魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

◆◆【我「老子」の私見を綴る】◆◆養身第二

2012-04-08 02:32:46 | 学問
                                                              養身第二
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。
天下みな既に之美と為して美を知る。其れ既に悪である。みな既に之善と為して善を知る。之既に善に非ず。故に「有」と「無」とが相生じ、「難」「易」相成り、「長」「短」相現れ、「高」「下」相傾き、「音」「声」相睦み、「前」「後」相随う。以て是聖人は、之れ事を無為に処し、之れ自明の行いを教える。万物は此処に初めて起こりて厭わず、生じて有らず、行うも頼らず、功成るも留まらず。夫唯留まらずんば、是以て去らず。
私見解釈
世の人々が美とするものは美とされているから美と為す。此れは間違いである。みな善と為されているものを善とする。此れ既に善に非ず。故に、「有」「無」は相対して生じ、「難」「易」は相対して達成され、「長」「短」は相対して形作られ、「高」「下」は相対して偏り、「音」「声」は相対して調和し、「前」「後」は相対して任せる。聖人が是以て、作為せずに事に当るは、自明の行いと教える。森羅万象は有るが儘に生じ、生じて「有」とせず、行いに頼らず、功を成しても其れに安住せず。そのように振舞ってこそ、離れることは無い。
続く。

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