勢の子供たちの
 賑やかな遊び場となりました。
 
 私は彼らが心底愛おしく、うちに来る子は
 すべて自分の子のつもりで接していました。

 その中に一人、他の子と遊ばず
 いつも私のそばから離れない少年がいました。
 
 母親が病のため愛情に飢えていたのでした。
 母親の温もりを知ってほしいと思い、
 とりわけ彼には愛情を注いでいました。

 そんなある日、事件が起きました。
 少年が息子と一緒に遊びに行った友達の家から、
 マスコット人形を盗ったというのです。
 
 友達の弟が大切にしていた人形だったため、
 母親まで巻き込んだ騒ぎになり、
 私のもとに相談に見えたのです。

 私は日頃から子供たちに、
 うちの子になるならルールを守ろうねと
 言い聞かせていました。
 
 嘘をつかない、人に迷惑をかけない等々、
 自分が親から言われてきたことばかりです。


「はい!」


 と元気に答える彼らの中でも、
 とりわけ嬉しそうに頷いていたのがその少年でした。

 それだけに、彼が人のものを盗ったとは
 信じられませんでした。
 
 しかしなくなった人形を少年の家で見た、
 と息子が言うのです。
 
 家庭の事情で玩具も満足に買ってもらえない少年。
 盗ったのではなく、きっと欲しかったのだ。
 私はそう考え、とにかく一緒に謝ろうと言いました。

 ところが彼はいくら言い聞かせても謝ろうとしません。
 裏切られた気持ちになった私は、
 もううちには二度と来ないで、
 と強い口調で言ってしまいました。

 二週間くらいたった頃、布団を干していると、
 門のあたりに小さな人影がありました。
 チャイムを押そうとしてためらい、
 行ったり来たりしているのはあの少年でした。
 
 彼がそうして毎日うちに立ち寄っていることを息子から聞き、
 私は思わず駆け寄って抱きしめました。
 
 少年が「ごめんね」と繰り返しながら漏らした言葉に、
 私は頭をぶたれたようなショックを受けました。


「あれは盗ったんじゃなくて、もらったんだ……」


 あの時、なぜもっと事情を聞いてあげなかったのだろう。
 大好きな人から謝罪を強要され、幼い少年の心は
 どんなに傷ついたことだろう……。

 その後、少年は再び我が家に
 遊びに来るようになりましたが、
 家庭のことで心を荒ませ、
 いつしか顔を見せなくなりました。
 
 中学へ進学してからは、家の前を通る度に
 髪の色や服装が奇抜になっていき、
 声をかけても返事すらこなくなりました。


 そしてとうとう鑑別所に送られる身となったのです。


 もちろん直接の原因ではありませんが、
 あの時、無垢な彼の心を傷つけた後悔の念は、
 私の中に燻り続けていました。
 
 彼に償いがしたい。
 もう一度彼の笑顔に会いたい――
 
 ずっとそう思い続けていたので、
 保護司のお話をいただいた時は
 二つ返事でお引き受けしたのです。

 その時からたくさんの少年たちに出会ってきました。
 心が痛むのは、彼らのほとんどが、
 生まれてこの方、腹から笑ったことがないという事実です。
 
 みんな幸せが欲しくて、欲しくて、
 懸命に手を伸ばしているのに、
 どこかで歯車が狂ってしまっている。
 彼らは自分のことをカスとかゴミだと言いますが、
 私は彼らを無条件で好きになります。


「君が大事なんだ。
 可愛くて、可愛くて仕方ないんだよ」


 と言うと、涙をポロポロ流します。
 
 非行を犯して一時的に愉快になっても、
 それは真意ではなく、その後ずっと罪の意識で
 ビクビクしながら過ごすことになる。
 人に感謝される行いを積み重ねてこそ、
 本当の幸せを手にできるといつも説いています。

 あの少年が保護観察になると聞いた時、
 私は観察官の方に頼んで彼を担当させてもらいました。
 
 嫌がっていた彼は、
 私が彼のために保護司になったと告げると、
 驚きの表情を浮かべました。


「もう一度君の笑顔を見たいんだよ。一緒に幸せを探そう」


 彼は声を上げて泣きました。
 
 いまは寿司職人として独立を目指して頑張っています。
 ようやく軍艦が握れるようになった頃、
 彼は私をお店に招待してくれました。
 
 カウンター越しに彼の笑顔を見た瞬間、
 私は思わず胸がいっぱいになりました。
 目頭を押さえながら食べた彼のお寿司は、
 世界一の味がしました。

 かかわった少年たちのことは、
 片時も頭から離れません。
 
 観察期間が過ぎても慕ってくる彼らから、
 私は与えた以上の喜びを与えられ、
 抱えきれないくらいの心の財産をいただいています。

 その後、家族がなかったり、家族崩壊の中、
 帰る家もなく希望を失った少年を
 「お帰り」と迎えてあげる家をつくりたいと考え、
 私は立ち直り支援の「少年の家」「ロージーベル」を
 立ち上げました。
 
 平成二十三年にNPO法人に認定。
 現在少年たちが日々笑いの中、生活をともにしています。

 人は誰でも心の中に幸せの鐘を持っています。
 一人がその鐘を鳴らすと、
 周りの鐘も共鳴して幸せ色に変わっていくのです。
 
 その鐘の音が共鳴し合い
 周りをどんどん幸せ色に変えてゆけるよう、
 今日も私は少年たちに、一緒に幸せの鐘を鳴らそうよ、
 と呼びかけ続けています。
 
 そう、人は幸せになるために
 生まれてきたのですから。



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(転載以上)


“「あれは盗ったんじゃなくて、もらったんだ……」”

私も一緒に頭をぶたれたようなショックを感じます。

“カウンター越しに彼の笑顔を見た瞬間、
 私は思わず胸がいっぱいになりました。
 目頭を押さえながら食べた彼のお寿司は、
 世界一の味がしました。”

“みんな幸せが欲しくて、欲しくて、
 懸命に手を伸ばしているのに、
 どこかで歯車が狂ってしまっている。
 彼らは自分のことをカスとかゴミだと言いますが、
 私は彼らを無条件で好きになります。”

感動しながら、色々なことを考えさせられる大沼さんの言葉です。

 
“その後、家族がなかったり、家族崩壊の中、
 帰る家もなく希望を失った少年を
 「お帰り」と迎えてあげる家をつくりたいと考え、
 私は立ち直り支援の「少年の家」「ロージーベル」を
 立ち上げました。”

 「少年の家」「ロージーベル」は、

一時帰宅して息子さんにつくったおやつが友達にも振る舞われ、次第に大勢の子供たちの遊び場となっていった大沼さんのご自宅が、その原点なのかも知れませんね。


“松下幸之助さんの製品開発信条について”

2011-12-25 20:54:32 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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   赤貧、兄弟との死別、病弱、小学校中退……。
   過酷な運命に翻弄されることなく、一代で松下電器を
   世界的企業へと築き上げた松下幸之助翁。

   本日は、幸之助翁の製品開発に関する考え方を
   ご紹介します。
   
   
────────────────────────────────────


        「松下幸之助翁の製品開発信条」
      
       
            北康利(作家) 
        
            『致知』2011年12月号
             連載「日本を創った男たち」より
      

────────────────────────────────────

大正12(1923)年松下電器は大きな飛躍を遂げる。

それが従来の製品の十倍の耐久時間を持つ
「砲弾型電池式自転車ランプ」の開発であった。

彼が他の経営者と違っていたのは、
売れそうでも売り急がず、
慎重に商品改良を繰り返したことだ。


商売は儲けることが大事なのではない。
儲け続けることが大事なのだ。


幸之助の製品に対する考え方のよくわかるのが、
昭和17年10月30日、社主達示として出された
「製品劣化に関する注意」の冒頭の一節である。


<製品には親切味、情味、奥床しさ、ゆとりの
 多分に含まれたるものを製出し、
 需要者に喜ばれることを根本的の信念とすること>


製品の条件として、“親切味、情味、奥床しさ、ゆとり”を
挙げるメーカーなど聞いたことがない。

だが、こうした点にこそ、松下電器が消費者の心に届く製品を
つくり続けてきた秘密がある気がしてならない。




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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(転載以上)

