お道と臨床と~心づくりの処方箋~

天理教と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.

祖父の帰還

2006年09月27日 | 家族
祖父が天理から帰ってきました.

18時17分に最寄り駅に着くことになっていたので,その時間には駅のロータリーで待っているという手はずです.しかし,今日は会議がありまして,その会議が5時半まで長引いてしまいました.帰りはすいてて45分,混んでれば1時間かかるのでマズイと思い,会議が終わるとすぐ退室し帰りました.

何故マズイのかと言いますと,一人で待たせると勝手な行動に出るからです.歳も歳なので危険です.帰りの道中弟から「じいちゃん発見したぜ」とメールが来ました.駅で待っていると祖父と一緒に弟もいました.どの電車に乗るかは知っていたので,学校から帰る弟が同じ電車に合わせて乗ったらしく,1両目から順番に歩いていったら3両目にいたそうです.祖父は「助かった助かった」と言っていました.

帰ってくると祖父がかばんから「いか」を出しました.よく見るとスルメのようです.「食べろ」というので,トースターで少し焼いて食べました.

「うまいだろう」と訊くので「うまいよ」と言うと「とれたてだからな」と祖父は嬉しそうに言いました.「カラカラに乾いているスルメがとれたてのわけないだろうよ」と私はすかさず笑いながらツッコミました.祖父は嬉しそうでした.

無事帰ってこれてよかったです.天理でおばさんと話をしてきたらしく11月の月次祭を境にまた山口に行くことになりそうです.戻ってくるのは父の五年祭と祖母の一年祭のときでしょう.わがやは隙間風,雨漏りが多すぎるので年寄りには厳しすぎます・・・.

祖父の行動

2006年09月24日 | 家族
朝10時頃,会長が私のところに来まして「おじいちゃんがいない」と言いました.家中探してもいないとのことで,以前のように(関連記事;祖父の行動)また一人で何処か行ったかなと思い心配しました.

実は昨日,山梨(実家)へ行きたいと言っていまして,25日からおぢば帰りの予定があるから疲れちゃうよと言ってなだめたということがあったので,もしかしてまた一人でバスと電車乗って行ってしまったのではないかと思ったわけです.

すると自転車がないということに会長が気づきました.山梨へ行くのならおそらくバスで駅まで行くので,自転車がないとうことは別の可能性を考える必要があります.朝市の広告を見ていたというので,買い物へ行ったか,それともまたお墓参りへ行ったかというあたりです.でもお墓参りは昨日行っているし朝チャコの散歩へ行っていたので違うだろうと思い,買い物も休日で車が使えるのにわざわざ自分で行くこともないですし,まったくもって不明でした.

しかし,探しようもないのでこちらは待っているしかありません.10時半くらいでしょうか.自転車の音がして帰ってきました.どこへ行っていたのかと訊くと「お墓参り」と言いました.会長が「山梨行ったのかと心配したよ」と告げるとにこにこしながら「山梨行くなら一言いっていくよ」と言います.「大丈夫だ」と言うくせに心配されるのは嬉しいようです.

一言あっても行かせるものかと思いながら私は聞いていました.老体で出かけられると家族は本当に心配なんです.遠出しないってわかっているなら構いませんがしかねない人なので心配なわけです.近くならどんどん歩いてもらって構わないんですけどね.自転車はそろそろ勘弁してほしい歳です.

明日からのおぢばがえりも叔父の車に乗せてもらうのですが,叔父の教会の最寄り駅まで一人で行くので,乗換えなしの一本でいける電車を調べてそれに乗せて駅で叔父さんに拾ってもらい,帰りも同様の電車に乗せてもらい,私が仕事帰りに拾う予定です.

祖父と食事

2006年09月15日 | 家族
今日は仕事が休みでしたし,敬老の孝行ということで祖父(前々会長)を食事に連れていってあげました.

祖父はあまのじゃくですので誘うと,「なんか買ってきて家で食べることにしようや」と言います.私たち兄弟はもう対応には慣れていますので,あしらい方はお手のものです.

結局,行くことになり,せっかくなので会長もということで3人で行きました.会長の話だと寿司屋の広告を眺めていたということで,家で食べるとか言っていながら,外で食べることも考えていたのかと思いつつ車に乗りました.

祖父に何が食べたいか訊ねると「何でもおまえが連れてったところへ行くよ」と言います.やれやれ,素直じゃないなぁと思いつつ,行き先を寿司屋に決めました.もちろん,全皿100円の回転寿司ですが.

店に着くとさっそく祖父はトイレタイムです.(利尿作用のある薬を飲んでいるのでトイレは近いのです.)転ぶといけないので一緒についていきました.用を足した後,片手しか手を洗わないので「寿司食べるんだから両手荒いなよ」というと渋々洗います.乾燥機で手を乾かしながら私の方を見ながらにこにこしているので,よほど楽しいんだろうなぁと思いました.

