魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

◆◆【我「老子」の私見を綴る】◆◆體道第一

2012-04-07 19:01:23 | 学問

【老 子】

體道第一
道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。
道は道として存在しても、道は常なるものにあらざる。名は名として存在しても、名も常なるものに在らざる。無は天地の初めに名付け、有は万物の母に名付く。故に無は絶えず其の妙を以て観るをことが必要で、有は絶えず其の徼を以て観るをことが必要となる。この両者は同出にして名を異

にす。同じく之を玄と謂う。玄とは更に不可思議なもので、天地万物の深淵な入り口である。
私見解釈
「道」は「道」として存在すべきもので、常用の意味での「道」として存在するものではない。「名」は「名」として存在すべきもので、常用の意味での「名」として存在するものではない。「無」は天地創造の初めより「名」付けられ、「有」は森羅万象を生んだ源より「名」付けられた。従って、「無」は絶え間なく感性を働かせることによって感じ取るもので、「有」は間断なく探求し続けることで眼に見える現象として捉えられるものである。「無」と「有」との源は同じところから出たものではあるが、「名」は別である。之等は「玄」と謂う範疇に属す。「玄」とは不可思議で奥深いものであり、この世の森羅万象を理解する為に避けては通れないものである。
続く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