松下さんのさもありなんというエピソードですね。

<製品には親切味、情味、奥床しさ、ゆとりの
 多分に含まれたるものを製出し、
 需要者に喜ばれることを根本的の信念とすること>

確かに、“製品の条件として、“親切味、情味、奥床しさ、ゆとり”を
挙げる会社、聞いたことがありませんね。

会社としてはもちろん利益を上げて行かなければならない。

製品開発に携わる方々だけではなく、財務担当者の方々や中間管理職の方々含めた全社員は、利益を上げながら、この松下さんの言葉を実際の業務の中で表して行かなければならなかったわけですから大変だったと思います。

結局、松下さんは、一番厳しい、高いレベルの仕事を、自分はもちろん、全スタッフにも求め続けたということではないかと思います。


“教科書に載るような研究をするということ”

2011-12-23 04:24:23 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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   本日は北海道大学名誉教授・鈴木章氏が
   なぜノーベル化学賞を受賞できたのか、
   その研究に対する心構えをご紹介いたします。

────────────────────────────────────


        「教科書に載るような研究をしろ」
      
                   
              鈴木 章(ノーベル化学賞受賞者・北大名誉教授)
                       &
              數土文夫(JFEホールディングス相談役) 

        
            『致知』2012年1月号
             特集「生涯修業」より
            
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────────────────────────────────────

數土 ブラウン先生(※)からは人格的な面での影響も受けましたか。

      ※ハーバート・ブラウン氏。ノーベル化学賞受賞者。
       パデュー大学にて鈴木章氏、根岸英一氏を教える。

鈴木 僕は既に日本に職があって助教授だということは知っていたから、
   帰国する時
   「他の人には言わないが、おまえは日本で
    ポジションがあるから学生を指導する方法を教える」
   と教えてくれました。 

   まず、学生が来たら三か月間はちゃんとよく見ておけと。
   別に何か注意したり、指導するとか、そういうことではなく、
   その人物がきちんとやっているかどうか見ておくように。

   それで、この学生は何も言わなくてもちゃんとやると分かれば、
   特に何も言わずに見守っていろ。しかし、そうでない場合は、
   横道に逸れないようちゃんと指導しなければならない、と。

數土 それは企業の人材育成でもまったく同じことです。

鈴木 僕自身もブラウン先生に
   「ああしろ、こうしろ」と言われたことはなかったですが、
   「教科書に載るような研究をしろ」ということは、
   何度も繰り返し言われたことですね。
   要するに誰もやっていない、新しい研究で有用な仕事をしろ、
   ということです。

數土 以前、鈴木先生は
   「重箱の隅をつつくような研究はするな」
   と学生に指導しているとおっしゃっていましたが、
   通じるものがありますね。

鈴木 プロダクティブというか独創的というか、
   そういう仕事をしなさい、と。

   これは僕が化学屋だから言うんじゃなくて、
   独創的な仕事を目指すというのは
   他の仕事でも全部同じだと思います。

   商売をやっている人でも新聞をつくっている人でも、
   人の後追いをしていたんじゃ、いい仕事はできないでしょう。



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 ●「念ずれば花ひらく 坂村真民(仏教詩人)」
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       「男は一生、何に命を懸けるかというのが私の一つの命題です」
    「あらゆるものと呼吸を合わせていったら、
      どんなに苦しいときでも苦しくない」
       「人は生きねばならぬ」

        こういう言葉の数々にどれ程、勇気づけられただろうか。
        どれ程救われただろうか。

        ただの絵空事ではない、必死な言葉で埋め尽くされていました。

        込み上げてくる感情をこらえながら、
        自分自身を省みながら、
        私も必死で読まざるをえませんでした。


                    経理 永廣 理人



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(転載以上)


鈴木さんが、ブラウン先生から何度も繰り返し言われたという、

“「教科書に載るような研究をしろ」”

目指すべき方向がはっきりとわかる素晴らしい言葉ですね。


それは、新聞に載るような研究、ともまた違うのでしょう。

一時的に話題になるだけではまだ不充分、後世の、しかも普通の人だれもが知るような王道の道を究めなさい、ということなのでしょう。


言うは易しで、実はとても大変なことをおっしゃっているのだと思います。

どんな仕事でも、なんらかの成果を出すことがまず重要です。

そうしようとすると、“重箱の隅をつつくような研究”や仕事、になってしまいがちになるのではないでしょうか。

やはりあらゆる分野に共通することなのだと思います。


“これは僕が化学屋だから言うんじゃなくて、
 独創的な仕事を目指すというのは
 他の仕事でも全部同じだと思います。

 商売をやっている人でも新聞をつくっている人でも、
 人の後追いをしていたんじゃ、いい仕事はできないでしょう。”


その通りですね。


“関東大震災の時に聞こえてきた天の声”

2011-12-21 06:39:39 | 日記

致知出版社「人間力メルマガ」よりです。

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   繊細なタッチで自然の中に存在する
   生命の姿を描き出し、93歳の現在も精力的な
   活動を続けておられる日本画家・堀文子さん.
   
   本日はその堀さんの画家としての原点となった
   エピソードをご紹介します。


────────────────────────────────────


        「関東大震災の時に聞こえてきた天の声」
      
       
            堀文子(日本画家) 
        
            『致知』2012年1月号
             特集「生涯修業」より
      

────────────────────────────────────

そもそも私のような人間がどうしてできたかと考えると、
四歳の時に体験した関東大震災の影響が原点になったと思います。

あの時、頼りにする母が、恐怖で我を失っているのを見ました。
大人たちが裸足で庭を転げ回っているのを見て、
おかしかった記憶があるんです。

住民が町の避難所へ集められ、人々が家財道具を持ち込んで、
一つの街ができているような状態でした。

そこで私はいろんなことを観察したのを覚えています。

わがままを言っている人、サイダーの栓を口で開けていた人……、
その時、私の家に年をとった婆やがいて、
驚くことに安政の大地震を知っていた。

でもその人が総大将になって、
冷静にその大災害を乗り切る一切の準備をし、
皆の不安を和らげてくれました。


ただ、下町から火の手が回り、
私の家も危ないという知らせがきた。
家の方向に巻き上がった真っ黒な煙を見ているうちに、
私、失神状態になっていたと思います。


その時、


「あるものは滅びる」


って声が電流のように全身を貫いた。
幼い心が悟りを受けたのです。

そういうことがあって、私は子供らしい子供にならず、
物欲のない、自分の足で立って生きる姿勢が
身についたんじゃないでしょうか。


子供だから理屈は分からないが、
この世の無常の姿を、物心のついたばかりの頃に見たわけです。
「乱」を見てしまった。

その時、庭に泰山木の大木があったんですが、
カマキリが静かにこっちを見ながら
その幹を上っていくのを見ました。

絶え間なく余震が続いていました。
大きなカマキリでしたから、産卵前の雌だと思います。

人間がこんなにもうろたえている時に、
カマキリは静かに動いていました。

この時、文明に頼っている人間が
無能だということを知りました。

停電はする、水は出なくなり、汽車は止まる。
何もかも動かなくなった時、他の生物は生きて動いている。

私が生命の力を意識するようになったのも、
その時の経験が大きかったと思います。




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 ●「我が言葉の人間学―哲学は本来、生きる力になるべき―
                    森信三(哲学者)」


      言葉っていうのは・・・不思議です。
  『人間学入門』の中から、私の心に響いてきた言葉を紹介します。

  「人間は、自分のことばかり考えているうちは、
   悩みが尽きることはありません。
   ところが、いつも周囲の人や
   多くの人のことを考えている人には、
   悩みというものはありません」
      鍵山 秀三郎(イエローハット創業者)

   この言葉に出会い新たな自分を発見しました。
   人生の先輩方の言葉によって、
   私は「未見の我」に出会わせていただいている・・・。

   きっと、皆様も「人間学入門」から
   心の糧になる言葉に出会うはずです!!


