魂魄の狐神

天道の真髄は如何に?

【安倍晋三の国防策~戦時の国民は大量の餓死を覚悟して日本を護れ!】①

2015-11-11 10:54:03 | 半島族
 安倍晋三が発するスローガンには全く正反対の矛盾が有る。

 「日本を取り戻す!」と息巻いたと思えば、「もはや国境、国籍にこだわる時代ではなくなった」と臆面無く宣う。

 極めつけは晋三自身では無いが、安倍の腹心の菅官房長官の思わず本音の出た言葉である。

 菅「日本海を友愛の海」

 何処かで訊いたフレーズである。

 晋三の父晋太郎は、自民党では、岸派とそれを継承した福田派に所属し、派閥領袖であった福田赳夫を支え、田中派との党内抗争「角福戦争」を争った。安倍は岸の全面的支援を背景として、福田派における世代交代の旗手と位置づけられていった。福田赳夫改造内閣では1977年11月28日から1978年12月7日迄第41代 内閣官房長官を務めている。

 福田赳夫は、「大蔵大臣在任中だった1974年(昭和49年)5月7日に、東京の帝国ホテルで開かれた、統一教会(統一協会)(世界基督教統一神霊協会)の教祖、文鮮明の講演会「『希望の日』晩餐会」(名誉実行委員長は岸信介元総理)に同僚議員の誘いで参加し、「アジアの偉大な指導者」と文鮮明を賛美し(統一協会のサイト、韓国式の抱擁を交わした。」Wikiより

 福田元首相はスピーチで文師の講演内容に同意しつつ、「アジアに偉大な指導者現わる。その名は文鮮明である」との名言を残した。

「アジアに偉大な指導者現わる。その名は“文鮮明”である。私はこのことを伺いまして久しいのでありますが、今日は待ちに待ったその文鮮明先生と席を同じくし、かつ、ただいま文先生のご高邁なご教示にあずかりまして、本当に今日はいい日だなあ、いい晩だなあと、気が晴れ晴れとしたような気がいたします。(中略)今日は私が常々考えておった政治原理、そういうものを綺麗に整理させていただいたという気がするのであります。」(光言社「日本統一運動史」351~352頁)

「希望の日」晩餐会、政財界要人を含む1700名参加(帝国ホテル)
  ※写真は文師と福田赳夫元首相(当時大蔵大臣) 1974.5.7


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▲ (右から)スピーチをする福田赳夫元首相、久保木修己・統一教会名誉会長、文鮮明師(統一教会創始者)、韓鶴子(ハン・ハクジャ)女史(文師夫人)。

(参考)
・統一教会・統一運動に賛同する人々(日本人)


 「又、赳夫は「児玉誉士夫らと並ぶ「戦後最大級のフィクサー」と称された大谷貴義との親交が深く、「福田の影に大谷あり」と言われた。政財界とアンダーグラウンドの世界に隠然たる力をもち、裏千家とも姻戚関係にあった大谷は、福田を首相にすべく、毎年代々木上原の千坪の豪邸に政財界の要人を招き、茶会を催していた。大谷の長女享子が、裏千家14世千宗室の子息・巳津彦と結婚した際には、作家の吉川英治夫妻と共に、福田夫妻が媒酌人を務めた。また、1991年(平成3年)5月に大谷が逝去した際には、葬儀委員長も務めている。」Wikiより


 1987年 (昭和62年)、安倍晋三と電通社員の松崎昭恵の媒酌人を務めた。 電通は晋三の祖父の岸信介が満州時代に手足とした特高情報部が前身であり、岸信介の肝入れの勝共連合の情宣機関として生まれたものである。

 安倍晋三自身も統一教会の合同結婚式には祝電を送っており、「安晋会」も国会で、小嶋進 ヒューザー社長(当時)が自分は「安晋会」の会員で、「安晋会」会長の紹介で安倍の政策秘書を紹介してもらい、「耐震偽装問題」に関して国土交通省への対応を働きかけてもらったことを証人喚問で認めたことでその存在が知られることになった。
 
 その他安倍晋三と朝鮮族実業家との親交は、当時政界最大の親韓派と言われた実父に膜削劣らず深く、ロッテの重光の次男とも友人関係で、晋三の朝鮮族との関わりは日本人に対するものより広く深いものである。


 続 く


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