先日給料日だったのですが,驚くべきことに
先月1度遅刻したにもかかわらず皆勤手当3000円がカットされていませんでした.1分遅刻だっただけなので大目にみてもらえたのでしょうか?それとも私自身が就業規則を勘違いしているのでしょうか?ちょっと確認してみますので,お待ちください.
皆勤手当(病院の定める休日=『4週8休制』以外皆勤した者に支給する)
と書いていました.1分遅刻はしたけれどもきちんと出勤したということで皆勤だったのでしょうか.しかし,やはり遅刻・早退3回で欠勤1日扱いというのは事実のようです.
まぁ結果的に,給与には影響しなかったものの,連続無遅刻が途絶えてしまったことは事実であり,その点に関しては改めなくてはいけません.余裕をもって出勤するよう心がけています.ちなみに今日は23分も早く着いてしまいました.車通勤は道路の混み具合に左右されるから困ります.
そういえば,車についての報告をしていなかったですね.
2月頃より,車かバイクで通勤をしています.天気がよければバイクですが,悪天候のときは車で通勤しています.悪天候でも家で車が必要なときはバイク通勤ですが・・・.悪天候のバイク通勤は交通事故のリスクも跳ね上がりますので,車で通うようにしています.こうした選択ができること,まずはありがたく思います.バイクですとだいたい35~40分と通勤時間にムラはないのですが,車ですと45分~65分と時間にムラがあります.したがって,遅刻のリスクがあるのです.
さて,車購入に関しても思うところがあったので,それを書いてみたいと思います.
これまで乗っていたスターレットが2月で廃車になったので,新しい車を仕入れました.どこからか車を授かるあてがあればよかったのですが,そのようなあてもなかったので,購入という選択をとることになりました.購入に際して頭にはいくつかのことがありました.
分相応に,つまり教会にふさわしい車を,つまり,できるだけ安いものを,それも購入時に安いものではなく,たとえば10年というスパンで考えた時に車両本体,ガソリン代,税金,車検,修理と含めてもっとも安いものをということです.小さな教会ですから,あまりもったいないことはできません.しかし,私の”欲”として,「冷房」と「CDオーディオ」「集中ドアロック」であること,この3つは満たしたいと思いました.スターレットは3つとも満たしていませんでしたので,不足を言っては申し訳ないけれどもこのくらいの贅沢はしてもいいだろうと兄弟とも話していました.もう1つ気にかかっていたのは,新車か中古車かということです.色々な人に聞いてみた結果,長期スパンで考えた時に,新車を買う方が中古車を修理したり乗り継いだりするよりは安いだろうということになったのですが,教会は信者さんの真心のお供えの一部を支えとして生活しているという一面もあると思います.そのような一面がある以上,贅沢は申し訳ないというのが私にはありました.うちの30年程の教会史をみても「新車」に乗った歴史はありません.いつも中古車を安くみつけたり,父が実弟(叔父)からお下がりを売ってもらったりしてやってきました.新車を買うなど夢の夢でありましたし,私はそれが必ずしも教会に必要なこととも思っていませんでした.それに,教会は人救けの拠点になる場所ですから,慎ましくあるべきというのが私にはあります.
ここまで書いてすごく言いたいことが出てきたのですが,今日の話とは大きくズレるので,これはまた後日,別のタイトルをもって書きたいと思います.我々伝道者にとっては本質的なことですが,目を背けてしまっているかもしれないことです.
結局,トータル的に安いと判断された新車を買うことにしました.幸いにして,私の兄弟が群馬の富士重工に勤めておりまして,乗り出し90万を下回って購入できました.PLEOという軽自動車ですが,うちの教会にはもったいなくありがたいものだと思っています.
誤解される方がいるといけないので一応書いておきますが,車は何かまとまった金が必要になったとき(冠婚葬祭や入院など)のために私がコツコツ貯めてきたお金で購入しました.もちろん,私が社会に出てからの2年間,少しずつでも貯める余裕があったのは信者さんの真心あってのことだということは認識しているつもりです.ですから,なおさらもったいないことはできないと思っていますし,慎ましくありたいと思っています.そしてその心をいつも忘れないことが大事なのではないかと思っています.
人は豊かになると過去の苦労を忘れます.そうした人がいることを私は知っていますし,それは私も例外ではないと思っています.私が小さい頃の食生活を含めた生活水準は今よりもはるかに低かったことを記憶していますが,現在の生活の中では,そうした道中があったことを忘れてしまうことが多々あります.日々結構にご守護いただく中で親神様は先を少しずつですがよくしてくださっていることと思います.しかし,その中に過去の苦労があったこと,そしてその苦労の道中決して忘れなかった慎ましさを,現在の生活の中に埋没させてしまってはいないでしょうか?私は,ふと思い返すことはありますが忘れていることがあります.そうならないように気をつけたいと思っています.
現在の豊かさの中で埋もれてはいませんか?―自分あるいは先人たちの苦労や慎ましさを.そしてそのことを忘れなかった自分を.