腹を立てないには?

この記事は以下に移転しています.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-265.html
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

天理教の組織

天理教をあまり知らない方のために,天理教の組織について私の知っている限りで少し説明しておきます.教えについてはブログでちょこちょこ書いていますが,組織について説明したことがなかったので.

奈良県天理市に天理教教会本部があります.神殿の中央には「かんろだい」があり,人類のふるさとと教えられています.(天理を訪れると,「おかえり」といわれるのはそのためです.)

教会本部の下には大教会あるいは直属の分教会があります.図を見ていただくとわかる通り,さらに下に分教会や布教所が連なっています.これは,お道の教えに感銘を受けた人,あるいは救けられた人が,お道の教えを伝道し,新たな教会を作り,またその教会から感銘を受けた人が・・・という具合に,つまりその教会の信者さんだった人が新たに教会を作り,教えが広がっていった結果,下に教会がつく形になり,このような組織ができあがったものと思われます.(図は概要です.実際は大教会は100以上ありますし,教会は全国に17000以上,布教所は20000以上あります.)これが縦のつながりです.

一方,横のつながりとして各都道府県は「教区」なる区分がなされており,大抵の都道府県は教務支庁があり,教区ごとにひのきしんやおつとめ,においがけなどの活動をしています.縦の活動と共に横の活動もあるわけですが,横のつながりに関しては縦よりも意識が低いような印象を私は持っています.また,年代によって少年会,学生会,青年会,女子青年会,婦人会などの会もあります.

教団を維持して教えを広げていくためには,ある程度組織化されることは必要だと思いますが,私はこの組織のあり方が100%正しいとは思っていません.今後変えていかねばならない箇所は数多くあると思います.それについて今多くを述べる必要はないと思いますので記述はしませんし,今こうあるということはそれ自体にも何らかの意味があり,いずれ変わっていくものとも思います.それに,大事なことはお道の教えを信じて神様とつながる生活を歩ませていただくということです.本質的に信仰とは組織とのつながりではなく,神の思いに近づく道だと私は思うからです.

少し話がそれますが続けて話します.おたすけと道の伝道のみで生活を立てている教会あるいは人は「道一条」と呼ばれています.うちの教会は初代(祖父)は道一条でしたが,二代会長の父は道一条ではありませんでした.現会長の母は道一条です.後継者である私はきっと仕事を続けていかないと生活がままならないだろうし,臨床家としても人救けをしていきたいと思っていますので,道一条になるつもりは今のところありません.(もっとも親神様のお計らい次第ですので,どうなるかはわかりませんが)

要するに,道一条に神様の御用をさせていただくには,自分以外のどこかからの収入によって生活が支えられる必要なわけで,部内教会や信者さんからのお供え,あるいは家族・親戚の援助,権利収入(土地・アパートがあればですが)などがあって初めて可能になるわけです.これが一般の家庭と異なる生計の仕組みです.お供えについてはまだ一度も記事を書いたことがありませんので,また後日書きますが,日々生かされていること,結構に過ごさせていただいていることの感謝に精一杯の真心をもって神様に供えるものであると思います.したがって,私たち教会の生活は信者さんなり部内教会なりが自分たちの生活の中から神様への気持ちとして供えていただいたお金で成り立っている部分があるということを忘れてはならないのです.これを忘れると,宗教は本来の意味を失い,形骸化してしまいます.仮にそのような教会があったとしても,それを天理教の真の姿だとは思わないでください.詳しくは過去記事「信仰と意味」「人をして宗教を知ること」を参照あれ.

ところで,天理市内には様々な天理教の施設がありますが続きはまた今度.
※今日の記事で誤っている箇所がありましたら訂正させていただきますのでご指摘ください.
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

1ヶ月ブログ皆勤,しかし・・・

初めて1ヶ月休まずに書き続けました.なんだかちょっとした達成感です.

しかし,現実生活の中ではお道の話をすることはおろかリーフレット配りさえ躊躇があったということは私に大きな影響を与えています.インターネット上でお道の話をすることには躊躇もありませんが・・・.

