1ヶ月ブログ皆勤,しかし・・・

初めて1ヶ月休まずに書き続けました.なんだかちょっとした達成感です.

しかし,現実生活の中ではお道の話をすることはおろかリーフレット配りさえ躊躇があったということは私に大きな影響を与えています.インターネット上でお道の話をすることには躊躇もありませんが・・・.

信仰とは本質的には神と自己を結ぶものでありますが,神と自己を結ぶ=神の思いに近づくことと思います.それは世界だすけの道であり,より多くの人に救かってもらいたいという思いを実践にうつしていくことです.自分がお道の信仰のおかげて救かっていると思うのであれば,それをより多くの人に伝えていくことはやはり大切なことなのではないかと思います.

たとえば,○○社の××製品を買って使ってみたら,とてもよい商品で買ってよかったと思うのであれば,それを自分だけ味わうのではなくより多くの人に味わってほしいと思うのがたいていの人の感覚であると思います.そして,試しに使ってみなよと近所の人や知人,親戚などに勧めるわけです.

信仰も同様なのかもしれません.よいものだから人にすすめるというごく自然のことです.ですが,簡単にはいかない・・・.観念的なものなので数字で証明しにくいということもあるかもしれません.また,宗教への偏見も多くあることと思います.見知らぬ人へのにをいがけは商品をすすめに家を回る営業マンと構造的には一緒ですから,簡単には成功しないのも当然かもしれません.

それでも,そのために費やした時間と尽くした心は親神様は受け取ってくださり,いつかその芽が出るのだと思います.会長がリーフレット配りは種まきだと言っていました.リーフレットから電話をかけてくる人はほとんどないけれども,まったく関係のないところから電話があってにをいがかかることもある,それも普段の種まきのおかげということだそうです.はっぴーさんも「にをいがけはおやさまへのお供え」とのコメントをくださいました.なるほど,理に適っています.また,さなさんのコメントにありましたように,「1000人に1人くらいは電話くださる方もいる」とのことですので,それ自体にも伝道の意味はあるのだと思います.ですが,基本的には見返りを求めるのではなく,自分自身あるいは教会の種まきとして位置づける方が私は納得がいきます.

今日の話はまとまりませんが,私は生まれながらにして素晴らしい宗教と出逢い信仰をしていると思いながら,それを人に伝える機会を持たず,また持とうともせず,自己愛的な生き方をしていたのかもしれないと思ったのです.そして「そのうち自分も」「いつかやろう」と思っているだけで刻が過ぎていることにも気がつきました.すぐに実践というわけにはいかないでしょうが,今までよりはほんの少しでもお道の勉強やにをいがけにつながることをさせていただこうと思いました.本当に自分を振り返るよい機会を親神様は下さったと思います.
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己の無力さを知る

今日は午後からリーフレット配りに行ってきました.支部で何人かが集まり,とある団地を回りました.

手にリーフレットを持ち,団地内を歩いてポストにそれを入れて回るわけですが,自分は何も悪いことはしていないのに,妙に居心地が悪いのです.よかれと思ってリーフレットを配っているのに,なんだかとても悪いことをしているような気分になるのです.人の気配がある階段近くのポストはとばして次のポストに歩いていく自分の足取りがそれを物語っていたでしょう.きっと迷惑がられるんだろうなぁとか,読まずに捨てられちゃうんだろうなぁとか悪い考えが頭をよぎりましたが,その考えを振り払い,たとえ1枚でも目を通してもらえればそれでいいじゃないかと思い続けました.ですがやはり勇むというよりはいずんでいたような気がします.

