魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【中東では多くの子供達が毎日命を落としている。】

2015-11-21 23:38:12 | 国際・政治
 「パリでテロに遭って百数十人亡くなったら、世界中が大騒ぎするが、中東では数百人爆撃やイスラム国の鬼畜共に殺されているのが日常である。」とエジプトの新聞に書かれていたそうだが、所謂、有志連合と言われる国々はイスラム国とは関係無い一般市民の犠牲を無視する。

 争い事には関係無い一般市民が殺されて行くのは忍び無いが、だからと言って難民を入れるのは反対である。何故なら、在日朝鮮人は極めて特殊で日本で絶えず問題を起こすが、日本は粗単一民族国家だったのに、態々軈て民族問題を起こす愚行を避けるべきなのである。人が不幸だと言って自分も不幸に成る義務は無いのだ。

 日本は難民を入れ無いと言うが、実は日本には何時の間にか多くのモスリムが既に定住しており、モスクは200を超えている。先日も、巨大なモスクが日本に建設された。

 神道は日本古来の信心である。其の発祥は縄文時代に辿る。明治以来「国家神道」と成った神道の本姿は世界の主だった宗教とは全く異質なものである。日本の神道は日本民族の生活態度の規範であり、自然と祖先を崇めるだけのものだった。擋世界の通念では宗教と呼べる様なものでは無かったのである。

 宗教は例外無く国家の統治に利用される。軈て原始神道は大和朝廷に利用されたが、其の本質は余り枉げられ無かった。

 世界の主だった宗教には例外無くカリスマ的創始者、若しくは創始者を創り上げた者達が造った教義を押し付ける人為的発祥のものであるが、神道には此れと言った教義は無く、日本民族の誰とも言えず自然発祥的に生まれた信心である。だからこそ、外来の仏教との融合もすんなり受容れられたのだ。

 明治維新後、明治政府は「国家神道」を強引に推し進めたが、此れによって今迄神道に養われて来た日本民族の心の底迄変えることは出来無かった。

 我はモスリムは我々日本民族には極めて悍ましく危険な信者達だと思っている。何故ならば、彼等は強い教義に縛られて生活習慣迄も宗教に強く拘束されていて、モスリム以外には極めて排他的な本質を持っている。

 多様性とは、お互いが違いを認め合うのが互いのより良い関係を造ると言われるが、此れは飽く迄、離れて暮らして居る場合であって、多様性が雑じり合って一緒に暮らす場合は必ず軋轢と混乱が生じるのだ。米国等混合民族国家が訴訟が多いのも此の為であり、最近日本も朝鮮族絡みの訴訟が刑事ばかりか民事でも多発して居る。

 日本の在日等の「人権」と言う言葉に騙されて、うま々相手の手に乗る愚行は自分を追い込むことに成る。何方が大いに得して何方が我慢を強いられるか考え無くとも分かることである。

 大きく余裕が在れば困っている人を助ける心は人として立派なものだが、一方、見ず知らずの他人の為に犠牲的に貢献することは自分自身は無論だが、家族や子孫にも犠牲を強いる愚行であるのだ。

 然し、中東では毎日多くの子供達が、戦禍やテロ集団の犠牲に成って居る。身に詰まされる辛いことである。我等が将来背負い込む様な犠牲を無く、出来る範囲で彼等を援ける方法を考えたいものである。

 一つ考えられるのは、有志連合各国が矢張り中東の一定の地域に彼等の為にテロ集団から守って上げる仮の国家を造って其中で彼等が経済活動も出来る様にして上げる以外手は無いのでは無いか?有志連合の国々も其れによって何らかの利益を上げることも出来るかもしれないのだ。

 当面は、援助物資や食料を供与するだけでも彼等は、取敢えず悲惨な戦禍や凶暴なテロから命を奪われる危険は無く成るのだ。

 幸い我が国には安倍晋三と言う立派な宰相が居る。是非とも我が民族が誇れる宰相として凶悪な渦に巻き込まれて悲惨な人生を強いられている人々を救う為に力一杯奔走して頂きたい。

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