                  致知営業部  柴田雅久



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(転載以上)


93歳の現役画家・堀文子さんの言葉、先日の日記でも触れさせて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/fc45082e841f58b01911c9dee383cbae

日々新たに生きていらっしゃる堀さんの生き方に素晴らしいと思います。

関東大震災で、象徴的な体験をされていたのですね。


真っ黒な煙を見ているうちに失神状態となってしまった堀さんに、

“「あるものは滅びる」

って声が電流のように全身を貫いた。
幼い心が悟りを受けたのです。”

幼い堀さんの全身を貫いた声、それは一体だれの声だったのでしょうか。


“子供だから理屈は分からないが、
この世の無常の姿を、物心のついたばかりの頃に見たわけです。
「乱」を見てしまった。”

“人間がこんなにもうろたえている時に、
カマキリは静かに動いていました。”

“停電はする、水は出なくなり、汽車は止まる。
何もかも動かなくなった時、他の生物は生きて動いている。”


生命の力、自然、生きること・・・。

自分の命が危険に晒されるような震災の場において、それからの堀さんの生き方につながるような原初的な体験をされたのですね。


“人生は「一日一生」”

2011-12-21 06:28:27 | 日記

致知出版社「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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                【2011/12/18】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。

今回は2003年8月号の『致知』より、
観光企画設計者社長・
橋本喬氏の随想をお届けします。

ぜひ最後までお読みください。


────────────────────────────────────
■「致知随想」ベストセレクション 
────────────────────────────────────


      「一日一生」
       
                   
              橋本喬(観光企画設計者社長)

        
               『致知』2003年8月号
                   「致知随想」より

────────────────────────────────────

十年前の十月、いつも通り出社した私を
待ち受けていたのは東京地検特捜部だった。

故・金丸信元自民党副総裁の脱税事件を契機に
明るみになったゼネコン汚職。

土建国家・日本の暗部にメスが入り、
収賄罪で県知事や自治体の首長、
ゼネコンの役員クラスが多数逮捕された。

私もその一人である。

大成建設の営業本部長を経て副社長になった矢先、
宮城県発注工事にからみ、県知事および
仙台市長へのヤミ献金容疑が発覚。
私と仙台支店長と副店長が贈収賄で起訴された。

営業本部長はゼネコンの営業活動の総元締めであり、
必要な資金はすべて私の管理下に置かれていた。

支店長と副支店長が
「知事と市長に少し何かしなくては」と言った時、
私は「そうだね」と答えた。

それが業界の通例だったし、そうしなければ
他社から取り残される。

また、われわれだって贈収賄が
刑事罰に相当することは百も承知。

あくまでも「選挙資金」として渡したのであって、
相手が私的に使っていたなど知る由もない。

「選挙資金と言っても、それに対する見返りを
 期待していたでしょう? 何も期待せずに金を出しますか」

 取り調べの席で検察は言った。

「そりゃ出しませんな」

と答えると、私は即刻逮捕された。
自分が金を渡してもいなければ、いつ渡したかも知らない。

相手が選挙に使わず、勝手に私腹を肥やしていただけだ……。

言いたいことは山ほどあった。

だが、腹を括った。
すべてを受け入れることにした。


拘置所での生活は、判で押したように
規則正しい生活だった。

七時起床、九時就寝。
十五時から体操で、三度の食事の時間も決められていた。

よく、所内の飯は「くさい飯」といわれるが、
慣れればそれほど不味くもなくなった。
週に三度は風呂に入れたし、半月に一度は床屋にも行った。

とりたてて生活に不自由はなかったが、
「ここは別世界だ」と痛感することは多かった。   

初めこそ罪状認否の取り調べもあったが、
早々と罪を認めたら特にすることもない。
独房の中で、これまでのことを考えてみたこともあった。

早大の建築学科を卒業し、
大成に入社したのは昭和三十三年。
東京タワーが完成した年だった。

戦後日本の復興の象徴ともいえる高層建築物を数多手がけ、
四十九歳で取締役東京支店長、
営業本部長を経て副社長になった時は、
「大成初の昭和二桁の副社長」と言われた。

当然、耳に入ってくるのは「次期社長」の声――。


狭い部屋で思いを巡らせても、すぐに行き詰まってしまう。

それに考えたところでどうしようもないのだ。

有り余る時間で、私はやたらと本を読んだ。
拘置所にいた四か月間で百冊以上読んだだろうか。
家族からの差し入れも、本が一番嬉しかった。

特に好んで読んだのは、徳川家康や織田信長などが
登場する長編歴史小説。

別に自分の姿を重ね合わせたとか、
彼らの生き様に鼓舞されたとかいうのではない。
ただただそのストーリーに集中し、没頭していた。
何も考えなくて良かった。

拘置所で年を越し、裁判も一段落した一月下旬、
いよいよ出所の時がきた。
ああ、この生活も終わったんだ。

事態を冷静に受け止めている半面、
誰かに会ってむしょうに話をしたかった。

この四か月、限られた面会時間に家族や弁護士としか
話ができなかったことへの反動だろう。

門をくぐると大勢の人たちの姿が見えた。
私は驚いた。そこにいたのは大成建設の仲間たちだった。


「ご苦労さん」

「お疲れ様でした」


次々と皆に労いの言葉をかけられ、
私は急に現実の世界へ戻ったような気がした。
会社から用意された車に乗り自宅へ行くと、
そこにもたくさんの同僚たちが私の帰りを
いまや遅しと待ち受けていた。

その輪の中に入った時、
「分ってくれる人はたくさんいる」と心から思った。

人生は「一日一生」である。

前から好きな言葉だったが、事件を契機に
その思いはますます深くなった。

人生は一日の積み重ねであり、一日を全力で生きて、
初めて人生をまっとうすることができる。

時には躓き、誤解もされる。
私も逮捕され、社会に大きな影響を与えた。
失ったものも多く、私の肩書きと付き合っていた人たちは、
潮が引いていくように離れていった。

しかし、「人間・橋本喬」と付き合ってくれていた人たちは、
私を支え、励まし続けてくれた。

現在籍を置く観光企画設計社の創業者であり、
会長である柴田陽三氏とは二十数年以上の付き合いになる。
ホテルオークラをはじめ、
全国のホテル設計を請け負っている柴田氏の事務所は、
大成時代の取り引き先だった。

「絶対にいい仕事をして、お客様のお役に立ちたい」
という一心で仕事に取り組んできた私の姿勢が、
柴田さんには伝わっていたのだ。

事件が一段落した時、
「ちょっとうちの会社を手伝ってよ」と言って、
私を副社長として迎え入れてくれた。

いずれ訪れるであろう死の床で、
これまでの人生を振り返った時、
私は幸せだったと思いたい。

結局最後に自分を満足させるのは、
「人様のお役に立った、人様に必要とされた」
という思いだけである。

出世をして金持ちになっても、
死に際に誰も来てくれないような人生は悲しい。

毎日毎日人に優しく、親切に、お役に立つ。
私はそういう人生を送りたい。



……………………………………………………………………
○人間力メルマガ読者の方からのご感想
……………………………………………………………………

  毎号読んでおります。

  よい意味での気づきが得られ、
  積善や徳を高める生き方の大切さを実感させられます。

  小さな頃から、このメルマガの内容を
  かみ砕いて教育すれば、世界にも
  認められるような立派な日本人が数多く輩出されるでしょう。

  今後も充実した内容を期待しております。



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(転載以上)

