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お道と臨床と~心づくりの処方箋~

天理教と臨床心理学の視点を含めて,まおという人間が考える日々の通り方や考え方について綴っています.

月次祭

2006年10月17日 | 教会
今日は月次祭でした.参拝者は10人でした(うち家の者が4人).
今日は上級や兄弟教会からの講話の方がいませんでしたので,初代会長であった祖父が講話をすることになりました.

祖父が講話をすることはあまりなく,またこの先もどれだけあるかわからないので記録に残そうとテープレコーダーを引っ張り出してきたのですが,壊れてて動かず困り果てました.そんなところへ長弟がうちの古いマイクとレコードがついている機器にカセットテープがついていることを発見し,さらに録音機能までついていることがわかりました.しかし20年以上前の代物・・・機能するかどうかは疑問でした.長弟と試しに実験してみると,なんとマイクから録音できるではないですか!!結局それで録音することにしました.

おつとめでは上半の地方をしていた祖父が五下り目終了後,「次何下りだ?」と言うので「次は六だよ」というと「六つ~」と始まるというシーンもありました.講話は30分ちょっとでした.内容については今日は特に触れません.録音したので逐語起こしたらひょっとしたらブログでも紹介するかもしれません.

ところで今日は大学時代の友人の教会の秋季大祭でもあります.勇んでつとめたことと思います.

きこりになった男

2006年10月09日 | 教会
今日は教会の神殿の横に生えている木を切るひのきしんをしました.前に長弟と次弟が切ったので短くしてあったのですが,木がブロック塀を圧迫し続けていまして塀が傾いてきているので,木をどうにも取り除いてブロック塀を補強しないといけないと祖父が言いまして,次弟と一緒にやることにしました.

チェーンソーを持ち出して切り始めたのですがなかなかしぶとかったです.2回に分けて切りました.硬いのなんのって.大きな木なので持ってみるとかなり重たく腰に負担がかかりました.

ブロックはセメントで補強しようと思ったのですが,やり方がわからないので近所のおじさんに聞いてみたところ,損壊しているところを直すよりは別の箇所に土を掘って基礎をセメントで固めてからブロックを新たに積み上げた方がいいよと言われ,それに従うことにしたため,今日は木を切っただけで終わってしまいました.

周囲を見ると屋根の樋も壊れていますし,ペンキも剥げてしまっています.修繕しなければいけない点がたくさんあり大変だなぁと思いました.他にも屋根裏部屋にどっさりと布団がしまってありますし,小屋にはガラクタと使えるものがごった返しています.少しずつでも整理していかないといけませんね.父がやりたくてもできなかったことですから,子どもたちで協力してやっていきたいと思います.

終了後,横たわっている木を次弟が修練にと鉞を振り下ろしていましたが,すぐに鉞が折れてしまいました.私も日々のトレーニングにやろうかななどと考えていたのですが,その野望は弟の一振りで潰えました・・・.

ちなみに祖父はシベリアでの戦後抑留で伐採をやっていたので,切り方にはうるさいです.歳で危ないのに我は我はとやろうとするので,止めるのが大変です.やりたい気持ちはわかりますが,後でどれだけ自分にダメージが返ってくるかの吟味ができていません.しかも最中に転んだりしてはなお大変です.そんなわけでいつも祖父はわがやの司令官として君臨しています.嬉しそうですが...

ひのきしんスクールを勧められ

2006年10月04日 | 教会
仕事を終えて家に帰ると会長に「布教月報 通号199」を渡されました.
そして,ひのきしんスクールに行ってきなさいと私に言います.