席に着き,何を食べたいか訊くと,「もう店に着いたし帰ることにしようか」と言います.ここで気を悪くしたら負けです.祖父とは付き合えません.「それでもいいよ」と受け流しつつ,しばらくの間を置きます.後は好きそうなのをとってあげて,目の前に置けば自然と食べます.祖父の扱い方にかけては他の兄弟の方がうまいかもしれません.私は9年家を空けていた身ですので.

寿司なんて高価なものは家族一員久々でしたので,とてもおいしかったです.外食自体しばらくぶりでした.

帰ると祖父は疲れたのか昼寝に入りました.小さい頃,私たちの面倒をよく見てくれた祖父も齢84ともなると老います.これでもだいぶ丸くなったなぁと思います.祖父についても父同様,時間をかけていろいろ書いていきたいですね.祖母についてもですが・・・.

何はともあれ,祖父に喜びを与えることができてよかったと思いました.それを見て自分も喜ばせていただく.まさに陽気ぐらしです.

詰所ひのきしん

2006年08月04日 | 家族
31日より三男が詰所の食堂ひのきしんに行ってくれています.うちの教会が当たっていて誰かいかねばならなかったのですが,私は仕事休めませんし,会長である母が1週間近く家を空けるのも大変でしたので,夏休みで学校のない三男が行ってくれたのでした.とてもありがたいです.しかし三男も来年3月には卒業して就職です.これから先は行く人がいませんが,それも成ってくることでしょう.

帰りにはこどもおぢばがえりで天理に来た祖父を連れて一緒に帰ってきます.また,これから何かと大変な生活が始まりますが,祖父が元気に過ごさせていただいていることを結構な喜びとして孝行してあげたいと思います.

祖父が入院

2006年07月25日 | 家族
数日前の話ですが,祖父が入院したそうです.
心臓の調子がまた悪くなったとのことで心配です.
元気は元気なのですが,何分齢84歳になる身で心機能は普通の人より弱っているらしいので,心配なのです.

一応来月6日に天理から三男が連れて帰ってくる予定になっていますが,ちょっとまだわかりません.とにかく元気になって帰ってきてほしいなぁと思っています.

余談ですが,私の筋肉痛はおさまりました.私もなかなかどうして若い肉体をもっていますな.ありがたいことです.

チャコ洗いました

2006年07月02日 | 家族
今日はチャコを洗いました.

5月に洗ったのですが,かなり臭うようになっていたので洗うことにしたのです.日中雨が降ったりやんだりで洗えるかどうか微妙だったのですが,2時半頃に決行しました.

ホースを出したり,桶を出したり,シャンプーを出したりすると自分が洗われるのがわかるようで隠れようとします.捕まえて首輪をとるといよいよ覚悟をするらしく,尻尾は垂れていました.

今日はかなり丁寧に洗いました.洗っていると毛の中に入り込んだダニが何匹か出てきました.チャコの血を吸って丸々と膨れ上がっています.たまに捕っているのですが,まったくいなくなることはないようです.捕った奴はガムテープに貼り付けて最後に閉じて捨てます.

洗われている間は観念しておとなしくしていました.よくよく観察していると気持ちよさそうです.濯いでいる間は嫌そうに見えました.たまに水を切るのに身体をブルブルさせるので水しぶきがとび服が濡れました.終わったあとバスタオルで身体を拭いてあげて,散歩に出かけました.

今日のチャコはいい匂いです.しばらくこの匂いが続くといいと思います.




祖父の行動

2006年05月08日 | 家族
前会長である祖父が昨日驚くべき行動に出ました.
私は昨日は外出していたのですが,母から連絡があり,祖父が山梨に電車で一人で出かけたというのです.祖父の兄の妻が入院したのでその見舞いに行ったとのことでした.齢84にもなる老体でちょっと人にぶつかったら倒れてしまいそうなのに,GWの最終日の昨日に何故行く必要が会ったのでしょうか.思ったら行動に出ないと気が済まないのが祖父なので仕方ありませんが,こちらとしては一日中心配でした.
夕方弟が連絡がありました.