“門をくぐると大勢の人たちの姿が見えた。
私は驚いた。そこにいたのは大成建設の仲間たちだった。

「ご苦労さん」

「お疲れ様でした」”


その場面を想像して、思わず感動してしまいました。
橋本さんの、語るに尽くせぬ、様々な思いを感じていました。

それは、逮捕の瞬間や拘置所の生活含めて、それまでの経緯を話す橋本さんの言葉が、とても率直なものに思えたからだと思います。
本当の気持ちを話していらっしゃるのだな、ということが読んでいる私にも伝わって来ました。

そういう方だからこそ、

“私の肩書きと付き合っていた人たちは、潮が引いていくように離れていった”中で、

“「人間・橋本喬」と付き合ってくれていた人たちは、私を支え、励まし続けてくれた。”

のだと思いました。


“結局最後に自分を満足させるのは、
「人様のお役に立った、人様に必要とされた」
という思いだけである。

出世をして金持ちになっても、
死に際に誰も来てくれないような人生は悲しい。

毎日毎日人に優しく、親切に、お役に立つ。
私はそういう人生を送りたい。”

“次期社長”と言われていた方が、人生において様々な体験をされて行き着いた思いですね。

“人生は「一日一生」”、いい言葉ですね。


“「全人類のために」という言葉は誰にでも言うことができるが”

2011-12-15 05:13:13 | 日記

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   3歳で右目を、9歳で左目を失明。
   18歳で聴力も失い、全盲ろうになった福島智氏。
   本日は、現在発行中の『致知』1月号に掲載され、
   反響を呼んでいる氏のお話をご紹介します。


────────────────────────────────────


        「人生における“問い”」
      
       
            福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授) 
        
            『致知』2012年1月号
             特集「生涯修業」より
      

────────────────────────────────────

私が思うに「修業」というのは、
何らかの苦悩を伴いながら自分を
高みに連れていこうとする営みのこと。

ビジネスでも、学問でも、お寺の勤行なんかでも
そうかもしれない。

しんどいことはしんどいけれど、
そのしんどいことを通して別の喜び、
別の景色が見えてくるということだと思います。


私自身は障害を持ったほうがよかった、
などと単純には言いません。

ただ、たまたま障害を持つという運命を
与えられたことによって、自分自身の人生について、
また障害を持つとは何なのか、
完全でない人間が存在するとはどういう意味なのか、
といったことを考えるきっかけを得ました。

誰かに質問されなくても、絶えずそのことは
心のどこかで考えていることになりますので。

そういう人生における「問い」が
私の心の中に刻まれたという点で、
自分にとってはプラスだったなと受け止めているんです。


完全な答えが出ることはないでしょうが、
重要なことは、問いがあって、
その問いについて考え続けることだと思います。

その部分的な答えとしては、おそらく人間の価値は
「具体的に何をするか」で決まるということ。
何をするかとは、何を話し、何を行うか、すなわち言動ですね。


私が盲ろう者になって指点字の通訳が始まりつつある時に、
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだんです。


その作品の中で、ある貴婦人が


「私は人類愛がとても強いのですが、
  来世を信じることができません」
  

と悩みを打ち明ける。

それに対して長老は


「実行的な愛を積むことです。
 自分の身近な人たちを、飽くことなく、
 行動によって愛するよう努めてごらんなさい。
 
 ただし実行的な愛は空想の愛に比べて、
 怖くなるほど峻烈なものですよ」
 
 
と諭すんですが、私もそのとおりだなと思いました。

人間は博愛主義者にはすぐになれるんです。
「全人類のために」という言葉は誰にでも言うことができる。
だけどすぐそばにいる人の困っていることに対しては、
案外冷淡になるんですよね。

だからこそイエスは「汝の隣人を愛せ」と
言われたのではないかと思うんです。


      (略)


医師も看護師も、その他様々な職業に就いている人たちも、
問われているのは世界中の人々に対してどうこうではなく、
具体的な他者に対して何ができるかということです。




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 ●「安岡正篤先生が遺した言葉/新井正明&豊田良平」

   引き込まれるように読みました。
   自分の器では吸収しきれない程の教えが凝縮されており、
   何度も繰り返し読み味わいたいと思う記事でした。

   人間学は決して難しい学問ではなく、
   日常に生かしていけるものであり、
   また生かしてこそのものであると改めて思いました。
   人物の第一条件、気力、活力を養い、
   人生を溌剌颯爽と生きる自分でありたいと思います。


                     管理部 水島瑠美



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(転載以上)


厳しくも真実の言葉ですね。

全盲ろうという大きな障害を持たれたことについての言葉も本当に深いものだと思います。


“私自身は障害を持ったほうがよかった、
などと単純には言いません。

ただ、たまたま障害を持つという運命を
与えられたことによって、自分自身の人生について、
また障害を持つとは何なのか、
完全でない人間が存在するとはどういう意味なのか、
といったことを考えるきっかけを得ました。

誰かに質問されなくても、絶えずそのことは
心のどこかで考えていることになりますので。

そういう人生における「問い」が
私の心の中に刻まれたという点で、
自分にとってはプラスだったなと受け止めているんです。”


そして、その問いに対する部分的な答えとして、

“おそらく人間の価値は「具体的に何をするか」で決まるということ。”

自らの言動こそが、人生における問いに答えうるものだとおっしゃっているのですね。


“人間は博愛主義者にはすぐになれるんです。
「全人類のために」という言葉は誰にでも言うことができる。
だけどすぐそばにいる人の困っていることに対しては、
案外冷淡になるんですよね。”


私にとっては本当に耳の痛い言葉ですが、その通りだと思います。


“医師も看護師も、その他様々な職業に就いている人たちも、
問われているのは世界中の人々に対してどうこうではなく、
具体的な他者に対して何ができるかということです。”


具体的な他者とは、親であり、祖父母であり、兄弟であり、子供であり、友人であり、同僚であり、お客様であり、近所に住む方々であり、自分が知る人々なのですよね。

“ただし実行的な愛は空想の愛に比べて、
 怖くなるほど峻烈なものですよ”

「カラマーゾフの兄弟」の長老の言葉、心に沁みます。


“松下幸之助さんのスケールの大きさを表すエピソードについて”

2011-12-14 04:11:23 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/12/13】 致知出版社編集部 発行
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   このメールマガジンでは、
   月刊誌『致知』より
   皆さまの人間力を高めるエピソードを
   厳選してご紹介しています。

       * *

      現在発行中の『致知』1月号では、
   松下電器の副社長を経て、
   阪神高速道路の初代CEO兼会長となった田中宰氏に、
   若かりしころの松下幸之助との思い出を
   お話しいただいております。
   
   本日はその記事の中から一部をご紹介いたします。


────────────────────────────────────


   「目から鱗が落ちた松下幸之助のスケールの大きさ」
      
       
             田中 宰
            (松下電器産業元副社長
             阪神高速道路前CEO兼会長)
        
            『致知』2012年1月号
             特集「生涯修業」より
      

────────────────────────────────────

 私が幸之助創業者と初めて直に接したのは昭和四十年。
 創業者が山陰地方の販売店で構成する
 「山陰ナショナル協栄会」にご出席されるため、
 米子においでになった時だった。