読んでみると以下のようでした.
専門コース第27回
「かりもの感謝過程~精神の疾患や障害のある人と共に~」

 現在,精神疾患で医療機関を受診している人は260万人(国民の約45人に1人)と言われ「心の病」はすでに「めったにな病気」ではありません.近年は精神医学の進歩により,発症しても適切な治療で多くが短期間で改善するようになってきているのですが,精神疾患に対する誤った「思い込み」はいまだに多く,精神科受診へのためらいや治療の遅れを招いています.
 また,精神疾患や障害を考える上で欠かせないことの1つに自殺予防があります.年間3万人以上にも上る自殺者の多くが精神疾患を抱えていたといわれ「自殺対策基本法」が制定された今,自殺予防は真剣に考えなくてはならない問題の1つといえるでしょう.
 この課程では,精神疾患・障害を医学的・社会的・教理的な視点から多面的に正しく理解し,今回は特に精神疾患や障害を持った人の自殺について考えます.
なるほどこれは興味深い.きっとこの先お道と臨床とを両立していく上でのヒントになるだろうと思い,元々11月の月次祭には休みがとれれば帰参しようと思っていたので,いいかもなぁと思いました.そして,いつだろう?と続きを読むと・・・
期間 11月26日(日)~27日(月)
会場 東左三棟
宿舎 第七母屋
対象 基本コース修了者 50名
内容 講義「自殺予防の取り組み」「総論」「いのちの電話」ほか
費用 3000円(教材・宿泊・食費含)
携行品 筆記具,洗面具,雨具
締切 11月6日(月) 必着
なんと月曜日にまたがっているじゃないですか!しかも基本コース修了者って!?でも宿泊費込で3000円って安っ!!!と色々びっくりしました.

月曜日ですと休みがとれるかまずわかりません.基本コースってなんだ?と思って手前を見ると11月25日にあるようです.基本コースに出るとトータル3日間になります.長いです.しかも火曜は予約が多い日なので休むわけにはいきません.帰りは新幹線でしょう.普段格安夜行バスしか使わない私ですがさすがに新幹線でないと無理です.また,費用ですがたいていの心理の研修はこんなに安くないので嬉しい限りです.

そんなわけでとりあえずひのきしんスクールに近々連絡をとって詳細を訊いてみたいと思います.皆さんもよかったらいかがですか?

己の無力さを知る

2006年09月29日 | 教会
今日は午後からリーフレット配りに行ってきました.支部で何人かが集まり,とある団地を回りました.

手にリーフレットを持ち,団地内を歩いてポストにそれを入れて回るわけですが,自分は何も悪いことはしていないのに,妙に居心地が悪いのです.よかれと思ってリーフレットを配っているのに,なんだかとても悪いことをしているような気分になるのです.人の気配がある階段近くのポストはとばして次のポストに歩いていく自分の足取りがそれを物語っていたでしょう.きっと迷惑がられるんだろうなぁとか,読まずに捨てられちゃうんだろうなぁとか悪い考えが頭をよぎりましたが,その考えを振り払い,たとえ1枚でも目を通してもらえればそれでいいじゃないかと思い続けました.ですがやはり勇むというよりはいずんでいたような気がします.

これが何かのチラシ配り―たとえば割引券や広告などを配るアルバイトであれば,何の抵抗感もなくこなせたことでしょう.なぜチラシ配りは大丈夫なのに,天理教のリーフレット配りには居心地の悪さを感じるのでしょうか?そこにはおそらく社会的認知度が大きく影響していると思います.宗教の認知度は低く敷居も高いです.このことが自分がマイノリティであるという認識を団地の中で強く実感させ,受け入れられにくいと私に思わせます.そして,天理教は私のアイデンティティ(※)の重要な要素ですので,そのような実感をひしひしと感じることに居心地の悪さを感じたのだと思います.結局は私の未熟さなんですが・・・.(アルバイトであればそのチラシの扱われ方によって自分自身に何の影響もないので居心地の悪さは感じないわけです.)

そんなわけで,私は自分自身がまったくの裸で無力であるように感じました.病院で仕事をしていれば,こちらから足を運ばなくとも患者さんの方からやってきてくれます.白衣を着ていれば,たいていの人が訊ねたことに答えてくれますし,こちらの話も聞いてくれます.信頼を得られれば悩みも打ち明けてくれます.しかし,今日その場にいた私は,人に対してまったくの影響力を持たず,そして自分のやっていることにむしろ心許なさや後ろめたささえ感じていたのです.これまでにもにをいがけをしたことはありますが,今日ほど深く感じたことはありません.

一般的に宗教が敬遠される時世の中で,私は信仰はむしろ必要だと思っていて,その良さを少しでも伝えたいと思い,こうしてブログまで書いていますが,それをいざ現実社会の中で広めるための実践となると自分はあまりにも無力であると思いました.そんな自分をとても小さく感じました.

リーフレット配りの真の意味は伝道にあらず,他者に対しての影響力以上に自分自身に対しての強烈な仕込みになる,と思いました.裸の自分を知り,心を低く通らせていただくのにもってこいかもしれません.その心は神様が受け取ってくださるでしょうし,にをいはあとからついてくるものなのかもしれません.今日のリーフレット配りで自分は多くの有形・無形の存在に支えられてこの社会で生かされているということを改めて実感できました.

