空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

所謂「リベラル」の緩慢な自殺の図

2017-02-04 19:12:32 | ノート


 つまり「彼」を、正気の世界から排除されるべき「狂人」と名づけて、その、理性的世界における発言権を奪うんですね? ライシャワー事件のときの、権力に寄り添って、少年を世界から消去しようとした精神科医たちのように? トランプだって、人民の一人であるということをお忘れだろうか? 

 僕は戦争マンガが、割と好きだ。ちゃんと主人公が報われるやつ。撤退戦のなんか、最高だね。「殺してくれ、大尉、足手まといになりたくない」と呻く負傷兵に、「バカモン、オレが兵を見捨てたことがあるか!」としかりつけ、しかし追手に追いつかれて、そこで丁度よく騎兵隊が駆けつけるようなのなんか、もう惚れ惚れとする。

 最後の一人まで見捨てない。そうであってこそ、民主主義の軍隊というもんだろう。それは市民的精神の精華というべきではないか。

 「彼」も、救うべき人民のひとりなのだ。

 …まーそんな私でも、イスラミック・ステート集団やBoko Haramあたりについては「滅べ」とストレートに言うが。でも、あれらはあれらで、一定の理性的存在ではあるからなあ。存在様態自体が破滅的なのではあるけど、理解はできるんだ、彼らは。だから、ちゃんと敵になる。相互に相互の生存をかけて殴り合いができる。

 が、「狂人」については、そうではない。理性的世界から排除し、保護をするのも排除をするのも、「理性的な我々」による胸先三寸ということになる。それをやっちゃあ、相互に尊厳を持つ存在同士でつくる市民社会があがったり、だ。だからそうした処置は、ほんとに最終手段なのだ。



 1950年頃には警察予備隊の発足等により、それから1960年代、1970年代には安保締結、核戦争の危機…1980年代あたりにはアフガンやら、更に1990年頃にはソ連崩壊、2000年代頃には9.11テロに始まるあれこれ。ずうっと「軍靴の足音」が聞こえ続け、ずうっと未曾有の危機が起こり続けてきたわけであって、「危機事態、非常事態だから職業倫理にとらわれていてはいけない!」と言う場合、いったいいつが平常時なのか、ということが問われるべきだろう。

 銀英伝オタなら、グリーンヒル大将率いるクーデター派に対するヤン提督の批判を想起するところ。



 別に精神科医として「狂人」などという用語を使わずとも、「いまのトランプ氏のやりようは、アメリカ合衆国の理念を損ねる、それは…」と市民的に語っていけばいいのであって。それでなお医者として語りたいというなら、医者としての発言をすればいいだけだ。

 話はちとずれるが:


 一理ある。
 橋下氏が延々支持を調達しつづけていられる秘密の一端を見た思いだ。所謂「リベラル」は橋下氏を嫌うだろうが、言葉の端々に、やはり、凡庸ならざる器が見えるよねえ、とはおもえる。



 これは見事な返し。現場でみたら、惚れるだろうなあ。

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