信仰とは本質的には神と自己を結ぶものでありますが,神と自己を結ぶ=神の思いに近づくことと思います.それは世界だすけの道であり,より多くの人に救かってもらいたいという思いを実践にうつしていくことです.自分がお道の信仰のおかげて救かっていると思うのであれば,それをより多くの人に伝えていくことはやはり大切なことなのではないかと思います.

たとえば,○○社の××製品を買って使ってみたら,とてもよい商品で買ってよかったと思うのであれば,それを自分だけ味わうのではなくより多くの人に味わってほしいと思うのがたいていの人の感覚であると思います.そして,試しに使ってみなよと近所の人や知人,親戚などに勧めるわけです.

信仰も同様なのかもしれません.よいものだから人にすすめるというごく自然のことです.ですが,簡単にはいかない・・・.観念的なものなので数字で証明しにくいということもあるかもしれません.また,宗教への偏見も多くあることと思います.見知らぬ人へのにをいがけは商品をすすめに家を回る営業マンと構造的には一緒ですから,簡単には成功しないのも当然かもしれません.

それでも,そのために費やした時間と尽くした心は親神様は受け取ってくださり,いつかその芽が出るのだと思います.会長がリーフレット配りは種まきだと言っていました.リーフレットから電話をかけてくる人はほとんどないけれども,まったく関係のないところから電話があってにをいがかかることもある,それも普段の種まきのおかげということだそうです.はっぴーさんも「にをいがけはおやさまへのお供え」とのコメントをくださいました.なるほど,理に適っています.また,さなさんのコメントにありましたように,「1000人に1人くらいは電話くださる方もいる」とのことですので,それ自体にも伝道の意味はあるのだと思います.ですが,基本的には見返りを求めるのではなく,自分自身あるいは教会の種まきとして位置づける方が私は納得がいきます.

今日の話はまとまりませんが,私は生まれながらにして素晴らしい宗教と出逢い信仰をしていると思いながら,それを人に伝える機会を持たず,また持とうともせず,自己愛的な生き方をしていたのかもしれないと思ったのです.そして「そのうち自分も」「いつかやろう」と思っているだけで刻が過ぎていることにも気がつきました.すぐに実践というわけにはいかないでしょうが,今までよりはほんの少しでもお道の勉強やにをいがけにつながることをさせていただこうと思いました.本当に自分を振り返るよい機会を親神様は下さったと思います.
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )

私的ジャンケン論の検証

移転先の記事を閲覧下さい.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-86.html
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

私的ジャンケン論

移転先の記事を閲覧下さい.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-86.html
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )

敬老の日

昨日は敬老の日でしたね.私は用があって家を空けていたのですが,皆さんはいかが過ごされたでしょうか?

敬老の日はご存知の通り,お年寄りに感謝する日です.

母の日の記事と同様になってしまうのですが,敬老の日はお年寄りに感謝することだけでなく,お年寄りが寄る年波にも負けず,昨年と変わらずここにいることに感謝する,という神様への感謝も忘れずにしたいものです.変わらずに生きていることの影には,もちろん彼らの生活を支え見守ってきた子どもや孫,あるいは親戚,そして社会的資源としての援助者たちの存在があることは言うまでもありませんが,それをよいものにしてくださったのは,私たちに身体を貸してくださっている親神様のお働きによるものです.

ご老人に感謝すると同時に,神様に感謝する気持ちも忘れずに過ごすことができるといいのかなぁと思います.今回忘れてしまった方は,(日頃から忘れずにいれればなおいいのですが)家族の誕生日,あるいは来るこどもの日,母の日,父の日などに是非思い出していただきたいと思います.
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

当たり前

この記事は引越ししています.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-607.html
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

友人のこと~身上から成長を遂げるということ

下記リンク先にジャンプしてください.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-56.html
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

根 (その2)

この記事は引越ししています.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-608.html
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )

根 (その1)

今日は祖父の診察日だったので,休みをとって病院に連れていきました.10時受付だったので10時少し前に病院に行き,採血・心電図・レントゲンととってもらって,その後診察でした.経過は問題ないということでよかったです.前回の医師はぶっきらぼうだったということですが,今日の医師はとても雰囲気のいい先生で,安心して診察を任せられそうです.その後会計と処方箋とですべて終わったのは12時半過ぎでした.長かったです.次回は10月3日の診察なのですが,10月は月次祭が火曜日で,さすがに月に2回火曜日は休めないので,来月は次男に行ってもらおうと思います.