これが何かのチラシ配り―たとえば割引券や広告などを配るアルバイトであれば,何の抵抗感もなくこなせたことでしょう.なぜチラシ配りは大丈夫なのに,天理教のリーフレット配りには居心地の悪さを感じるのでしょうか?そこにはおそらく社会的認知度が大きく影響していると思います.宗教の認知度は低く敷居も高いです.このことが自分がマイノリティであるという認識を団地の中で強く実感させ,受け入れられにくいと私に思わせます.そして,天理教は私のアイデンティティ(※)の重要な要素ですので,そのような実感をひしひしと感じることに居心地の悪さを感じたのだと思います.結局は私の未熟さなんですが・・・.(アルバイトであればそのチラシの扱われ方によって自分自身に何の影響もないので居心地の悪さは感じないわけです.)

そんなわけで,私は自分自身がまったくの裸で無力であるように感じました.病院で仕事をしていれば,こちらから足を運ばなくとも患者さんの方からやってきてくれます.白衣を着ていれば,たいていの人が訊ねたことに答えてくれますし,こちらの話も聞いてくれます.信頼を得られれば悩みも打ち明けてくれます.しかし,今日その場にいた私は,人に対してまったくの影響力を持たず,そして自分のやっていることにむしろ心許なさや後ろめたささえ感じていたのです.これまでにもにをいがけをしたことはありますが,今日ほど深く感じたことはありません.

一般的に宗教が敬遠される時世の中で,私は信仰はむしろ必要だと思っていて,その良さを少しでも伝えたいと思い,こうしてブログまで書いていますが,それをいざ現実社会の中で広めるための実践となると自分はあまりにも無力であると思いました.そんな自分をとても小さく感じました.

リーフレット配りの真の意味は伝道にあらず,他者に対しての影響力以上に自分自身に対しての強烈な仕込みになる,と思いました.裸の自分を知り,心を低く通らせていただくのにもってこいかもしれません.その心は神様が受け取ってくださるでしょうし,にをいはあとからついてくるものなのかもしれません.今日のリーフレット配りで自分は多くの有形・無形の存在に支えられてこの社会で生かされているということを改めて実感できました.

今回私は自分自身の未熟さを痛感したわけですが,このようなことを感じることなく,勇んでにをいがけをされている方はすごいなぁと思います.にをいがけをされている方,正直どのようなことを感じながらされていますでしょうか?


※アイデンティティとは自分らしさのことで,「自分とは何か?」「自分はどんな人間なのか?」「自分は何のために生きているのか?」などの問いに対する答えに該当すると思うとわかりやすいかもしれません.
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手紙を書こう

携帯電話やインターネットの普及により,距離が離れていても通話やチャット,メールなどでいつでも話せる時代になりました.このことは情報流通の面から言えば好ましいことなのですが,その一方で使用者の忍耐力を大きく下げているというデメリットがあるように思います.要するに,辛抱できないのです.

距離が離れていてもすぐに連絡がとれるということは,話したいことや伝えたいことはすぐに伝えられるということです.あるいはすぐに返事がもらえるということです.ひと昔前は伝達は家庭に電話を入れるか手紙くらいしかありませんでした.家庭には気軽にかけられない立場の人もあったでしょうから,主流は手紙だったと思います.手紙を書いて送って返信が届くまで早くとも1週間くらいはかかったでしょう.

今,メールは数秒で相手に届きます(電波の届くところにいれば).数秒で届くので返事が1分以内に届くこともしばしばです.こうした環境に長くいる最近の若者は,メールを送って少し返信が来ないだけで,「何で返事が来ないんだろう?」などと不安になったり,自分のメールを振り返って「ここの表現がまずかったのかな」などと落ち込んだりするわけです.挙句の果てに「メールなんて送るんじゃなかった」と後悔することさえあるでしょう.私もその経験はあります.最近はあまりありませんが,昔はよくありましたね.

相手は取り込んでて携帯電話を見る時間がないのかもしれませんし,電波の届かないところにいて届いていないのかもしれません.しかし,メールの「沈黙」に耐えられないのです.元々,いつでも都合のよいときに閲覧できるのがメールのメリットなのですから,返信がすぐに来ることのみを期待するのはおかしいのです.すぐに返事がほしいのならば電話をすればよいですし.皆さんはメールの本来の役割を忘れてはいませんか?(今日の趣旨とはずれますが,メールでのコミュニケーションが増えることのもう1つの弊害として,直接人に自分の言いたいことを相手に伝えることが苦手になるということもあると思います.)

