魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【幕府主導のアンシャンレジューム変革を朝鮮下士と隠れ被差別層に乗っ取られた明治維新の史実考】

2018-07-31 13:18:12 | カルト宗教の闇

ジャンピングエルボーアタック(WiMAX)@\(^o^)/ 2014/07/27(日) 11:36:19.44 ID:En3a56qB0.net BE:601381941-PLT(12121) ポイント特典

 「明治維新の成功、半分は幕府のおかげ」明治維新は、旧韓末に開化と近代を夢見た朝鮮の知識人にとって、モデルケースであるとともにコンプレックスでもあった。
朝鮮より遅れていると思われた日本が、瞬く間に富国強兵を成し遂げ、西欧列強と渡り合える国に成長したからだ。なぜ日本は近代化に成功し、韓国は取り残されたのか。東京大学で日本史を学び、博士号を取得した朴薫ソウル大学教授は、
挑発的な回答を用意している。明治維新成功の半分は徳川幕府のおかげ、と朴教授は説明している。維新勢力が覆そうとしていた旧体制(アンシャン
レジーム)の幕府が、近代化の有功者だというのか。19世紀に西洋勢力の進出に直面した幕府は、西洋の文物を率先して受け入れ、体制改革に乗り出した。幕府は維新勢力に比べ依然として強大な力を持っていたが、決定的瞬間に権力を維新勢力へ渡して後退し、日本の近代化を早める役割を果たした。ほかの国々の旧体制と比較すると、徳川幕府は時代の流れに対処する、見るもまれな躍動性を備えていた―というのが朴教授の判断だ。「無能な幕府」という常識を覆す評価だ。 【新刊】朴薫(パク・フン)著『明治維新はなぜ可能だったか』(民音社)
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日本がいち早く西洋の文物を受け入れ、改革を促進させることができたのは「過剰な危機意識」のため―という説明もユニークだ。知識人は、西欧の侵入に積極的な対処をすべきと主張した。ところが当時の西欧列強には、日本を侵略する意志も能力もなかったため、当時の外圧は日本が考えていたほど危険ではなかったという。旧体制の古い学問と見なされている儒学が明治維新を触発する背景になった、という説明も議論を呼ぶだろう。日本では、儒学は古いイデオロギーではなく、体制を揺るがす「危険な思想」だった。19世紀の日本で湧き起こった儒学ブームは、武士に影響を及ぼした。刀を帯びる軍人だった武士は、儒学の経典を講読する読書会に通って「士大夫」としてのアイデンティティーを学び、政治に対し積極的に発言するようになった。武士階級は、明治維新とその後の日本政治の主力として活躍するようになった。明治維新は主として旧支配層の一部の自己革新による変革だった、という点に注目したのは興味深い。不必要な破壊と犠牲を最小限に抑え、秩序ある、効率的な変革を実現したというわけだ。フランス革命やロシア革命、そして現在の中東のような劇的な変革には、破壊と混沌(こんとん)、流血を伴う。どのような道を選ぶかは、結局のところ社会の構成員の役目にほかならない、というのが著者の見方だ。248ページ、2万2000ウォン(約2200円)。

金基哲(キム・ギチョル)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

 実は、維新後の新政府で地位を得た奴等は朝鮮下士や出自不明(後に出自や育ちを捏造)の者達ばかりであり、迷わず言えることは、奴等は須らく小悪党である。

 大室寅之祐明治天皇摩り替え説も突飛なものと無碍には出来ず、伊藤博文を銃殺で暗殺した安重根は裁判で俊介を暗殺した一つの動機を「伊藤は岩倉具視と内通して公明天皇を暗殺したからだ」と述べている。勝海舟も賤しい裏切り者で維新後幕臣だった者達の「江戸幕府の歴史」の編纂を邪魔して、己の卑しさを隠す始末であった。

 幕臣小栗忠順 - Wikipedia「主導の幕府による廃藩置州」は知られたものだが、明治政府に救った卑賎の小悪党供は小栗忠順の功績を抹殺したかったのだ。大隈重信は後に「小栗は謀殺される運命にあった。何故なら明治政府の近代化は、そっくり小栗のそれを模倣したものだから」と語っている。近代日本の建設に大きな役割を果たした横須賀造船所を創設した小栗忠順の功績を永久に葬りたかったのだ。

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