「ヤマハや河合楽器製作所などが手がける音楽教室での演奏について、日本音楽著作権協会(JASRAC)は、著作権料を徴収する方針を固めた。徴収額は年間10億~20億円と推計。教室側は反発」
「歌謡曲や映画音楽などJASRACが管理する楽曲を使っている講座も多いとみて、著作権料を年間受講料収入の2・5%とする案を検討」
「音楽教室は大手のヤマハ系列が約3300カ所で生徒数約39万人、河合楽器製作所は直営約4400カ所で生徒数約10万人。JASRACの推定では、この大手2グループに他の事業者も加え、合計約1万1千カ所の教室があるという。そのうちウェブサイトなどで広く生徒を募集している教室約9千カ所を徴収対象とし、個人運営の教室は当面除外する方針」
大手二社系列のみで約7700箇所。「広く生徒を募集している」、まあ中手が約9000箇所と。大手さんの圧倒的強力さが見える数字。
…要はコミケ「壁」からは税金とってええやろ、毎回出店してくる中手も取るで、弱小創作は大目に見たるわ、というくらいなわけだろう。こういう理解の仕方もどうかと思うが。
…同人界隈は、1) 作り手からすれば、創作に関する手間が減り・集客も楽になり、2) 権利者側からすれば広報の一助には、まあなる。また、1-1) アンソロ本なんかに採用してもらえればさらに売り上げアップ! 知名度アップ! プロデビューもできるかも! な一方、2-1) 新人発掘の手間は多少減るし、ギャラも安く抑えられるかもしれない。
…よいように取れば、「うんこれ、相乗効果が見込めるね!」と信じることはできそうだ。
だが、音楽教室で、こうしたウハウハっぽいシナリオは書けるだろうか? それゆえにこそ、「取れそうなところから取る」方針は、大手の体力をごそっと削って、結果として業界の沈滞を招くのでは…という危惧も出るわけなのだろう。しかしこの大手を野放しにすれば、末端の零細作曲家の貰いが増えないままなのだ。ここがカドカワ相手の同人業とちがうところだろう。
…なにしろ、カドカワ様が怒れば、同人さんたちは軒並み社会的に死ねる。が、末端零細作曲家が怒ったところで、「ほーん。で? ○○○を訴えてみるんか? ええで? 弁護士の着手金の段階で大赤字決定やろ?」で流せる。この差は大きい。
【学生向け】社会事象に対する意見は、まずマスコミの第一報で「こいつが悪者に違いない」といった先入観ができ、次にそれに沿った他人の「意見」にさらされて自分の「意見」が強まり、さらに同じ「意見」が大量に流通することで世間の「常識」になることが多い。そのどこかで足許を見直すことが大事。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年2月4日
【学生向け】こういう仕組みは、それによって利益を得る者が強め、利用する。それはまずマスコミ。そして、それと結託して政治的または経済的な利益を図る勢力。マスコミの動きは見易いことが多いが、後者は厄介なことがある。私企業のこともあれば、政党、右翼、極左暴力集団、また外国のこともある。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年2月4日
【学生向け】こういう仕組みへの理解抜きに第一報から得た印象が正しいと信じて疑わず、けっして変えようとしないのは、諸君の(わずか20年ほどの人生で得た)直感力に全幅の信頼を置くというに等しいが、それには何の根拠もない。それでは、たとえ勉強ができてもオルテガのいう「大衆」でしかない。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年2月4日
どうせどこかで纏められるだろうし、そういうのを見なくても基本的論点は変わらないので、この前後のJASRAC関係のやり取りは教育的価値が主たるものと思われる。いやまあ、難癖付けに対する切り返しの仕方を学ぶという価値もあるが。あとここでオルテガを使うかーと言う点、教育の際の参考にしたい。
JASRAC問題、とにかくなんでもいいから、自らを正義の立場に置いて、思う存分相手をぶっ叩けるチャンスを期待して集った方々が、思いがけず正論に出会い、成仏することもできず彷徨い続けているようにみえる。おそらく一部の人は、次の獲物を狙って別の機会を新たに探し始めているのだろう。合掌 https://t.co/TevEgRDw2R
— HJ (@13HJU) 2017年2月3日
著作権の権利は確固としてあり、しかしまあタダ取りタダ利用は、程度問題だが見逃しにするのが権利者・取得者の便利である。
まあ顧客が増える可能性もあるし(「お試し版」としての可能性―だから私は、機会があればカネを払う。流通に乗ったものを買う―ひぐらしはコミック、だいぶ買ったし、艦これも「改」やコミックや…をやまほど…とか)。いちいち取り締まっていては、権利者側としても手間がかかりすぎる。
しかし、公教育ならともかく(給料は固定)、営利事業の音楽教室(不振の場合は公教育と違ってリアルに死ねる)、しかも最大手ランク(滅多につぶれやしないだろう、零細とちがって)が「教育目的ですから☆」で押し通し続けるのは、まあきっついわあ、というだけのことだろう。
将来的には技術の進歩により、「お目こぼし」領域はさらに狭くなるだろう(この論点は、「監視社会」テーマに発展してゆく)。だが、そうなるまでは大分時間がありそうだ。
追記
いくら丁寧に説明しても、報道しないんですよ。そして、妙なことをいう「関係者」のコメントを出す。そして二言目には「透明性に欠ける」とか「説明が足りない」とかいう。一般論ですが、われわれ市民は、取材してくるマスコミの品質にまで責任を負えません。 https://t.co/g9wlYpaDHb
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年2月4日
ありがとうございます。あたかも大変なことが起こるかのように「角度をつけて」報道するのがマスコミの常套手段だという、勉強にはなったのではないかと。 https://t.co/S8CGzh8Prz
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2017年2月4日
このお話については「「マスコミの中のひとを教員に?」問題関係メモである。(2017-01-15)」を想起する点がある。法務省が2006年の広報で「この例は適用範囲ではない」と明言する例を2017年の東京新聞報道で「適用の可能性がある!」と、いやまあある種の追加的条件が揃えば適用範囲に入る可能性はないとは言えないでしょうけど、それ途轍もなくレアケースでしかもそれが起こる場合は2006年の広報で「適用範囲である」と言われた例に順ずる場合になるんじゃねえかなあ的な。
そりゃ、「マンション建設反対デモなら絶対逮捕しません」と言い切ったら、「そのマンションの建設によって被害を受ける者(から依頼を受けた格好を取り繕って、っていうか中の人の一人になって、かつその「相談役」のNPOには「お仲間」設置のもののみを選定し、結果としてデモ構成員の8割がヤのつく自由業になって、そのうえで金銭セビリに特化したデモをオルグした者)たちです☆」がまかりとおるだろうが。
…一部マスコミはちゃんと気をつかって、「市民」団体とか言ってくれるんだから、そこらへんの阿吽の呼吸は理解したうえで合法闘争をやっていただきたい。その辺は、ヤのつく自由業のひとたちのほうが、よほど気をつかってやってるんじゃないかなあ。フロント企業とかなんとか、そーゆうの。
とpもあれ、このネタは講義に使えそう。
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