そんなわけで,私もメールという便利ツールにすっかり毒されていまして,手紙は年賀状とあとはお世話になる場合,なった場合の依頼状・お礼状くらいしか書かなくなっているのですが,通信手段が他に選択できない場合もあるので,手紙を送ることもごくまれにあります.手紙はメールと違ってなかなか返事がきませんので根気が要ります.手紙のやりとりを通して人は,欲求が満たされない状態を抱え続け,辛抱することを覚えるといってもいいと思います.

メールが主流になり,文通の話などあまり聞かなくなったように私は思いますが,私は文通を今の子どもたちに推奨したいと思います.携帯電話をいつもポケットに入れて触れるようにしていないと不安になる症候群から脱するために,筆を執って手紙を書きましょう.メル友よりペンフレンドを作りましょう.もちろん直接的な対人交流があるのが最善ですが・・・.

(でもキーボードで打った方がペンで描くより3倍のスピードは出るんですよね)
※3倍にピンときた方は私と気が合うかもしれません.
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祖父の帰還

祖父が天理から帰ってきました.

18時17分に最寄り駅に着くことになっていたので,その時間には駅のロータリーで待っているという手はずです.しかし,今日は会議がありまして,その会議が5時半まで長引いてしまいました.帰りはすいてて45分,混んでれば1時間かかるのでマズイと思い,会議が終わるとすぐ退室し帰りました.

何故マズイのかと言いますと,一人で待たせると勝手な行動に出るからです.歳も歳なので危険です.帰りの道中弟から「じいちゃん発見したぜ」とメールが来ました.駅で待っていると祖父と一緒に弟もいました.どの電車に乗るかは知っていたので,学校から帰る弟が同じ電車に合わせて乗ったらしく,1両目から順番に歩いていったら3両目にいたそうです.祖父は「助かった助かった」と言っていました.

帰ってくると祖父がかばんから「いか」を出しました.よく見るとスルメのようです.「食べろ」というので,トースターで少し焼いて食べました.

「うまいだろう」と訊くので「うまいよ」と言うと「とれたてだからな」と祖父は嬉しそうに言いました.「カラカラに乾いているスルメがとれたてのわけないだろうよ」と私はすかさず笑いながらツッコミました.祖父は嬉しそうでした.

無事帰ってこれてよかったです.天理でおばさんと話をしてきたらしく11月の月次祭を境にまた山口に行くことになりそうです.戻ってくるのは父の五年祭と祖母の一年祭のときでしょう.わがやは隙間風,雨漏りが多すぎるので年寄りには厳しすぎます・・・.
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私的ジャンケン論の検証

移転先の記事を閲覧下さい.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-86.html
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私的ジャンケン論

移転先の記事を閲覧下さい.
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祖父の行動

朝10時頃,会長が私のところに来まして「おじいちゃんがいない」と言いました.家中探してもいないとのことで,以前のように(関連記事;祖父の行動)また一人で何処か行ったかなと思い心配しました.

実は昨日,山梨(実家)へ行きたいと言っていまして,25日からおぢば帰りの予定があるから疲れちゃうよと言ってなだめたということがあったので,もしかしてまた一人でバスと電車乗って行ってしまったのではないかと思ったわけです.

すると自転車がないということに会長が気づきました.山梨へ行くのならおそらくバスで駅まで行くので,自転車がないとうことは別の可能性を考える必要があります.朝市の広告を見ていたというので,買い物へ行ったか,それともまたお墓参りへ行ったかというあたりです.でもお墓参りは昨日行っているし朝チャコの散歩へ行っていたので違うだろうと思い,買い物も休日で車が使えるのにわざわざ自分で行くこともないですし,まったくもって不明でした.

