原始発祥的意味での国家とは、一定の支配領域を持つ「権力機構」である。従って、国家の外には外敵に対して「組織化された武闘集団」=「軍隊」を持って初めて国家として成立するものである。此処で、「権力機構」としたのには、今日でこそ地球上に存在する国家は、建前だけでも「国民の運命共同体」としての体裁を装うが、古代の日本は一先ず置くとして、世界の日本以外の国家は総て「土人支配国家」の長い歴史を持って居るのだ . . . 本文を読む
「凡ゆる事象に対して同じ感性を持つ者同士互いに援け合って、分け隔て無く力を尽くすことが『連帯』である」と我は定義する。「感性」とは「美醜や善悪等の評価判断に関して心で感じる能力」である。
従って、感性が同じに持た無ければ、人々は互いに連帯することは難しく、共同して社会を安定させることは難しい。雑っと考えても、「感性」の持ち様は、人種や民族に依って違うもに生る。此のシリーズの「序説」で「土人国家とは、支配層以外の領民を搾取の対象として力尽くで支配した国家の意味である。」としたが、多人種他民族多部族が地続きで混合する大陸等の地の歴史は、強い民族や部族が他の民族や部族を制圧し淘汰して行く連続であった。従って、地域の支配層と其の地の先住民は、同じ「感性」を持たず「連帯」には限界が生じるのは必然である。詰まり、国家であっても支配層にとって領民(先住民)は、正しく「土人」なのであり、支配を続けるには支配層は絶えず「土人」に対して支配を緩め無い緊張感を持ち続けて居なければ成らず、極端に言えば、領土は支配層にとっては「植民地」の様なものであった。人類は悲しいかな圧倒的な力の差が在る者に対しては同類意識は欠如し、冷徹で残酷に事を運べる本性を持つ。極言すれば領民を「家畜」の様に見て扱う。
こうして、中国大陸や朝鮮半島の古い書物には、「生口」等と言う忌まわしい文言が度々出て来るのである。
続 く
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