 山陰は社員の人手も少なく、
 送り迎えも会場係もホテルでのお世話係も、
 全部新入社員の私が担当することとなった。
 私の人生で歴史的な出来事である。

 前日入りした創業者は東光園というホテルに宿泊され、
 その日の夕方は営業所長ご夫妻と販売店ご夫妻を招いて
 一緒に食事をされることになった。

 私は隣の部屋に控えていたが、
 その宴会を取り仕切っていた仲居頭さんが、
 会話の中継ぎの中でこんな話をされた。


「松下さんのような立派な会社の工場がこの地にあれば、
 私も息子と水入らずで生活できたのですが……。

 いつかぜひこの地にも工場をつくってください。
 地元の皆はどれほど喜ぶことでしょう」


 聞けば、女手一つで育ててこられたご子息は
 地元に職がなく離れて暮らしているという。

 数日後、創業者自ら山陰の出張所に電話が入った。
 「米子で工場建設の土地を探すように」と。

 後に分かったことだが、
 当時様々な地方自治体の首長が本社を訪ねてきては
 工場の誘致をしていた。
 しかし基本的にお断りしていたようである。
 それが仲居頭さんの一言で米子をはじめ、
 四十八都道府県「一県一工場」の工場展開に繋がったのである。

 この決断は当時、若い私には大きな疑問であった。
 大阪の門真に工場を集中させたほうが絶対に効率的なのに、
 なぜ地方に分散して非効率的なことをするのか。

 しかし後に文献を見て、
 創業者のスケールの大きさを目の当たりにするのであった。


 「自社の目先の利益も大事だが、
  雇用を生むことはそれ以上に大事である。

  松下の電化製品を各地に普及させていこうとするならば、
  各地域が栄えていないと、結果自分たちも栄えていかない」


 この人、ムチャムチャスケールのでかい人だ。
 目から鱗が落ちるような思いがした。


(転載以上)
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それまで、多くの首長さんからの工場誘致を断っていたのに、仲居頭さんの一言が松下幸之助さんの心を動かしたのですね。

情が働いたと言えるのかも知れませんが、

“女手一つで育ててこられたご子息は
 地元に職がなく離れて暮らしているという。”

この言葉がヒントとなって、各地域が栄えることが結局自社も栄えさせることになるという発想が生まれたのかも知れません。


“この決断は当時、若い私には大きな疑問であった。
 大阪の門真に工場を集中させたほうが絶対に効率的なのに、
 なぜ地方に分散して非効率的なことをするのか。”

短期の会社経営的には、その時の田中さんの判断の方が正しかったのかも知れません。

しかし、そうした合理的な判断をする企業が、その後大きな壁にぶつかってしまった例は枚挙にいとまがありません。


松下さんの経営哲学は、社会に対する使命感と、切っても切り離せないものなのでしょう。

そして、その“ムチャムチャスケールのでかい人”だからこそ、社会の公器としての企業を育てることが出来たのだと思います。

日本の企業は、利益万能主義の海外企業に収益面で見劣りすることも多いです。

でもやはり、松下さんのような考え方は、そのような時代だからこそ貴重だとも思います。


“江戸時代にもあった自然治癒の考え方について”

2011-12-13 04:49:49 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

                【2011/12/11】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。

今回は2007年6月号の『致知』より、
藤沢市立看護専門学校元校長・
中村節子さんの随想をお届けします。

ぜひ最後までお読みください。


────────────────────────────────────
■「致知随想」ベストセレクション 
────────────────────────────────────


      「幻の養生書『病家須知』に迸る人間愛」
       
                   
              中村節子(看護史研究会会員、藤沢市立看護専門学校元校長)

        
               『致知』2007年6月号
                   「致知随想」より

────────────────────────────────────

 江戸時代後期に、町医・平野重誠(じゅうせい)によって著され、
 それまでの看護法を集大成した
 日本初の看護書といわれる『病家須知(びょうかすち)』。
 
 貝原益軒の『養生訓』と並ぶ養生書の二大金字塔とされながら、
 その存在はほとんど知られていませんでした。

 書名が「病人のいる家」+「須く知るべし」
 から取られているように、内容は養生の心得に始まり、
 療養、介護、助産、さらには医者の選び方や
 終末期ケアについてなど多岐に亘ります。

 昨年、看護史研究会が発足五十周年を迎えたのを機に
 「何か看護学生のために役立つものを」と考え、
 本書の現代語訳に取り組むことになりました。
 メンバーは二十代から七十代の専門家十数人です。

 現代語訳に取りかかる前に、
 私はまずこれを書いた平野重誠の人となりを知りたいと思い、
 図書館を訪ねてみました。
 
 しかし詳しい資料は見つかりません。
 方々を探し回った挙げ句、漢方の専門書に記されてあった
 名前だけを頼りに、歴史家の先生方七名に手紙を出しました。
 
 そうして、北里研究所東洋医学総合研究所の
 小曽戸洋先生から返信をいただけたことで、
 重誠の子孫の方とも連絡を取ることができ、
 埋もれていた歴史に一条の光が差し込んできました。

 著者・平野重誠の生年は一七九〇年。
 幼い頃から父親に医術を学び、
 徳川将軍家の主治医だった多紀元簡に師事するなど
 大変な秀才でしたが、官職には就かず、
 生涯を町医者として過ごしたといいます。

 一七一三年、『養生訓』の刊行を機に
 健康指南書が相次いで出されたものの、
 いつしか「医」は仁術から算術へと堕落し、
 人々の間にも健康はお金で買うもの、
 といった風潮が広まっていました。
 
 そうした世の流れに抗い、日本人が伝えてきた
 日常の心がけを基本に養生や看護の方法をまとめ、
 一八三二年に出されたのが『病家須知』でした。

 本書が他の養生書と異なるのは、
 重誠が実際に現場で行ってきた臨床体験や
 自らが試して効果を得たことを
 具体的に書き記していることです。
 
 大病後に夜寝つかれない人を眠らせる方法を
 挿絵入りで解説したり、産後の寝床の図を示したり……。

 医者は病気になった人を治療するのではなく、
 病人が回復に向かう過程を手助けしていくのが
 本来の役割であること。
 
 そして自分の健康を自ら維持し、
 未病で防ぐための養生法に、最も重点が置かれているのです。
 
 結果的にこれが最も医療費を安く済ませる手段に
 なるのではないでしょうか。


 中でも私が強く衝撃を受けたことが三つありました。
 
 
 一つは、およそ病気というものは、
 皆自分の不摂生や不注意が招くわざわいであること。
 
 
 二つ目は、摂養を怠らず、
 療薬を軽んじてはならないこと。
 
 
 三つ目は病人の回復は看病人の良し悪しで
 大きく変わる――「医者三分、看病七分」の考え方でした。
 
 これは私自身が老輩者を看護したり、
 家族の看護に十数年間携ったりした経験からも、
 実感としてありました。

 これまでの日本の近代看護は、ナイチンゲールをはじめ、
 欧米から移入されてきたことから教育が始まっていますが、
 『病家須知』の成立はそれから二十年を遡ります。
 
 人間が本来持つ自然治癒力を高め、
 それを引き出していくという日本独自の視点や
 看護の土壌が存在したのではないか、
 というのが私たち研究会の見方でした。


「日本を知ることは江戸を知ることである」と言われますが、
 江戸時代と現代とは共通する部分が数多くあります。

 重誠は薬の服用について
 「薬をみだりに飲んではいけない」、
 医者を選ぶ時は
 「常に勉強している先生を選ばなければならない」等と
 記述していますが、重誠自身がまさに
 そのように生きた人でありました。
 
 彼の生きた時代は、ちょうど和蘭から
 西洋医学が入ってきた頃でしたが、
 重誠は治療の役に立ちそうなことは何でも取り入れ、
 普段の治療に役立てています。

 その克己的な生き方は、医聖と呼ばれた
 ヒポクラテスの「医の倫理」にも通じるものがありますが、
 これを言行一致させ、その通りに生きていくのは
 並大抵のものではありません。
 