しかし,探しようもないのでこちらは待っているしかありません.10時半くらいでしょうか.自転車の音がして帰ってきました.どこへ行っていたのかと訊くと「お墓参り」と言いました.会長が「山梨行ったのかと心配したよ」と告げるとにこにこしながら「山梨行くなら一言いっていくよ」と言います.「大丈夫だ」と言うくせに心配されるのは嬉しいようです.

一言あっても行かせるものかと思いながら私は聞いていました.老体で出かけられると家族は本当に心配なんです.遠出しないってわかっているなら構いませんがしかねない人なので心配なわけです.近くならどんどん歩いてもらって構わないんですけどね.自転車はそろそろ勘弁してほしい歳です.

明日からのおぢばがえりも叔父の車に乗せてもらうのですが,叔父の教会の最寄り駅まで一人で行くので,乗換えなしの一本でいける電車を調べてそれに乗せて駅で叔父さんに拾ってもらい,帰りも同様の電車に乗せてもらい,私が仕事帰りに拾う予定です.
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秋季霊祭

今日は秋の霊祭でした.
私は朝祖父とお墓参りに行きました.昼から祭典でした.
祭文を聞いていると私も知らない名前が何人も出てきて,先代の苦労や色々な方の思いがあって今日の教会があるのだなぁというのを思います.
参拝者は家族を含めて5人でしたが,御霊様の前で直会もしましたし,結構に勤めさせていただいたと思います.四男の彼女もまた来てくれました.
無事勤められて何よりです.
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アートセラピー (その3)

昨日のアートセラピーは毛糸画(←勝手に名づけました)をやりました.
普段,文字や絵を描くときって,ペンなり鉛筆なりで描くかと思いますが,それをペンを使わずに毛糸でやろうというのです.ウォーミングアップとしてまず「雲」を作りました.雲の写真はとらなかったのでありません.皆いろんな雲を描きます(作ります?).1つだけの人,複数の人.日本むかし話のような雲を作った人もいました(スタッフでした).けっこう難しいもので形を作るのももちろんそうなのですが,のりづけが面倒でした.くっつきにくいんです.

さて,ウォーミングアップの後は各々が好きなように画用紙に作品を作ります.私は何にしようかなぁと迷ったのですが,ふと頭にみのむしが浮かんだたので,みのむしを作ることにしました.茶色い毛糸を短めに切ってそれを画用紙に貼るだけですが,けっこうたくさんの毛糸が必要で切るのも大変でした.ペタペタ貼っていって目がいるなぁと思い,オレンジの目を作ったのですが,貼ってからメンバーに「みのむしって目そこじゃないよ」と言われ,ハッと気付きました.

そうなんです,みのむしって蓑の中に虫が入っているのであって蓑に目は間違ってもついていないんです.しかし,もう後戻りできなくなっていた私はミノーン(ドラクエに出てきます)であるという合理化をしました.本体だけでは寂しいので葉っぱをつけてあげて完成!となりました.結果的にはなかなかの作品ではないかと思います.私のことばかりですが,守秘義務の都合上,患者さんについては書けませんのであしからず.

※ミノーンです⇒

皆さんもたまにはアートをしてみると楽しいですよ.
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人と人の背後に働く力

この記事は引越ししています.
http://tencp.blog80.fc2.com/blog-entry-600.html
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アクセス100人突破

昨日,一昨日と2日間,一日のアクセスが100ipを超えました(初めてです!!).つまり,100台以上のPCや携帯の端末から当ブログにアクセスされた方がいるということです.読んでくれたかどうかは別にしても私の中では1つの達成感であります.

今年の4月中旬よりきちんと書こうと思ってやってきまして,ひとつの大台を超えた気がします.もちろんアクセス数を増やすために書いているわけではありませんが励みにはなります.
(目的的にはアクセス数よりも読んだくださった方に神様の存在や働きを知ってもらえることの方が重要です.10000人が笑うブログよりも50人が神様を身近に感じられるブログにしたいですね.)