今回私は自分自身の未熟さを痛感したわけですが,このようなことを感じることなく,勇んでにをいがけをされている方はすごいなぁと思います.にをいがけをされている方,正直どのようなことを感じながらされていますでしょうか?


※アイデンティティとは自分らしさのことで,「自分とは何か?」「自分はどんな人間なのか?」「自分は何のために生きているのか?」などの問いに対する答えに該当すると思うとわかりやすいかもしれません.

秋季霊祭

2006年09月23日 | 教会
今日は秋の霊祭でした.
私は朝祖父とお墓参りに行きました.昼から祭典でした.
祭文を聞いていると私も知らない名前が何人も出てきて,先代の苦労や色々な方の思いがあって今日の教会があるのだなぁというのを思います.
参拝者は家族を含めて5人でしたが,御霊様の前で直会もしましたし,結構に勤めさせていただいたと思います.四男の彼女もまた来てくれました.
無事勤められて何よりです.

月次祭後記

2006年09月18日 | 教会
昨日の月次祭は13人で勤めさせていただきました(うち家族5人).

四男が初めて地方をやりました.嫌がっていましたが叔父さんにも言われてやりました.一方四男の彼女はおつとめ中神殿に座っていました.おつとめは初めてなので彼女の目にどのように映ったのでしょうか?講話も最後まで聞いてくれました.

また来てくれるといいなぁと思います.とってもいい子なんです.うちは男5人兄弟で女の子がいないので会長も華があってよいと来てくれるのを楽しみにしています.私も妹がいたらこんな感じなのかなぁと思っています.

月次祭

2006年09月17日 | 教会
今日は月次祭です.

昨日は四男の彼女が午後からひのきしんをしに来てくれました.私は昨日は仕事でしたのですごく助かりました.(ちなみに買出しと調餞は三男が行ってくれました.)台所は私はめっきりですので本当に感謝しています.そして,教会に喜んで足を運んでくれることを嬉しく思います.わがやを気に入ってくれているみたいで幾度となく遊びに来てくれているのですが,喜ばしいことです.会長と琴の練習もしたようで,よろづよ八首を覚えたと会長より聞きました.

今日もこれから来てくれるみたいです.少しずつでもお道のにをいがかかっていくといいと思います.

写真は献餞前の神床です.したがって円座や鳴り物は定位置にはありません.

今日は月次祭

2006年08月17日 | 教会
今日はとんでもなく蒸し暑かったですね.しかも今日は月次祭でした.気温は30℃を超え,湿度は80%を超える蒸し暑さの中でのおつとめ着は本当に暑かったです.それでも誰一人気分が悪くなることもなくけっこうにつとめさせていただきました.

次男と叔父さんと今日の不快指数について話をしました.

「今日の不快指数っていくつかな?」
「100だよ,100」
「不快指数ってどういう意味?」
「100人中何人が不快に思うかってことだよ」
「じゃぁ"けっこう源さん"100人連れてくれば不快指数0だな」
「そうだな」

などと言う楽しい会話をしていました.そして今,気になって不快指数をwikipediaで調べてみると,蒸し暑さを量的に表した指数で,気温をt,湿度をHとすると「0.81t+0.01H(0.99t-14.3)+46.3」という式で計算できるようです.

我々の話とは全然違いますね.100人中何人が不快に思うかという安易なものではありませんでした.こちらのページで気温31℃,湿度80%で不快指数を計算してみると85でした.70を超えると不快を感じ始める人が出て,75を超えると半数くらいの人が不快を感じ,80を超えるとほぼ全員が不快を感じるらしいので,神殿内は相当不快だったのでしょう.

それにしても,こんな中でも「暑さを感じることができるのも健康であればこそや,ありがたい,ありがたい」と思うことができる人はすごいですね.私はさすがに無理でした.「暑い」を何度口にしたことでしょう.

ちなみに「けっこう源さん」を知らない人もいるかと思いますので,また後日書きたいと思います.



地鎮祭の依頼

2006年06月22日 | 教会
昨晩,知人より地鎮祭を頼まれました.

