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魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【マクロ経済考 ③👈「産業の電子化」について 其の2】

2018-10-09 01:02:31 | カルト宗教の闇

 人類がひととして誕生する前後より、人類は恐らく集団生活をして居ただろう。此の集団生活では身体に欠陥が無い限り、男女共何等かの仕事=労働はして居たろう。そうし無ければ、集団の成員は生き延べられ無かったろう。謂わば、nuance少し違うが、は完全雇用状態であった。集団には不労働者は居無かったろう。
 軈て、人類の集団の規模は大きく成って、部族が生まれ、其れ等の部族が血縁関係等で結ばれて民族を造り、大勢の人間が集団の成員と成ると人間社会の仕組みは複雑に成り、各民族は国家らしき組織を造った。
 人間が造って来た集団が、大きく成ると其の成員同士御互い総て知り合いと言う関係では無く成り、必然、共通の価値基準を造らねばならなく成る。貨幣が無かった時代は。経済は無論物々交換であった。物々交換は御互いの個々人の価値観の合致で成り立ったろうが、知ら無い者同士が多く成った集団では、個人別に物や労役に対する値付けが個々人で違うとことでは、物々交換も儘成ら無い。其処で、集団としての物や労役に対する価値基準を決めることに成る。貨幣が出来た萌芽は、恐らくこうしたことだったのだろう。
 然し、初期の原始国家では、国家の成員は恐らく全員肉体を駆使する労働をして居た筈である。此の時期、人類は成員全てに行渡るだけの生産能力しか持たず、余剰の生産は無理であったからと推測出来る。
 複雑な事柄を理解するには、単純化と原点に戻ることが最善であり、今回は其の考えで少し幼稚な記述をした。

続 く


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