 重誠は自分がした辛い思いを子孫には
 させたくないとの考えからか、
 孫の代まで医者を継がせることはしませんでした。

『病家須知』には、先に述べた養生の心得などの他に、
 健康を保つための食事や病気をした時の食事療法、
 子どもを育てる心得、病気が伝染る理由、
 消化不良や吐き下し、吐血、ひきつけ、脳梗塞、
 動物から咬まれた時、切り傷など、
 日常生活で起こり得る病の対応、
 婦人病、懐妊時の心得から無事に子どもを産ませることまで、
 実に事細かに記されています。
 
 そして片目を失明していたにもかかわらず、
 各漢字の横には小さな小さな文字で、
 素人にも読めるよう意味振り仮名が打ってありました。

 重誠はそんな自身の生き方を
「世話焼き心で、いても立ってもおられない性格」
 と自嘲気味に語っていますが、その根本には、
 人々を何とかして救いたいという
 重誠の迸るような情熱と人間愛とがあったのでしょう。

 現代は簡単に自殺をしたり、
 人を殺めたりしてしまう時代です。
 
 私は助産師をしていたせいか、
 人間は一人ひとりが選ばれて
 この世に誕生しているわけですから、
 どんなに辛い思いをしても、
 人間として生きてこそ価値があると考えます。
 
 子どもたちには、踏まれても踏まれても
 強く生きていく雑草のような存在であってほしい。
 
 その逞しい元気な体と心をつくるのは、
 やはり大人の責任であると思うのです。

『病家須知』の現代語訳完成は、
 皆様の健康づくりのための
 一滴の雫のようなものかもしれません。
 
 しかし、それを読んだ人たちがいかに内容を吸収し、
 自分の中に広げていってくださるか――。
 それが私たちの願いであり、
 人々の健康と幸福を心から願った
 重誠の切なる祈りではないかと思うのです。



……………………………………………………………………
○人間力メルマガ読者の方からのご感想
……………………………………………………………………

 「人間、如何に生きるべきか。」
 この、全ての根源とも言える命題に、
 真摯に取り組んでいる書籍は、致知より他にありません。

 物質至上主義により、輝きが失せようとしている
 日本人の精神性を研磨し、再び光輝させるという
 気高い理念・信念に、心より敬意を表します。

 貴誌には、あらゆる分野で活躍される方々が登場し、
 知識を広げることにも役立っています。
 
 人間学を通して、各分野の専門知識の一端も、
 垣間見ることが出来るのです。
 本当に素晴らしい書籍です。

 貴社の益々のご発展、また、
 致知の信念が多くの日本人に届きますよう、
 心からお祈り申し上げます。



……………………………………………………………………………………
人間力メルマガのベスト記事26本を書籍化
『一流たちの金言』(藤尾秀昭・監修)
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(転載以上)


確かに、貝原益軒さんの『養生訓』は、歴史の授業でも習ったことがありますが、
平野重誠(じゅうせい)の『病家須知(びょうかすち)』は、まったく初めて聞きました。
 
“貝原益軒の『養生訓』と並ぶ養生書の二大金字塔”と言われていたのですね。


“養生の心得に始まり、療養、介護、助産、さらには医者の選び方や終末期ケアについてなど”・・・

本当に多岐に亘って網羅されていたのですね。


“医者は病気になった人を治療するのではなく、病人が回復に向かう過程を手助けしていくのが本来の役割であること。
 そして自分の健康を自ら維持し、未病で防ぐための養生法に、最も重点が置かれているのです。”

“「医者三分、看病七分」の考え方”

“「薬をみだりに飲んではいけない」”


まさに、今新しい医療として注目されている自然治癒の考え方が大本となっているようです。
そうした考え方が、実は江戸時代の日本に存在していたということですね。


“「日本を知ることは江戸を知ることである」”

私も、江戸時代の文化や考え方を、今、もっと見直して見るといいのではないか、と思っています。
そこには、欧米の文化をまともに受ける前の日本、日本人の姿が立ちのぼってくるのではないでしょうか。


“私は助産師をしていたせいか、人間は一人ひとりが選ばれてこの世に誕生しているわけですから、
 どんなに辛い思いをしても、人間として生きてこそ価値があると考えます。
 
 子どもたちには、踏まれても踏まれても強く生きていく雑草のような存在であってほしい。
 
 その逞しい元気な体と心をつくるのは、やはり大人の責任であると思うのです。”


“「世話焼き心で、いても立ってもおられない性格」”
このような重誠さん人間性を、『病家須知』を今の日本に蘇らせた中村さんにも見るような思いがします。


“念々死を覚悟してはじめて真の生となる”

2011-12-13 04:41:14 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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   本日は、最新号より国民教育の師父と仰がれた
   森信三師を師と仰ぐ寺田一清氏の記事から、
   師の面影を偲ばせるお話をご紹介します。

   
────────────────────────────────────


       「念々死を覚悟してはじめて真の生となる」
      
       
            寺田一清(不尽叢書刊行会代表)
      
            『致知』2012年1月号
             特集「生涯修業」より
      
────────────────────────────────────

私ももう85歳でしてね。
人生のゴールが見え出してからというもの、
森先生の教えの根本真理ともいうべき、

「人生二度なし」

という言葉が一層心に染みてまいるようになりました。

先生の、

「念々死を覚悟してはじめて真の生となる」

という言葉など、最初はピンとこなかったんですが、
この頃はその凄さを感ぜざるを得ませんね。


それから、私が今日あるのは森先生に
立腰、腰骨を立てることの大切さを
教えていただいたおかげです。

22、3歳の頃は結核で寝ておった病弱な私が、
立腰によって85歳のいまも全国を
回って講演させていただいておりまして、
森先生への感謝の念から、
講演にお招きいただくと必ずこの立腰をお伝えするんです。


初めて自宅にお招きした時に、
急に立ち上がり対坐している
私の腰のあたりをグッと押されたんです。

普通に真っ直ぐ坐るのではないんですね。
腰椎の4番と5番を弓を張るように
キュッと締めなければならないんです。

森先生は、人間として大事なことの一つは、
いったん決心したら、石にかじりついても
必ずやり遂げる人間になることだとされ、
その秘訣として常に腰骨を立てている
人間になることを説かれています。


森先生の教えの中で、
立腰が一番重要な位置を占めると私は思います。

85歳になったいま、いよいよこの立腰を究め、
広めたいというのが私の心願なのです。

(転載以上)


“「人生二度なし」”

“「念々死を覚悟してはじめて真の生となる」”

私が、こうした言葉の意味を、心の底から感じることが出来るようになるのは、何歳になってからでしょうか(笑)。


ただ、それよりも身近な部分で感じるような場面は、多かれ少なかれあるのではないかと思います。

次の転勤が決まって、もうこの地に住むことが出来るのは何日か、何週間か、という時、
なぜか、それまでなかなか出来なかったことを凄い勢いでこなす事が出来たり、こんなこともあんなこともすればよかったと思ったり・・・。

学校卒業が近くなってから、もっといたかったな、もっと友達を大切にすればよかったなと思って、飲み会が増えたり・・・(笑)


“85歳になったいま、いよいよこの立腰を究め、広めたいというのが私の心願なのです。”

自分の一生をかける心願があるということは、本当に素晴らしいことだと思います。


“自分を空っぽにすると新しい水が入ってくるということ”

2011-12-13 04:30:29 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)
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                【2011/12/7】 致知出版社編集部 発行
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       * *

   本日は、繊細なタッチで自然の中に存在する
   生命の姿を描き出し、93歳の現在も精力的な
   活動を続けておられる日本画家・堀文子さんの
   お話をご紹介します。


────────────────────────────────────


        「93歳現役画家の流儀」
      
       
            堀文子(日本画家) 
        
