魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【日本民族は安倍晋三(👈与野党政治屋総てを代表して)の「朝鮮族への『優しさ』と『御人好し』を勘違いさせる工作活動」に騙されるな!(西郷隆盛は大久保利通に騙され続けてた①)】

2019-01-04 15:30:40 | 異民族政治屋成り済まし工作員

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【日本民族は安倍晋三(👈与野党政治屋総てを代表して)の「朝鮮族への『優しさ』と『御人好し』を勘違いさせる工作活動」に騙されるな!(序編)】

2019-01-03 16:02:29 | 異民族政治屋成り済まし工作員

 過去何度も我の此のブログで訴えて来たことで在るが、当時覇権国家であった欧米の国々が、「日本を亜細亜全土植民地化の一助に利用」し様として幕藩体制に不満を持つ朝鮮下士等下層武士や被差別階級を使って「明治維新」は為されたものである。  西郷隆盛と大久保利通は隣組の幼馴染では無い。高麗町という地名は、島津義弘が慶長の役(1598年終結)で連れてきた朝鮮人達を此の地に住まわせた事に由来する。その後朝鮮人 . . . 本文を読む

 

 「大室寅之祐は、長州出身で長州朝鮮下士が南朝の天皇の後胤として明治天皇に担いだ人物である」とされて居る。 西郷隆盛は南朝の功臣菊池武光の後裔といわれている。江戸元禄期に島津家の家臣と成る。ということは、もしかしたら、隆盛は「大室寅之祐が南朝の天皇の後胤と長州朝鮮下士から信じ込まされて、天皇に担ぐことに一役買った」のかもしれ無い。因みに島津家は南北朝時代、南朝側の有力氏族菊池家とは合従連衡の関係に在った。歴史は何時でも何処でも後の権力者に都合良く書き変えられるのだ。

 勝田孫弥著の「大久保利通列伝」にも「利通の生れたる所は、甲突川の西の方に方り、高麗町と称うる地にあり、されど、其幼年の頃、家族と共に加治屋町に移住せしより」とあるが、前回でも書いた通り大久保利通が高麗町から鍛治屋町に移ったのは、幼少の時では無く、12歳と成った少年期である。加治屋町の生誕の地の碑が出来たのが、利通が暗殺されてから9年後の明治22年であったとされるて居るが、此れは後世に利通が朝鮮下士であったことを隠す為だったのだろう。

 鍛治屋町は川幅凡そ数十mの河で高麗町と分れていて、薩摩藩下士の郷であっても「種族」?は別種であった。

 以上を纏めて仮説を立てると、「西郷隆盛が維新に貢献する切っ掛けは、南朝天皇の復活であったか」ということと、「西郷隆盛と大久保利通は初めから総て通じ合う間柄では無く、御互いの想いを達する為必要に駆られて助け合って居た間柄であった」と思うのが順当である。


 次回【日本民族は安倍晋三(👈与野党政治屋総てを代表して)の「朝鮮族への『優しさ』と『御人好し』を勘違いさせる工作活動」に騙されるな!(西郷隆盛は大久保利通に騙され続けてた②)】に続く


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