家に帰ってから,お盆中に切った木の根を抜いてしまおうと思って,スコップを手にとり,掘りまくりました.祖父も口を出しに来て会長も根を集めるのをやってくれたので親子三代で取り組んだことになります.2時間ほどやったでしょうか・・・.ぐったりでした.(でも夕方ちゃんとジョギングはしました.)

根はかなり地中深く張り巡らされていて,掘っても掘っても先端が見えないものもありましたし,ある程度掘ると力ずくで引っこ抜けるものもありました.また,太い根もあれば細い根もありました.途中で水道管にぶち当たり,もう少しで貫通させてしまうところでした.

根を掘りながら,心にこれだけ根があったら大変だなぁと思い,今日のブログに記述することにしました.

お道は「根」を切る教えだと私は思います.お道が病救けではなく「心救け」の教えであるのは,すべての根本となる「根」と断ち切ることにあるからです.(関連記事;いんねんや世代間連鎖は断ち切れるのか?)その根は今日引っこ抜いた根のように,なかなか先端が見えませんし,簡単には抜けないものもあります.うっかりすると大事なものまで壊しかねません.ですから,根が深くならないよう心の掃除をおこなう必要があるのだと思います.深く太くなってしまった根は本当に取り除くのが大変です.今日私は身をもって体験しましたが,ほこりとなる心遣いもまた,積み重なれば心の畑に深く根を張り巡らし,簡単に払うことができなくなります.根が深くならぬよう,日々の暮らしの中で悔い改め,人が喜ぶこと(神様がお喜びになること)をさせていただくことが肝要であると思います.

明日,もう少し「根」について別の視点から書きたいと思います.
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

親神に引き合わせられし縁

この記事は以下に移転しています.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-295.html
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

老いては目となり杖となり

この記事は以下に移転しています.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-291.html
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

共に苦労を

この記事は以下に移転しています.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-279.html
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

引き受ける心

この記事は以下に移動しています.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-278.html
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

虐待

今日は確か友人の誕生日です(おめでとう).誕生日の数字を入れ替えて語呂読みすると名前になるらしく,覚えやすくて便利だと前回会ったときに言っていました.彼は高校の同級生で,同じ学科に進学し,卒業後は公務員となり,現在は某児童相談所で働いています.虐待が増加する中,仕事は決して楽ではなくとても忙しいようですが,それでも毎日頑張っているようです.同じ信仰をもつ友人が立場は違えど,人救けに尽力していることを嬉しく思います.私同様彼も守秘義務を背負っている職柄なので,詳しくは知りませんが,ひどい虐待が多いみたいです.

以前にも言いましたが,虐待は世代間連鎖する現象のひとつです.虐待されて育った人,親の愛情を目一杯受けないで育った人などに多い傾向があるようです.子どもを授かりたくても授からない人もいる中で,せっかく親神様から授かった子を,命を,大切に精一杯の愛情を込めて育てられない人がいることは哀しいことです.しかし,その人自身も親からそう育てられなかったのでしょうから,虐待者となる親も被虐待者となる子ども同様その哀しさを通ってきているのでしょう.

自分も通った道でありながら,子どもにもまた同じような道を通らせてしまう・・・よい道ならいいのですが,よくない道はできれば避けたいものです.それを避ける道,いんねん切りの道,身上・事情の根を切る道,それが信仰であると私は聞かされています.

(関連記事;いんねんや世代間連鎖は断ち切れるのか?親の背中
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