            『致知』2012年1月号
             特集「生涯修業」より
      

────────────────────────────────────

【記者:堀さんの絵が世間で評価され始めたのはいつ頃からですか】


評価されたかは知りませんが、女子美術専門学校を出てからまもなく、
出品した絵が賞を受けて騒がれた時期もありました。

その時に、自分が若い女だから騒ぐので、
こんな言葉に乗っていたら大変だ。
ある時期を過ぎたら誰も振り向かなくなる
という自覚がありました。

大抵は若い時ちやほやされて、ダメにされるんです。

自分を堕落させるのもよくするのも自分なんだ、
と考えていますから。

誰かにすがっていたら、その人の言うなりじゃないですか。
人それぞれ姿形が違うように、運命も皆違うのですから、
誰もしないことを開拓しなければダメだと思っています。

ですから安全な道はなるべく通らない。
不安な道や未知の道を通っていくとか、獣道を選ぶとか。
大通りはつまらないと思っている人間で、
それがいまでも続いています。

そういう性質ですから、画家としては
食べることができませんので、
絵本を描いたりして生業を繋いできた。

ただ、それもやってるうちにちやほやされて、
児童の教育委員会などに出されることになってきました。
だから「これはいけない」と思って絵本の仕事はやめました。

そうやって、どこへ行ってもちやほやされないように、
上手にその道を避けて生きてきたわけです。


【記者:絵の腕はどのようにして磨いてこられたのですか?】


磨いてなんかいません。それはいい絵を描きたいですが、
いい絵を描こうといってできるものじゃない。
感覚というものは努力したってダメなんです。

絵は他の人から学ぶことはできない。
ただ、自分のだらしなさが直に現れます。
ですから自分がいつも未知の谷に飛び込むこと。
不安の中に身を投げていなければダメだと思っております。
いつも不安の中に身を置いて、
昨日をぶち壊していくということです。

ですから学ぶよりも「壊す」というのが私のやり方です。
そして、過ぎたことを忘れることです。

きょう出品したものはお葬式が済んだ後ですから、
もう一度はやれません。やれば悪くなるに決まっています。

人は「もう一度あの絵を描いてください」と言いますが、
慣れると確かにうまく見えますが、それはコピーです。
描いた本人には気が抜けていて、
魂が入っていないのが分かる。
同じ感動は繰り返せないということです。


もしかしたら私の中に、
まだ芽を吹かないものがあるかもしれない、
ひょっとしたら、まだ思いがけないものが潜んでやしないかと、
いまだにそんなことを考えています。

そのためにはいつも自分を空っぽにしておかないと
新しい水は入ってこないんです。
私に勉強の仕方があるとすれば、
いつも自分を空っぽにしておくということです。


(転載以上)

一度読んで思うのは、「これは本当に93歳の方の言葉だろうか?」という言うことです。

画家としての経験も豊富でしょうに、どうしたからこれだけ思い切ることが出来るのだろうか、ということです。

でも、堀さんは、若いときからずっとそうされて来たのですよね。


出品した絵が賞を受けて騒がれても、

“自分が若い女だから騒ぐので、
こんな言葉に乗っていたら大変だ。
ある時期を過ぎたら誰も振り向かなくなる
という自覚がありました。”

絵本を描いているうちに児童の教育委員会などに出されることになってくると、

“だから「これはいけない」と思って絵本の仕事はやめました。”


“自分を堕落させるのもよくするのも自分なんだ、と考えていますから。”

“人それぞれ姿形が違うように、運命も皆違うのですから、
誰もしないことを開拓しなければダメだと思っています。”

堀さんの根本的な考え方ではないかと思います。


“もしかしたら私の中に、
まだ芽を吹かないものがあるかもしれない、
ひょっとしたら、まだ思いがけないものが潜んでやしないかと、
いまだにそんなことを考えています。

そのためにはいつも自分を空っぽにしておかないと
新しい水は入ってこないんです。
私に勉強の仕方があるとすれば、
いつも自分を空っぽにしておくということです。”

未来の希望や光を感じる素晴らしい言葉ですね。


”大切な判断をする時に考えること”

2011-12-09 00:46:46 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。

(転載開始)

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     致知出版社の「人間力メルマガ」

 

                【2011/12/7】 致知出版社編集部 発行

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      ●いよいよ明日発売です!

      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

      『人間学入門』(藤尾秀昭・監修)

 

       明日限り(23時59分まで)のアマゾンキャンペーン

      ※詳しくは下記をご覧ください。

       ⇒ http://www.chichi.co.jp/book/ningengaku_guide.html

 

 

 

 

  いつも「人間力メルマガ」をご愛読いただき、

  誠にありがとうございます。

 

  本日は12月8日(木)に発売される『人間学入門』より、

  KDDIを設立した稲盛和夫氏(京セラ名誉会長)の

  お話を一部ご紹介します。

 

 

──────────────────────────────────

 

 

       「なぜ第二電電(現KDDI)を設立したか」

 

 

          稲盛和夫(京セラ名誉会長)

 

 

             『人間学入門』より

             http://www.chichi.co.jp/book/ningengaku_guide.html

─────────────────────────────────

 

 

  ■なぜ第二電電(現KDDI)を設立したか

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

  善きことを追求することで、事業を発展させることができる、

  と私は信じておりますし、自分自身でも実行してきたつもりです。

 

  一つの実例として、第二電電という会社を

  設立した時のお話をしたいと思います。

 

  京セラという会社が少し大きくなったからといって

  なぜ電気通信事業に乗り出すのか。

 

  また、東京の経営者ではない、

  関西の、しかも京都の事業家が全国ベースの事業に乗り出すというのは、

  何か思い上がっているのではないか。

  当時はこのようなことを、多くの新聞・雑誌に書かれました。

 

  私は自分が長距離電話の会社を

  やることになろうとは思ってもおりませんでした。

 

  しかし海外でも事業をしておりますので、

  日本の通信料金が非常に高いということは身に染みて感じていました。

  なんとか競争の原理が導入されて、

  国民が安い料金で電話を使えるサービスが必要だと思っていたところでした。

 

  けれども、何兆円という売り上げを上げる巨大な企業、

  明治以来ずっと独占でやってきたNTTに

  対抗できるような企業はできるのだろうか。

  できるとしたら、経団連を中心とした日本の大企業が連合体をつくる以外に、

  NTTに対抗できるものはないだろうと思っていました。

 

  民間でなんとか早く連合体をつくってNTTに対抗し、

  料金を安くしてくれないものかと思っておりましたが、

  巨大なNTTに立ち向かうには

  あまりにリスクが伴(ともな)うというので、どこも名乗りを上げません。

 

  そのうちに私は日本の大企業が連合体をつくってNTTに対抗しても、

  本当の意味での競争にはならないのではないか。

 

  利権の分け合いをするだけで、一般国民から見ると、

  競争をしたように見えるけれども、実際は若干(じゃっかん)安くなった程度の料金で

  お茶を濁してしまうのではないか。こう思うようになりました。

 

  新しい電気通信事業には、我われのような若い者が燃えて、

  二十一世紀に向けて新しいチャレンジをすることが必要なのではないか。

 

  そういうことを思い始めたら矢も楯(たて)もたまらなくなって、

  自分の立場もわきまえず、自分の会社の力もわきまえず、

  闇雲(やみくも)にNTTに挑戦しようと思い始めたのです。

 

  無謀な戦いだということはよく分かっていました。

 

 

  しかし考えれば考えるほど、諸外国に比べて大変に高い通信料金を

  安くしてあげなければ、国民の方々に対して

  申し訳ないという思いが募(つの)ってきました。

 

 