弟「じいちゃんが発見された!」
私「どこで!?」
弟「病院だ!」
私「倒れたのか!?」
弟「山梨の病院だ!」

どうやら山梨の病院から連絡があったということらしいですが,なんと紛らわしい会話でしょうか.祖父がどこかで倒れて病院へ運ばれて保護されたのかと思いました.とりあえず今日は山梨の実家に泊めてもらえるように頼んだみたいなのですが,夜9時半頃,祖父から連絡がありまして,「今上野だから最寄り駅まで迎えに来てくれ」というのです.時間に迎えにいくと杖をついて「いや~疲れた」と言いながら祖父がやってきました.山梨へ日帰りは私でも普通に疲れます.その老体でよくいったよと感心した部分もありますが,頼むから心配かけることはしないでくれという思いの方が圧倒的に強かったです.本当に家族の心配や自分の老体が及ぼす危険を考えないで行動する人だなぁとつくづく思いました.実家には寄って来なかったそうで,兄にも会っていないとのことです.
そもそもいついつだったら都合つくから運転していくよということは祖父には伝えてあったのに,そのときには行こうとしないで,思いつきで行動するから困るのです.でも,何事もなく無事に往復できて,ありがたかったです.

ちなみに,今朝祖父の兄から連絡があり,怒られたそうです...

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しばらくぶり・・・

2006年04月16日 | 家族
1月半ほど放置してしまいました.
祖母はあの日,夜11時半頃,出直しました.
結局私が行ってから口をきくことはありませんでしたが,私がいたこと,そして伝えたことにはうなづいていましたし,最期に会えて本当によかったと思います.
私が3年前に亡くなった父の代わりとするならば,3人の子と夫に囲まれて布団の上で息を引き取ったことになります.幸せなことです.
翌27日が通夜で28日が告別式でした.そして,先日4月14日に50日祭を終えて,納骨となりました.50日祭では,雅楽をやらせていただきました.鳳笙1管でしたが,祖母のために吹けたことはよかったと思います.

50日ぶりですが,またボチボチ再開したいと思いますのでどうぞ宜しくお願いいたします.

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山口にて

2006年02月26日 | 家族
2時過ぎに山口の教会に着きました.参拝をしてさっそく祖母に会いにいきました.ベッドには黄疸で肌は黄色くなり力無く横たわる祖母がいました.話し掛けると頷きはしますが発語はありません.祖父の話によると26日の祭典が終わったら出直すのよと言っていたそうです.今日12時頃までは口を開いていたようですし数日前から私が来るのを知っていたので「まお、まお」と呼んでいたそうです.これまでのお礼と教会は心配いらないことを伝えました.祖母はたまに頷くだけでした.
傍らにいる祖父をみてさぞかしつらいだろうと思いました.祖父につらいだろうにと声をかけると「この年まで夫婦揃ってるのはなかなかありゃしない」と言いました.この状況にあってもPositiveな意味を見出だす祖父に強さを感じました.

以前に名前を出したことがあったと思いますがフランクルというオーストリアの精神科医は「意味への意志」を唱え実存分析という心理学体系を築きました.「どんなときでも人生には意味がある」というのです.
大いに共感できます.たとえ痛みに苦しみ言葉さえ発することができない状況においてもなお生き続ける意味があるのです.お道的に言うなれば生かされている意味があるのです.家族を含めいくばくかの人が祖母を前に回想し感謝するでしょう.それは非常に人間的経験であり祖母を媒介に各自に体験されるものです.自らの思いを伝えられずともなおこのような経験を周囲に与え生かされている意味をそして喜びを実感させる機会を与えることこそが祖母の生の意味だと思います.お道的にみても親神によって生かされている限り存在価値があるのですからその生が果てるまでその意味を自他共に失わずにいたいものです.

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車内にて

2006年02月26日 | 家族
昨晩新宿発の夜行バスに乗り今朝天理に到着しました.朝づとめ参拝させていただき詰所にいきました.おじさんがきていたので部屋にお邪魔していたら山口のおばさんより電話があり祖母が痙攣が始まったと聞きました.今日の夜山口の教会の車に便乗させてもらう予定だったのですが一足先におじさんと山口に向かうことにしました.朝参拝しておいてよかったです.在宅介護をしているので先程医師がきて点滴をしてくれたようです.今岡山をすぎたところです.

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近況

2006年02月20日 | 家族
かなり間があいてしまいました.ここ最近このブログは祖父母の容態報告になっていますが今日もそうです.
祖母がいよいよ黄疸が出てきてモルヒネの座薬を投与されたようです.
祖父はかなり気落ちしています.
今週末,山口へ行くことにしました.26日に月次祭参拝させていただいてその後いきます.
月・火と休みをとります.休日の都合がつけやすい仕事で本当にありがたいと思います.