ブログを通して私自身いろいろ勉強になっています.文字にするということは,漠然としている考えや気持ちを整理することになりますので,私の価値観も少しずつですが形を持つようになってきています.また,文章としてまとめるので構成的に文章を書く習慣が身についてきています.種探しに色々なことに関心を持つようにもなっています.加えて過去ログを保存しておけば,将来自分が教会長になったときの話の種にもきっとなってくれるでしょう.それは私の心強い味方となってくれるはずです.

更新は大変なときもありますが,種まきになると思って頑張ろうと思います.
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敬老の日

昨日は敬老の日でしたね.私は用があって家を空けていたのですが,皆さんはいかが過ごされたでしょうか?

敬老の日はご存知の通り,お年寄りに感謝する日です.

母の日の記事と同様になってしまうのですが,敬老の日はお年寄りに感謝することだけでなく,お年寄りが寄る年波にも負けず,昨年と変わらずここにいることに感謝する,という神様への感謝も忘れずにしたいものです.変わらずに生きていることの影には,もちろん彼らの生活を支え見守ってきた子どもや孫,あるいは親戚,そして社会的資源としての援助者たちの存在があることは言うまでもありませんが,それをよいものにしてくださったのは,私たちに身体を貸してくださっている親神様のお働きによるものです.

ご老人に感謝すると同時に,神様に感謝する気持ちも忘れずに過ごすことができるといいのかなぁと思います.今回忘れてしまった方は,(日頃から忘れずにいれればなおいいのですが)家族の誕生日,あるいは来るこどもの日,母の日,父の日などに是非思い出していただきたいと思います.
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月次祭後記

昨日の月次祭は13人で勤めさせていただきました(うち家族5人).

四男が初めて地方をやりました.嫌がっていましたが叔父さんにも言われてやりました.一方四男の彼女はおつとめ中神殿に座っていました.おつとめは初めてなので彼女の目にどのように映ったのでしょうか?講話も最後まで聞いてくれました.

また来てくれるといいなぁと思います.とってもいい子なんです.うちは男5人兄弟で女の子がいないので会長も華があってよいと来てくれるのを楽しみにしています.私も妹がいたらこんな感じなのかなぁと思っています.
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月次祭

今日は月次祭です.

昨日は四男の彼女が午後からひのきしんをしに来てくれました.私は昨日は仕事でしたのですごく助かりました.(ちなみに買出しと調餞は三男が行ってくれました.)台所は私はめっきりですので本当に感謝しています.そして,教会に喜んで足を運んでくれることを嬉しく思います.わがやを気に入ってくれているみたいで幾度となく遊びに来てくれているのですが,喜ばしいことです.会長と琴の練習もしたようで,よろづよ八首を覚えたと会長より聞きました.

今日もこれから来てくれるみたいです.少しずつでもお道のにをいがかかっていくといいと思います.

写真は献餞前の神床です.したがって円座や鳴り物は定位置にはありません.
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講義依頼,再び

次の講義の依頼がありまして,正式に決定しました.来年2月よりまた看護学校にいきます.

前回は3年生の前期の講義だったのですが,学生の声を考慮し,2年生のうちに5コマ,3年生になってから10コマという学年をまたいでの変則的な配分となりました.評価も一応2回しなければならないので前回より大変です.もっとも次はレポートではなくテストにするつもりですが.

次は初めての経験ではないので言い訳もできません.わかりやすく人にものを説明することにかけては本当に自信がもてないのですが,続けて依頼があったことをそれなりにできていると無理矢理信じることにします.それでも緊張せずにできるかという心配はつきまといますが,前回よりわかりやすく楽しい授業になるよう準備したいと思います.また,聞くだけの受け身の授業でなく,ワークも多く取り入れて参加型の授業にしようと考えています.準備期間は5ヶ月ほどありますので,暇を見つけてぼちぼちとやっていきます.

また,学校より体育祭の誘いがあったのですが,その日は教会の御用で都合が悪いので残念ながら行けません.
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