  NTTの若い技術屋さん、私と親しい人たちに集まってもらって、

  どうすればNTTに対抗できるかということを議論し、計画を練りました。

  なんとかやれるのではないかというところまで辿り着きましたが、

  実際踏み切るとなると、大変に悩みました。

 

 

 

  ■「動機善なりや。私心なかりしか」

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

  いまでも当時のことはよく思い出します。

  悩み抜いた揚げ句、私は家に帰って寝る前に、

  自分は新しい会社をつくって、

  無謀にもNTTに挑戦しようとしているけれども、

  それは正しいことなのかどうかを、毎晩自問自答することにしたのです。

 

  「動機善なりや。私心なかりしか」という文章を

  自分でこしらえて、それを毎晩唱えるわけです。

 

  新しい通信会社をつくってNTTに対抗しようとするのは、

  国民のために料金を安くしてあげたいからだ、と自分では言っているし、

  思っているけれども、それはきれいごとではないのか。

 

  京セラという会社を京都につくって成功し、少し有名になったものだから、

  さらに東京という檜舞台(ひのきぶたい)へ出て行って、

  大向(おおむこ)うを捻(うな)らせるような

  大見得(みえ)を切りたいという自己顕示(けんじ)欲があるのではないか。

 

  自分がやろうとしていることは本当に人のためを思ってやることなのか、

  私利私欲ではないのか。

  それを私は「動機善なりや。私心なかりしか」という言葉を唱えながら、

  自分に厳しく問い続けたのです。

 

  半年間、一日も休まず、自問自答を繰り返しました。

 

  そして私の思いは決して私利私欲に端を発したものではない、

  という結論に辿り着きました。

 

  国民のため、世のため人のために、

  犠牲を払ってでもやろうとしている自分の気持ちに、

  嘘偽りはないということが分かりました。

 

  そこで、役員会で自分の気持ちを話し、

  「大企業の方々もリスクが大きいというので、

    なかなかおやりにならないから、自分がやってみたい」

  ということを話しました。

 

  その頃、京セラには、現預金で1500億円ありました。

  だから、

  「もし失敗しても1000億注ぎ込んだら撤退するので、

    1000億はどぶに捨てたつもりでやらせてほしい」

  ということを言って乗り出したわけです。

 

 

※続きは本書をご覧ください。

 

 

 

 

 

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(転載終了)

京セラの稲森さんが今のKDDIを始められた時の有名なエピソードですね。

 

京セラの経営で名声や財を成しただけに、この件で、色々書かれたり言われたりするこ

とはある意味稲森さんも読んでいらしたことでしょう。

 

その上で、稲森さんが判断のよりどころとしたのは、他人がどう思うかではなく、自分の心の中の本当の動機を確認することだったのですね。

 

「動機善なりや。私心なかりしか」

 

やはり本当は色々な思いがあったのだと思います。

半年間毎日自問自答を続けられたということにそのことが表れているように思います。

 

それは、稲森さんの人間らしさをあらわしているようにも思えますし、その覚悟の大きさをあらわしているものだとも思います。

 

ほとんど何もないところからNTTに対抗する勢力をつくることは、半端な動機では達成することは難しいことだったと思います。

 

今、携帯電話の業界でKDDIがない世界を想像するのは、なかなか難しいものがあります。

 

その後、稲森さんは、更に畑違いとも思えるJALの再建を担当されることになります。

やはりそのことについては色々な反響があったことでしょう。

 

「動機善なりや。私心なかりしか」

 

自問自答がまたあったことでしょう。

 

そして、経営を引き受けられてからたった1年で黒字化を達成しました。

 

経営には業種を越えて共通するものがあり、そして、経営者の心の奥底の動機のあり方が経営の本質に大きく関わっているのだと思います。


“私達がいつも、二つの尺度を持っていることについて”

2011-12-02 16:55:26 | 日記

致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。 

(転載開始) 
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     致知出版社の「人間力メルマガ」 

                【2011/12/2】 致知出版社編集部 発行 
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  いつも「人間力メルマガ」をご愛読いただき、 
  誠にありがとうございます。 

  本日は12月8日(木)に発売される『人間学入門』より、 
  次々と襲いかかる難病と闘いながら 
  生きることの喜びと感謝をうたい上げ、 
  『塩狩峠』『氷点』『道ありき』など、数々のベストセラーを 
  世に送り出してきた三浦綾子氏のお話をご紹介します。 

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 これは時折、講演で話すんですが、 

  「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。 

 私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。 

 大事にしていたものや、高価なものを取られても、 
 生活を根底から覆(くつがえ)されるような被害でない限り、 
 いつかは忘れます。 
 少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために 
 自殺した話はあまり聞かない。 

 だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や 
 少年少女の話は、時折、聞きます。 

 「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても 
  三杯も食べるのよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨(ふんがい)し、 
 その後一切、食べ物を拒否して死んだ、という話があります。 


 それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に 
 強烈なショックを受けた時に生まれる確率が高いと聞いたことがありますが、 
 ある妻は小姑(こじゅうと)に夫の独身時代の素行を聞き、 
 さらに現在愛人のいることを知らされた。 

 それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。 
 この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、 
 生まれたのは精神薄弱児だったそうです。 


 恐ろしい話です。私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやり、 
 生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。 
 泥棒のような単純な罪とは違うんです。 
  
 それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、 
 また、聞いています。そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。 
 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性(さが)です。 
  
 もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、 
 怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。 
 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口を 
 きかなくなるのではないでしょうか。  


 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。 
 そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。 


 私たちは自分を罪人だとは思っていない。 
 罪深いなどと考えたりしない。 

 「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。 

 私たちはたいていそう思っています。 
 それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。 
 「人のすることは大変悪い」「自分のすることはそう悪くない」。 
 自分の過失を咎(とが)める尺度と、 
 自分以外の人の過失を咎める尺度とはまったく違うのです。 
   
  
 一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が生命保険の 
 セールスマンと浮気をした。彼女は、「いやらしい。さかりのついた猫みたい」 
 と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。 

  何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。だが彼女は言った。 

 「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。恋愛って美しいものねぇ」 

 私たちはこの人を笑うことはできません。 
 私たちは自分の罪が分からないということでは、この人とまったく同じだと思います。 

…………………………………………………………………… 
『人間学入門』より、三浦綾子氏の名言 
 …………………………………………………………………… 

  九つまで満ち足りていて、 
   
  十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、 
   
  人間はまずその不満を真っ先に口から出し、 
   
  文句をいいつづけるものなのだ。 
   
  自分を顧みてつくづくそう思う。 

  なぜわたしたちは不満を後まわしにし、 
  
  感謝すべきことを先に言わないのだろう。 

                             三浦綾子 

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いかに人間力を磨くか、各界の先達に学ぶ 
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(転載以上) 


“それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、 
 また、聞いています。そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。 
 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性(さが)です。 
  
 もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、 
 怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。 
 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口を 
 きかなくなるのではないでしょうか。”  


厳しい言葉です。 

しかし、そこまでしないと心に入っていかないということもあるでしょう。 
そして、厳しく感じるのは、自分にしっかりあてはまるからでもあります。 


“私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。 
 「人のすることは大変悪い」「自分のすることはそう悪くない」。 
 自分の過失を咎(とが)める尺度と、 
 自分以外の人の過失を咎める尺度とはまったく違うのです。” 


二つの尺度は、多かれ少なかれだれにでもあるものかも知れません。 
そして、この二つの尺度を、完全に揃えることは本当に難しいことなのかも知れません。 

しかし、日々近づけていく努力は続けて行かなければならないのでしょう。 


“九つまで満ち足りていて、 
   
 十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、 
   
 人間はまずその不満を真っ先に口から出し、 
   
 文句をいいつづけるものなのだ。” 


やはり、常に意識しないと簡単に陥りやすいことですね。