祖父母の誕生日

2006年02月03日 | 家族
1日,2日は祖父母の誕生日でした.2人とも満84歳となりました.
特に祖母はどうなることかと思っていたので,無事誕生日を迎えられてありがたく思います.
祖父は祖母が元気なので2月下旬に帰ってきて3月の教会の大祭をつとめるんだと張り切っているようですが,まだどうなるかはわかりません.
うちはなんといっても隙間だらけなので寒いのです.高齢で心臓が悪い祖父にはあまりよくない環境です.春になるまで山口で過ごした方がいいのではないかとも思います.向こうでは散歩に出たりもしているようですが,多分こちらに帰ってくると1日こたつの中だと思います.どちらがいいのでしょうか?こういうことも神様がいいように決めてくださるのだろうと思いますが.


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祖父母の様子

2006年01月16日 | 家族
祖父母は山口で元気に過ごしているようです.
不思議なもので,家にいるときは寝たきりだった祖母もなんとか歩いているらしく,ありがたいことです.娘に迷惑かけまいと思うことが功を奏しているということも大きくあるでしょうし,会長の従兄弟が医師で彼に診てもらっているみたいなのでその信頼感や安心感もあるでしょう.そして,もちろん神様のお働きあってのものだとつくづく思います.
取り急ぎ,祖父母の近況報告でした.

父の命日

2006年01月13日 | 家族
今日,1月13日は父の命日でした.二代会長である父が出なおしてちょうど3年になります.現在は母が三代会長をつとめさせてもらっています.神様がお選びになるものだと思いますが,このままいくと私が四代会長として就任することになると思います.自分は三代目だとばかり思っていたのでこれはかなり予想外の人生を歩んでいることになるのですが,これも神様の深い思惑あってのことでしょう.
今日は講座があって帰りが10時すぎでした.11時頃帰ってきた四男とお墓参りにいきました.他の兄弟も今日は家に帰ってきてそれぞれ墓参りしたようです.残念ながら1人だけ帰って来れませんでしたが,正月に帰ってきたときに参拝していったようです.父の命日を忘れずに息子たちが集まったこと,父は喜んでいるでしょう.

お墓参りに行った際,四男と2人で行ったのですが,四男は非常に怖がりでして,暗いところやお化け屋敷のようなものはてんで苦手なので,参拝した後,置いて行こうと走ったら,必死になっておいかけてきて,それがとてもおもしろかったです.家に帰って家族に話したところ,爆笑でした.父を亡くした哀しみはあるけれども,残りの家族が元気に笑ってすごせること,とてもありがたいと思います.

死別後に十分に悲しむこと―喪の作業(グリーフワーク)ができていないと病的悲嘆に陥ると言われています.父の出直し後,いろいろな手続きや母の講習,お運び,奉告祭など忙しかったです.母は悲しむ暇もなかったと言っておりますが,以前と同じように陽気に通らせていただいております.目に見えないものなので何が神様のご守護かわからないと思うかもしれませんが,何もないこと自体がご守護だと思います.

祖父の退院

2005年12月20日 | 家族
今日は祖父が退院しました.
本当はおぢばがえりをするのが25日なので24日まで入院していてもらおうと思っていたのですが,退院したいというので退院しました.わがやは猛烈に寒く,隙間が多いせいか暖房を焚いてもなかなか暖まりません.ですから心臓の悪い祖父には厳しいです.

10日余り入院して寝たきりだったので足腰が弱っていまして,今日はなんとか歩けるもののフラついていました.ズボンを自分ではくこともできず,弟と交代で介助しました.思いの外弱っている祖父を見てなんだか寂しくなりました.これから丸4日うちにいますが休日を除き日中は母しかいないので祖父の世話が心配です.母も腰が弱っていますので,祖父が転んでも持ち上げることはできません.私が仕事を休めればいいのですが,患者様の予約が入っておりますので休むことができません.なんともなく日中が過ぎるといいのですが.

祖父の生い立ちなどについて色々聞いておこうと思っていましたが先延ばしにしていて結局聞かないまま山口へいってしまいそうです.特に戦時中や戦後抑留の話は後世に伝えるために聞いておきたいですし,わがやの信仰のきっかけや教会の名称をいただくまでの苦労なども聞いておきたいものです.また春に元気に茨城に戻ってこれるといいのですが・・・.

先日山口へ行った祖母はガンがかなり転移しており,医学的処置はもうしないそうです.明日とりあえず病院から家に帰るとのことで,これからいわゆるターミナルケアに入るでしょう.大学,大学院とターミナルケアに関心を持ち,ターミナルケアをしていく看護師が熱意をもって働き続けるにはどうしたらいいのかを研究してきましたが,自分の祖母が末期を迎えたときに,孫である自分は何もできないことを悔しく思います.けれども,長男である父亡き今,祖母は長女に看取ってもらうことが何より幸せなことだと思いますし,娘も遠くに嫁いだので最期にこうして母の世話をできることはありがたいことだと言っていました.うまいこと神様がそれぞれの思いを汲んでいいようにしてくださるなぁとつくづく思います.