魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【思想に拘泥したフリードマンの新自由主義で日本を壊し続ける野党の朝鮮人と元清話会の似非日本人の政治屋供】

2019-01-28 11:19:06 | 異民族政治屋成り済まし工作員

 森喜朗から始まって小泉純一郎に続いて安倍晋三と続く元清話会に属する日本の首相三人に共通するのは「政治の私物化」である。土台、自民党は保守の仮面を被って実質朝鮮人を優遇し続けた国賊供の集まりと我は観て居る。其の先鋒が元清話会の似非日本人の擬き供である。無論、野党の露骨な似非日本人振りも赦し難いが、此奴等政治屋に簡単に操られる日本国民の御人好しも限度を超えたもので、四面楚歌に追い込まれて居る危機感さえ何ら手を打つ気配も無い。

 「日本経済が此処迄低迷したのはリーマンショックだ」と屡く言われて来たが、日本も其の余波を受けたことは確かだが、日本経済の低迷の元凶は「元々の日本経済の基盤の脆弱性」と「余波からの回復を其れ以降の民主と自民の政権の政治の私物化」に依って余波からの回復処か日本経済を根底から破壊し続けたからである。

 日本の新自由主義は、中曽根康弘政権で萌芽させた。" 奴 " は、日本が敗戦したにも拘わらず目覚ましい経済発展を遂げられた組織力の根強さを「電々公社」と「国鉄」の民営化に依って根底から壊したのである。所謂「官営」の行き詰まりは、政治屋の放置と無策の責任の問題で、民営化は「日本経済と政治の " 私物化 "」を助長したもので在ったのだ。中曽根の「政治の私物化路線への踏切」を賛美する者は、" 奴 " は「『福祉路線』からの脱却を試みた」功労者と賛美する者も居るが、如何なる政治体制を採ろうと「政治の理念」は「国民に複利の利益を与え続けること」である。此処での「国民」とは、国民総体である。政治は、国民総体の「福利」を低迷させる「行き過ぎた福祉路線」から脱却すべきであり、譬え自由主義を採る国家であろうと、「福祉政策」は政治家の最大の責務であるのだ。

 新自由主義は民主政権の時代から極端に悪用された。フリードマンの唱えた新自由主義は次の様に要約出来る。
 フリードマンが目指す社会が「人種差別」を無くすことで在り、此れを土台として " 理屈 " を構築したものである。

 フリードマンは、人々が徹底的に自由で(差別からの解放を目標に)ある為に、政府が護るべき原則を二つに絞った。

第1原則 国防 他国から攻撃された時に、政府はその攻撃から国民を守ること。つまり、外国から攻められることは、国民の自由の迫害なので、政府は守らなくてはならないと説きました。

第2原則 小さな政府 政府がやらなくてはいけない政策や制度がある場合は、より小さな組織で行いなさい、という原則です。国よりは県、県よりは市といったように、政策を下へ下へと流し行いなさいという考えです。その理由は、国単位で何か政策をすると国民はそれに従いたくなくても、国を出るわけにはいきませんから、従わざるを得ません。しかし、市の単位で政策を行えば、別の市に移動すれば良いだけです。国民の自由を徹底的に守るためにこのようなことを説きました。

 新自由主義者に捉われた政治屋は例外無く、グローバル主義者である。グローバル主義から国民を護るには国を細かく分割した地域政治に細分化して国民の福利を護れる筈は無く、其々異質な制度や政策を持つ地域の住民達が一体と成って外敵からの攻撃に備えることが出来る訳が無い。

  フリードマン程の人物がこの矛盾に気付か無かった筈が無い。依って、彼の新自由主義の目指したものは、国家の否定であり、国の権力を分割することで経済以外の " 何か " を広めようとしたものと我は解釈する。彼は別の機会で経済に絡めて「差別」を取り上げた発言をして居る。彼は貧しいユダヤ人の家に生まれた。功成り名遂げた後も。此のトラウマから抜け出せ無かったものと我は観て居る。

 話を、日本の政治に戻すと、民主政権の時には保守主義者は、民主党の政治屋を朝鮮人呼ばわりして叩き続けた。実際我も「民主党は朝鮮党である」と感じた。民主政権の前の小泉政権も酷かった。「郵政民営化」を必要も無いのに扇動して、結局国民の財産を朝鮮族と思しき宮内義彦に一部タダ同然の値で献上したり、鳩山政権では日本を代表する航空会社等一流企業のトップに此れ又朝鮮族と思しき稲森和夫等を就任させて滅茶滅茶にさせた。安倍晋三に至っては、日本民族解体を狙って憲法を完全に違反した「ヘイト規制法」で臆面も無く日本民族の言論弾圧をする次第である。矢張り、新自由主義者は「差別」を利用して「政治の私物化」を進めて来たのだ。

 国民の打開策は政治を直接民主制に変えることで、其の制度の構築は難していとはいえ、今世界中が間接民主制の限界に依って政治の迷走が著しい。無論政治の迷走は何時の時代にも在ったが、今回の迷走は間接民主制度の限界から来たものと我は感じて居る。

 代表間接民主制の代表は力を持った個別の集団に依って選べれるのであり、各別国民の多くの民意を反映するものでは無いので、此れを持って民主主義を実現するものでは無く、其れが「政治の私物化」に結び付くのである。政治の制度は此れが万全というものは無く、行き詰ったら其の原因を探し出して、より民意を反映出来るものに変えて行く其のこと自身に民主政治の維持に必要であるのだ。


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