天理教式でなく,神式で装束を着てやってほしいとのことだったので,母ではなく私に依頼がきました.しかし,7月1日(大安)にやってくれというので,仕事の予約が何件か入っている私は休みをとることができず,川崎にいる叔父に頼んでみました.叔父も1日は結婚式が入っているから無理だということでした.大安はめでたい行事をやるのに圧倒的な人気を誇る日なので,今から祭官を探すとなるとなかなか見つからないかもしれません.ひと月前に言ってもらえれば私も休みをとれたのですが,さすがに急すぎて無理でした.

大安に何か行事をやろうとする際は早めに人員や場所を抑えた方がいいというお話です.

ちなみに,私は地鎮祭はやったことがないので,やるとしたら誰かに教えてもらわねばなりません.

月次祭

2006年06月17日 | 教会
今日は月次祭でした.

同時に,祖母の弟(以下おじさんと表記)の喜寿の誕生日でしたので直会は奮発して赤飯を炊いてエビフライ,イカフライなどを作りました(といっても作るのは私ではありませんが・・・).私はケーキをあげました.

おじさんは「ばあちゃんの分まで生きないとな!」と意気込んでいました.祖母が今年84歳で出直しましたので,おじさんとは7つ違いになります.おじさんは末っ子でご存命なのは彼一人だけです.

長生きしてもらいたいですね.
今日はくたくたなのでこれで終わりです.


月次祭

2006年05月18日 | 教会
昨日は月次祭でした.
毎月月次祭は仕事を休むようにしていますので,昨日も休みでした.
携帯で写真を撮れることを思い出したので,神床の写真を撮ってみました.
うちの教会は親神様15台,おやさまと御霊様は13台献餞しています.
どの教会でも一緒ですが真ん中が親神様です.右がおやさま,左が御霊様とお社があります.

今月は10人でつとめさせていただきました.兄弟や信者さんがそれぞれ予定を空けて参拝に来てくれるのでありがたいです.毎日結構に過ごさせていただいていることに感謝する祭典ですので,準備や片付けは大変ですが,毎月つとめさせていただいております.終了後,先日ブログにも書いた信者さんの旦那さんが近くのリハビリ病院に転院したので,数人でお見舞いとおさづけにいきました.私は親戚のおじさんを家まで送って,他の信者さんに神様のお下がりを配りにいったため,お見舞いには行きませんでした.通勤路からそう遠くないので私もそのうち帰りにおさづけに寄らせていただこうと思っています.

地鎮祭

2006年05月03日 | 教会
今日は地鎮祭でした.近所の人が家を建てるので頼まれたわけです.
10年ほど前にもその人は家を建てています.そのときは父が地鎮祭をやりました.
今回は,父はもういないですし,母がやりました.私もいずれ覚えないといけないので一緒に準備や祭儀を手伝いました.

その後,愛犬チャコを洗って,車を洗い,屋根のペンキ塗りをするために,はがれかけたところをきれいするなど1日忙しかったです.

明日はゆっくりできます.

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月次祭

2005年02月17日 | 教会
今日は月次祭でした.
毎月休みをとっていたのですが,今月は休みがとれず仕事へ行っていました.
来月は大祭ですので休みは必ずとります.というか,もうとってあります.

最近多忙で疲労もけっこうなものでブログを書く時間がありません.
今日もすでに眠いですね.でもちょっとやらなくてはならないことがまだあるので,もう少し頑張ります...

月次祭

2005年01月18日 | 教会
今日は月次祭でした.
忙しかったですが,無事つとめさせていただきましてよかったです.


大晦日

2004年12月31日 | 教会
今日は大晦日です.
夕方お社の中の掃除をさせていただきました.
お風呂に入って身体を清めてから,会長である母と私とで掃除をしました.

今年1年色々なことがありました.
修士論文提出.自転車での落下事故.就職活動.大学院修了.社会人生活.臨床心理士資格試験.そして合格通知.
だいたい物事は自分にとってはよい方向に運ばさせてもらいました.神様がよかれと思った結果がこうなのだろうと思っています.(もっとその思いに応えないといけないですよね) 亡き父の思いが叶い,来春から臨床心理士として,社会的に認められるこころの専門家として活動することもできるようになりました.大難は小難に,小難は無難にしていただき健康に過ごすことが出来ました.昨年がんの摘出手術をした祖母,今年がんの摘出手術をした祖父も元気に新年を迎えることができそうです.

今年一年の神様のお働きに感謝です.