お道と臨床と

臨床での経験をどのようにお道に生かせるのか?
お道の教えをどのように臨床に生かせるのか?

これらは私にとっての永遠のテーマです.
おたすけも臨床心理的援助も広くとらえれば悩める人への援助という点では一緒です.
ですが,広く共通することがある反面,異なることもまた多くあります.

これらについて記述していくことは大変な時間と労力がいることですし,自分でも未だ整理して考えてはいないので書きません.が,今自分で書いた冒頭の文章を見てふと思ったのは,現段階で私がお道に生かせるだろうと考えているのは多くは臨床的な知識と経験であって,一方,臨床に生かせるだろうと考えているのは多くは教え―つまり人生観,考え方であるということです.

これが何を意味するかと言いますと,私にはやはりお道での経験,つまり「おたすけの経験が欠けている」のです.多少なりともこの身1つを以って人救けに乗り出していれば冒頭の記述に「経験」という2文字を加えることができたはずです.それを書けなかった私にはやはりそれが欠けているのだと思います.もちろん,仕事の経験もまだ少ないので経験といっても生かせるものなど大してありません.が,それ以上におたすけの経験に欠けている,これははっきりとした事実です.陽気ぐらし,人救けの一助にと志したものが生活の多くを占め,将来自分の柱となっていくはずの部分が未開拓なのです.

以前yoshiさんが「おみちは,実動がすべてだと私は思っています」とのコメントを下さいました.それが真だとするならば,実行してこそ得る経験があり,人に語ることもできるということだと私は思います.よくよくこのブログを振り返るとおたすけやにをいがけに関する記事はほとんど無いに等しいです.何故って実践していないからです.今の私に記述できることは,お道の教えについて自分なりに理解していることを語ることや,それを生活に取り入れることでどんな違った見方ができるかなどの個人レベルの話です.ですが,自分の知識や経験の中でしか語れないのですから今はそれでいいと思っています.積み重ねていく先に得るものもまたあるでしょうし.自分が成人していく先におたすけについても記述していけたらいいなぁと思いました.なんだか最近,もやもやしているみたいです.

結局冒頭にあげたことについては何も述べていませんが,現状がまた1つ確認できたということで今日のブログを終わります.
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人と人の背後に働く力

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「私達」という言葉

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子どもは親を映す鏡

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表層的欲求に潜む深層的欲求

感想ってないものですね.このことから派生して思ったことがありますので書いてみます.

そもそも見返りを求めるものではないので,反響がないことに対して不足に思うべきではありません.私の自認しているここでの役割はあくまでも情報―お道や心理学的視点を含めて人生について考える―を発信することであります.したがって,感想を求めた時点で私は私の役割をたんのうしきっていなかったことになります.人間ですから,自分がしていることが他者にどのように映っているかは気になるものです.そしてその評価により,人は自尊心を高めたり,あるいは落ち込んだりするのです.それを求めることはある意味では当然の心理なのですが,これに潜む危険性を自分自身で認識しているかどうかが重要です.

神様への日々の感謝の思いを込めてさせていただく行為をお道では「ひのきしん」と呼びます.人救けもそうです.見返りを求めるものではありません.あくまでもこちらの感謝の意を行動で表明すること,あるいはその人が救かることが目的であり,感謝されることを求めるべきではありません.結果として感謝されることもありますが,たとえ感謝されようがされまいが,自らが目指すべきは1つであり,その真理こそ親神様が受け取ってくださるものであります.しかし,本来結果としてついてくるものが目的となったらどうでしょうか?本末転倒であります.二次的に獲得される対象が一次的に希求されたとき,ひのきしんや人救けの行為は見かけ上(表面的に)はその意味を保ちますが,本質的な意味を失います.

したがってスケールは違いますが今回のことでいえば,結果としてついてくるべきものを目的に摩り替えたとまではいかないまでも,私はこのブログが誰かの人生のどこかで役に立つことがあればいいということを望んで発信さえすればいいのであって,反響を自ら求めるべきではなかったと思うわけです.反響は結果として得るものであり,一次的に希求するものではありません.それを自ら求めた私には,おそらくそれを通して自らの自尊心の足しにしたいという無意識の欲求があったのだと思います.表面的には「読んでいる人はどう思っているのか知りたい」という動機を当てはめることができます.深層では書くのも恥ずかしいですが「役立っている,参考になっているという声をききたい」という動機があったのではないかと思うわけです.そしてそれは「高慢」のほこりにつながるものです.むしろ読んでくれてありがとうという謙虚さを持たねばなりません.私は日々謙虚であろうと心がけているつもりですが,インターネット上でその謙虚さを忘れかけていたのです.先日のブログを書かねば気付かなかったことです.気付かせてもらってよかったです.

自分が求めることの背景にそうした無意識的欲求があるということは往々にしてあります.自分が他者に何かを求めるとき,「何故私はそれを求めるのか?」ということを自問自答すると,表面的な欲求に潜む,ほこりに気付けることと思います.そして,それに気付けなかったとき,人はもっていたものを失くしていくことになるかもしれません.気をつけましょう.私も今後気をつけます.

今日の話は日常的に人の援助をおこなう立場にある援助職に就いている人やおたすけをしている人にとってはとても重要なことだと思います.
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いんねんや世代間連鎖は断ち切れるのか?

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親の背中

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ほめること

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苦労に意味を与える

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話を促すこと

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昨日の「神様がいいように決めてくださるのだろう」について

なんて他力本願なんだと思われる方もいるでしょう.信仰のない方にはこうした考え方は理解しがたいものかもしれません.しかし,非常に合理的な考え方だと思いますし,状況に対する肯定的意味づけをしているということは,認知活動という点から考えても非常に建設的であると思います.
物事に対して否定的意味づけをしてしまうという悩みをもっている人はたくさんいます.私だって否定的に考えてしまうこともあります.そういうとき親神様の存在というのはとても大きく,自分の行動や現在の状況を肯定的に意味づける手助けをしてくださいます.
これは信仰の対象でなくてもいいと思います.信仰のない人は自分でそう意味づけるよう認知の訓練をしたらいいのです.それが認知療法であり,認知行動療法と言われている心理療法です.でも私は個人的にはお道の教えの方が好きですけどね.また,フランクルの実存分析もいいと思います.
余裕があったらまたお話したいと思います.はい.

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